樋口一葉(1872-1896、24才没)。東京生まれ、幼いころ草双紙を読み、和歌を学んだ、父の死後、困窮の中に母と妹を養う。19才の時、朝日新聞記者の半井桃水(なからい とうすい)に師事して創作を始め、一時期下谷竜泉寺で荒物・駄菓子屋をやるが失敗、再び創作に専念、「にごりえ」、「十三夜」、「たけくらべ」などを次々に発表したが、24才で肺結核で死去。一葉の肖像は2004年以降、5千円札に使われている。女性が紙幣の肖像となるのは神功皇后以来二人目だ。
先日読んだ森まゆみの「京都不案内」(こちら参照)で彼女が樋口一葉の本も出していることを知り、興味を持ち、先ずは一葉の小説を読んでみようと思った。彼女の小説を読んでいなかったというのも恥ずかしい限りだ。
以下に各小説の簡単なあらすじと読後の感想を記す
たけくらべ
美登利(主人公)、正太郎(田中屋息子)、三五郎(正太郎友人、車夫の息子)・・・表町住人(裕福)
藤本信如(寺の息子)、長吉(少年グループのボス)・・・横町住人(生活苦しい)
和歌山の美登利とその家族は遊女として成功した姉を頼って東京下町に移住、美登利は信如に惹かれる、下町では表町と横町の対立があり表町との喧嘩を仕掛けたのが信如だとわかり複雑な気持ち、美登利が14才に成長したある日、住居の軒先に誰かが水仙の造花を差し込む、それがその日僧侶の学校に入学する信如だった
この小説の最後の部分は、美登利が花魁になることを示唆している、との解説が見られるが、そこまでは読めなかった。成人になる前の男女の淡い恋物語。
にごりえ
お力(菊の井の人気娼婦)、源七(お力に惚れ妻を離縁)、お初(源七の妻)、結城友之助(金持ち遊び人、お力に入れ込む)
金持ちだった源七は遊女お力に入れ込み財産を使い果たし、家庭は崩壊、妻子は出て行く、お力は身寄りのない孤独な遊女だが売れっ子、結城友之助に口説かれ不幸な生い立ちを語る、ある日、源七はお力に復縁を迫るが断られお力を刺して殺し(この部分の直接的な記述はなし)、自分も自死する。
ありがちな話だが、読んで悲しき哀れな男女かな。
大つごもり
おおつごもりとは大晦日のこと。
親を亡くし、親類の金持ちの家に奉公人で働いているお峰、叔父が病気で働けなくなり大晦日に借金の返済期日が迫ってお峰に無心、断れずに奉公先から前借りして工面しようとするもご新造に断られ窮する、思いあまって家の金に手をつけてしまう。大晦日の金勘定で発覚するのは必至、さてどうなることか・・・
貧しい家庭で子供をかかえ親が倒れ働き手が亡くなった悲劇、セーフティーガードのない時代、思いあまって奉公先の金に手をつけてしまったお峰、神様は見ていてどういう裁きをしたか
十三夜
普通の家の娘お関、器量よしで裕福な家庭の原田勇に惚れられて結婚、跡取りを産んだあたりから勇が人が変ったように辛く当たるようになり、ついに耐えきれず旧暦の十三夜に実家に帰り父母に離縁したいと告白、母は大いに同情するも、父は原田の計らいで弟の仕事も首尾よく、他にも便宜あり、これがすべて無くなるのは影響大きいとお関に思いとどまらせる
原田の家に帰る車の車夫が偶然まだ娘のころ恋心を抱いた煙草店の高坂緑太郎、あの頃は賢い子供であったがいまは生活が落ちぶれ車夫に。お関が嫁いだころから生活が荒れた。2人は言葉を交わしたが、お互い憂きことかかえながら別れるのであった。
嫁いだ娘が辛いことがあっても実家のために我慢を重ねなれればならない、自分のことより親兄弟、家のことが優先される時代。いまでも起こりうることだが、自分がそういう娘の親だったらどうするだろうか、考えさせられる。
また、好いた女がいるのに告白できない奥手な男、これはいまでもいっぱいいるだろう。日本人は概して奥手だ、昔は結婚の世話をやく大人がいたがいまはいない、出会い系サイトがあっても奥手は不利だ。これが結婚をしない若者が増えている理由ではないか、若い男女は結婚したいと思うのが自然だ、子育て支援だけでなく、未婚男女の縁持ち支援策が一番必要だと思うが。
ゆく雲
野沢桂次は貧農の子のため金持ちの野沢家の養子となった。18才の時に学問修業のため上京し上杉家に下宿したが厭な家だった。我慢してきたのは、上杉の先妻の娘お縫にひかれたからだ。お縫の境遇に同情し、愛するようになった。しかし、野沢家の養父が危篤との報に、彼は家にもどり養親の決めた女と結婚し、家督を継がなければならなくなった。終生便りを欠かさぬとお縫に言い残し帰郷する。その後、お縫のもとには1年間ぐらいは便りがしげくあったが、それからは年始と暑中見舞いの葉書きが舞い込むだけとなった。
継母の元で自分を殺してひっそりと暮らさなければならないお縫、惚れた圭次は家のしがらみで養家に帰り親の決めた相手と結婚する、若い男女がお互い望まない生活を強いられるが、男の方は生活に順応していくが薄幸の女は寂しく行く末の希望が無い。救いの無い話だ、いまの時代も有り得る話だろう。ただ、普通は女の方が順応力が高いと思うが。
わかれ道
一寸法師というあだ名がつく傘家の油引き吉三、女主人お松に拾われて2年後、お松が亡くなると町内の乱暴者になってしまう。その吉三が訪ねるのは、長屋で働くお京、今年の春からこの裏へと引っ越してきたが評判が良い。吉三が入り浸る。12月30日の夜、吉三はお京と遭遇するが、お京はいつもと違う上品な身なりで、突然の別れを告げる。妾になって出ていくことが決まっている様子。「もうお京さんには逢わないよ」そう突き放す吉三。
孤独な男の悲哀、寂しさかな。
われから
「ワレカラ」というのは、海藻などによく付着している生き物で、海藻から食塩を作成する過程において、海藻と一緒に「ワレカラ」も焼かれてしまい、その体の殻が弾けてしまう。こうして殻が割れることから「ワレカラ」と呼ばれる。
一葉の「われから」も、主人公である「お町」が身を砕くような思いをすることと、殻が割れてしまう「ワレカラ」を掛けて題名が付けられている。女性の情念解放に作者の意思が向かっていたといわれ、一葉最後の作品にふさわしい作品となっている。
お町は婿養子の金村恭助の妻、結婚して10年たつのに子供ができないのを後ろめたく思っている。あるとき、夫の恭助に妾がいて子供までいることを知り、頻繁に癪を起こすようになり、書生の千葉に介抱してもらうが、これを女中たちが怪しからぬ関係と疑い、噂を広めて恭助の耳にも入る。そして突然恭助から離縁を言い渡されるが、「私を捨ててごらんなさい、私にだって覚悟があります」というが恭助は「町、もう会わんぞ」といって物語が終わる。
夫は浮気しているのに自分のことを棚に上げて、浮気の疑いだけで真実を確かめもせずに妻に離縁を言い渡す。個人より家が大事、男は絶対、という時代の不条理に一葉が問題を突きつける。
(次に続く)
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