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レンズ越しに見えるもの または 見えざるもの

京都に還る③~2nd Day:至福の刻

2023-10-12 | 街:京都














僕は小学生の時に写真を撮り始めた。中学生からは父の一眼レフを使い、写真の基本を学んだ。高校生になると自分のカメラを手に入れて、モノクロフィルムの現像引き延ばしを行うようになった。写真狂の少年だったと思う。ところが、東京の大学に入り上京すると、全く写真を撮ることはなくなった。少年野球をやっていた子が、いつしかバットとグローブを手放すように、僕はカメラを手放した。その後、就職しても写真を撮ることはなかった。どうしてもという時は「写ルンです」を使っていた。

その状況が変わったのは、転職で京都の会社で働くようになってからだ。京都には多くの中古カメラ屋さんがあった。通りを歩くと、ショーウィンドーに多くのカメラが飾られていた。日々それを眺めるうちに、いつの間にか欲しくなり、中古でEOSの安いフィルム一眼レフを買うことになった。それが再開の一歩で、転職先の仕事が順調になるに従い、徐々にカメラはアップグレードし、レンズは増えていった。京都には撮るべき被写体が沢山あった。こと写真を撮るという意味では、一生掛かっても撮り切れないだけの被写体が存在する。神社仏閣、桜や紅葉などの四季折々の風景、催し物、更には郊外の自然もある。加えて当時はモデルさんのポートレイト撮影もしていた。それでも「飽きる」のである。もし、今僕が京都に再び住めば、もう一生被写体不足で困ることはないだろう。でも当時はそう思わなかった。あまりに潤沢な被写体に囲まれて過ごすと、それが当たり前になり、ちょっとやそっとでは満足できなくなる。今振り返ると、当時は「目新しい何か」を求めて、毎週眼の色を変えていたように思う。もしそのまま京都に住み続けていたら、被写体がないと嘆いていたと思う。離れて初めて分かることもある。

18年前、秋田県に移住したとき、最初のうちは目に入るもの全てが新鮮で、写真を撮ることが楽しくて仕方なかった。一方で、京都でさえ飽きた僕が、東北の地で写真に撮るものが無くなるのは明白であり、その時はどうすれば良いのか途方に暮れた。数年もすれば、写真を撮らなくなるのかもしれない。そう思いもした。徐々に「東北の町」というカテゴリーに興味がシフトし、活動を続けるなかで、亡き上原稔師匠の写真に出会ったことが転機となった。師匠から多くのことを学び、残りの人生は東北地方の写真を撮り続けることを決意した。東北地方の町の写真は、京都の町中で撮っていた写真の撮り方をベースに、上原師匠の写真の猿真似、そして教えて頂いたことの消化から成り立っている。人生、何が何に連なっていくのか本当に分からないものだと思う。

さて、18年前というのは京都を去った時なので、実際によく写真を撮っていたのは20数年前のことだと思う。当時も歩いた花見小路界隈から分岐する小路。撮る喜びは当時と何も変わっていない。作法は変わったのだろうか。どこかに東北メソッドが加味されたのだろうか。嗚呼、師匠にこの写真を見て頂き、批評をして欲しかったなあ。今回の写真は人に誇るような要素は何もない。ただ自分が楽しむだけの写真だ。こういう写真を撮るときが、僕にとっての至福の刻なのである。



LEICA M10 MONOCHROME / Summicron M35mm ASPH





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6 コメント

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先生!いや宣誓です~ (ZUYA)
2023-10-12 06:40:21
ようやく“京都シリーズ”を自宅のPCの大きな画面でゆっくり拝見出来る時間が出来ました。

ところが感銘を受ける文章に釘付け...

改めて6x6さんが当ブログを更新され続ける限り、読み追うことを誓いました

素晴らしい写真ばかりですね、“らしさ”が際立っています、京都のらしさが
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Unknown (Charlie)
2023-10-12 19:23:40
こんばんは!
各写真を愉しく拝見し、記事を興味深く拝読しました。
恐らく「〇〇へ行きましょう」と歩き廻っているのでしょうが、〇〇という目的地に関しては「それはそれとして…」という具合で、眼に留まった様子を提げているか、直ぐ出せるように持っているカメラで、肩に力を入れずに撮って、そこから択んだ画を御紹介して頂いているような感じです。直ぐ後ろか隣で歩きながら、一緒に様子を観ているかのような写真だと思いました。
写真を撮ることをしていると、積極的に撮る時期も、その限りでもない時期も生じると思います。が、それでも「戻って来る」という写真を撮る営為です。結局、愉しいのです。そして撮り方は「何時の間にか変わった?」というように思う場合が多いと思います。自身の旧い画を観ると、「同じ場所を、あの頃の機材でこういう風に撮っていたのか?」と少し驚く場合も多いものです。実はウェブギャラリーに2007年頃からの画を遺していて、自分で撮った旧い画を観て、少し驚く場合が頻繁に在ります。
https://www.flickr.com/photos/21158367@N06/collections
この「久し振りに京都を訪ねて」のシリーズ、凄く愉しんでいます。有難うございます。
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Unknown (上総)
2023-10-13 00:46:31
あらゆる労苦の内に幸せを見出す。これこそが神の賜物である。述べたコヘレト。
きっと、労苦ではなく、カメラを通した中で、佳い出会いもあり、幸せを見出したのでは。なんて思いました。

これからの作品にも期待しておりますよん。
京都。また行ってみたいな~。
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ZUYAさん (6x6)
2023-10-13 06:04:49
過分な言葉を頂戴して恐縮です。
でも多分に僕はセンティメンタリズムに陥り過ぎで、写真からはそれを排除しなければと思っております。
文章と写真を撮るときには隔たりがあるかもしれません。
今後もお互い、良い写真を撮るよう刺激しあいたいですね。
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Charlieさん (6x6)
2023-10-13 06:11:14
Charlieさんの写真についての考えには共鳴するばかりです。ときには「叡智を持った、もうひとりの自分自身」かと勝手な想像すらしております。
またFlickrとは、このように使うものなんですね。僕はブログから大体の日時を調べて、その日付のLightroomデータを見ていますが、なるほどこうすれば一発ですね。
しかも出来事だけではなく、撮影もろもろのことも振り返ることができます。
じっくりと拝見します。
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上総さん (6x6)
2023-10-13 06:13:26
色々あって感情面が不安定で、処理できずにいます。
「幸せを見出」、なんて良い言葉でしょう。
見出してきたはずだし、これからも見出していく。勇気つけられます。感謝します。
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