岩手県の旧・大迫町(現・花巻市)。初めて、ここに来たのは2014年のことだ。それ以来、毎年のように足を運んでいる。そのせいか、もっと昔から知っている町のような気がする。僕は大迫の町が大好きで、町中を歩きながら写真を撮るだけで幸せになることができる。特に、「大迫バスターミナル」という大きなバスターミナル(田舎の町の基準で大きい)が好きだ。いつの日か、バスでこの町に来たいものだと思っていた。
そして秋のある休日、僕は大迫の町に足を運んだ。9月以降、何故か大迫に行きたいという想いが強くなっていた。車で町に乗り込んだ時、僕は目にしたくないものを見た。単管パイプで作ったフェンスとバリケード。そこは空き地になっていた。そこにあるべきバスターミナルは、もう存在しなかった。また一つ、昭和の遺産が消えてしまった。それは抗えないことで、止めようがない。町は細胞が入れ替わるように変遷していく。それが正しい姿でもある。入れ替わられる側に近くなった僕は、そこに哀しみよりも同情を持っているのだと思う。そして、まだまだ残る「これから消えゆくもの」を写真に撮り続けるだろう。これまでと同じように・・・。
LEICA M MONOCHROME(CCD) / SUMMICRON M35mm ASPH
こちらのブログで以前に視たバスターミナルが解体されてしまっていたのですね…
少し驚いたのと、「そういうことも在るよな…」という感じ方が合い半ばします。
が、バスターミナルは無くとも、周辺の感じは相変わらず「独特な風合い」ですね…
昭和40年代の建物も、ほぼ築後50年なので、今後も増えていくと思います。
>が、バスターミナルは無くとも、周辺の感じは相変わらず「独特な風合い」です
本当にその通りだと思います。バス路線さえ残れば、それで良いかなと思います。
当初、この記事のタイトルも「青天の霹靂」でしたが、何とか冷静になりました。
それでも新しいバスターミナルができて、師匠の、あの素晴らしい写真は残ります。
廃止になりました。
幼稚園も小学校も中学も高校も母校は消えてありません。
生家も育った家も…
私の田舎は悲しい
ここはまだ元気を感じます
提灯も暖簾からも
東北では、田舎の中の「都会」、つまりは県庁所在地、合併市町村の中心地だけにモノが集まり、周辺部はないがしろです。でもこれも民意なんです。東京の人は足りないものを声高に求め、田舎では初めから諦める。
でも僕は、そこではなく、今残る物たちを慈しみ、この眼で見て、写真を撮りたいと思います(すいません、内容のない話で)。
だからこそそんなところを撮ってくださる写真を見れてありがたい。
作者に感謝です
見る側それぞれがそでぞれの心のありようで琴線に触れて、、
自分でも分からないシーンも有ります
思いがけなくふと涙腺にまで来るのです
写真は、どう見ても、どう感じても、それをどう言っても良いのです。むしろそれを言って貰う方がありがたいです。
ちなみに、僕が言おうとしたのは、一部の都会や何かの理由がある町以外は、carmencさんの郷里と同じような状況かもしれないという意味なんです。それは止めようのない流れだけど、今そこにあるものを撮ろう。そういう僕の個人的希望なんです。