[27日 ロイター] - 代議制による政治こそが最善だと確認された第2次世界大戦以降のどの時期にも増して、2016年は民主主義の限界と欠陥がはっきりと露呈した1年となった。
第2次大戦における大規模で凄惨な戦いを経て、民主主義諸国は専制的国家だったドイツ、イタリア、日本を打倒した。皮肉なことに、その勝利を決定づけたのは、史上最大の専制国家、ソ連によって払われた比類のない人的犠牲だった。
戦後世界を形成したのは、豊かで自信に満ちた米国を筆頭とする戦勝国である。連合国が創設した国際連合、国際通貨基金(IMF)や世界銀行などの機関は、大戦中に連合国のあいだで行われた議論に由来するものだ。それらの機関は、安定をもたらし、戦争に代わり協議を行い、貧困国のための開発援助を確保することを目指していた。
1948年、戦争で荒廃した欧州の復興に向けて、米国は約120─130億ドルを拠出。マーシャル・プランと名付けられたこの援助は現在の貨幣価値に換算すると約1200億ドル(約14.1兆円)に上る。この援助は、民主的な政府を支え、当時は強大だった共産主義勢力を遠ざけることを意図していた。
その当時、戦勝国は自国の政治システムに自信を持っており、市民が選挙や政党、公開討論に積極的に参加することによって、その力をさらに発揮できると捉えていた。だが今や、民主主義の前進は止まってしまった。いや、一部には後退している例さえ見受けられる。
西側諸国では、政党単位で選択された代議員を議会に送るための選挙を、自由社会に自然と付随するものだと見なしていた。しかしその自由とは非常に規制されたものであり、必然的に政治的エリートを生み出した。人々の声は多くのフィルターを媒介して伝えられ、ほとんどの人にとってそのフィルターは不透明だ。
スイスのように日常的に国民投票を活用している国はほとんどない。同国では、経済的なメリットがあるとされているにもかかわらず移民受入の制限が国民投票で承認された。
今年、欧州で経験の乏しい2つの大国が国民投票を実施し、それぞれの政府が推奨していた政治的選択が却下された。英国民は欧州連合(EU)からの離脱を選択し、イタリアでは憲法改正が否決された。その結果、イタリアのレンツィ首相、英国のキャメロン首相が辞任した。イタリアでは第2次大戦後以降、英国では何世紀にもわたり、国会が最高立法機関として位置づけられている。
国民投票は今や、ポピュリスト政党のお気に入りの手段となっている。こうした政党は、民衆の反発を利用し、これを誘導することができると信じているからだ。これこそが民衆の声、そうではないのか、と。
代議制の方が継続性や経験、英知を提供できるという有力な弁護の声もあるが、主流派が政治的な人気を失っている時期において、このような主張をしても盛大な嘲笑を浴びるのが関の山だ。
主流派の政党は、たいていは抗議や議論の結果を受けて、市民の政治参加を拡大しようという試みを繰り返してきた。だがほとんどの場合、多数の市民を集められるのは数回の会合にすぎない。
米政治学者フランシス・フクヤマ氏が書いているように、「大半の市民には、公共政策に関わる複雑な問題を理解するための時間も、経験も、その意欲もない。政治参加の拡大は、単に、よく組織された活動家団体がさらに大きな力を得る道を開くだけになる」からだ。
新たな民主的構造を生み出すための最大の実験が、1950年代以降、着実に発展してきたEUだ。だがその歩みも、この10年間で停滞している。
有権者だけでなくEU懐疑派の政党に突き上げられた加盟国政府が、意志決定権の回復を求めてきたからだ。それも、各国議会に取り戻すというより、「国民」の手に取り戻すという要求だ。フランスで勢力を増しつつある極右政党・国民戦線のマリーヌ・ルペン党首が主張するように、「国民国家の復活」なのだ。
EUは民主的な統治の「新たな一歩」として、創設国やその政治家の多くによって提唱されてきた。国民国家を自発的に統合することで、中国、ロシアや米国に対抗し、グローバル企業や銀行への影響力を増すとの考えだ。
だが、EUは政治的プロジェクトを推し進め過ぎた。特に、政治的目標のためにユーロの金融メカニズムを利用しようとした点だ。
かつてギリシャやイタリアなどの国では、競争優位を維持するために通貨切り下げを行うことが珍しくなかった。だが今では、ユーロから離脱するしか手がない。その場合、ユーロ建ての膨大な債務を抱える一方で、自国通貨は大幅に切り下げられてしまう。ユーロ圏に留まっても離脱しても、いずれにせようまく行かないのだ。
一方、独裁主義は復権を果たしつつある。
ロシアのプーチン大統領が米タイム誌の「今年の人」候補に選ばれたのは、ウクライナ、シリア、そしてロシアにおいて(いかに暴力的なものであれ)成功を収めていることへの評価であり、世論調査によれば依然、圧倒的な国民の支持を得ている。プーチン氏同様、高い支持を集める独裁的リーダーとしては、中国の習近平主席、トルコのエルドアン大統領、フィリピンのドゥテルテ大統領などが挙げられる。
政治的な主流派としての勢力維持を願う人々にとって、こうした民主主義のジレンマから脱する選択肢は3つある。
まず第1に、最も魅力に欠けるものの、可能性が高い選択肢は、さまざまなポピュリスト運動が失敗するのを待つことだ。
ドナルド・トランプ次期米大統領には、首尾一貫した統治は無理だろう。ブレグジットは英国経済に長期に及ぶダメージを与えるだろう。イタリアには、必要とされている痛みを伴う改革を実行できるような政権は誕生しないだろう。少なくとも、手っ取り早い解決策に魅了された人々の一部は目を覚ますだろう。
第2に、ポピュリスト勢力が主流派に近づくのを待つ。移民制限を掲げるフィンランドの保守政党「真のフィンランド人」がそうであったように、責任ある態度を身につけていく一方で、その先鋭さと人気を失っていく。
最後に、政治的主流派が改めて勢いを取り戻すことだ。理性に基づいた政治の必要性を説明し、かつ成果を上げることが出来る、新たなリーダーの登場だ。
最後の道が最も困難であり、忍耐力、失敗への寛容さ、そして説明と教育への意欲が必要となる。いくつもの国民投票では、大衆が「彼ら(既存の政治勢力)」に対して抱く拒絶感の強さが表れている。
成功を収めるためには、上記の3つのシナリオのすべてを活用することにより、過激な変革を今すぐ求めるような政治から脱却することだ。だが、これは容易な道ではない。私たちは、すでにその途上にあり、一気にそこから逃れることは不可能なのだ。
以上、ロイターコラム
第二次世界大戦の勝者、連合国が自分たちに都合がいいルールでやってきたことの限界が見えたのが2016年だったんじゃないかと思います。連合国だけ核所有はいいが、他の国には認めない。日本は、75年経過しても敵国扱いもおかしい。
EU の崩壊が来年以降待っています。
米欧の民主化という美名を利用したエネルギー奪略、アラブの春とかで混乱を起こし、移民を生み、因果応報の原理が働き、逆襲に合っている。
日本は「真の独立を目指し、自国は自分たちの手で守る」を基本にする憲法改正をしなければならない時代に入ったと私は考えます。