9/28(水)青森に到着し、翌朝、三内丸山遺跡見学に向かった。
青森駅から電車で新青森駅にそして、バス(ねぶたん号)で三内遺跡に行った。
バス下車し、案内所に入り、受付の女性に見学方法を聞き、ボランティアの案内人に合流して見学するといいということでしたが、5分前に出発したばかりでした。 裏の高台から、黄色い帽子を被った案内人を探して合流してくださいとアドバイスをもらい、すぐ合流することができました。
この遺跡を見学して感じたことは、5千年も昔のことですが、5千年前ってそんなに昔ではないんじゃないかと思いました。縄文人もグルメな生活をしてゴミ捨て場もちゃんと決めていたようです。
栗の木を栽培して主食にし、住居などの木は、大きな栗の木(直径50cm以上?)の柱を建てており、現在の日本にはない大きな栗の木であり、ロシアのソチから輸入して栗の木を建てたそうです。
大木になるくらい長い期間、この寒い地域で暮らしていたんですから、想像以上のものだと感じました。
きちっと家の形をしていたのは、倉庫だそうです。たき火跡のところが住居だと聞きましたが、確かに食事はそうだったでしょうが、そうなんだろうか? 集会場?100人くらい入る建物もあり、さらに大きな木を建てている建物(おそらく4階建)は何だったのか?見張り台?
とにかく、地上部分は現代の学者が想像したものであり、建物の形が違っていた可能性もあるのでは?
以上、古代ロマンを抱いた約1時間でした。
日本の社会の教科書は、土人の時代という感じで書かれていますが、ちゃんと土器を使用して煮炊きしているのでもっと進歩していたイメージじゃないかと感じます。
北の青森の三内丸山遺跡は確か500年くらいで突如、消えていますが、13000年も戦争もなかった縄文時代、日本人の遺伝子の20%~30%を占めるものであり、日本人気質を作った縄文時代だったのですから、もっと研究すべきですね。
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