石田梅岩という人、ご存知でしょうか?
以前、こちらのブログで「心学の精神」というタイトルにて、書かせて頂いたことがあるのですが、その祖が石門心学の開祖と謂われる
石田梅岩なのです。
とはいえ、私も、息子の小学校の地域学習の中で、大阪にゆかりのある人を調べているうちに辿り着いたので、付け焼刃的な知識しか
ありませんでした。
それが、このブログの読者の方の中に、石田梅岩に深く精通されている方がおられ、関連する詳しい資料を送って頂きました。
貴重な資料を有難うございました。
石田梅岩に関するかなり詳しい内容が載っています。
梅岩に関する年譜、梅岩が説いた石門心学とはどういうものか、などなど・・・。
私の主観も入ってしまいますが、かなり周りからは、堅物、変わり者と見られていたようですが、それは、自分の生き方や、ものの真実
を見極めよう、見定めようとした彼なりの生き方だったのではと思います。
また、頂いた資料を読みすすめるうちに、私がずっと疑問に感じていたことの答えが載っていました。
私の疑問とは、梅岩が活躍した江戸時代中期にあって、士農工商の身分制度が確立され、商人、町人は一番身分が低く見られていたのに
何故、富を蓄え、ゆくゆくは、武士をもしのぐ富や財力を備えていったのか。
しだいに、武士の権力は衰退の一途の辿るのに対し、逆に商人たちは、力を蓄え、明治以降も財を成していったのか。
その答えが、梅岩の説く石門心学の基盤の中にあることが書いてありました。
梅岩自身が長年の商人の経験を通し、正道の商法、質素、倹約こそが繁盛の条件とし、商家が栄えれば社会の繁栄にも通じ、そこに商人
の社会的存在価値があると主張したそうです。
その考え方が、多くの商人たちに受け入れられ、それらを実践した者が形を成していったものと推察されます。
商売において、「儲ける」とは、皆がそこを目指すのですが、「儲けた」としての結果を残す事はなかなか容易ではありません。
また、儲けられないと永く商売を続けることは難しくなります。
そんな皆が答えを欲しがっているものを大系的に形付けたのが、石田梅岩ではなかったかと感じます。
昨今、さまざまな、経営学、ビジネス理論、それに関するコンサルティングは存在しますが、 ビジネスそして経営を志す者の
心構えを梅岩は、すでに説いていたのかもしれません。
ただ、「儲けたい」の商売人ではなく、「どのように社会に寄与するか」の経営者を育てたかったのではないか、 私にはそんな
ように思えます。
【工芸品ショップ泉亀(いずかめ)】ショップサイト
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