科学技術学園高等学校の飯田吉郎先生がお亡くなりになった連絡が入った。次のような内容。
飯田吉郎先生を偲び、科学校衡学園50周年を想う会」ご案内
立春が過ぎたとはいえ寒さが続いています。皆様いかがお過ごしでいらっしやいますか。
既にご存知の方もいらっしやると思いますが、飯田吉郎先生が、今年1月6日お亡くなりになりました(享年92歳)。葬儀は、先生のご遺志により家族葬で営まれました。
先生は、科学技術学園工業高校開校3年目の1967(昭42)年4月、第2代、校長に就任、1985(昭60)年3月、退任・退職されました。
この間、「通信制工業高校講座」がTV局の都合で縮小、さらには放映終了となる中、連携教育の充実拡大・教育地域の拡大を図られました。体育大会、生活体験発表会、その他の学校行事も盛んになりました。
それまで通信制高校の加入が認められていなかった全国高体連・高野連への加盟に、尽力されました。
普通科を設置し、1977(昭52)年、校名を科学技術学園高等学校に変更し、翌年、定時制課程が開設されました。
一方、科学技術学園は昨年、創立50周年を迎えました。飯田先生はその基礎固めにご尽力されました。科技高発展のために苦楽を共にした仲間が集い、旧交を温められればと、ご案内申しあげる次第です。
期日:平成27年3月24日(火) 午後1時から
場所:成城ホール(砧区民会館)
会費:5000円
武蔵境南口の観音禅院に行ってきた。
曇ってきて風が怒涛のように舞う。寒い!leoくんも無事退院できたのでお礼を。新しいノートがあった。見開きのところに次のような言葉が書いてあった。
念ずれば花ひらく
行ずれば実る
道人
観音院 来迎阿弥陀如来像
あまりの美しさに
輝ちゃんの2月13日(金) leoくんはまだ疑っている
leoくんは自分から2階に上がってこない。人間を信用していない。よっぽど病院が嫌だったらしい。泣き疲れて吠え尽きて声も枯れている。久しぶりに川の字になって昼寝をした。俺にとって至極の時間だ。本当に癒される。
買い物に行こうと誘ってもこない車に乗せられると病院に連れて行かれると思っている。クリーニング屋さん、セブンといっても全く知らん顔。懲りたのだろう。オヤツを欲しがる。でも、我慢させる。気を許して撫でたら噛まれそうになった。
買い物から帰ってきたらどこかへ連れて行けという。大好きな調布飛行場の小高い丘へ行った。とんでもない寒さ。押し潰されそうな灰色の空。
ナイターテニスの金曜日。13日の金曜日は昔は嫌がられていたが今はどうなのだろう。最近にない寒さ。1時間が過ぎた頃、風が強くなり急激に冷えてきた。ボールの変化に対応できない年齢だから無理は禁物。切り上げて銭湯でゆっくり温まった。