意外なところに平凡な真実が。平凡なひとに意外な欺瞞が。
朝日新聞、25日朝刊の塩野七生のインタビュー記事は良かったなあ!
よかった。
「広島に来るならオバマは謝罪しろ」的な声というのは右も左も容易に一致してしまいやすい危険な波動で、朝日新聞も市民の謝罪要求系の声を多く掲載することこそ良心的スタンスだと勘違いしている気配が濃厚だったので、私ゃ心配してたんですよ。朝日の記者に知り合いの多かった昔ならすぐに忠告進言するところだが、みんな辞めちゃって今は一人もいないからなあ。脇でやきもきしてるだけでしたよ。
そんなところへ塩野談話。いやぁ本当に救われた。朝日はあれを載せたことで大いに面目を保ったな。聞き手の編集委員はまことにGJでした!
具体的にどんな記事だったのかは、ここで説明するのも何なのでどこかで探して読んでください。
さてしかし、ああいう卓見は日本人の中では外国に住んでる人からしか聞かれないということか……。寂しい話であるな。同日夕刊の赤坂真理のインタビューも隣の藤原帰一の「時事小言」も塩野談話に比べると情けないほど当たり障りのないうつろな言葉にすぎなかったし……。
オバマの広島訪問後の報道が見ものだな。朝日にはぜひ、塩野七生が示唆したような紙面にしてほしいよ。もちろん他の新聞も。歴史をろくに勉強してない市民の感情論に迎合して売り上げを伸ばそうというのでもあるまいが、原爆談議になると日本の新聞が必ず持ち出す枕詞
「アメリカでは原爆投下が戦争を終わらせたという考えが根強い」
「アメリカでは原爆投下がより多くの命を救ったという考えが根強い」
もこれからはやめてほしいよな。朝日に限っても、その紋切り型を何遍繰り返してきたんだろう。何百回じゃ済まないだろう。まるで「それ、トンデモ説ですよね」って念押し的前提に読者を引き込むかのように。
しかしかりに論争になった時、日本人はほんとにアメリカを論破できるんですか?
原爆投下を理路整然と批判できるだけの知識も理論も持ち合わせない不勉強な市民を感情であおる手法は、やめてほしいんですよ。新聞には。
原爆に関しては、日本人がアメリカを論破するのは無理だと思いますよ。今の歴史認識程度では。
ちょっと勉強すればわかるように、原爆投下が戦争犠牲者を大幅に減らしたことは事実だしな。
東アジア全域で毎月二十万人が死んでいった戦争を一瞬にして終結させた原爆投下は、日本にとってすら天祐(米内光政、近衛文麿……の言葉)だったことは間違いない。(ほんとはソ連参戦が降伏の主因だが、それを認めると帝国陸軍の名誉が損なわれてこじれるし、ドイツのような分断の憂き目にあいかねないし、そんな悪夢のようなソ連参戦ショックを覆い隠すいい口実になったのが原爆。というのが正確だが。「新爆弾の惨害に大御心」! 終戦の日に朝日新聞も原爆にすがって民心を宥めたわけだしな)
原爆投下のような派手な口実が与えられなかったドイツは悲惨だったからなあ。絶望的になっても最後まで戦わざるをえず、日本の二倍をゆうに超す死者を出し被爆者より一桁多い人数がレイプに遭った。
というわけで……
実はアメリカの言い分には一理も二理もある。少なくとも理性で議論したらアメリカが勝つ。アメリカで(あるいは世界全体で)原爆投下を肯定する人の比率が下がっているとしたら、第二次大戦に無知な人が増えてきたからに過ぎませんよ。アメリカ人が良心に目覚めてきたかのように誤解させる記事はもうやめてほしいよね。(その点は夕刊の藤原帰一が釘刺していましたね。お手柄というべきです)
それとねえ。
投書欄に採用する投稿ももっと選んでほしいよなあ。原爆に限らないけど。
もっといいこと書いてきてる人も絶対いるはずでしょ。「大多数の読者」のレベル(もちろん架空)に合ったありきたりな主張のみがなぜ並ぶか。
朝日の25日朝刊で言うなら、81歳女性の「すでに日本の敗戦は必至だった。だから、米国の「原爆によって戦争終結の時期を早めた」という言い訳は通用しない」は平凡すぎる勘違い。敗戦必至なのに戦い続けざるをえなかった日本に降伏の言い訳を与えてドイツの二の舞を防いでくれたのが原爆。戦争体験者にしてそのくらいのことがわからないかなあ。なんでも体験すりゃいいってもんじゃないようだな。
他方、21歳女性は……「アメリカに謝罪は求めない。だが、どうか原爆投下を正当化することはしないでほしい」。これ、話が逆。かりに謝罪は求めても(被爆者にとっては不当きわまりないことだったのだから……)正当化は維持しなければならないだろう(「正当性」「合理性」の否定は感情や共感でどうこうなるものじゃないのだから)。原爆投下は正しかったかもしれないと認めることが、戦争反対の強力な論拠になるってことがなぜわからないかなあこの大学生には……。
簡単な理屈なのに。
つまりこういうことですよ。
戦争になったら(特に総力戦になったら)戦争を終わらせるために、残虐な核兵器使用ですら正しくなってしまう。
だから、戦争はいけないのだ、と。
簡単でしょ。
原爆投下は正しかったと認めることこそ、戦争反対の強力な主張となるのですよ……。
あの第五福竜丸事件のすぐあとに出された
『ラッセル・アインシュタイン宣言』
もこう言っている↓
「たとえ水素爆弾を使用しないといういかなる協定が平時に結ばれていたとしても、戦争が始まるやいなや双方とも水素爆弾の製造にとりかかるであろう」。
核兵器製造には合理性があると宣言は認めているわけです。ただし平時にではなく戦時にはね。
だからこそラッセル・アインシュタイン宣言は、反核声明というより、反戦声明なんですね。狂気を正気に変えてしまう戦争に反対せねばならない、と。
反核より反戦が重要。原爆投下より真珠湾の方が深刻。
そう。
オバマ広島訪問で「核廃絶」ばかりが唱えられているが、ラッセルが言うように、核廃絶しても戦争廃絶ができなければ無意味なんですよね。(朝日26日朝刊社会面にはまたまた<核廃絶>のお題目がでかい見出しで奉られているが……やれやれ……)
いったん総力戦になろうものなら何だって作っちゃうので。
だから原爆投下を正当化し続けることが、反戦平和主義にとって重要なんですよ。
これから原爆を使うべきだぞって意味じゃないですからね。あくまで第二次大戦の教訓の話。
注意すべきは、原爆投下が正しかった理由は、「戦争中はブチ切れ状態だから何でもあり」てことじゃないってことですよ。たとえばナチスのホロコーストのようなものは(南京虐殺もそうですが)、戦争を終わらせる(戦争に勝つ)ために全く役立っていませんからね。戦争中だからといって正当化することは出来ません。ここ勘違いしないように。
ホロコーストとは違って慰安婦や原爆投下は、戦争中にはこのうえなく合理的なのですね。だからこそ戦争はいけない。背理法ですよ背理法。ああいう非人道的なことが正当化されるからこそ、戦争を始めてはならない。
と、そういうところにまで踏み込んでほしかったところですが、新聞としちゃそこまでは載せられないのかもな。塩野七生も、謝罪を求めない姿勢を「悪賢い」という巧みなレトリックでフォローせざるをえなかったわけで。
いずれにせよ、塩野七生のインタビューは大変よかった。
近年まれに見るいい記事でした。
いやあ、よかった。
朝日でも他の新聞でも、原爆投下関連であれに匹敵する良記事を知っているという方は、ぜひお教えください。
ともあれ……
通り一遍の感情論で大衆をあおるのは満州事変当時の新聞に逆戻りですから。塩野談話の感じで冷静に、各方面から、世界視点で原爆投下を論じてほしいですよ。
オバマが帰ったあとに、改めて原爆投下の歴史的意味を(特に第二次大戦の中でのその役割を)しっかり学問的に論ずる特集でもシリーズでもやってくれないかな、どこの新聞でもいいから。日本人がマスメディアで初めて原爆投下を冷静に論じるいい機会になるはず。慰安婦問題にケリをつけつつある(?)朝日新聞が流れから言って適任だが、まあどの新聞でもいいからさ。
哲学的視点というかクリティカルシンキング視点が必要な時には俺も何か言わせてほしいしさ。
たとえば韓国からすれば、原爆投下は日本が被害者ヅラするためのアリバイに見えているに違いないし、そういう近隣諸国の不快感を払拭するためにも、きちんと「第二次大戦における原爆投下の意味と、現在の核兵器の意味とを分けた議論」、少しはやって見せてくださいよ、新聞。
大日本帝国のマスコミとは格が違う、知的レベルが違うよって気概を我々に、世界に示してほしいもんです。塩野七生の言う「品位の高さ」ってそれですから。
(関連)
http://politas.jp/features/8/article/466
http://russell-j.com/miurat/SensoRonrigaku-gnote2.pdf
よかった。
「広島に来るならオバマは謝罪しろ」的な声というのは右も左も容易に一致してしまいやすい危険な波動で、朝日新聞も市民の謝罪要求系の声を多く掲載することこそ良心的スタンスだと勘違いしている気配が濃厚だったので、私ゃ心配してたんですよ。朝日の記者に知り合いの多かった昔ならすぐに忠告進言するところだが、みんな辞めちゃって今は一人もいないからなあ。脇でやきもきしてるだけでしたよ。
そんなところへ塩野談話。いやぁ本当に救われた。朝日はあれを載せたことで大いに面目を保ったな。聞き手の編集委員はまことにGJでした!
具体的にどんな記事だったのかは、ここで説明するのも何なのでどこかで探して読んでください。
さてしかし、ああいう卓見は日本人の中では外国に住んでる人からしか聞かれないということか……。寂しい話であるな。同日夕刊の赤坂真理のインタビューも隣の藤原帰一の「時事小言」も塩野談話に比べると情けないほど当たり障りのないうつろな言葉にすぎなかったし……。
オバマの広島訪問後の報道が見ものだな。朝日にはぜひ、塩野七生が示唆したような紙面にしてほしいよ。もちろん他の新聞も。歴史をろくに勉強してない市民の感情論に迎合して売り上げを伸ばそうというのでもあるまいが、原爆談議になると日本の新聞が必ず持ち出す枕詞
「アメリカでは原爆投下が戦争を終わらせたという考えが根強い」
「アメリカでは原爆投下がより多くの命を救ったという考えが根強い」
もこれからはやめてほしいよな。朝日に限っても、その紋切り型を何遍繰り返してきたんだろう。何百回じゃ済まないだろう。まるで「それ、トンデモ説ですよね」って念押し的前提に読者を引き込むかのように。
しかしかりに論争になった時、日本人はほんとにアメリカを論破できるんですか?
原爆投下を理路整然と批判できるだけの知識も理論も持ち合わせない不勉強な市民を感情であおる手法は、やめてほしいんですよ。新聞には。
原爆に関しては、日本人がアメリカを論破するのは無理だと思いますよ。今の歴史認識程度では。
ちょっと勉強すればわかるように、原爆投下が戦争犠牲者を大幅に減らしたことは事実だしな。
東アジア全域で毎月二十万人が死んでいった戦争を一瞬にして終結させた原爆投下は、日本にとってすら天祐(米内光政、近衛文麿……の言葉)だったことは間違いない。(ほんとはソ連参戦が降伏の主因だが、それを認めると帝国陸軍の名誉が損なわれてこじれるし、ドイツのような分断の憂き目にあいかねないし、そんな悪夢のようなソ連参戦ショックを覆い隠すいい口実になったのが原爆。というのが正確だが。「新爆弾の惨害に大御心」! 終戦の日に朝日新聞も原爆にすがって民心を宥めたわけだしな)
原爆投下のような派手な口実が与えられなかったドイツは悲惨だったからなあ。絶望的になっても最後まで戦わざるをえず、日本の二倍をゆうに超す死者を出し被爆者より一桁多い人数がレイプに遭った。
というわけで……
実はアメリカの言い分には一理も二理もある。少なくとも理性で議論したらアメリカが勝つ。アメリカで(あるいは世界全体で)原爆投下を肯定する人の比率が下がっているとしたら、第二次大戦に無知な人が増えてきたからに過ぎませんよ。アメリカ人が良心に目覚めてきたかのように誤解させる記事はもうやめてほしいよね。(その点は夕刊の藤原帰一が釘刺していましたね。お手柄というべきです)
それとねえ。
投書欄に採用する投稿ももっと選んでほしいよなあ。原爆に限らないけど。
もっといいこと書いてきてる人も絶対いるはずでしょ。「大多数の読者」のレベル(もちろん架空)に合ったありきたりな主張のみがなぜ並ぶか。
朝日の25日朝刊で言うなら、81歳女性の「すでに日本の敗戦は必至だった。だから、米国の「原爆によって戦争終結の時期を早めた」という言い訳は通用しない」は平凡すぎる勘違い。敗戦必至なのに戦い続けざるをえなかった日本に降伏の言い訳を与えてドイツの二の舞を防いでくれたのが原爆。戦争体験者にしてそのくらいのことがわからないかなあ。なんでも体験すりゃいいってもんじゃないようだな。
他方、21歳女性は……「アメリカに謝罪は求めない。だが、どうか原爆投下を正当化することはしないでほしい」。これ、話が逆。かりに謝罪は求めても(被爆者にとっては不当きわまりないことだったのだから……)正当化は維持しなければならないだろう(「正当性」「合理性」の否定は感情や共感でどうこうなるものじゃないのだから)。原爆投下は正しかったかもしれないと認めることが、戦争反対の強力な論拠になるってことがなぜわからないかなあこの大学生には……。
簡単な理屈なのに。
つまりこういうことですよ。
戦争になったら(特に総力戦になったら)戦争を終わらせるために、残虐な核兵器使用ですら正しくなってしまう。
だから、戦争はいけないのだ、と。
簡単でしょ。
原爆投下は正しかったと認めることこそ、戦争反対の強力な主張となるのですよ……。
あの第五福竜丸事件のすぐあとに出された
『ラッセル・アインシュタイン宣言』
もこう言っている↓
「たとえ水素爆弾を使用しないといういかなる協定が平時に結ばれていたとしても、戦争が始まるやいなや双方とも水素爆弾の製造にとりかかるであろう」。
核兵器製造には合理性があると宣言は認めているわけです。ただし平時にではなく戦時にはね。
だからこそラッセル・アインシュタイン宣言は、反核声明というより、反戦声明なんですね。狂気を正気に変えてしまう戦争に反対せねばならない、と。
反核より反戦が重要。原爆投下より真珠湾の方が深刻。
そう。
オバマ広島訪問で「核廃絶」ばかりが唱えられているが、ラッセルが言うように、核廃絶しても戦争廃絶ができなければ無意味なんですよね。(朝日26日朝刊社会面にはまたまた<核廃絶>のお題目がでかい見出しで奉られているが……やれやれ……)
いったん総力戦になろうものなら何だって作っちゃうので。
だから原爆投下を正当化し続けることが、反戦平和主義にとって重要なんですよ。
これから原爆を使うべきだぞって意味じゃないですからね。あくまで第二次大戦の教訓の話。
注意すべきは、原爆投下が正しかった理由は、「戦争中はブチ切れ状態だから何でもあり」てことじゃないってことですよ。たとえばナチスのホロコーストのようなものは(南京虐殺もそうですが)、戦争を終わらせる(戦争に勝つ)ために全く役立っていませんからね。戦争中だからといって正当化することは出来ません。ここ勘違いしないように。
ホロコーストとは違って慰安婦や原爆投下は、戦争中にはこのうえなく合理的なのですね。だからこそ戦争はいけない。背理法ですよ背理法。ああいう非人道的なことが正当化されるからこそ、戦争を始めてはならない。
と、そういうところにまで踏み込んでほしかったところですが、新聞としちゃそこまでは載せられないのかもな。塩野七生も、謝罪を求めない姿勢を「悪賢い」という巧みなレトリックでフォローせざるをえなかったわけで。
いずれにせよ、塩野七生のインタビューは大変よかった。
近年まれに見るいい記事でした。
いやあ、よかった。
朝日でも他の新聞でも、原爆投下関連であれに匹敵する良記事を知っているという方は、ぜひお教えください。
ともあれ……
通り一遍の感情論で大衆をあおるのは満州事変当時の新聞に逆戻りですから。塩野談話の感じで冷静に、各方面から、世界視点で原爆投下を論じてほしいですよ。
オバマが帰ったあとに、改めて原爆投下の歴史的意味を(特に第二次大戦の中でのその役割を)しっかり学問的に論ずる特集でもシリーズでもやってくれないかな、どこの新聞でもいいから。日本人がマスメディアで初めて原爆投下を冷静に論じるいい機会になるはず。慰安婦問題にケリをつけつつある(?)朝日新聞が流れから言って適任だが、まあどの新聞でもいいからさ。
哲学的視点というかクリティカルシンキング視点が必要な時には俺も何か言わせてほしいしさ。
たとえば韓国からすれば、原爆投下は日本が被害者ヅラするためのアリバイに見えているに違いないし、そういう近隣諸国の不快感を払拭するためにも、きちんと「第二次大戦における原爆投下の意味と、現在の核兵器の意味とを分けた議論」、少しはやって見せてくださいよ、新聞。
大日本帝国のマスコミとは格が違う、知的レベルが違うよって気概を我々に、世界に示してほしいもんです。塩野七生の言う「品位の高さ」ってそれですから。
(関連)
http://politas.jp/features/8/article/466
http://russell-j.com/miurat/SensoRonrigaku-gnote2.pdf
毎日必ず大発見があるものだ。反射的に両手バチン。落下地点で歩行を視認。蚊なら潰れ去っているクリーンヒットを、強いなあ甲虫は。カツオブシムシ。
迫られても釣られなければよし。釣られても流されなければよし。流されても縛られなければよし。縛られても操られなければよし。操られても奪われなければよし。奪われても騙されなければよし。騙されても蔑まれなければよし。蔑まれても虐げられなければよし。虐げられても快ければよし。快くても心に迫らねば悪し。