ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

映画「青春18×2 日本漫車流浪記」を観た

2024年05月10日 | 映画

映画「青春18×2 日本漫車流浪記」を観た。2024年、123分、日本・台湾合作、監督藤井道人(1986、東京都)、原作ジミー・ライ。シニア料金1,300円。

藤井道人が監督・脚本を手がけた日台合作のラブストーリー。ジミー・ライの紀行エッセイ「青春18×2 日本漫車流浪記」を映画化し、18年前の台湾と現在の日本を舞台に、国境と時を超えてつながる初恋の記憶を描いた映画。この原作者ジミー・ライという人はネットで調べてもどういう人かよくわからなかった。

台湾に住む36歳のジミー(シュー・グァンハン、許光漢、1990、台湾)は、自身が作りあげたゲーム制作会社でヒット作品を出したが、やがて傲慢になり人心が離れ、経営に失敗し追い出される、ふとかつて出会った日本人のアミ(清原果耶、2002、大阪生まれ)から届いた絵ハガキを手に取る。

18年前の台湾、カラオケ店でバイトする高校生だったジミーは、日本から来たバックパッカーのアミがいきなり働きたいと言ってきて彼女と出会う、アミは店の人気者となり、徐々に彼女に恋心を抱くようになり、やがてデートもする仲に、しかし、突然アミが帰国することになる。アミはある約束を提案した。

時が経ち、失意のジミーはあの日の約束を果たそうと彼女が生まれ育った日本への旅を決意し鈍行列車に揺られ、たどり着いたアミの実家で18年前のアミの本当の想いを知り・・・・

物語は、鎌倉・由比ヶ浜や福島・只見線が走る雪景色、台湾・十分(シーフェン)のランタンフェステイバルなど日本と台湾の写真映えする観光地を舞台に旅行ムードを醸し出して、描かれる景色に癒される。

主演の台湾俳優のシュー・グァンハンは全く知らなかったが、清原果那は2021年の朝ドラ「おかえりモネ」に出ていたので知っていた。この映画の演技を見て随分女優として成長したなと思った、もうすでにいろんな映画やテレビに出演しているようだ。

監督の藤井道人の祖父は台湾出身で、台湾は自分のルーツの一つと述べており、祖父のように異文化に接して、それをミックスした映画が作りたいと思っていたようだから、この作品の映画化には相当力が入っていたのでしょう。

さて、この映画を今回観た感想だが、2国間をまたぐ青春恋愛映画ということもあって、シニアの自分にはあまり響いてこなかった。仕方ないでしょう。台湾人や田舎に住む日本人の人の好さがよく出ている作品で、その点では良いと思った。

若い人向けの映画だった、が、自分が年を取って感動しなくなっただけなのか


映画「他人の顔」を観る(2024/4/17追記)

2024年04月17日 | 映画

(2023/5/1の当初投稿の閲覧がたまにあるので、この映画の主題歌のYouTube動画を埋め込みました)

YouTubeで観られる映画「他人の顔」(1966年、勅使河原宏監督)を観た。この映画はAmazonにもNetflixにもなかった。白黒映画。

安部公房の同名の小説の映画化だ。安部の作品は「砂の女」を読んだことがあるが、映画化されたのでそれも観た。今回は原作は読んでいないが映画の方をYouTubeで偶然見つけたので早速観た。

物語は、会社の実験で不用意な対応で顔面にケロイド状の火傷痕が残り、顔全部を包帯で覆わなければいけなくなった中年男性(仲代達矢)が主人公。妻(京マチ子)に抱きついても拒絶され孤独感に苛まれる。あるとき精神科医で外科医でもある医者(平幹二朗)に他人の顔を盗んで特殊な皮膚で作ったマスクで顔を再生する治療を提案され、別人に生まれ変わる。マスクをつけて他人になりすまし拒絶した妻を誘惑して復讐を果たそうとするが・・・・というストーリー。

「顔のない人間が自由になれるのは闇が世界を支配したときだけだ、だから深海魚はグロテスクな顔になれた」といって「いまから実験をやるから電気を消せ」と妻にいう。そして「顔は心の扉で、顔が閉ざされると一緒に心も閉ざされてしまう、もはや訪れる客もない、心は顔の後ろで朽ちるにまかせ、やがて廃墟になるのを待つだけだ・・・、ぼくは生きながら埋葬されてしまったのか」という言葉を吐くと妻は「扉を勝手に閉めたのはあなたではないの、出てきたって誰もとがめやしないわよ」と言うと、暗闇の部屋の中で突然妻に抱きつく(これが実験か)が拒絶される。実験は失敗で、包帯顔の自分を拒否する妻に対する復讐心が芽生える。

その後、医者に作ってもらった他人の仮面をして妻を誘惑し、情事を済ませた後、突然妻に「恥も外聞もない色きちがいめ」と責める、妻は「私が気づいていないとでも思っていたの」と言うと夫は愕然として「気づいていたのか」と言う、「当然じゃあないの、だって仮面をかぶって何重にもカードして私を誘惑したのは繊細な心遣いだと思ったわ、だから私も素顔の上に何枚張りもの顔を作っていたじゃないの、それなのにあなたは私を非難して、私はあなたを買いかぶっていたわ」と言い返す。その後の会話も妻の鋭い指摘に夫はオロオロするだけだ。

この物語は、結末には救いが無い。それだけに問いかけるものも深い。自分がその立場になったらどうするだろうか考えさせられる。このような悩みを持っている人は意外と多いのかもしれない。京マチ子の妖艶さがなんとも言えず素晴らしいし、この時代(昭和41年)にもかかわらず肌の露出度合いが大胆なのにも驚いた。

ところで、この映画の音楽は武満徹が作曲したものだ。なんとも憂いのある旋律が映画のイメージにピッタリの音楽だ。武満は映画の中にも酒場の客として出てくる。

 


映画「Winny」を観た

2024年04月16日 | 映画

Amazonで映画「Winny」を観た、2023年、127分、日本、監督松本優作。ファイル共有ソフト「Winny」の開発者が逮捕され、著作権法違反ほう助の罪に問われた裁判で最後に無罪を勝ち取った事件を映画化したもの。

2002年、データのやりとりが簡単にできるファイル共有ソフト「Winny」を開発した元東京大学大学院情報理工学系研究科助手の金子勇(東出昌大)は、その試用版をインターネットの巨大掲示板「2ちゃんねる」に公開する。公開後、瞬く間にシェアを伸ばすが、その裏では大量の映画やゲーム、音楽などが違法アップロードされ、次第に社会問題へ発展していく。違法コピーした2人が逮捕され、ソフト開発者の金子も著作権法違反ほう助の容疑で2004年に逮捕される。金子の弁護を引き受けることとなった弁護士・壇俊光(三浦貴大)は、金子と共に警察の逮捕の不当性を裁判で主張するが、第一審の判決は・・・

主演の東出昌大(ひがしで まさひろ)は、つい最近、この映画で第33回日本映画批評家大賞の「主演男優賞」を受賞した。東出以外にこの映画で目立って活躍したのは、Winny弁護団の助っ人、刑事裁判で多くの無罪を勝ち取った実績を持つ秋田弁護士役の吹越満、愛知県警の裏金作りを告発した仙波巡査部長役の吉岡秀隆、金子を追い込んだ京都府警ハイテク犯罪対策室警部補の北村文也を演じた渡辺いっけいだろう。出演者は全員、当事者の実名である。

この映画の裁判についてだが

  • 最大の論点となったのは、著作権侵害に使われる可能性があるソフトを提供した開発者に罪が問えるか、というところであろう、その論点設定は理解できる
  • 裁判では、2006年の1審京都地裁は有罪、罰金150万円(禁固刑無)、2審大阪高裁は無罪、そして2011年(平成23年)12月19日の最高裁判決は無罪(上告棄却)となった、2004年の逮捕以来7年が経過していた
  • 最高裁が無罪としたのは、例外的とはいえない範囲の者がそれを著作権侵害に利用する蓋然性が高いことを認識、認容していたとまで認めることは困難であるから、というもの

映画は1審判決が出たところまでを描き、それ以降はナラティブで説明するというものだった、最後まで裁判の過程を映画化するのは確かに時間ばかりかかって意味が無いでしょう。

この映画は結構専門的なエリアの問題提起をしているのだろうと思う、そういう意味で広く大ヒットするような内容ではないかもしれないがよくこのようなテーマを映画化したものだ。主人公の色恋沙汰が全くないのも映画の内容に起伏がないものとなっている要因だろうが、それが悪いわけではない、事実に忠実に映画化した結果だろう。主人公役の東出昌大はプライベートの色恋沙汰で世間を騒がせたというのが皮肉だ。

ただ、一つわからなかったのは本件裁判と同時並行に進んでいた愛知県警の裏金問題だ、この問題はWinnyによって証拠がネット上で出回ったという点で主筋との関連性があるが、内容的にはWinny裁判とは何も関連が無く、最後まで何もつながらなかったのに違和感を覚えた。

あと、ファイル共有ソフトというものがいかにすごいソフトなのかと言うのが今ひとつ伝わって来なかった、ITに詳しい人には当たり前のことかもしれないが。

 


映画「ピアノ・レッスン」を観た

2024年04月13日 | 映画

近くの映画館で「ピアノ・レッスン」を観た。1993年製作、121分、オーストラリア・ニュージーランド・フランス合作、監督ジェーン・カンピオン、原題:The Piano。シニア料金1,300円、10人くらい入っていたか、ピアノとあるので興味を持った。1993年度第46回カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いた。随分前の映画が何で今、と思ったら本年3月に4Kデジタルリマスター版ができたのでリバイバル上映していると言うことだった。

19世紀半ば。エイダ(ホリー・ハンター、1958、米、この映画でアカデミー主演女優賞)はニュージーランド入植者のスチュアート(サム・ニール、1947、英)に嫁ぐため、娘フローラ(アンナ・パキン、1982、加、この映画でアカデミー助演女優賞)と1台のピアノとともにスコットランドからニュージーランドにやって来る。口のきけない彼女にとって自分の感情を表現できるピアノは大切なものだったが、スチュアートは重いピアノを浜辺に置き去りにし、粗野な地主ベインズ(ハーベイ・カイテル、1939、米)の土地と交換してしまう。エイダに興味を抱いたベインズは、自分に演奏を教えるならピアノを返すと彼女に提案。仕方なく受け入れるエイダだったが、レッスンを重ねるうちに・・・・

このドラマはエイダと夫のスチュアート、地主のベインズの3角関係を描いたものだが、その中でエイダの好むピアノが絡んでくるもの。

観た直後の感想は、1回観ただけではよくわからない点が多かった、結末も何となくすっきりしなかった、というもの。結末については、何もこれではダメだ、という意味ではないが。

そのよくわからない点なども含めて感想を書いてみたい(一部ネタバレあり)

  • エイダは6才の時になぜか喋らなくなった、ピアノと手話で自分を表現するようになる、ピアノが彼女の魂になる、そして成人すると親が縁談を持ってきた、喋らなくてもよいと言う男性だ、それでその男がいるニュージーランドに渡った、と思っていたが、その後の渡航シーンで小さい娘を連れているので話がわからなくなった、これから結婚するのになぜもう娘がいるのか
  • 娘が話すには、パパとママと3人で森の中に行った時に雷が落ちて、パパは死んだ、ママはその時から喋らなくなった、ここでストーリーがわかりにくくなった
  • エイダが自分のピアノを得たベインズにピアノ・レッスンをしていくうちに、段々と惹かれていく、それがなぜか、と言うのがわからなかった、夫のスチュアートに不満があるようにも思えなかったのに、それとも自分の命とも言える存在のピアノを海岸に置き去りにしてベインズの土地と交換したことが決定的な理由となったということなのか、よくわからなかった、ピアノが彼女の魂と言うところを強調する何かがもっと欲しかったと思うが
  • エイダがベインズにピアノ・レッスンをして、何かカウントしてそれが10に達したらピアノを返してくれる、と言うような約束をしたのか、よくわからないが、10になったら体を求められて許す、というのが何かいきなり話が飛躍しているような気がした
  • 最後にスチュアートと別れてベインズと船出するとき、ピアノを運ぶのは無理だと船こぎたちから強く言われたけど、結局積み込んだ、そして船上で積み込んだピアノをそのピアノを船に縛り付けていた縄ごと海に捨て、自分もその縄に足をわざと絡めて海に沈んでピアノと一緒に死のうとする、これが結末か、と唖然として観ていると、海中で自ら足に絡みついた縄をほどき、海面に出て助けられる、なぜ魂のピアノを捨てる気になったのか、1回死のうとしたのになぜ気が変ったのか、わからなかった
  • エイダは映画中で実際にピアノを弾いていたようにみえたが、ホリー・ハンターは簡単なピアノなら弾けたのか、それとも実際に弾いているように見せる撮影のうまさか
  • エンドロールを観ていたらヘアーメイクに日本人と思われるワタナベ・ノリコという名前が出てきた、調べてみると、彼女(渡辺典子)は、東京からアメリカ合衆国に移住したハリウッド映画で活躍するヘアスタイリスト兼メイクアップアーティスト、これまでにスタイリングしたハリウッドスターは、ニコール・キッドマン、ケイト・ウィンスレット、ベネディクト・カンバーバッチなど、大物俳優が名を連ねている、映画俳優だったサム・ニールの再婚相手となった後、ニュージーランドのクイーンズタウンに移り住んでいるがサム・ニールとは今は別居又は離婚しているらしい、エンドロールを観るのは退屈だからいつも日本人がいないかだけ注意してみているが、意外な発見があるものだ、古い映画でも結構日本人が出ている

1回観ただけでは全部はわからなかった、観賞後、映画レビューに書かれているストーリーの解説を読んで、そうなのか、と理解できたところはあるが、このブログでは鑑賞直後の状況で書いてある。

主人公のエイダは結局、映画の中では1回も話をしないめずらしい役だ、しかし、演技で観客を唸らせなければいけないのは大変だろう、つい最近、「ルサルカ」というオペラを観たが、これも主人公のルサルカが途中からしゃべれなくなる設定だ、歌手なのに歌なしで演技するというのは映画と同様大変なことだが、立て続けにそのようなケースにぶつかった偶然に驚いた

 

 


映画「FALLフォール」を観た

2024年04月10日 | 映画

AmazonPrimeで映画「FALLフォール」を観た。2022年、107分、イギリス・アメリカ合作、監督スコット・マン、原題:Fall。映画ポスターを見て気になっていた映画、レビューの評価が高いので見ようと思った。内容はサバイバルものだ。

山でのフリークライミング中に夫を落下事故で亡くしたベッキー(グレイス・キャロライン・カリー)は、1年が経った現在も悲しみから立ち直れずにいた。親友ハンター(バージニア・ガードナー)はそんな彼女を元気づけようと新たなクライミング計画を立て、現在は使用されていない超高層テレビ塔に登ることに。2人は老朽化して不安定になった梯子を登り、地上600メートルの頂上へ到達することに成功。しかし梯子が突然崩れ落ち、2人は鉄塔の先端に取り残されてしまい呆然とするが・・・・

観た感想を述べてみたい

  • あり得ない設定がいろいろあるが、素直に楽しめた
  • この映画を観る直前にNHKの「新プロジェクトX」第1回東京スカイツリーを観ており、600メートル以上の高さに対する恐怖や高いところでどんなことが起りうるのかイメージできていたので、あり得ない設定が多いと感じたが、それでもハラハラして、手に汗が出てきたのは監督の腕でしょう。
  • あり得ないと思う設定は、高さ600メートルのテレビ塔に昇れば途中から風速10メーター以上の風に吹かれると思うがそのリアル感が無い、テレビ塔に昇ったあとベッキーが下に転落しロープ1本でハンターと繋がり、そのロープでベッキーを引っ張り上げるが現実にはそんなことは不可能だろうし、太陽を遮るものが全くないところで3日間以上いれば熱中症や日焼けで絶えられないはず、また、夏でなければ夜は相当寒くなるはずだが、その辺は全て無視であった
  • 以前「インポッシブル」というサバイバル映画(2012年製作/114分/スペイン・アメリカ合作)を観てやはり面白いと思った。これはインドネシアに親子5人で来ていた家族がスマトラ沖地震による津波ではぐれ、海の上にひとり取り残された主人公の母親(ナオミ・ワッツ)を中心に家族の生き残りを描いた実話だが、こちらの方がまだ有り得るなと思えた(実話だから当然だが)
  • テレビ塔に昇ったあとで、どうやってサバイバルするか、携帯電波が届かないところでどうやって地上に連絡するか、食物がないのにどうやって体力を温存するのか、などについては、観ている途中から「どう展開させるのかな」と思っていたが、いろいろうまいアイディアで楽しめた
  • 最後にベッキーは救出されるのだが、これをどうやって行ったのかは映画には出てこなかった、それはそれで大変な作業だと思うが、そこまでやってほしかった

ハラハラして面白い映画でした、映画館で観た方が迫力満点で楽しめるでしょう、ただ、高所恐怖症の人は観ない方がよいでしょう


映画「ハドソン川の奇跡」を観た

2024年04月03日 | 映画

テレビで放送していた映画「ハドソン川の奇跡」を観た。2回目の鑑賞だ。2016年、96分、アメリカ、監督クリント・イーストウッド、原題Sully(Sullyというのは機長のニックネーム)。イーストウッド監督の映画は好きなものが多い、「マディソン郡の橋」、「グラン・トリノ」など何回か見直している。

2009年のアメリカ・ニューヨークで起こった航空機事故を、当事者であるチェズレイ・サレンバーガー機長の手記「機長、究極の決断 『ハドソン川』の奇跡」をもとに映画化したもの。

2009年1月15日、乗客乗員155人を乗せた航空機がマンハッタンの上空850メートルでバードアタックに遭い、コントロールを失う。機長のチェズレイ・“サリー”・サレンバーガー(トム・ハンクス)は管制塔から指示のあった近くのラガーディア空港かティーターボロ空港に緊急着陸しようとするが、とっさに無理と判断、ハドソン川に不時着させることに変更、見事に成功する。その後も真冬の川に浸水した機体から乗客の誘導を指揮し、全員が救出される。サリー機長は一躍、国民的英雄として称賛されるが、その判断が実は乗員、乗客の安全を脅かすものとして国家運輸安全委員会の厳しい追及が行われることになり・・・・

観た感想を述べてみよう

  • 実際に起った話だから着陸自体は本当に成功したのだろうが、ハドソン川に不時着を決断してから実際に実行するまでの時間はわずかで、ハドソン川を航行している船も多かっただろうに良くそれを避けて着陸できたものだ、本当に事故が起らなかったのは奇跡としか言い様がない
  • 事故は1月15日に起った、ニューヨークの冬は極寒だ、そこで冷たい川に落ちないまでも風が吹きすさぶ外にいきなりコートも着ないで放り出されて良く心臓麻痺とか急死する人がいなかったものだ
  • トム・ハンクス演ずる主人公の機長サリーが乗機前から公聴会の終了に至るまで、憂鬱そうな表情だったのがどうしてなのか気になった、もちろん当局からの訴追を心配し出してからは当然だが、終始一貫してアメリカ人らしい明るさが全然ないのだ、公聴会で機長の判断が適切だと決した後でもだ、これは史実に忠実なのかもしれないが、観た後のすっきり感がなかった、ただ、公聴会の最後に、「より良い代替策はあり得たか」と聞かれた副機長のジェフは、「不時着は7月にすべきだった」と冗談を言って笑わせたのはアメリカ人らしいユーモアで救われた
  • 公聴会ではコンピューターを使って他の空港に緊急着陸できたどうかのシミュレーションをして、最初は緊急着陸できた、という結論になり機長らは追い詰められるが、そのあとの機長の反論が素晴らしかった、この物語の一番のキモであろう、観ていて「なるほど」と思った

さて、この映画を久しぶりに見直してみて、すぐに思いつくのは今年1月2日に羽田空港滑走路上で起った日航機と海上保安庁機の衝突事故、その後の日航機からの乗員乗客379人全員の脱出劇だ。テレビで、衝突の瞬間や機体の火災を見て、ヘタしたら全員死亡の悪夢が頭によぎった人は多かっただろう。それが全員無事に脱出とのニュースに接したときの驚きと乗員乗客の冷静な行動に対する賞賛、これを誰か日本人映画監督が「羽田の奇跡」という映画にしてくれないか。ただ、海上保安庁の飛行機に乗っていた5名のかたが亡くなったことを考えると無理か。

「ハドソン川の奇跡」は24分、155人の脱出劇だったとテロップに出たが、「羽田の奇跡」は18分、379人の脱出であった。

 


映画「DOGMAN ドッグマン」を観た

2024年03月18日 | 映画

近くのシネコンで映画「DOGMAN ドッグマン」を観た。2023年、仏、114分、監督‣脚本リュック・ベッソン(仏、64才)、原題Dogman。1,300円。制作はフランスとなっているが、言語は英語の映画だ。

監督のリュック・ベッソンが5歳の時、家族によって檻に入れられた少年の実話に触発され監督・脚本を手がけたバイオレンスアクションと説明されている。

ある夜、1台のトラックが警察に止められる。運転席には負傷した女装男性ダグラス(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、米、34才)がおり、荷台には十数匹の犬が乗せられていた。警察に拘束された「ドッグマン」と呼ばれるその男は、接見した精神科医の黒人女性エヴリン(ジョニカ・T・ギッブス)と対面する、この黒人精神科医も離婚した暴力夫の影に怯えていることなど話していくと、やがて、彼も自身の壮絶な生い立ちを話し始める。

ダグラスが少年のころ、父親の家庭内暴力に苦しむ、兄も父親の味方でダグラスは巨大な犬小屋に閉じ込められ、抵抗するとついに父親にライフルで撃たれ指1本が吹き飛び、下半身麻痺になってしまう。犬と一緒に檻の中にいたせいで犬と意思疎通ができるようになり、その犬を使って警察を呼び、父と兄は逮捕され、1人で生きていくことになる。

ダグラスが住む街の向こう側には摩天楼が見え、街ではチンピラ集団が住民たちを苦しめている。犬を使って奴らを懲らしめたりしたが、なかなか仕事が見つからない。ある日、幼馴染の女優にバーで偶然再会し、恋心を抱くが実らず。やっとキャバレーのフランス人歌手としてシャンソンを歌う仕事にありつく。やがて、犬を使って犯罪に手を染めるようになるが、それは富豪の金庫から犬たちが宝石を盗み出して貧しい人に配るロビンフッドみたいなことだ。そんなある日、仕事で「死刑執行人」と呼ばれるギャングを怒らせ、追われることになる。そして、最後は犬と一緒に住む屋敷にこのギャングが手下と一緒に乗り込んでくるが・・・

この映画を観た感想を少し述べよう

  • この作品ではダグラスと神の関係が強調されているようである。最初の方で、兄が巨大な犬小屋に「In the name of God」と書いた横断幕をつける。「神の名において犬小屋に閉じ込められています」みたいな意味だが、どうもこれは他の人のレビューを見ると、犬小屋の内側からは、金網の柱に遮られる部分があって、しかも文字が裏返っているから「doG man」と見える(映画を観ているときはそこまで分からなかったが)。これは神を裏側から見ると犬になるとの暗喩であり、犬は“神の使者”であるとの意味が込められているらしい、私には1回観ただけではそこまで深読みはできなかった。
  • そして、最後の場面で、犬に助けられて犬とともに警察から逃げ出し、外に出ると、そこには教会があり、太陽が燦燦と十字架の上を登ってダグラスに十字架の影が映されて終わる、何かを暗示しているのだろうがよくわからなかった。観た人が解釈してくれということか。
  • 多数の犬と一緒に生活するようになると、彼は犬にシェークスピアを読んで聞かせたりする。そうしているうちに彼自身もシェークスピアの戯曲を全部暗記して言えるようになってしまう。ところが彼がキャバレーで求人の面接を受けたとき、何ができるか聞かれシェークスピアならできるというのだが、実際にキャバレーで彼が女装して歌ったのはフランス語のシャンソンだ。ここでなぜシェークスピアがシャンソンになるのかよくわからなかった。なぜ彼がシャンソン歌手の能力があったのか。シェークスピア⇒シャンソン(女装)、この突然の飛躍がよくわからなかった。
  • この物語では多くの犬がダグラスと意思疎通し、彼の命令でいろんなことをやる、また、彼を助ける。映画を観ているといかにも言葉が通じているのかと思えるほど賢い犬に見えるが、いったいどのように訓練、調教したのだろうか。どのようにして撮影したのだろうか、その舞台裏が知りたいものだ。

面白い映画だったが1回観ただけではすべて理解するのは無理だった。

 


映画「BLUE GIANT」を観る

2024年03月16日 | 映画

Prime Videoで映画「BLUE GIANT」を観た。2023年、監督立川譲、原作石塚真一、音楽上原ひろみ。2013年から小学館「ビッグコミック」にて連載開始した石塚真一の人気ジャズ漫画「BLUE GIANT」をアニメ映画化したもの。

コミックスのシリーズ累計部数は890万部を超える大ヒット作品というから驚きだ。世界最古のジャズレーベル「BLUE NOTE RECORDS」とのコラボレーション・コンピ・アルバムの発売や、ブルーノート東京でのライブイベントの開催、Spotify とのコラボ・プレイリストの公開など、現実のジャズシーンにも影響を与えているすごいコミックだが、全く知らなかった。

アニメ映画の中で演奏される音楽は、ピアニストの上原ひろみが担当し、主人公たちのオリジナル楽曲の書き下ろしをはじめ、劇中曲含めた作品全体の音楽も制作した。サックス(宮本大)はオーディションを実施、バークリー音楽院時代からアメリカを拠点に活躍し、最近ではDREAMS COME TRUEとの共演などでも注目される馬場智章が選ばれた。ピアノ(沢辺雪祈)は、上原ひろみ自身が担当。さらに、ドラム(玉田俊二)の演奏はmillennium paradeへの参加、くるりのサポートメンバーとしても活躍する石若駿が担当した。映画中の音楽は既存のジャズナンバーのレコードをかけたのではなく、この映画用に作り、実際のプロたちが演奏したとあるからすごいものだ。

仙台に暮らす高校生・宮本大(音声:山田裕貴)はジャズに魅了され、毎日ひとり河原でテナーサックスを吹き続けてきた。卒業と同時に上京した彼は、高校の同級生・玉田俊二(岡山天音)のアパートに転がり込む。ある日、ライブハウスで同世代の凄腕ピアニスト・沢辺雪祈(ユキノリ)(間宮祥太朗)と出会った大は彼に自分と一緒にバンドを作ろうと誘い、大に感化されてドラムを始めた玉田も加わり3人組バンド「JASS」を結成。楽譜も読めずただひたすらに全力で吹いてきた大と、幼い頃からジャズに全てを捧げてきた雪祈、そして初心者の玉田のトリオの目標は、日本最高のジャズクラブ「So Blue」に出演し、日本のジャズシーンを変えること。必死に活動を続けていくと徐々にチャンスが広がっていくが思いもよらないことが起こる・・・

いくつか感想を書きたい。

  • とにかく主人公のテナーサックス吹きの宮本大の個性が強烈である。よく練習しているだけでなく、自分の演奏に完全なる自信を持っており、それを臆することなく話す、知らない人は「こいつ馬鹿か」と思うだろうが、そんなことはお構いなしだ。最初のうちは音符も読めずにサックスを演奏していた、という点などは私には信じられないが、とにかくジャズが好きだということだけは伝わってくる、その人間設定がこのドラマを面白くしている。
  • 東京に出てきて間もないころ、ライブを聞こうとたまたま入った店が「JAZZ TAKE TWO」だ、ここのオーナーママさんは昔ジャズのボーカルをやっていたのか、その時の演奏の写真が飾られている。ライブラリにはLPがびっしり収まっている。そのうちの一枚を聞かせてもらった大はその迫力にビックリする。だが、ライブはやっていないので、ライブを聞きたいならここに行きな、と店を紹介されて行った店でピアノの沢辺雪祈と知り合う。そして、トリオを組んだ後はこのTAKE TWOが金のない大たちの練習場になっていく。このオーナーママさんが良い役を演じていると思う。若者たちの成長には彼らの能力を見抜き、支援するこうした人たちが必要だろう。
  • 映画の中に出てくる、日本最高のジャズクラブ「So Blue」とは南青山にある「ブルーノート東京」をイメージしたものだろう。一度だけ行ったことがあるがそっくりな雰囲気に描いていた。ただ、東京のブルーノートはニューヨークのブルーノートとは違った雰囲気だったが、どちらも良い。JAZZ TAKE TWOという店もモデルがあるのであろうが、そこまでの知識は私にはない。
  • 以前にも書いたが、ジャズのマーケットはクラシック音楽に比べれば小さいのではないか。なぜなら主な市場はアメリカしかないだろうし、演奏会場もクラシックに比べれば少人数しか入らない、その演奏会場も日本でいえば東京など大都市にはあるが地方にはほとんどないだろうし、テレビ番組でもジャズを聴かせる番組はほとんどない。ただ、やりようによってはこの映画の原作漫画のようにミリオンセラーになる可能性を秘めているから人を引き付ける魅力はあるのだろう。私はジャズの有名なCDを少し持っていて、たまにそれらを聴くだけだが、ジャズ喫茶やジャズクラブの雰囲気は好きだ。喫茶店業界ではジャズ喫茶がクラシック名曲喫茶より目立つのが不思議だが、それもジャズが人を引き付ける魅力がある証拠であろう。

続編があるだろうからそれができたら観てみたい。

さて、14日はホワイトデー、バレンタインデーのお返しはこれを

 

 


映画「隠し砦の三悪人」を観た

2024年03月09日 | 映画

テレビで放送されていた映画「隠し砦の三悪人」を観た。1958年、監督黒澤明、139分。第9回 ベルリン国際映画祭(1959年)で、銀熊賞(最優秀監督賞:黒澤明)を受賞。

黒澤映画は好きでたまにテレビで放送されるのでよく録画してみる。この「隠し砦の三悪人」は過去に1回だけ観たことがあり、面白かった印象があるので、今回改めて見直そうと思った。

戦国時代、秋月家の敗軍の大将真壁六郎太(三船敏郎) は、山中の隠し砦に身を潜めていたが、秋月家再興のため世継ぎの雪姫(上原美佐)と隠し置いた黄金200貫とともに敵陣の山名家の領地を突破し、同盟軍であるの早川領へ逃亡を図る、そのハラハラドキドキの脱出劇がこの映画だ。褒賞を目当てに山名家と秋月家の戦いに参加した百姓の太平(千秋実)と又七(藤原釜足)がひょんなことからこの脱出劇に加わることになるが、この二人の欲や間抜けぶりもあり、脱出は難関につぐ難関、次々と襲い来る絶体絶命の危機を六郎太の機転で間一髪で切り抜けていくが・・・・

この百姓コンビの太平と又七は、後に「スターウォーズ」の『C-3PO』、『R2-D2』の原案になったという(私は詳しくは知らないが)。

この物語の主人公は、秋月家の大将真壁六郎太であり、その秋月家の雪姫でもあり、百姓の二人でもある。それぞれ出番が多く、セリフも多い、強烈な個性を発揮して物語を面白くしている。

  • 六郎太は秋月家の忠臣であり、男臭さをぷんぷん放っている、百姓二人に厳しい命令口調で指示し、危機になれば適切な情勢判断をして機敏に行動する、一方、雪姫やお家の重臣たちには忠節を貫く。三船敏郎にぴったりの役回りだ。
  • 雪姫はお家の跡取りとしての自覚があり、美人で魅力的な容貌であるが気性が激しい。逃亡の末、最後に山名家に囚われの身になったときに、田所兵衛が六郎太に向かって、お前との決闘で敗れたが、おれの首をはねなかったため殿様から皆の面前で罵倒され恥をかかされたと言う。それを聞いていた雪姫は突然「愚か者め、人の情けを生かすも殺すもおのれの器量しだいだ、また、家来も家来なら主(あるじ)も主だ、敵を取り逃がしたと言って満座の中で家来をののしるとは、このわがままな姫でもようできぬ仕業じゃ」と言い放つ。
  • さらに、逃避行の数日の間に経験したことを振り返り、「自分は大変楽しかった、この数日間は城の中では経験のできないことばかりであり、特に領民の火祭りは大変楽しかった」と回顧し、「装わぬ人の世を、人の美しさを、人の醜さを、この目でしかと見た、もはや自分は潔く死にたい」と言ってのける。何という素晴らしさだ、歌舞伎だったら大向こうから「秋月屋」と声がかかりそうだ。また、雪姫は領民の娘が売り飛ばされて慰み者にされているところを逃亡中に見て、六郎太に「金で買い戻せ」と指示するなど領民思いの優しいところを見せる。私はこの映画で一番気に入ったのはこの雪姫である。
  • 雪姫を演じたのは上原美佐であるが、彼女はこの作品でデビューした。黒澤監督は、上原の「気品と野生の二つの要素がかもしだす異様な雰囲気」を評価しデビューさせた。撮影にあたって、馬術を習い、障害を跳べるまでになった。そのほか、武家の姫らしい身のこなしのために剣道も習った。演技は初めてでまったくの素人だったため、そのつど黒澤が演じてみせ、その通りに従い進めていったという。きりりとした顔立ちと躍動感溢れる演技で人気を博し、一躍スターとなるが、本人は「私には才能がない」と2年で引退したとウィキに書いてあった。
  • 百姓の二人は欲深く、隠された黄金に目がくらみ持ち逃げしようとしたり、仲たがいしたり仲直りしたり、雪姫に手を出そうとしたり、意外なアイディアを出したり、どこか憎めない人間に設定してある。
  • これらの主人公たちにさらに、秋月家を滅ぼした山名家の侍大将・田所兵衛(藤田進)が出てきていい役を演じる。兵衛は六郎太のライバルであり、両者は敵対する両家の大将同士である。途中、兵衛の陣地に引き込まれてしまった六郎太との槍を持っての決闘シーンが迫力があるし、最後の方では再度、捉えた雪姫と一緒の六郎太と再会し、上に述べた雪姫の話に感動して驚くべき行動をとる魅力的な人間に描かれている。

ところで、黒澤映画だが、「用心棒」を観た時も感じたのだが、日本語でありながら聞き取りずらいところがある。「用心棒」よりはましだったがこの映画もちょっと聞き取りずらいところがある。ところがテレビの放映で自宅のリモコンの「字幕」ボタンを押すと日本語字幕が出ることがわかり、聞き取りずらいなと思ったらそこだけ戻ってこれを利用すればよいと気づいたのはよかった。

少し長めの映画だが、素晴らしい映画だと改めて認識した。


映画「落下の解剖学」を観た

2024年03月07日 | 映画

近くのシネコンで映画「落下の解剖学」を観てきた。2023年、仏、監督ジュスティーヌ・トリエ(46、仏)、原題:Anatomie d'une chute(仏語、転倒の解剖学:Google翻訳)、152分。今日はプレミアムスクリーンの部屋、ゆったりとして好きだ、幅広い年代の人が来て満席近かった、シニア料金1,300円。女性監督による史上3作目の第76回カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作。

私は以前、ハリウッド映画を中心に観てきたが10年前くらいからそれに飽きてきて、物足りなさを感じてきて欧州映画を観るようになった、とりわけフランス映画を中心にドイツ映画、イギリス映画、イタリア映画などを主に観ている。もちろんアメリカ映画も良いものがあれば観る。今回上映中のフランス映画の新作があるのを知ったので観たくなった。

人里離れた雪山の山荘で、視覚障害をもつ11歳の少年が血を流して倒れていたフランス人の父親を発見し、悲鳴を聞いたドイツ人作家の母親サンドラ(サンドラ・ヒュラー)が救助を要請するが、父親はすでに息絶えていた。当初は転落死と思われたが、その死には不審な点も多く、前日に夫婦ゲンカをしていたことなどから、妻のサンドラに夫殺しの疑いがかけられていく。

裁判の過程で、唯一の証人である息子が傍聴し、証人として証言する中で、仲むつまじいと思われていた家族像とは裏腹の、夫婦のあいだに隠された確執や衝突が露わになっていく。それは聞くに堪えない内容だった、特に子供にとっては。

夫は教師の仕事をしながら作家の夢を捨てきれない、不慮の事故で息子を視覚障害者にしてしまったことについて妻から非難され責任を感じる、山荘を宿泊施設にリフォームする目論見もうまくいかず、精神的に不安定になることもあった、一方、妻は売れっ子作家、その妻から家事や子供の面倒を押し付けられていると感じる夫、それゆえ作家の仕事がはかどらないとイラつく夫、国籍が違う夫婦のため、家庭内の共通言語を英語にするが、妻はバイセクシャルで浮気をしている。そんな中で夫の転落事故が起こった・・・・

物語の前半にこの家族をめぐるいろんな状況について伏線のように描写される、映画を観ていくとどうも妻の方が分が悪いように思えてくるが、妻を支えるのは一回も裁判で勝訴したことがない弁護士ヴァンサン・レンツィ(スワン・アルロー)、彼が法廷では結構頑張る。その裁判の様子がこの物語のクライマックス、そこで検察側証人が転落前日に夫婦の間に起った大げんかの様子を録音した証拠を提出、これが子供や傍聴人が聞く中で流されると・・・

この映画で示される夫婦の諍い、喧嘩、確執はどの夫婦でもありそうな内容である。しかし、そのようなことは普通人前では話さないし、子供に全部聞かれることもない、それが衆人環視の裁判で明らかになるショックは大きい。そして裁判で最後は・・・・(ネタバレのため省略)

久しぶりにフランス映画らしい良い映画を観た。制作に莫大な費用をかけていないだろうが内容的にかなり考えさせられる映画であり、映画とはこういう風に作るものだと思うような映画であろう。そして、結末がまたいい、ハッピーエンドではなく、韻を含むものである。

この映画は裁判が一つの山場となっている。日本人やマスコミは、刑事裁判は真実を明らかにするものだと思っている人も多いが、必ずしもそうではない。裁判は、真相解明を目的とするが、原告、被告双方から出された証拠に基づいていずれに理があるか裁判官が決める制度である。被告が人を殺したのが真実でも原告が証拠を示せなければ無罪となるのが裁判である。その点でこの映画の裁判の判決も真実をはっきり映画の中で示さないため、スッキリしないグレーなもので、観る人になんだかもやもや感が残る、そこがヨーロッパらしい。

さて、この映画では冒頭のサンドラと取材に来た女学生の会話シーン、バカでかい音量の音楽、何とも言えない哀愁を帯びた、どこかアルゼンチンかメキシコかそっちの方の音楽かなと思うメロディーが流れる。帰宅してから調べてみると、ドイツのスティールパン・バンドBacau Rhythm & Steel Bandによる『P.I.M.P.』だ。『P.I.M.P.』は元々、アメリカのラッパー、俳優、プロデューサー、起業家の50セントの曲で、Bacau Rhythm & Steel Bandがカバーしているようだ。

Bacao Rhythm & Steel Band - PIMP

良い映画でした。