[27日ロイター] - 中国共産党総書記や中央軍事委員会主席、軍統合作戦指令本部長だけでなく、サイバーセキュリティや、経済、金融などの委員会の長も兼任する習近平国家主席だが、今回さらに一線を退いた後も長く輝くであろう新たな栄誉を得た。
中国共産党は、「中国の特色を備えた新時代の社会主義に向けた習近平思想」という文言で、党規約に同主席の世界観を盛り込むことを決定。存命中にこれに類する栄誉を受けた指導者は、故毛沢東国家主席と習氏の2人だけだ。
習主席は至高の存在となった。だが、こうした権威の蓄積そのものが、彼自身の権力や中国国家にとって、大きな脅威となる可能性がある。
習氏の中心的な目標は、中国の経済力・軍事力を強化し、ときに苛烈さを帯びる腐敗撲滅キャンペーンを主導することだ。報道メディアを再び厳しい統制下に戻すという揺るがぬ決意とともに、こうした目標を掲げている。
習主席の名前と思想が党規約に盛り込まれたことで、批判的なコメントや、習氏に媚びないという態度表明は、さらに正統性を失っていくだろう。習氏の公式方針と矛盾するものはすべて党規約に対する攻撃になってしまうからだ。
習氏は独立性のあるジャーナリズムを不能にして、中国で最も活気のある批判の舞台となっているソーシャルメディアを窒息させたいと目論んでいる。だが、こうした「動脈」を塞ぐことが、同主席が犯す最大の失敗になりかねない。
メディアを抑圧したいと習氏が願うのは、何も今に始まったことではない。2013年、北京で開催された全国宣伝思想工作会議向け演説で、当時の新指導者であった習氏は、宣伝や思想に関わる労働者(つまりジャーナリストや報道担当者)の秩序が非常に乱れてきており、一部は反逆すれすれの状態にあると主張した。習氏のその後の行動は、こうした信念と整合する。
今年出版した著書のなかで筆者は次のように記している。「彼の演説のなかで、特に印象的なフレーズが1つある。習氏は、『党がメディアを管理するという原則、そして政治家が新聞や定期刊行物、テレビ局、ニュースサイトを運営するという原則を断固守らねばならない』と語ったのだ」
「政治家が新聞を運営する」という言葉は、毛沢東の言葉を直接引用しているだけに印象的だ。中国建国の父である毛沢東は、その政策が数百万人の命を奪ったにもかかわらず、今も尊崇の対象となっている。
この言葉は、ジャーナリズムにどのような発言が許されるのかを最終的に判断するのは政治家、つまり党だ、という教義を正式に表明したものだ。ジャーナリズムは、ジャーナリストら自身に任せておくにはあまりにも重要だったのである。
1970年代後半から1980年代後半にかけて経済社会の改革開放を推進した実質的な最高指導者・鄧小平のおかげで一定の独立性を与えられてきた新聞・テレビ番組は、この5年間で、そのような自由をほとんどすべて失ってしまった。
あまりにも強大な党中央宣伝部が明示的な許可を与えない限り、ジャーナリストはもはやどんな調査も行うことはできない。通常、調査が許可されるのは、党が失脚させたいと願う人物の事件だけだ。
広州の「南方都市報」「南方週末」など最も冒険的な新聞は、2013年に発行停止処分を受けている。「南方週末」の論説委員だったXiao Shu氏は、広州市の共産党宣伝部長として新たに厳格な人物が任命されたことにより、「広州の報道機関は、鄧小平氏による1970年代後半の『改革開放』政策開始以来、最も暗い時期に逆戻りしてしまった」と書いている。
これは手始めにすぎなかった。
独占的な放送事業者である中国中央電視台(CCTV)は、調査報道や分析番組を、どれもトーンダウンするか中止した。踏み込みすぎたと目をつけられたジャーナリストは、以前は解雇されるだけだったが、再び投獄されるようになった。
「ジャーナリスト保護委員会」によれば、2016年に中国で収監されたジャーナリストは38人で、投獄された記者の数ではトルコに次ぐ世界2位となった。海外メディアの記者も入国ビザを取りにくくなり、調査報道は困難になっている。
だが、習主席や取り巻きの幹部にとって、最大の脅威はソーシャルメディアだ。公認されたジャーナリズムが再び当局の統制下に置かれるなかで、ソーシャルメディアの人気はますます高まっている。オンライン投稿の多くが批判的なものだ。
今月の「フォーリン・ポリシー」誌に寄稿した匿名の執筆者は、「中国の新たなソーシャルメディアをざっと眺めるだけでも、官僚は人民に奉仕するのではなく、人民を搾取していると目されていることがわかる」と記している。
こうした見解を公表することは中国では認められていない。この秋、中国当局は最も人気のあるメッセージング・サービスである微博(ウェイボ)、微信(WeChat)、百度(バイドゥ)の捜査を開始。これらのサービス上で、テロ関連や、うわさ、ポルノに関するコンテンツがやり取りされているとの結論に達した。
だが、こうした弾圧が継続、強化されるなかで、社会からの反発も強まりつつある。
骨のあるジャーナリストや映像作家は、あいかわらず中国の暗黒面を記録し続けている。
2012年、「高科技低生活(High Tech, Low Life)」と題する映画は、自転車で移動するブロガーたちを追い、政府による検閲と中国社会に生じている厳しく深い分断を検証している。
禁じられた情報や見解に対する弾圧は、このところ大幅に厳しくなっている。中国研究者のペリー・リンク氏は2014年、「国内ではますます対応しにくくなっている。下からの抗議や要求が増大しており、以前よりもしっかりと組織されているからだ」と述べた。
現在、中国の中産階級は数億人規模で、マッキンゼーによれば、あと5年すれば、中国都市部に住む中産階級の75%は、イタリアに近い生活水準を享受するようになると試算している。
このような、より独立した、かつ独立心も高い若年層は急増する傾向にあり、彼らのソーシャルメディア利用も高まっている。これら2つの要因が重なることで、あきらめを伴う服従姿勢が強まるとは考えにくい。海外経験のある者が増え、外国語の資料をオンラインで読む者も増えていくなら、なおさらだ。
結果として、より好奇心と批判精神に富む市民が育つ可能性が高い。そうなれば、過去に数百万人の国民に死をもたらし、現在では国民が目にする文章や映像、やり取りするメッセージを一方的に決めるような独裁的な政府が、疑問視されることなく統治を続けるのはなぜか、という問いが生まれやすくなる。
すべての権力を一身に集めることで、習主席は彼自身と彼の統制下にある権力でこうした展開を制約できるとの賭けに出ている。
だが、それは長続きはしないだろう。
腐敗や環境汚染、不平等に干渉を強める官僚機構、そして統制されたメディアは、抗議を促す要因となるだろう。
習主席が独裁的な支配を緩めるのではなく、強化する方向を選んだことは、彼自身にとっても、中国にとっても、そして中国がこれほどまでに重要な存在となった世界にとっても、大きな失敗だったという結果になるのではないだろうか。
以上、ロイターコラム
毛沢東以来の独裁者になった?習近平?
報道規制が強くなって、独裁国家の中国誕生?
中国はデタラメな侵略国家であり、南シナ海では九段線を勝っての敷き人工島建設をやっている。尖閣も中国領だと嘘をついて侵略している。沖縄も狙っており、こういう中国に日本はどのように対抗するのか?大きな課題だ。
日本がやるべきことは、中国国内で独裁国家を潰す勢力を支援して国内問題を大きくして外国に向かう力を削ぐことである。
習近平は必ず失敗するであろう。