いま僕には神頼みしたいことがある。神頼みだけで解決するとは思わない。それでも神様という神様にとにかく頼みたい。あらゆる機会を通じて祈りの時間を作っている。今日の写真は岩手県花巻市の丹内山神社である。奥州藤原氏(藤原清衡)が篤く信仰した神社だという。坂上田村麿とも関係(因縁)が深い。元々はアラハバキという土着の神様を祀ったものともいわれ、境内には数々の不思議な伝説が残っている。ガイドブック的なものには殆ど載っていないにも関わらず、東北最強のパワースポットとして注目されているそうだ。
僕は「パワースポット」という表現があまり好きではない。祈りや信仰の場所を軽薄に扱う言葉のように感じる場面が多い。パワースポットという言葉自体ではなく、それを受け止める側の態度に問題があるのだと思う。でも幾つかの場所では表現のしようもない「何らかの力」を感じるのも事実である。それを称してパワースポットというのだろう。この丹内山神社も鳥居を潜る前から、尋常ではない場所だということはすぐに分かった。深々と一礼して境内に入った。うまく言えないけど、空気が違う。入り口の掲示板には、まず一番上の本殿まで行き、そこから下に降れと書いてある。指示に従って一番上の本殿近くまで行くと、この光景があった。後光、絵に描いたような後光が射している。画像加工ではない。この光が本当に射していた。畏怖の念と共に、ぞくっとするような表現できない感覚があった。ここには本当に「何か」が存在する。この光は僕が来た瞬間に射し、帰るときには消えていた。これを受け止めた僕自身の態度が、今後の未来を変えるのだと思う。
X-PRO3/ XF16-80mmF4 R OIS WR
6×6さまのねがいが届きますように・・(狛犬さん、がんばって🐻!!)
パワースポットという名がつくと若い方が・・、スピリチュアルというとまたちがう方面の方が、足を運びますよね💡
東北の古社には両方とも似合わない表現ですね。
胸に迫ります
パワースポットと言う言葉は 仰る通り好みません
神を信じる 自然への感謝 無我になれる
人のみ感じることが出来るものと思います
アラハバキ 久しぶりの言葉に出会いました
東北には歴史から抹消された神 部族 文化が埋もれているものがいっぱいあると思います
十三湖から南へ下って 藤原氏 それ以前の何かを感じるのです
秋田蝦夷 坂上田村麻呂に滅ぼされた民族と土着信仰など 私には興味が?絶えません
見ごたえあります。
プリントアウトして写真立てに入れて毎日拝みたいくらいです(≧∀≦)
カレンダーにしたら売れそう。
そうなんです。それをうまく言葉にできませんでした。的確に言って頂き感謝します。
ここは社務所もなく、お守りとか御朱印の販売もありませんが、ただならぬ神社でした。
きっと願いは聞いてくれたと思います。
天皇陛下の「即位礼正殿の儀」の際に大きな虹が掛かったことを思い起こしました。
立地と気象条件から起こり得ることだし、偶然といえば偶然なのですが、やはりそのタイミングでそれが起こるということは、何か理理由があるのだと思います。
ここは逆に朝廷の力が中々及ばなかった地ですが、すごい力を見たような気がします。
それにしても、着いたのと同時に光が射したときの感動といったら・・・
このような場所に出逢うことがわずかですがありました。
身体の深いところから震えが来て涙がとまらないこともありました。
おそらく場所の波動に未熟な心がついていけないのだと思います。
写真からそのような気配を感じました。わたしは九州の山深い場所でした
神社で天候が変わることがありますがそれは吉兆であろうと信じています。
ロクさんの祈りが届きますように。lily
それでも奇跡的なタイミングと、狛犬さんの堂々たるコラボ。神々しかったですよ〜。
京都に住んでいた時に感じたのですが、本当にその場所を使うべき理由がある人にとって、表面的なオカルト事由はどうでも良い問題になります。
でも中にはそうではない場所とか理由もあります。
東北の地でも、空気が違う不思議な存在を感じる場所が確かにあります。
アナクロと言われても、それは大事したいと思います。
僕はそこまでの経験はありませんが、理解はできます。「場所の波動」、電磁波なのか、地磁気なのか、はたまた素粒子なのか、残存した思念なのか分かりませんが、確実に何かあるのだと思います。
きっと共鳴しようとしていたのですね。
僕の場合は分かりませんが、何かのメッセージなのは間違いありません。そのうちのひとつは「町を歩け」で明日の記事になりますが・・・。