はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

虚舟の埋葬 28

2009年08月16日 17時54分16秒 | 虚舟の埋葬
さて、魏延の軍は崩壊したわけであるが、楊儀の機嫌は悪かった。
魏延をみすみす取り逃がしてしまったこともそうであるが、なにより、蒋琬が軍を率いて北上しているという報せが、気に食わない様子であった。
楊儀をなだめるのは、その近衛と姜維にまかせ、文偉は、馬岱が帰還するまでの間、泥のように眠った。
眠りながらも、蒋琬の寄越した手紙のことが頭に引っかかり、妙に鮮明で、居心地の悪い夢を見た。

起き上がり、傷ついた将兵たちを慰労し、そして諸将と連絡をとりながら、仲達の動きになにも変わりはないかたずねる。
追撃してくるにしても、これまでなにも動きがないというのは、遅すぎた。
放っていた細作が魏より帰還し、文偉は、仲達が、本営のあった場所まで南下してきたが、そこからまた北へ引き返して行ったという。
仲達の追撃はない。
その報告に、みなは安堵し、歓声をあげるものさえいたが、文偉は喜ぶことはできなかった。
仲達は、孔明の残していった陣を見て、
「天下の奇才である」
と賞賛し、立ち去って行ったという。
そこに、魏延や楊儀にも見られなかった、深い思慮と尊敬が感じられて、情けなく思えた。
もちろん、そんな綺麗事だけではなく、おそらく、領内にくまなく潜ませていた細作より、楊儀の軍が、南谷口の魏延の陣を襲い、これを撃退したことを知ったのだろう。
兵の士気は孔明の死によって、むしろ高まっている。
無理に追撃して、火傷を負う必要はない。
そう判断し、引き返して行ったのだ。

武将や兵卒たちの中には、はやくも、仲達は孔明が生きていることを恐れて、引き返していったのにちがいないと言い出すものがあらわれた。
文偉はそれには口を出さず、噂が広がるままにしておいた。
すでに孔明は、歴史の枠を超え、神話の粋に入ろうとしているのだ。
目の前で築かれていく伝説の中でわたしは、どれだけの役目を果たしてきたのだろうと、文偉は思い返した。
多くの賞賛のなかで、真実は実像と引き離され、埋もれていくにちがいない。
龍の名にふさわしい、華麗な人生であったと評するべきであろうか。
しかし、孔明は、いつも愁眠の中にあったことを文偉は知っている。
いま、ようやく安らかに眠れたのだ。
そして、今度は自分が愁眠の中にある。



やがて、馬岱が帰還した。
馬岱の言葉に二言はなかった。
馬岱は、精鋭を率いて、逃亡した魏延を追跡し、みごとにこれに追いつき、その首を討った。
首の入れられた櫃の小ささに、文偉は動揺した。
これまでに、人の生首を見てこなかったわけではない。
しかし、これは特別であった。
魏延の首が公開されると、さすがに、居並ぶだれもが息を呑み、楊儀への追従も、魏延への怨嗟の声も、発するものがいなかった。
しかし、楊儀だけは、首を見るとよろこび、不意に両手で持ち上げたかと思うと、その足で踏みつけ、思うさま罵倒した。
敵の将の遺体を辱める、これは特別なことではない。
しかし、敵とはいえ、孔明が死ぬ、それこそ数日前までは、味方であった男の首である。
思い出もある。だからこそ、みなは沈黙をしているのだ。
それを省みず、楊儀は、玩具を得た子供のように振る舞ってみせた。
この男は、気の毒に、ほんとうに深く心を病んでしまっているのだ。

無残にも、楊儀の沓あとののこる魏延の首を見据え、文偉は、しじまのなか、思った。
待っていたまえ、貴殿の仇敵も、じきに後を追うことになるだろう。



馬岱は多くを語らなかったが、覚悟を決めた魏延の最期は、武将らしく立派なものであったという。
あと一歩のところで、権力の座を逃した男は、最後に、王のように堂々と死んだ。

孔明を、遺言どおりに定軍山に葬り、文偉は成都に帰還した。
そのあとのことは、ざっと述べるに止める。
成都に帰還した楊儀であるが、叛乱を鎮圧した功績を認められるとばかり思っていたが、勲功はないに等しいものであった。
孔明の後継として選ばれたのは、以前より軽視していた蒋琬で、自分は、長史から、中軍師になっただけであった。
もちろん、理由は、本人以外は、みな知っている。
魏延が謀反を起こしたのも、楊儀との争いが原因なのである。
魏延は馬岱に討たれたが、謀反と言っても、その目的は、楊儀を打ち倒すことだけであった。さらに、楊儀が魏延の首を辱めたことも、かれから人を遠ざける要因となった。
なにひとつ思い通りにならず、中軍師といっても、まともな仕事はなにひとつ回ってこない。
これは、楊儀の精神状態を危ぶみ、回復までは閑職にとどめておこうという、蒋琬の配慮であったが、楊儀には通じず、これを逆恨みした。
楊儀の精神は、どんどんと暗い方向へ進んでいった。
しまいには、楊儀が、孔明の死後に、魏延と与していればよかったと嘯いているという噂が立った。
文偉が真相をたしかめるべく屋敷を訪れれば、まったくそのとおりで、楊儀の勢いがあまりに激しく、治まりをみせなかったため、ついに上奏し、これを庶民に落すこととなった。

楊儀はその後、成都を追放されたが、追放先においても、恨みは治まらず、妄想にも似た中傷を吐き続け、また、それを書にしたためて成都に送った。
その内容は、事実と虚妄の入り混じった、民を惑わすものであったため、楊儀は逮捕される。
そして、牢内にて、楊儀は自害した。
孔明の死の、翌年のことである。
楊儀が上書した書の内容は、伝わっていない。

こうして、長い長い龍の葬列は、狂乱と怨嗟のなかに身を落としたひとりの男が、その命を絶つことで、ようやく終わった。


虚舟の埋葬 27

2009年08月15日 21時44分28秒 | 虚舟の埋葬
味方を救うという、これほど明確で正義にかなった攻撃の理由はあるまい。
兵の士気は高く、魏文長の名を怖じることなく、みな果敢に戦った。
あれほど、猛者集団として恐れられていた魏延の部隊であるが、この混乱の中、統制を取り戻すことができず、総攻撃のなか、呆気なく討ち果たされ、あるいは降伏した。
とくに、敵味方の判然とせぬなかでの王平のはたらきはめざましく、馬謖の街亭の失敗の際にも、退却時におおくの味方を救った実績のあるこの男は、ここでもやはり、無駄な殺生を避け、きわめて正しく味方を救い上げ、また、多くの敵を降伏させた。

しかし、陣が総崩れになってしまったあと、南谷口に歓声はなかった。
肝心の魏延の姿がなかったのである。
最小限の犠牲で抑えられはしたものの、やはり血の流されることになった戦場のあとを文偉は見回した。
粉々に砕かれた木材が、魏延の軍と、味方の軍の兵力と士気の差をあらわしていた。

『敵』となって死んだ者たちの遺体を片づける兵卒の表情は、どれも暗い。
かれらが不本意な死を迎えねばならなかったこと、混乱した状況では、おのれの意志よりも運が左右したことを、みな知っているのだ。
なかには、最期まで状況をつかめずに、逝った者もいるにちがいない。

酷いことをした、と文偉は思った。
魏延への怒りもあるが、この無残な光景を生み出したのは、自分でもあるのだ。
そこへ、姜維が近づいてきた。
「費司馬、魏文長は逃げましたぞ」
「まさか、北へ?」
「いいえ。あの者が」
と、姜維が指さす方向には、見張りとして働いていた兵卒が、自分はどうなるのかと、おどおどと周囲に目を配りながら、座らされている。
「攻撃がはじまる直前に、子や部下たちと共に逃げる魏文長を見たそうでございます。思わず、どちらへと尋ねたところ、魏文長は『正義を訴えるために退く』と答えたとか」
『正義』と聞いて、とたん、文偉はかっ、と腹を立てた。
「部下を見捨てて逃げ出しておいて、『正義』が聞いて呆れる。どこまで堕ちるのか、あの男は! 北へ行ったのではないのなら、どこへ?」
「漢中でございます」
「漢中か」
鸚鵡返しにし、かえって面倒だな、と文偉は思った。

魏延にとって、漢中は、だれより知り尽くした土地である。
しかも、大部隊を率いるのではなく、わずかな手勢とともに逃げ出したということは、かえって機動力が上がっているだろう。
さらに魏延は、漢中の地理を熟知している。
こちらの知らぬ道を行くであろうから、追跡はむずかしくなる。
漢中には、魏延と懇意にしていた豪族もある。
魏延を庇い、潜伏を手伝う可能性もあった。

こちらも部隊を編成し、すぐに追跡をさせようとした文偉であるが、大きな黒馬にまたがった将が一騎、手を振って近づいてくる。
その姿を認め、文偉はおどろいた。
「馬岱どの。後詰めをお願いしておりましたが、どうなされましたか? もしや、仲達に動きが?」
「いいや、仲達に動きはない」
答えると、孔明より年上の老将は、年を思わせぬ流麗な動きで、馬を下りた。
馬岱は、羌族と漢族の双方の血を引く、褐色に焼けた肌をもつ男だ。
文偉とは古馴染みで、天水から羌族と親しんでいた姜維とも親交が深い。
姜維と文偉の双方を見ると、馬岱は顔をしかめた。
「なんと薄情なことよ。それがしに、なんの役目もくださらぬとは。老人は、みなの後ろからゆっくりついていき、目の前で戦が起こっていても、だまって眺めていればよいとでもお考えなのか?」
「いえ、そのような」
文偉が首を横に振ると、馬岱は、声をたてて、豪快に笑った
「冗談だ。かつて剛侯(黄忠)が、このように、よくごねておったのを思い出して、真似てみたのだ。案外、面白いものだのう」
文偉は、馬岱の場違いな冗談に、思わず苦笑する。
「お人の悪い。本気かと」
「半分は本気だから、まったくの冗談というわけではない。さて」
と、馬岱は顔を引締めると、あらためて文偉の目を見据えた。
「魏文長は逃げたか」
「漢中へ向かったそうでございます。これより、追跡をいたします」
「人は決まっておるのか」
「わたくしが」
と、進み出たのは姜維である。
まだ、具体的にだれが、とは文偉も決めていなかったが、妥当なところで、姜維になるだろうとは思っていた。
騎馬の扱いにかけては、姜維の右に出る者はない。胆力もある。

馬岱は、ふむ、と頷くと、言った。
「それがしに、その役目をお与えくださらぬか」
「なんと?」
思わず文偉が言うと、馬岱は情けなさそうに顔をしかめた。
根が陽気な男なので、こういう緊迫した状況に置いても、どこか余裕があるように見える。
「驚かれることが心外でございますぞ。それがしとて、お二方と同様に、丞相からは、ひとかたならぬ恩義を受けた者。この機に、その恩を返さずして、なんといたしましょうや。
たしかに、我ら青羌兵は、これまで、他軍とは一線を画して参りました。が、このようなわがままを長年にわたり許されたのも、ほかならぬ、丞相の深いご理解があったからこそ。
丞相がおられたからこそ、われらは威侯のお志を守りつづけられた。そのご恩を、いま、返させていただく。
魏延がいくら身軽になったとはいえ、神速を誇る、わが騎馬部隊からすれば、その足も亀の歩みに見えまする。かならず魏延を追いつめ、捕らえてまいります」
文偉は、馬岱の言葉に、素直に感動した。
政争にはいっさい加わらないで、わが道を行く態度をつらぬいてきたこの男が、恩返しをするために、節を折ろうとしているのだ。
「そうおっしゃってくださるならば、なんと心強い。是非に」
馬岱の手を取って、喜ぶ文偉であるが、となりの姜維はあくまで冷静に尋ねた。
「将軍のご配下に、漢中の地理に詳しい者はおりますか?」
「任せよ。それがしにとっても漢中は故地。亡き威侯と轡を並べて、四方を駆け回っておった」
「おお、そうでございましたな。愚言を申しました。どうぞご容赦くださいませ」
「いやいや、かつての漢中をめぐっての動乱を知る者も、もはや数えるだけとなり申した。貴殿らが知らずとも仕方ない。さて、それでは、それがしはさっそく、魏文長を追う。朗報を待たれよ」
「御身気をつけて」
「案ずるな、威侯が守ってくださる」
そういって笑いながら、馬岱は黒馬にまたがって駆け去って行った。

虚舟の埋葬 26

2009年08月14日 17時30分09秒 | 虚舟の埋葬
膠着状態がつづいた。
姜維は、続々と山林を越えて到着した部隊を整えて、文偉の三番目の策、すなわち魏延を無視するとみせかけて誘い出し、包囲する作戦に動き出した。
平原を渡る風が、ごうごうと唸りごえをあげて、山林にぶつかっている。
姿を見せぬ魏延の気配を、静けさと殺気に満ちた空気のなかに感じている。
あの男の、怒り狂っているさまが、目に浮かぶようであった。
味方同士で対峙しているこの期に及んでも、なお、自分の主張が受け入れられないことに、苛立っているにちがいない。

そろそろ、出立の準備ができたと姜維が伝えてきた。
待つあいだ、文偉はけんめいに、ほかに策はないだろうかと考えた。
魏延の陣には、何度か使者を送ったが、どれも魏延は追い返してきた。
わずかな望みを託し、手紙をしたためてみたものの、これも目を通されることなく、魏延の子によって、破り捨てられてしまったという。
頑なな男だ。
その意志の強さが、名も無き一介の辺境の部隊長を、大将軍の地位にまで押し上げた。
そして、武器であった意志の強さが、いま仇となって、ほかならぬ本人の首に、刃となって突き立てられている。
魏延本人は、そのことに気づいているだろうか?

思索にふける文偉を、声が打ち破った。
「伝令! 費司馬、都より、急使が到着いたしました!」
文偉が我に返って見れば、伝令が、その背後に、大常(天使の旗)を手にした男を伴ってあらわれた。
まちがいなく都からの急使である。
「費司馬、都の蒋長史より、密書をお預かりいたしました」
劉禅からではなく、蒋琬から、と聞いて、文偉はすこし奇妙に思ったが、しかし密書を開き、見慣れた友の綴った文字を目で追いかけてみれば、すぐにその愁眉は開いた。
「蒋長史が、宿衛の軍を率い、こちらに向かっているとのことだ!」
おお、と周囲から、歓声にも似た声が挙がった。
もちろん、文偉の心も踊った。
がみずから動くということは、成都では、孔明の後継として、蒋琬を内々に認めたということである。
それでいいのだ。思うさま、その力と名を示すのだ。
心を逸らせた文偉であるが、読み進めていくうちに、ふと、意気をくじかれるような、心を衝かれる文章にあたった。
が、いまはあえて、それを無視することにした。

そして、急使より、大常を借り受けると、何平の元へ行き、蒋琬が軍を率いて北上している旨を伝えた。
何平も喜び、その部将たちも、おおいに意を強くしたようである。
そして、文偉は馬首をめぐらせると、さまざまな説得にも耳を貸さず、微動だにしない魏延の先陣に向けて、大常を掲げて、怒鳴った。
「この旗を見るがいい! 天子の急使はわれらの元にあらわれた! さらに、成都より、蒋長史が、おまえたちを鎮圧するためにこちらに向かっておる! これでもおまえたちは、頑なに魏文長と運命を共にすると言うのか! 武器をすて、降伏せよ! いまならば罪に問わぬ!」
文偉の言葉に、何平も、呼びかけをつづけていた兵卒たちも、口々に、投降しろ、陛下はおまえたちを謀反人だと認めたのだ、と叫んだ。
天使が楊儀側にあらわれたという話は、劇的な効果を生んだ。
それまで、まったく動きのなかった先陣の部隊に乱れがある。
なにやら内部で争いが始まっているらしい。
弓隊のひとりが、なんと騎兵を射抜き、それがきっかけとなって、陣はたちまち乱戦状態となった。
これを鎮めるために、陣の背後に配されていた部隊が前進してきたのであるが、混乱をよいことに、これまた歩兵たちが仲間を助けるために騎兵を襲い始めた。
「費司馬、我らに出撃の命令を!」
何平の声に、文偉は大いに頷いた。
「よし、銅鑼を鳴らせ!」
文偉の合図と共に、出陣の合図の銅鑼が鳴らされ、混戦中の魏延の陣と、何平の部隊から、歓声があがった。
「よいか、我らは魏文長に騙され、不本意にも敵となった友を救うために、出撃するのである! 
歩兵や弓兵は斬ってはならぬ、部将のみ狙え! これに逆らい、蛮勇を好み、同胞を殺した者は、厳罰に処す! 
くりかえす、部将のみ狙え! われらの仲間を救うのだ!」
「狙うは、魏文長と、これに与する者どものみ! 出撃せよ!」
これに応えて、何平が全将兵に向けて突撃を命令すると、到着し、出撃の準備を整えていた王平の部隊、姜維の部隊もこれに加わり、いっせいに魏延の陣に襲い掛かった。

虚舟の埋葬 25

2009年08月13日 23時00分53秒 | 虚舟の埋葬
「おまえたち以外の部隊も、同じように不安がっているのだろうか?」
尋ねると、士卒長と、その背後で畏まり、すがるような目をしている、いくつもの顔が頷いた。
「魏将軍の目が光っておりますので、大っぴらには口にできませんでしたが、みな同じ思いでございます」
「陣の様子はどうだ」
「夜なども、つねに誰かが我らを見張っております。夕餉のときも、見張りがあらわれまして、すこしでも魏将軍を疑うようなことを口にするものは、捕らえられて鞭打ちを受けます」
逆をいえば、見張っておらねば、脱走する者が多いということである。
真から魏延の志に惚れて、付いてきている者は少なかろう。
魏延の陣にて動きがある、と報告が入り、見れば、先陣として、弓兵と騎兵の混成部隊が、こちらに向けて配されている。
同じく、士卒たちの裏切りを避けるためであろう。
魏延の自慢の近衛兵たちが率いる精鋭部隊が、弓隊を監視する形で並んでいる。
問題は、近衛兵たちだ。
さすが剛勇でならした魏延の部下だけあり、勇猛な戦いぶりは、蜀で随一である。
かれらを相手にせねばならぬとなると、こちらの被害も覚悟せねばなるまい。

文偉は虜となった兵たちのなかで、動ける者を選び出し、何平につけて、魏延の陣に向け、大声で呼びかけさせた。
自分たちは捕らえられたが、お咎めはなく、無事である。
叛いたのは魏延のほうで、楊儀は孔明の遺志を正しく継いで、成都に戻ろうとしているのだ、と。

何平も、兵卒たちと共に、馬上より、魏延の陣に叫んだ。
「丞相のご遺体の、まだ温かいうちに、おまえたちはご恩を忘れ、身勝手にも叛こうとしている。なぜにこのような不義を平気ですることができるのか!
士卒どもも聞くがいい。いまならば、おまえたちは謀反人に騙されたということで、罪には問われぬ。しかし、この儂と刃を交わすつもりであるならば、もはやただでは済まぬぞ! すみやかに武器を捨て、陣を出て投降せよ!」

遠目で、魏延の先陣に配された兵卒の、それぞれの表情はわからない。
北谷口に移していた弓隊は、熟練の兵卒だけで編成していた。
弓の改良に熱心であった孔明の恩を、もっとも受けた花形の部隊である。
孔明は、何度もかれらのもとに足を運んでいるから、恩を感じている者も多いはずだ。
何平の言葉は、聞こえているだろう。
言葉に応じたい者がほとんどのはずだ。
しかし、近衛兵が、かれらを見張っているために、動けない。
近衛兵の、魏延への忠誠は揺るがないだろうか。
かれらとて、国に家族を残してきている。
この状況では、どちらに非があるにせよ、魏延も、魏延に連座する者も、ただではすまないと、感じ取っていないだろうか。

「動きませぬな。このままでは、戦になりますぞ」
渋い表情で風を受けながら、姜維がつぶやいた。
「わかっておる。現状で考えられる策は三つだ。
ひとつは、全軍で魏延を攻め、これを討つこと。しかし多くの兵が傷つくこととなる。それに、兵卒に、同胞殺しの傷を負わせることは、蜀の未来にとっては最悪である。下策中の下策と考えねばならぬ。
ふたつ目は、陣を包囲し、干上がるのを待つ。しかし司馬仲達の動きを考えれば、悠長なことはしておられぬ。これもやはり、味方を危険に晒す策だ。
みっつ目は、陣を無視し、我らだけで定軍山へ向かう」
「みっつ目を選択する利点はございますか? 魏文長が、われらの背後を突く形となりますが」
「そうだ。陣から誘い出し、襲ってきたところを迎撃する。軍を四方から囲い、兵卒に投降を呼びかければ、魏文長の軍は崩壊しよう」
「どちらにしろ、血は流されるというわけですな。丞相がご覧になったら、なんとおっしゃるだろう」
孔明は、軍の撤退に関してと、魏延が追撃してきた場合の策は授けてくれたが、先回りをされた場合にどう対処するかの策は、残していかなかった。
あとは自分たちで考えろということではあるまい。
孔明の、人に対する優しい幻想が、最後まで裏目に出たのだ。
魏延が、味方を平然と危険にさらすような真似はすまいと思ったにちがいない。
らしいといえば、らしい。思わず、文偉は苦笑してしまう。
姜維のいうとおり、このありさまを遠くから眺めているとしたら、おそらく、やはりわたしは至らぬと、己を責めたであろう。
人より先に、自分を責める人であった。

虚舟の埋葬 24

2009年08月12日 19時11分39秒 | 虚舟の埋葬

大勢の兵卒の足音、斜面を行く息遣い、馬蹄の音、そして人の気配に怖じて逃げる獣の気配、警告するように頭上より鳴きつづける鳥の声。
それらを子守唄に、さすがに疲労には勝てず、文偉は馬上でうつらうつらしながら、死んだ孔明と、おのれの差について、覚醒している部分でずっと考え続けていた。
孔明は、なぜに自分に多くの宿題を残したまま、逝ってしまったのだろうと、悲しく、そして恨みにさえ思った。

山風が吹いて、馬上の文偉は、不意に目覚めて、袖で目を庇う。
その動きにあわせて、腰の帯飾りが、丁丁と鳴った。
その音に、疲労から覚め、思考が晴れてくる。
未来のことをくよくよと悩んでいる暇はない。
いま為すべき事は、内紛を収め、ひとりでも多くの味方の兵卒を故郷に帰してやることだ。
そして、魏延の部隊に組み込まれた兵卒を、魏延とともに討つのではなく、救うのだ。
かれらは何も知らない。

ふと前方を見れば、伝令が、文偉のもとへ駆けてくるのが見えた。
そして、畏まり、手にした地図を文偉に渡す。
ひろげてみれば、陣形図である。
「南谷口(なんこくこう)にて、魏将軍が陣を敷いているのを確認いたしました。先陣の何将軍が、すでに迎撃されている由にございます!」
文偉は、そばにいた姜維と、思わず顔を見合わせた。
「山林の動きを見張らせていたようだな」
「それでも、数では我らのほうが上。戦況はどうだ?」
「はい。敵の数が少ないために、何将軍が優勢でございます。敵は戦意に乏しく、早々に投降する者もあとを絶たぬとか」
それを聞くや、姜維は、行軍する兵の足元を照らすために掲げられている篝火のもと、傍らで見ていた文偉さえ、思わず怖じるほどの、凄まじい笑みを浮かべた。
ふと獲物を前にした蛇を想像したのは、文偉だけではあるまい。
「勝ち戦となりますな」
喜色を隠さずいう姜維に、文偉はあくまでも冷静をよそおって、伝令に伝えた。
「我らもすぐに南谷口へ参る。何将軍には、投降した兵は武器を取り上げるにとどめ、けっして酷く扱うことのないようにと伝えよ。かれらは使える」
伝令が立ち去ってから、姜維が不思議そうに尋ねてきた。
「使える、とは?」
「考えがあるのだ。どちらの兵も傷つけたくない。楊長史からの指示はないか」
「特にはなにも。さきほど輜車の御者に尋ねたところ、頭痛がするとおっしゃって、侍医に薬をもらって、すこし休まれているとか」
「かえって都合がよい」
「それを貴方がおっしゃるか」
「揚げ足をとるな。ともかく急ぐぞ」
かくして、文偉は、近衛兵の数名、それから姜維らとともに、魏延が待ち受ける南谷口へと駒を走らせた。

南谷口に到着する頃には、夜も明けて、しらじらと東の空が明け染めていた。
地上で繰り広げられている血なまぐさい争いを、無表情に見つめる空は、いつものように彼方で、蒼ざめた顔を見せている。
すでに、何平は、迎撃にあらわれた小隊を退けていた。
文偉たちが到着すると、急ごしらえの柵のなかに、武器を取り上げられて、これからどうなるのかと不安げにしている、投降した兵卒たちが、地べたに胡坐を組んでいるのが見えた。
遠方を見れば、魏延の陣が整然と敷かれており、旗指物には、『魏』の文字、そして、別の旗には『蜀』の字が見える。
おのれこそが正統であると訴える男の気持ちを代弁するように、うつくしい紫雲のたなびく朝焼けの空の下、旗はしずかにはためていた。

「損害は?」
何平に聞くと、戦の興奮もさめやらぬ男は、向こうに見える敵の影を睨みつけながら、憤然と言った。
「すくない。ほとんどが怪我で済んでおる」
「それはよかった」
「敵方の部将を討った」
と、何平は、苛立ちが抑えられなくなったのか、組んだ腕の肘を握り締める指に、さらに力をこめた。
「何度か顔を合わせたことのある男だった。家も知っておる。家族も知っておる! なぜに味方同士で争わねばならぬ! なにが正統な後継だ! 斯様なこと、天が認めるはずがない! やつの志は、邪にあふれておる!」
「もう味方ではない」
いうと、文偉は、投降兵たちの囲われている柵のなかに足を踏み入れた。

文偉たちが姿をあらわすと、士卒長とおぼしき男が前に進み出て、膝にとりすがんばかりに、自分たちの無罪を訴えた。
涙ながらの必死の訴えをまとめると、こうだ。
かれらは魏延の命令により集められ、陣を引き上げ、南進するように命令されたという。
そのさい、魏延は全軍をあつめて、孔明が死んだこと、楊儀が、勝手に後継と名乗って、勝てる戦を前にして、陣を打ち捨て逃げ出さんとしていること、孔明は楊儀を後継と指名しておらず、自分こそが、つぎの蜀をになう男なのだと宣告した。
もちろん、魏延の子飼いの将兵の目を光らせている中である。
曲長らも、とりあえずは魏延に忠誠を誓うと表面では口にしたものの、不安でたまらなかったという。
自分たちを置いて、本営が黙って先に南下してしまったことで、動揺があったことも事実だ。
しかし、魏延の命ずるまま、楊儀らを追い越して先に谷を渡り、橋をつぎつぎと焼き落す作業をはじめた段になって、恐ろしさと、不安が募ってきたという。
たとえ相手が勝手に孔明の後継を名乗っている者だとしても、その背後には、多くの同胞たちがいるわけである。
橋を焼き落としてしまったら、かれらはどうなってしまうのだろう。
敵地に残され、賊軍にことごとく殺されてしまうのではないだろうか。
同胞を危険に晒すような非道な方法が、ほんとうに正道と言えるのだろうか、と。
魏延は橋を焼き落としてしまうと、成都に向けて、楊儀が反逆したと使者を立てた。
そして、南谷口に陣を敷くと、楊儀らがあらわれそうな地点に斥候部隊を配して、様子をうかがわせたのである。
そのうちのひとつが、いま虜となっている部隊で、不運にも何平と出くわし、戦うはめになったのだ。


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