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アーディゾン美術館「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子—ピュシスについて」展を観た

2024年12月17日 | 美術

アーディゾン美術館「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子—ピュシスについて」展を観に行ってきた、チケット事前購入で1,200円、これで同時開催中の他の2つの展覧会も入れる

アーティゾン美術館は、2020年の開館以来、石橋財団コレクションとアーティストとの共演、「ジャム・セッション」展を毎年開催しており今回は第5回目、国際的なアートシーンで注目を集めるアーティスト毛利悠子とのジャムセッション、昨年の山口晃氏とのジャムセッションも観に来て面白かった(こちら)


(美術館HPより拝借)

主催者の説明によれば、「ピュシス」は、通例「自然」あるいは「本性」と訳される古代ギリシア語、今日の哲学にまで至る初期ギリシア哲学では、「ピュシス」が中心的考察対象となっていたそうだ、知らなかったけど

毛利悠子さん(1980年生れ)は、主にインスタレーションや彫刻を通じて、磁力や電流、空気や埃、水や温度といった、ある特定の空間が潜在的に有する流れや変化する事象に形を与え、立ち会った人々の新たな知覚の回路を開く試みを行っている、絶えず変化するみずみずしい動静として世界を捉える哲学者の姿勢は毛利さんのそれと重ねてみることができる、ということらしい、よくわからないけど

展示場所は6階のフロアー全体を使っていた、展覧会の入口の前に既に毛利さんの作品が2つ置いてある

入口を入ると登り坂の道になっており、インスタレーションと絵画が展示してある

そこを通り抜けると区切りのない広々としたスペースになり、いろんなオブジェというか作品が展示してある、光を発するものもあるので室内はけっこう薄暗い

毛利さんの作品は何かを暗示している抽象的なものが多く作者がそこで何を主張しているのかが全く分からない、作品番号だけが床や壁に書いてあるが、それを探すのが一苦労な作品もあった

作品名などの情報と簡単な作品解説が書いてある方がわかりやすいが、それをすると鑑賞者の自由な発想を邪魔すると作者は考えているのかもしれない、けっこう奇抜なものと感じた作品も多かった

絵画の方は藤島武二やパウル・クレー、マティス、モネなどが展示されていた、これが毛利さんの作品とどう結びつくのか、これもイメージできなかったのは私の想像力の貧弱さか、先日の古典音楽と現代音楽との時間を超えた共演(ランタンポレル)と同じような発想なのか、違うのか、芸術家というのは物事をちょっと難しく考えすぎなのではないかな

帰宅してからwebサイトを見て毛利さんの展覧会の説明動画があったのに気づき見てみると、次のように述べていて、やはりそうか、と思った部分も少なくなかった

  • 展示室にはなるべく壁を作りたくない、自分の作品は音、光、動きがあるので、すべての作品か共存する大きな景色を作りたい
  • 海の近くに住んでいたので、海岸でボーっとするような展示を作りたい
  • 会場全体を見渡せて、それぞれの動きが波のような感じるようにした(そういわれればそうかな)
  • 今年、モネが実際に海を見ていたところに行って、そこで撮影したビデオをインスタレーションの中に組み込んだ(それで海のビデオと波の音、その横にモネの絵画「雨のベリール」があったのか)

  • サウンドインスタレーションを作ってきたが、これは音を介して自然について考えたということかもしれない
  • サウンドインスタレーションとしてピアノやオルガン、雨の音が鳴ってたりして、この空間全体が一つの作品のように考えた(そう言われてみればそうかもしれない)、また、どこから音が聞こえてくるのか探しながら作品を体験してほしい
  • あまり説明を残していないし、順路もないので、自由に鑑賞して何か感じてほしい(やっぱりそうか)

同じく、帰宅後、彼女のホームページを見たら、過去の業績は素晴らしいものがあるすごい芸術家だということがわかった、彼女の業績を見ていくと「2016年、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館およびカムデン・アーツ・センターにてアーティスト・イン・レジデンス」、「作品はアシュモレアン美術館(オックスフォード)などに収蔵されている」とあるのを見てびっくりした

ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館はサウスケンジントンにあり、私が訪問したロンドン自然史博物館と並んである博物館であり、アシュモレアン美術館は私が訪問した美術館だ(こちら)。アシュモレアンにある彼女の作品に気付かなかったのは恥ずかしい限りだ(多分、訪問時は展示してなかったと思う)、もっとよく事前調査して臨むべきだった

なかなか1回観ただけで理解できるような簡単なものではないということがわかった