性別違和の半数は性別願望。残りの半数は性別嫌悪。残りの半数は性別嗜好。残りの半数は性別錯誤。残りの半数は性別遊戯。残りはすべて性別詐称。性別認識すなわち性自認の事例はゼロ。必然的・分析的にゼロ。
指向性マイクを擬人化すれば嗜好性マイク。人間味を付与するか否かの違いだけ。性的指向と性的嗜好を別物扱いするのはロジックでもルールでもマナーでもなく、非人格化の差別である。
告発マニアらが刑事告発しただけで大々的に報道するから受理も起訴も有罪も一緒くたの重みになってしまう。人権フェチどもが差別差別と騒いだだけで仰々しく違憲判断するから性同一性障害も自閉症スペクトラムもオートガイネフィリアもごちゃまぜの痛みになってしまう。
公用パソコンの中味を「プライバシー」と言うのはミスカテゴライジングである。♂身体の心を「女性」と言うのは常にミスジェンダリングである。
もともとUSBにあったとしても公務中ならアウト。もともとフェミニンだったとしても玉竿付いてりゃアウト。
「女性」をどう再定義しようとも、「人間のメス」という定義より重要な役割を果たす定義は得られない。少なくとも人間が有機生命体である間は。
(たとえVR文明に移行しても、自認じゃ無理でしょうね、見かけが♀でないと)