例によって予め書いておく。政治家が登場するが、政治的な話ではない。あくまで一人の政治家についてのエピソードだ。当ブログでは基本的に政治的な話題は取り扱わない。ましてや政治信条を主張することはない。一応立場を明確にすれば、僕は立憲民主党の支持者ではない。以上を明確にした上で泉健太氏のことを書きたい。
僕は2005年の夏に秋田県に移住した。移住前、最後に住んでいたのは京都市の伏見区だった。毎日マンションから近鉄の向島駅まで歩き、そこから電車(近鉄)に乗って通勤していた。その地域は泉健太氏の選挙区であり、調べると彼は2003年に初当選、2005年に二回目の当選を果たしている。時期は忘れてしまったが、泉氏は一時期、毎日のように向島駅前に立ち、ビラを配り、大きな声で有権者に挨拶をしていた。訴えていたことは全く覚えていない。朝早くから毎日のように駅前に立っていたことだけを鮮明に覚えている。駅前といっても、当時の近鉄向島駅の前には何もなかった。道路と自転車駐輪場だけだ。泉氏は駅入り口(階段になっていた)に一人で立ち、通過する通勤客全員に声を掛けていた。僕は今にも増してノンポリで、選挙投票にすらまともに行かない人間だった。それでも当時の泉青年の姿勢と態度には、それなりの好感を持っていた。「おはようございます!」と声を掛けられ、「おはようございます。毎日ご苦労さまです」と返したことを契機に、二言三言のごく短い会話をするようになった。「あ、今日は自転車でなく、歩きなんですね?」と声を掛けられたこともある。嗚呼、人のことを識別しているんだなと感心した覚えがある。まあ話はそれだけで、だからといって泉氏のことを具体的に応援したわけでもない。その後、僕は秋田県に移住してしまった。
あれから20年近い月日が流れ、泉氏は立憲民主党の党首になった。正直なところ、それほど求心力があるとも見えないし、党内の立場も微妙な感じだ。立憲民主党の身勝手な議員達をまとめるなんて、罰ゲームだとしても最悪だ。そこには同情する。そう遠くない将来、内ゲバで党首の座を降りることは間違いないだろう。でも20年前の泉健太の姿を思い出すと、率直にいって切なくなる。20年前。泉健太氏は若く、能力があり、意欲にも燃え、人としての魅力も兼ね備えていた。そこは間違いない。時代は政権交代可能な二大政党制へ向けて大きく舵が切られていた。民主党(当時)は、基本的に無党派層だけでなく、保守層の有権者の支持を得られる政策を主張していた。だからこそ、一度は政権交代が成し遂げられたのだと思う。その後の惨憺たる顛末は皆さんの知る通りなので敢えて書かない。はっきりしているのは、次の選挙で政権交代が起こる可能性はない、ということだ。従って野党第一党の党首である泉健太が、次期内閣総理大臣に就任する可能性は皆無である。お互いが見ている世界のレベルは全く異なるにしても、20年前に向島駅で短い会話を交わした時には、泉氏も僕も今のような未来は想像もできなかった。僕は今でも泉氏を支持はしていない。だがそれが掠るほどのものだとしても、過去に何某かの縁があったのも事実である。やはり泉氏の動向は気になるし、同情的になっているのである。
追伸:こういう被写体をモノクロで撮る分には、X-H2もX-PRO3も変わらないと思った。
X-H2 / XF16-80mmF4 R OIS WR
薄目を開け、辺りを伺うような猫の写真は、港の一隅か、何処かの運送会社の敷地という感じでしょうか?面白いと思って拝見しました。ズームレンズの望遠寄りの画角と見受けられますね。こういう画を拝見すると、物欲が少し刺激されます。
記事を愉しく拝読しました。ニュースに或る程度頻繁に登場する方と、少し縁が在ると、色々と思い出すことが在るものだと思います。
京都市伏見区の近鉄沿線というのも、少し感じが判るので様子を思い出していました。あの辺の近鉄の駅では丹波橋や竹田がポピュラーで、他に各駅停車が停まる駅が幾つも在りますよね。訪ねて、歩き廻って愉しい辺りであるように思います。近鉄の他方に京阪も在って、歩き廻っている間に「あれ?違う会社の駅?」ということになり、「何処を迷っている?」というようなことも在ったと思い出しました。
近鉄と言えば、マークのデザインが好きで、大阪近鉄バファローズのグッズを幾分持っていて使っています。
http://monochrome097.seesaa.net/tag/articles/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E8%BF%91%E9%89%84%E3%83%90%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA
愉しい記事に感謝!
ここは馴染みのない漁港でした。最初わらわらと猫が5〜6匹寄ってきましたが、この猫だけ最後まで残りました。じっと餌を待っているのだと(笑)・・・。
京都では竹田駅まで通勤していました。
伏見の前は山科に住んでいて、バスで三条まで出て、そこから地下鉄に乗っていました。
毎日、清水寺を車窓から見ながらの通勤は贅沢でした。
Charlieさんの京都行きの際は、懐かしく拝見しておりました。