はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

実験小説 塔 その37

2019年03月06日 08時44分52秒 | 実験小説 塔
「おやおや、ひどいありさまだな、色男」
「あんたは無事か、よかった」
「おい、神威将軍、やりすぎだぞ。こんなに腫れてしまって、八つ当たりではないか。いい男が台無しだ。
抵抗しなかったのか。痛むだろう。動けるか? 冷してから軟膏薬を塗ろう」
「あんたが人質になっていたから、手を出しかねていた。無事らしいな。石は?」
「石もわたしも無事だよ。これが反動なのかな。目を開けられるか」
「だいじょうぶだ。すこし頭痛と眩暈がする」
「いかん、瘤になっているではないか。早く冷そう。
おい、そこの、ぼーっとしている何人か、水を汲んでこい。きれいで冷えた水、それから清潔な布も用意してほしい」
「言うとおりにしてやれ。こいつに用はなくなった。
そう慌てることもあるまい。ここで採れる竜骨を飲めば、痛みや腫れもすぐに引くだろう」
「竜骨は内臓によいとは聞いているが、外傷にも効果があったかな」
「ここの竜骨は、まさにその名の通りの代物で、通常市場に出回っている『竜骨』とはモノが違う。たいがいの病に効き目をあらわす、万能薬だぞ」
「ますます現物を見てみたくなったが、いまはそうしてはおられぬ。さっきの小屋を借りるぞ。
立てるか。骨は折られていないようだな。わたしの肩につかまれ」





「なんにもない部屋だが、さして汚れているというふうでもない。すまないな、いっしょに行動するのだった」
「どうやってあいつを説得した」
「物の順序を語っただけさ。あの男は羌族による天下統一という大望を抱いていたようであるが、いかに時機を掴んでいないか、どれだけ向こう見ずな計画かを説明したのだよ。
しょげていたので、ついでにいかにすれば、自分たちの力を強くできるかも教えておいた」
「あんたは誰の味方だ。どうして未来に不安の種を蒔く」
「誰の味方というよりも、そうだな、あえて言うなら、平和の味方だ。たとえ蛮族と蔑まされる民族から出た者であろうと、天下を手中にするにふさわしい器ならば、それもよいのではないかと思う。
徳がある者が皇帝になるのが理想というじゃないか。血統にこだわりすぎるからこそ、姻戚だの宦官だのがつけ入る隙を与えてしまう。それを回避するなら、堯舜の時代の手法を復活させるのも悪くあるまい」
「あまりそれを他所で口にせぬほうがよいぞ。頭の固い連中が聞いたら、あんたが間諜の類いか裏切り者かと思うだろう」
「そうだろうね。あなたにだから言ったのだよ。天才はつねにその時代には理解されないものなのだ。嗚呼、悲しい」
「あんまり悲しがって見えないのだが」
「瞼が腫れているからだ。ほら、竜骨だ。毒見をしてみよう。
うむ、毒の類いは入っていないようだな。唇も切れているから沁みるだろうけれど、がんばって飲んでくれ」
「まずいな」
「薬だからな。どうだ?」
「すぐに効果が出るというものでもないだろう。すまん、眠たくなってきた。すこし休んでいいだろうか」
「そうだね、寝たほうがいい。わたしはすぐそばにいるから、なにかあったら呼んでくれ」





「おい、自称・神威将軍、おまえに頼みがあるのだが」
「それが漢族の頼みごとをする態度なのか?」
「すまんな、表面上はつとめて穏やかさを保たせているのだが、内心では腸が煮えくり返っている。あまり刺激されると、石を使うかもしれないぞ」
「………用件を言え」
「子龍の様子では、すぐに動かすのもむずかしそうだ。とはいえ、わたしのほうも人を待たせている。まずは太守にここの薬を渡さねばならぬし、石を返さねばならぬ。方向はてんでばらばら。
というわけで、考えたのだが、竜骨はおまえが太守のところへ届けるのだ」
「冗談も休み休みいうがいい」
「冗談なものか。このまま『わたしは何も知りませんでした。帰ります』で済ませるつもりか。遺恨を残さぬように、大人しく、『すみませんでした、これで勘弁してください』と薬を差し出せ。
まあ、向こうもいろいろと犠牲を出しているわけだから、簡単に『よろしい』とは言わないだろうが、わたしの名で手紙を書くので、それを持っていくといいだろう」
「貴様の手紙がなんだという」
「まあ、そういきり立つな。わたしの名は諸葛孔明。劉左将軍の軍師をつとめているものだ」
「聞いたことがある」
「ふん、その程度の知名度であろうな。知られているだけでもよい。
それはともかく、わたしの手紙の内容はこうだ。
『この男はたしかに羌族を煽りたて、貴殿に叛乱を企てようとしていたが、いまは大人しく改悛し、こうして矜持を捨てて潔く負けを認めている』」
「なんだと?」
「たわけ。思い切り低姿勢にならねば、首が飛ぶぞ。
つづき。『この男に多くの羌族の部族は心服しており、この男の首が落ちた場合は、またあらたに貴殿の任地にて暴動が起こるであろう。わが蜀のつけ入る隙も多分に出てくるというものだ』」
「む?」
「『しかし、この男の首がつながっている場合は、男の態度を見ればあきらかなとおり、貴殿に恭順の意を示している。男に従い、羌族たちも暴動を起こす真似はすまい。どちらが貴殿にとってよい結果をもたらすか、熟慮されたし』と、こんな調子で書く」
「貴様、策士だな」
「軍師だと言っただろう。というわけで、薬を頼む。わたしは子龍の看病に忙しい。子龍が治ったら、すぐに塔へ向かわねばならぬしな」
「貴様が太守のところへ行けばいい」
「そうなると、子龍を一人でここに置いていくことになるが、そうなった場合に、不安材料が出てくるのだ」
「………俺たちを疑う気か」
「ずばり、完全に和解はできていなかろう。この石の力は強すぎるゆえ、おまえの考えが変わっても無理からぬこと。
すまんな、わたしはおまえの言うとおり策士なので、そこまでは人間に夢を持てない立場なのだよ。返答は?」





「また狼の声だ。だんだん近くで聞こえている気がする。日が落ちてきたからかな」
「なにをしている」
「すまない、起こしたか。神威将軍たちに持たせる手紙を書いているのだよ。たった一通で羌族の窮地を救ってしまう、鬼才・諸葛孔明しか書けぬ最高の手紙だ」
「自分で言うかね。薬のせいか、頭痛が取れたな」
「へえ、たしかにここの竜骨は効き目がすばらしいようだな。む?」
「なんだ」
「………気味が悪いな。効きすぎだろう。いま手鏡を出すよ。見てみるがいい。顔の腫れが、もう引いている」
「ほんとうだ。これはすごいな。買いだめしておいたほうがいいかもしれないぞ」
「それはたしかにそうだけれど、すこし不自然だろう。これほど効き目が強い薬なぞ、聞いたことがない」
「なににだって例外はあるだろう。これを飲み続ければ、うまくすれば明日にはふつうに動けるようになる。太守のところへ戻ろう」
「太守のところへは手紙を書いたよ。うん、この効き目なら、太守の病も癒え、羌族との和解もうまくいくかもしれないな。ふむ」
「おい」
「なんだ」
「あんたの行動の予想のつけかたがわかってきた。なんだってそう目をぎらぎら輝かせているのだ。よからぬことを考えているだろう」
「別によからぬことではない。それほどまでにすばらしい効き目を示す竜の骨というものが、はたしてどんなものなのかを見てみたいなと思っただけさ。本物の霊獣・龍だぞ。
って、おや? おかしいな、龍は不死ではなかったろうか。これも例外かな。どう思う?」
「どうもこうも。ところで表が騒がしいぞ」
「ほんとうだ。これは気の毒に、人夫が怪我をしたらしい。竜骨の採掘をしていた者であろうか。ちょっと聞いてみよう。

おい、どうしたのだ、石でも落ちてきたか? ちがう? 
へえ、狼か。狼に噛まれたと。さっきの遠吠えをしていた狼だったのかな。
最近多いって? ここに家畜はいないのに、狼はよそに行かずにこの採掘場ばかりうろついて、人夫を襲う。
ふむ、それも面妖な。人間の肉が好きなのかな。怖がらせるつもりはないけれど、どうぶつの肉のなかでも、とくに人間の肉に味をしめたやつが、家畜には目もくれず、人間ばかり狙っている可能性もあるのではと思ったのだ。
狼がいないか確かめに行くって。ちょうどいい、竜の骨がどんなものか、ついでに見てこよう。わたしも連れていってくれ。邪魔はしないよ」





「で、どうだった」
「子龍、すまぬ、いますぐに出立しよう。荷物はあるな? 馬もすでに用意してある。あとはわれらが動くだけ。さあ、行くぞ」
「待て、なにがあった。神威将軍が心変わりでもしたのか」
「そうではない、もっと深刻だぞ。狼に石を盗まれた」
「は?」
「ええい、説明している時間が惜しい。いかんな、いまのわたしはだいぶ度を失っているようだから、おかしなことを口にしてもかまわないでくれ。
あなたの怪我はだいぶひどいようだから、このままここに残ってくれていい。わたしだけであいつを追う」
「あいつ? 狼か」
「うん、狼だ」
「あのな、まずはそこに落ち着いてすわれ。ほら、ここに飲みかけだが俺の水がある。それを飲んで、もういちど言ってくれ。狼が」
「ぬるいな」
「贅沢を言うな」
「でも落ち着いた、ありがとう。とはいえ、あまりゆっくりもしておられぬ。
ずばり言うと、こうだ。竜の骨を見に行ったらば、狼がどうやら待ち伏せをしていたらしいのだな。突如として闇から姿をあらわし、わたしの懐に隠していた石の袋を、じつに器用にその長い鼻面で探りあてると、そのままそれを加えて逃げて行ったというわけだ」
「狼が」
「うん、狼が」
「あんたは怪我ひとつせず、石だけを取られた」
「うん」
「たわけ」
「たわけ?」
「そんな狼がいるか。あんたを食うつもりでもなく、ただ石だけを取るためにあらわれて、器用に怪我もさせずに去って行ったなどとありえぬ」
「石が目的の狼だったのかもしれぬ」
「狼が石をどうする。あんた、ほんとうに頭に血が上ると駄目だな。ついでに竜骨も飲んでおくか?」
「それはやめておく。でも、たしかにそうだな。うん、おかしい。野生に反している。狼がなんだって石だけを盗んでいったのだろう」
「可能性はふたつ。狼を手なつけている人間がおり、石を取るために狼を寄越した可能性だ。狼も小さな頃からしつければ、犬といっしょで、人間の言うことを聞くそうだ。もちろん、かなりの技術が必要となるらしいが。
で、もうひとつの可能性は」
「可能性は?」
「石が好きな狼だった。ありえんな」
「自分で言って自分で否定しないでくれ。
しかし、ありえないともいえないのではないか。もともとわけのわからぬ石ゆえ、狼さえも魅入らせる力があるのかもしれぬ」
「狼の足ならば、もうだいぶ遠くに行っただろうな。これを追うのは至難の業だが、行かねばなるまい」
「やはりあなたは休んでいたほうがいいのではないかな」
「薬のおかげで熱も下がったし問題なかろう。石の加護のなくなったあんた一人で狼を追えるとも思えぬし。さあ、行こう」

つづく……

ブログ村&ブログランキングに投票してくださったみなさま、どうもありがとうございました!
これからもがんばりまーす!(^^)!

実験小説 塔 その36

2019年03月02日 10時37分39秒 | 実験小説 塔
「霊魂は千里を駆けることができるという。ならば、おまえの首を刎ねて、おまえの主人にすぐに会えるようにしてやろう」
「痛いのはお断り」
「ぶざまな抵抗はよせ。まわりを見ろ、みな俺の部下だ。外にいるおまえの連れも、俺の部下が捕らえているはずだ」
「どうかな。逆にのされているのではないか」
「俺たちに策略が使えないなどと思うなよ」
「なにをした」
「知りたければ、まずは石がまだ手元にあるかどうかを見せろ」
「見せるだけなら、かまわぬよ、ただし触れるな。触れるような素振りを見せたら、こちらは石を使うまでだ」
「なんだと?」
「石の力が伝説などではなく、たしかに有用であることは、目のまえで見ただろう。おまえのやり口を見るに、石を渡せば、ろくでもないことに使うに決まっている。となれば、わたしはこれを、もともとこの石を最初に掘り出した一族の末裔から預かった身として、渡すわけにはいかん」
「末裔がまだ生きているというのか」
「そうさ。あいにくと、羌族ではない。すでに滅んだ月氏の王族の末裔であったよ。おまえはこれを羌族のものだと思っていたようだが、さて、どうするね」
「羌族のものではないというのなら、漢族のものでもなかろう」
「めげないやつだな。末裔は、この石をもとの場所に戻すことを望んでいる。わたしに石を使わせるな。もしもおまえが石を奪うというのであれば、わたしはこう願おう。『石を奪うものすべての息の根を止めよ』とな」
「…………………」
「わたしの手には、ありとあらゆる望みをかなえる石が五つ。そしておまえには、とりあえず命令は聞くが、望みをかなえてくれるかはその手腕次第な部下たちが、見たところ2百名かな。どちらが有利だか冷静に考えろ」
「俺に手を引けというのか」
「左様。生か死か。わたしはおまえが太守に抵抗することを止めようとは思わんよ。その手法は気に食わないが、かといって、些事にひとつひとつに首を突っ込んでいたら、たとえ百年生きたとて、時間が足りぬもの」
「些事と申すか!」
「気に食わないかね。しかしこの国のすべてを見わたしたなら気づくはずだ。いまようやく少しずつ平和が戻ってきているなかで、そなたたちの抵抗は、時代の流れに逆行しているのだ。
いまでこそ民は、動乱の記憶が生々しいゆえに、漢族を憎み、おまえを支持しているが、しかし時が経てば気づくはずだ。まわりの土地が平穏を取り戻しつつあるのに、自分たちの土地ばかりがいつまでも平和を享受できないのは、いったいなぜなのかと」
「俺たちに誇りを捨てよというのか!」
「俺たち、ではなく、『俺』だ。まことに母丘太守が苛烈な人物であったなら、民に文字を教えることすらしないであろう。文字を教えるということは、知恵を与えるに等しいことだからだ。
しかしおまえはそれを汲み取らず、漢族であるからと憎しみを向ける一方だ。それでは、憎しみが憎しみを呼び、太守は圧政をするようになるだろう。事実、おまえたちの抵抗があるからこそ、一部の漢族は、おまえたちを迫害するよい理由を得ているのだ。
神威将軍、おまえに尋ねたいのだが、おまえは漢族をほろぼして何をしたいのだ」

「なにをしたいか、だと?」
「そうだ。おまえの漢族に対する憎しみはよくわかった。だが、その憎い漢族を滅ぼす、あるいは征服したとして、おまえはそのあと、どうするのだ」
「王国を作るのだ」
「どこに。都はどうする。体制はどのように整える。他の民族との外交政策はどうする。遊牧民たるおまえたちが、農耕を主とするわれら漢族をどう支配するのか、その方針もちゃんと練れているのだろうな。
たとえ、石をつかって天下を手にいれたとしても、そのあとのことがおざなりならば、その天下はさほどもつまい。おのれの民族のみを愛し、漢族を差別するおまえのその態度が、民の心をつかめるとも思えない。おまえを討つべく、各地で暴動が多発するであろう」
「ならば、石にこう願う。『天下の人々が、すべて俺に従うように』と」
「では、人心がおさまったとして、さあ、おまえの手に入れた広大な大地は、何十年とおよぶ戦乱のために荒れ放題に荒れているぞ。これをどう元に戻すつもりだ」
「有能な官吏を側近にそろえて決めさせる」
「有能な官吏とやらが揃わなかったらどうだ。それに、政治に明るいものとなれば、当然、そのほとんどが漢族であろうよ」
「石に願う。『絶対に裏切らない有能な官吏を俺に与えよ』と」
「さて、三つの石をおまえはすでに使ってしまった。残りは二つだ。よく考えろ。おまえには、天下と、有能な官吏と、従順な民、この三つが手に入った。有能な官吏たちが政策を決めて、おまえに忠誠をささげる民が、それに従う。すばらしい国になるであろうな。おまえは何もせずに、ただそれを眺めているだけでよい。そう、見ているだけだ。実際は漢族によって運営されている漢族の国の、お飾りの皇帝としてだ。贅沢はし放題、どんな願いもお望みのままだ。楽しかろうな」
「ならば、石を使うことは、よいことではないか。俺ばかりではない、天下を安んじることすらできるのだから」
「おまえが死んだら?」
「む?」
「石はおまえの願いを聞いて、おまえのいうとおりのものを与えた。だが、おまえが死んだら、願いは消える。当然のことながら、民は目が覚めたようになるであろうし、有能な官吏であればあるほど、大きな権力を実際に手に入れているのは自分だと思えば、お飾りの皇帝なんぞないがしろにして、おのれの好きなように振る舞うであろう。
天下はふたたび乱れるぞ。おまえの子孫がたとえ帝位を継いだとしても、もはや再興はむずかしかろう。そもそも、おまえの力で築いたものは、なにひとつない。ないものをどう受け継げというのだ。すべて石の力なのだからな」
「ならば、こう願えばよかろう。『俺を不死にせよ』と」
「四つ目を使ったな。しかし、生きてどうする。おまえ自身にはなんら力がないのに、ただ石の力を長引かせるために、永遠に生きるわけか。血族も、みな先に死んでしまい、おまえはそのたびに苦しむことになるだろうな」
「それでは、『俺の血族すべてを不死にせよ』という」
「五つ目だ。もうないぞ。ではおまえも多少は寂しくなくなったわけだが、今度はおまえたちの血族のあいだで、争いが起こる可能性もある。なにせ皇帝とその血族なのであるから、思うままの生活ができるわけだ。その利害が衝突して戦いになるときも、長い時間のなかではあるだろうな。
いまとて、おまえも長を名乗るのであれば、仲間うちのいざこざが日常茶飯事なのはわかっているだろう。その争いがひどくなったら、おまえはどうする」
「どうもこうも、争いを止める。どちらか非のあるほうを処罰する」
「どうやって。慢心して、おまえの言うことをまるで聞かなくなっているかもしれない」
「仕方がない、そのときは命を奪う」
「奪えるはずがなかろう。不死であるのに」
「…………………………………」
「石は願いに対しての反動をかならず求める。しかし、もし反動がなかったとしても、いまのおまえでは同じことだ」

「貴様」
「剣を抜き、わたしを斬ったところで、なにも変わるまい。もし剣を抜いた時点で、わたしは石を使うぞ」
「それより先に斬る」
「どちらが早いか、賭けだな。どちらにしろわたしの言うとおりになるであろうがな。天下を変えることができるほどの英傑というのは、かならずといっていいほど、なにをしたらよいのか、わかっている者たちばかりだ。
わかっていないおまえは、たとえ石の力を利用したとしても、やることなすことが行き当たりばったりなので、行き詰まってしまうのさ」
「最初の願いを変えればよかろう。『永遠につづく羌族の王国をつくれ』とすればいいのだ」
「それはいい願いであるが、王はだれだ」
「俺が」
「で、国の体制はどうする」
「有能な官吏を…………」
「どうどうめぐりだ。おまえがまことに同族を安寧に導きたいと願うのであれば、石をどう使うではない。おまえ自身がどうするか、なのだ。このまま憎しみばかりにとらわれて、目についた漢族を、ただ漢だという理由で、片っ端から始末していくか? 
魏は大きいぞ。おまえの動きが目に余るようであれば、大軍を差し向けてくるであろう。馬孟起が興した軍がそうであったように、おまえの軍も敗走する」
「決め付けるな!」
「戦略のないものに勝利はない。魏は老獪だぞ。いいことを教えてやろう。魏は馬孟起を敗走させることに成功し、国の半分はほぼ手中におさめた。のこりは蜀と呉であるが、これはそれぞれに攻めるのがむずかしく、兵を動かすためにはそれなりの国力を蓄えねばならぬ。
それゆえ、魏はここ数年、おおがかりな戦を起こしていない。じっと力を貯めているのだ。
そこへ、おまえが軍を起こす。わたしが曹操であれば、今度こそ叛乱が起こらぬように、大軍を差し向けるぞ。一度ならず二度までもということで、今度はまったく容赦のない戦となるだろう。多くの民が犠牲となる。おまえを恨みに思うものも増えるだろう。たとえばなんとかおまえは助かったとしても、この土地につぎにやってくるのは、占領と圧政だ」
「勝つかもしれぬ。われらの勇猛さは、漢族の比ではない」
「力だけでは勝てぬということは、すでに証明されているだろう。馬孟起でさえ敗れたのだ。あの男の羌族のなかでの人望の高さは、わたしよりおまえのほうがわかっているはずだ」
「俺が、神威将軍より劣るというのか」
「それも、わかっているはずだ」
「……………………………」

「気の毒だから、ひとつだけ付け加えさせてもらう。いま最良なのは、母丘太守がせっかく示している宥和策に乗っておくことだ。
そなたたちの部族のなかで、文字を知る者を増やし、われら漢族が脅威に思うほどに勇猛で学識の高い子弟を育てればよい。時間がかかるが、やがてはその者たちのなかから、おまえの望むとおりの天下を得ることが出来る者があらわれるかもしれない。
おまえの生きているうちにそれを見ることはかなわぬであろうが」
「なぜだ」
「漢族のなかに、わたしがいるからだ」
「呆れるほどに不遜なやつだな」
「事実を述べただけなのだが、まあよい。おまえがもし、歴史に名を刻みたいと願っているのなら、あいにくと時期が悪かったな。
だが、絶望なんぞすることはないのだ。武ばかりが歴史を築くのではない。いつか、おまえの血を引く者のなかから天下人が出たときに、振り返って、おのれの栄光を築いてくれた者の名のなかに、おまえの名を見つけることだろう。
おのれの身を屈めて、あえて礎に徹したその奥ゆかしさゆえに、感激されるし、感謝されるであろうな。そういう栄誉も美しいとは思わぬか」
「……………………………」
「そういうわけで、石はあきらめろ。わたしと子龍を解放してくれ」
「そうはいかん」
「なんだ、これほど言葉をつくしたのに、まだ通じぬとは」
「そうではない。おまえの言葉はたしかに届いた。石のことはあきらめよう」
「素直でよろしい。まだ問題が」
「ある。おまえは石を封印するために西の塔へ向かうと言ったが、本当にそうするかどうか、見極めるまでは安心できぬ。
たとえば、おまえでなくても不埒なほかの民族がそれを手に入れて、俺たちを滅ぼせと願わない可能性もないではないか」
「さて、これは憶測なので申し訳ないが、以前に、そういう願いをかけた者もいたのではないかな」
「なんだと?」
「その対象が漢だったか羌だったかはわからぬが、しかし、みじかい期間に全滅した民族なんてものをわれわれは知っているかね。
おそらく、石の力にも限度があるのではないかな。多くの人命にかかわる願いはかなえることができないのかもしれない。
最初にこれを使った王は、漢に攻め入ったわけだが、最初に『漢を滅ぼせ』と願ったはずだ。そのほうがてっとりばやい。
しかし、実際には漢は滅びずに、そのあとにふつうに戦になっているということは、願いは叶えられなかったと見てよかろう。とはいえ、憶測だがね」
「その石は、いったい、なんなのだ?」
「わからん。崖から掘り出されたものだというのはわかっているのだが」
「そこの崖から掘り出された竜の骨のようなものだろうか」
「ほんとうに竜の骨があるのか? と、いかん、いらざる好奇心に動かされている場合ではない。子龍はどこだ」

つづく……

実験小説 塔 その35

2019年02月27日 10時32分54秒 | 実験小説 塔


「よい天気だな。それにご覧よ、あの雪をいただいた山の嶺の美しさといったらないな。あの雄大さは、蜀の靄にけぶったなかにある山の風景とは趣がちがい、清清しさがあるではないか。
ほら、鷹だよ。なんと心地よくすいすいと飛ぶものであろうか。わたしに詩才があったなら、いま見ている光景をうまく詩にしてみせるのに」
「それだけあれやこれやと気が付いて、それぞれに褒めちぎることができるのだから、才能はあるのではないか」
「大甘な評価をどうもありがとう。しかし詩人であったなら、それぞれを表現するのに的確な言葉が、ぱっと出てくるのだろう。わたしの言葉は、どうも陳腐でいけない」
「わかりやすいだろう。あんたは軍師なのだから、詩人のようにしゃべる必要はないさ」
「あなたという人は、天性の育て名人だな。しかも誉めて伸ばすのが実にうまい。だからこそ、わたしはここまでやってこられたのだが。
ところでね、子龍、昨日、野宿をした際に、夜中に狼の声が聞こえてこなかったかな」
「狼ではなかろう。人里に近すぎる。あれはきっと、どこぞで飼われている番犬が鳴いていたのだ。狼ではない」
「そうか。あの鳴き声にふと目がさめて、そのあと、妙に寝付けなかった。あなたはずいぶんぐっすり眠っていたな」
「おいおい、寝ていなかったなどと不安なことを言ってくれるな。体調はだいじょうぶなのであろうな」
「悪くはない。日が高くなってきて、居眠りをはじめたら起こしてくれ」
「たわけ。馬上で居眠りなんぞするな。あんたはとろいから、きっと居眠りしたとたんに馬から転げ落ちる」
「そんなことはない。馬の上では、やはり緊張するから、落ちたりはしないよ」
「いいや、あんたみたいな自信家こそがあぶない。居眠りしても、落ちる前に目が覚めるだろう、などと考えているから、思い切りぐうぐうと寝てしまい、馬から転げ落ち、首を骨折。あわれ、あの世行き」
「嫌なことを言う。よろしい。寝なければよいのだろう」
「岩壁から太守の城まで、往復するのに四日。期限まで十分だ。それより、無理をしないほうがいいだろう。日が高くなって眠くなったら、素直にどこかで休めばよいさ」
「とはいえ、太守がいまこうしているときも苦しんでいると思うと、気が引ける。いまだから告白するが、野宿は嫌いだよ。狼や虎が怖いのではなくて、人間が怖くなる。人里知れぬ山奥での野宿ならばともかく、人里から近いところでの野宿は、だれかが明かりを目指してやってくるのではないかと思えて、おそろしい。野盗がきたらどうしようとか、つまらない想像をしてしまう」
「たしかにそれはあるな。狼や虎よりも、人間のほうがはるかに性質が悪い」
「でも、あなたが一緒だからな。人間だろうと、本当なら怖くないのだけれど、やはり疲れているのかな。けれど、早く薬を取りにいかねばなるまい。石を使わなくても助けられるのであれば、全力で薬を手に入れるさ」





「なんだ、かまえていたよりも、ずいぶんあっさりと受け取れたものだな。ふっかけられるかなとも思ったのだが」
「ほかにも竜骨を買い求めてあつまっている者たちがいるようだよ。さっき並んでいるときに、隣り合わせになった者に話を聞いたのだが、ここの薬は、効き目がよいうえに、都で買うよりも安価なのだそうだ。その男は、ここの竜骨でなければどうしてもという、主人のたっての依頼で、遠路はるばるやってきたらしい」
「万が一のために買っておくのもよいかもな」
「おや、それならば、わたしのほうでいくらか融資しよう。もういちど並んでくるから待っていてくれ。遠慮をするな。ではな。

まだ昼だというのに、犬? いや、狼のような声だな。

ああ、やはり狼の声に聞こえますか。ところでお手前はどちらから? 

左様か、わたしは襄陽ですよ。このあたりは狼が出るのですか。人里には出てくることはない……そうですか、わたしは昨夜、狼の声をこの近くで聞いたのです。気のせいではなかったのだな。

太守がかわったおかげで平和になって、このあたりも今年はだいぶ豊作で山のほうも実りがあったから、餌がほしくて、人里にやってくる狼はいない、と。そういうものですか、どうも狼には疎くて。何度か旅をしたことはありますが、群盗に遭遇したことはあるのですが、狼には襲われたことがないですな。

へえ、意外に臆病なものなのですね。それでは、こちらがうかつな真似をせぬかぎり、襲ってくることは少ない、と。なるほど、下手に人間を害すれば、自分たちが狩られることをわかっているのか。
そういえば、わたしのところに来る報告も、猿が出ただの鹿が出ただのという報告はくるけれど、狼が出て被害があった、というのは滅多にないな。もともと蜀に狼は少ないのだっけ。そのかわり、なんだか変な模様の熊がいるんだった。

ああ、蜀にすこしばかり滞在しておりましてね、いるのですよ、見かけは熊そっくりなのですが、姿はなんともとぼけた、白と黒のおとなしい動物が。体が大きいのでぎょっとしますが、あれも臆病でね。モーという、鉄を食らうというどうぶつです。わたしが影からこっそり見たときは、鉄は食べておりませんでしたね。
そのかわり、器用なもので、前足をつかって笹をもいで、それを行儀の良いことに、きちんと川の水にひたして洗ってから食べるのです。なかなか感心したどうぶつですよ、あれは。地元の者のほうがよくわかっておりまして、大人しいうえに、見かけによらず機敏でなかなか捕まらないし、畑を荒らすことも稀だし、なにせ見ただけで戦意が失せる姿をしておりますから、山の神なんじゃないかな、ということで放っているそうです。

どうでしょうね、それは狼のほうが強いでしょう。ああ、また聞こえた。夜に聞くとぞっとする声ですが、こうして聞くと、雉の声とおなじくらいに寂しげなものですね。仲間とはぐれて人里に迷いこんでしまったのかもしれない。

順番がまわってきましたね。それではごきげんよう。

え? 二回も買ってくれた人には特別な品物をくれるって? ずいぶんと気前がよいではないか。
別室へ行くのか。待った。連れがいるので呼んできてよいだろうか。

と、言ったとたんに背中に感じるこれは、もしかしなくても刃物?」





「わたしの欠点というのは、自分で自分の容姿が好きではないから、公の場に出るのではないかぎり、自分の容姿が人に対してどんなふうに映るかを、あえて考えないところだな。しかも旅をしているということで油断した。失敗した」
「だったら、つぎに生れ変われることがあれば、ごくごく平凡な容姿で生まれてこられるように祈るのだな」
「羌族にも転生思想があるのか、勉強になる。ありがとう、自称・二代目神威将軍どの」
「その強がりも、これきりで聞けなくなるというのはすこし寂しいものだ。ちなみに教えてやるが、羌族とおまえたちはすべてひとくくりにして考えたがるが、部族によって生活習慣や信仰はちがう。おまえたちが石をつかって逃げた村の部族ではひとつの神しか信仰しなかったが、俺の故郷では多くの神を崇めた」
「そうなのか。それほど違うというと、なにか歴史的に深刻な背景を想像してしまう。もともとまったく別の部族同士が、戦などでむりやり統一されたということだろうか」
「そんなところだろう。俺もそこまで詳しくは知らん。祖先神アパペゴの語る伝説を聞けば、俺たちの祖先が、じつに多くの敵と戦ったことがわかる。敵のすべてが地上から滅んだわけではあるまい。みな、すこしづつわれらの中に組みいられて行ったのだ」
「そうだろうな。イ族もたしかそんなことを言っていた。この広い大地には、かつてさまざまな民族があったが、つよい力をもつ部族が、ほかの部族を吸収して大きくなっていったのだとな。わたしの祖先とて、いつの時期にか漢族に吸収された、部族のひとつであったようだ。というより、神代よりその血統を純粋なままに守っている部族、あるいは家などというものがあるのか、疑問だ」
「ならば、その疑問に俺が答えてやろう。俺の家は、太古よりその血を汚すことなく守り続けてきた。祖先はムチェジュによって創られた、選ばれたる者なのだ」
「それはびっくりだ」
「おまえたち漢族が羌とひとくくりにして呼ぶわれらとて、文字を持たないというだけで、多くの歴史を持っているということだ。文字を尊ぶおまえたちは、俺たちがよほど野蛮に見えるのだろう。母丘太守とやらは、俺たちのためと言いながら、むりやり、おまえたちの文化を押しつけてくる。このまま黙って従っておれば、俺たちは誇りをうしなう。だから戦うのだ」
「戦うにしても、卑怯ではないか。客を装って太守の城に入り込んだ、そこまではまあ、戦略としてはよかろう。しかし、襲うにあたり、その身の動きをにぶらせるために、あらかじめ毒を盛っておいたなど、いささか用意周到にすぎる」
「汚いというか。どちらが汚いのだ! 平和をもたらすためという名目で、俺たちを手なづけようとするからだ!」
「しかし、太守はおまえたちの宗教そのものを禁止したり、羌族の衣服を禁止したりするような真似はしていないのだろう。文字というものは、文化交流の最たるものだ。文字がわからねば、意思疎通もむずかしい。
もしわたしがおまえの軍師であったなら、こうして語ることばだけではなく、読み書きもおぼえるように、おまえに進言するのだがな。彼を知り、己を知れば、百戦危うからず、だぞ」
「御託はいい。石を出せ」
「あんまり人のいうことに耳を貸さないと、あとで痛い目にあうぞ。せっかくいいことを言ったのに。
いや、うちの主公が聞きすぎる人なのかな。なんだか懐かしくなってきた」

つづく……

実験小説 塔 その34

2019年02月23日 09時34分48秒 | 実験小説 塔


「というわけで、貴殿も、おなじ字ならば、すこしは見習うがよいぞ」
「……………………………」
「……………………………」
「いま聞いた、完全無欠の天才はだれだ」
「少なくとも、わたしではないな」
「貴殿のわけがなかろう。ふーう、よい汗をかいたぞ。わたしほどの才がある男ではないが、しかし諸葛孔明のことを語りだしたらとまらぬのう。わたしは魏における『諸葛孔明を観察して、ひそひそ話し合う会』の支部長をしているのだ」
「支部長! 本部は?」
「うん? 『諸葛孔明を観察して、ひそひそ話し合う会』の入会希望者か?」
「なぜ、ひそひそ……堂々と語れ」
「堂々と語ったら、ただの評議になってしまおう。ひそひそ、というところに、なんといおうか、微妙なわれらの心が籠められているのだよ。ちなみにひそひそする内容に、ちょっとでも批評めいた言葉や悪口を混ぜてはいかん。本部長のさだめた細かい罰則があってだな、違反したら、諸葛孔明が「困るなあ」という顔になる、なにか謀を仕掛けねばならぬのだ。
これは矛盾しているようであるが、そも、この『諸葛孔明を観察して、ひそひそ話し合う会』の前進は『諸葛孔明が困っているところを観察して、ひそひそ話し合う会』であったがためのことなのである」
「嫌な予感がする。本部長というのはだれだ」
「聞いておどろけ。軍師将軍とともに成都で曹掾の地位についておられる劉子初(劉巴)どのである」
「やっぱり……」
「む、知り合いか? そうか、貴殿らは蜀の人間ゆえ、われらより軍師将軍や劉曹掾になじみがあろう。うらやましいのう」
「あこがれの眼差しで見ないでくれ」
「ちなみに、いま入会すると、先着5名様に、劉曹掾が自ら収集した『諸葛孔明書き損じこれくしょん』のなかから、お好きなものを贈呈する。早い者勝ち。
ちなみに会費は無料。月に一度、各支部より『諸葛孔明月報』が届く。その月の諸葛孔明の活動予定や、先月の活動の結果、現在の人間関係、好きなもの、嫌いなもの、うれしかったこと、かなしかったこと、いつになっても忘れないあんなこと、こんなことが詳細にわたり紹介された充実の内容なのだ」
「ほう」
「あ、なんだろう、その目のかがやき! 子龍、入ろうとしているのか? そうなのか?」
「仲間って、いいよ?」
「勧誘するな! おのれ、劉子初……なーんかやっていると思ったら、そんな大々的な全国組織を作っていたのか。おそるべし!」
「ただ観察されて、ひそひそされるだけだろう。害はあるまい」
「その『ひそひそ』が嫌なのだ! ちょっと待て。ほかに会員は?」
「個人情報なのでお教えできません」
「……………」



「ゴホン、はげしく話が逸れたが、というわけで、だ。解毒の薬の在り処を教えてやるゆえ、わたしのことは黙っていてくれぬか、お願い!」
「お願いされた……どうする」
「黙っていてくれたら、わがこれんくしょんの中から、諸葛孔明の少年時代の手習いを、涙をのんで進呈しようぞ! 持っていけ、どろぼー!」
「いらん! というか、なんだってそんなものが流出しているのだ」
「聞くところによれば、劉子初が荊州に滞在していたおり、諸葛孔明の姉を言葉たくみに誘導し、少年時代の手習い集を収集したようとしたらしい。
しかし、そこはさすが血縁、劉子初の様相に、なにやらただならぬものを感じた諸葛孔明の姉は、手習い集を劉子初に渡すことをやめた。それゆえ、収集家のなかでは、その存在は知られているけれど、門外不出の幻の逸品となっていたのだ」
「ただの子どもの文字の練習帳であろう」
「そこはそれ、素人ゆえの思い違い。諸葛孔明の少年時代から、いまの姿を想像し、ひそひそするのも、収集家の醍醐味!」
「ひそひそするな!」
「ふん、この高尚な趣味がわからぬとは、愚凡め」
「ちっともわからぬ。わたしは凡人の感性しか持ち合わせていないのだ」
「ま、というわけで手習い集であるが、荊州をわが主公が征服した際に、とある豪族の家に遊びにいったある男が、たまたま、使い古しの紙で文字を練習しようとしている子どもを見つけた。
見ればおどろけ。それは諸葛孔明の姉が「こんなボロ紙でよかったら」と、ただで譲った、幻の逸品『諸葛孔明の手習い集』であったのだ! 紙は高級品ゆえ、ちょっとでも隙間があれば、文字の手習いに使おう、というわけだな。
そうして、その男は、もう、なんでもしますと頭を下げて、その手習い集を手中におさめた。それをわたしが一部、これまた、なんでもしますと頭をさげて、手に入れたわけだな」
「ただの手習いに……ばか?」
「ばかは禁止。ばかは言ってはならぬ。というわけで、苦労して手に入れた収集物を手放してもよい」
「いらんわ。どうする、子龍」
「おかしなやつではあるが、悪い条件ではない」
「手習い集を手に入れる条件かが。利に聡いやつよ、野武士!」
「野武士と呼ばわるからにはそのこれくしょんとやら、当然、一枚だけではないだろうな?」
「なんの交渉をしておるのだ! まったく、おい、シバチュー」
「名前まで知られているとは」
「いいから聞け。そなたの言葉以上に、なにか思惑があるふうでもないし。解毒の薬がどのようなものかはわからぬが、それがうまく太守の命を救ったら、僧侶たちも救われ、そなたの名が傷つくこともないというわけだ」
「信用するのか。悪気はなさそうだが、なんとも不安定な男だ。居丈高に威張ってみたり、急に低姿勢になってみたり。あとになって、やっぱり俺たちを信用できないといって、兵を差し向けてくるようなことはないだろうか」
「それほど、大胆に動けるならば、一人であらわれたりしないだろう。物陰に人の隠れている気配はあるか」
「ないな」
「不安定なのも、普段の生活が息苦しいものゆえであろうよ。というわけでシバチュー」
「なんだ」
「そなたの話に乗るまえに、確かめたいことがある。解毒の薬がある場所は、ここからどれくらいかかるのだ」
「そうさな。二日もかからぬであろう。貴殿らよそ者は知らぬであろうが、この近在の人間ならば、だれでも知っている岩壁がそれだ」

「おまえとてよそ者であろうが。なぜ知っている」
「なぜもなにも、解毒の薬をわたしも直接、その場で買ったからだ。男には、外に出ると七人の敵がいるものよ」
「子龍、この男の妻は、毒も盛るそうだよ」
「どんな女だ」
「そこ! ひそひそしない! 話が毒の話だけに、砒素砒素?」
「……………………………」
「……………………………」
「えーと、うん、あー、えー、つまりだな、えへん」
「痛々しい展開になるから、ダジャレは禁止と決めよう」
「くう、やめよ、そのあわれみのまなざし!」
「話がさっぱり前に進まぬ。で、解毒の薬の効用は、どれほどのものなのだ」
「素晴らしいものだということは、都にまで聞こえている。これで効かねば、ほかになにをしても意味がなかろうというほどの代物だ。薬は主に『竜骨』から出来ているのだが」
「竜骨か」
「なんだ、それは」
「ああ、あなたは知らぬか。文字通り、竜の骨からとった薬といわれているが、実際は、鹿や猪など、地中に埋もれた古い動物の骨からとったものだ。万能の薬というわけではないが、心臓、肝臓、腎臓の病によいと効く」
「ふふん、それは通常の竜骨の場合であろう。その岩壁で採れる竜骨は、よそとは一味ちがうぞ。なにせ本物の龍の骨から取っているという噂があるほどなのだ」
「ほんものの龍? まさか」
「と、思うであろう。しかし、この薬を見れば、その認識も変わる。見よ!」
「これは、まるで雪のような白さだ。竜骨は、白ければ白いものがよいとされている。そのうえ、舐めて粘り気がある物が最高なのだとか。ちょっと失礼。ぺろり」
「あっ! わたしの貴重な命綱! 貴様、いったいこの竜骨、いくらしたと思っておるのだ!」
「わからぬ」
「ええい、砂金を一斤(約222g)で、この量だ!」
「高い! う。衝撃のあまり飲んでしまった。たしかな粘り気。これはその高値も納得の高級品だぞ」
「あんた、金持ちだな」
「ふん、たしかに金はあるが、出納を握っておるのは奥ぞ。そのために、こつこつとへそくりを貯めて買ったのだ。まさに血と汗と涙の結晶。しかし、これがなければ明日をも知れぬ身なのだから仕方あるまい」
「斯様によきところのない妻ならば、離縁してしまえばよいものを」
「そのように簡単にいくか! もしも離縁なんぞ切り出してみるがいい、手塩をかけて育てた愛息が奪われてしまう! 奥は巧妙なのだ。子どもたちをおやつでうまく手なづけおってからに。いつか挽回してみせる!」
「がんばれ……子龍、どうした、渋い顔をして」
「いや、それほどの高級品をどうやって買うのだ」
「買えるさ。ほら」
「……あっさりと砂金を出したな。こんなに持っていたのか」
「万が一のための保険だよ」
「問題はなくなったな。さて、それではさっそく、その岩壁に向かうか。感謝する、匿名希望どの。貴殿との約束はきっと守ろうぞ」
「当然である。これほどの貴重な情報を与えたのだから、てきぱきと取りにゆけ! 太守は、たしかにわたしと比較したならば、それこそ月とすっぽん、じつに凡庸ではあるが、戦乱に翻弄され、片時も息のつけぬ状態にあったこの地には必要な男だ。
それに、あの太守の息子が、あのように思いつめた顔をして父親に寄り添っているのを見るのは、他人事とはいえ、わたしも人の子の父。たまらぬものがある」
「おや、つまるところ、自分のことにかこつけてはいるが、太守の父子を助けるためにわれらに情報を与えに来たのではないか?」
「べぇっつにー。わたしがそのようなお人よしにみえるとは、貴殿らの目も曇りまくりのようだのう」
「まあ、そういうことにしておくさ。さあて、一刻も争そう。行きで2日というのなら、往復で4日。そのあいだに何事もないわけでもあるまい。急いだほうがいい」
「さすが慎重だな。でもそのとおりだ。重ねて礼を申し上げる、匿名希望どの。貴殿の名誉は、きっと守ろう」
「礼には及ばぬ。ま、適当に気をつけていけ。しかし急げよ!」





「めちゃくちゃな男であったが、そう悪い男ではなかったようだな。見ろ、まだ見送っている」
「あ、手を振っておる。しかたない、礼儀で振りかえそう」
「ずいぶんと己の出自に誇りがあるようであったな。あんたは、あまり気に入らなかったようだが」
「いや、わたしは自分で言うのもなんだが、初対面の人間に対して、好悪で切り分けてしまう愚をしない性質なのだがな、なぜかあの男に関しては、うまくいえないが、『ムッとくる』のだよ」
「昔の知り合いというわけではないよな。向こうはずいぶんとあんたを好いていたようだったのに、世の中うまくいかないな」
「笑い事ではないよ。シバチューとか言ったかな。あやつの気に入っている諸葛孔明というのは、まるで漉した水のように穢れのない人物ではないか。聞いていて、ぞっとしたよ。すくなからず、一部においては、わたしはなぜだか生ける聖人君子のようにされているわけだ。
わかった、だからこそ逆に反発も強いのだな。人間というのは、天邪鬼な性質をもっている面もあるからね、完璧なものなんてあったら、それを壊してやろうとあれやこれやと今度は欠点を探し始めるのさ。迷惑なことだよ。
成都に帰ったなら、劉子初とは、膝をつめて話さねばならぬようだ。また重荷が増えたようだな。ああ、肩が凝ってきた」
「揉んでやろうか」
「けっこう! 岩壁にある龍の骨から取れる『竜骨』か。子龍、竜を見たことがあるか」
「霊獣の龍をか? まさか」
「わたしもないが、本物の『竜骨』があるという噂を聞いたことがある。いや、この場合は本物の、という言葉がおかしいかな。そもそも、本来の竜骨は、そのものずばり、竜の骨から摂っていたものらしい」
「霊獣は不老長寿ではないのか」
「そこが矛盾しているだろう。だからその噂を聞いたときも、どこかのあくどい商人が、本物がある、と流しているのだと決めてつけていた」
「あの男は商人でもないし、太守の側の人間であるから、闇雲に嘘はつくまいよ」
「ムッとくる男ではあったが、そこは認める。となると、これから向かう岩壁には、竜の骨があるということだ。すこしばかり、わくわくしてきたな。不謹慎だろうか。薬が効いて太守が治れば、ニキたちも助かるわけであるし」
「そこがあんたの能天気というか、本質なのだな。ただし、ひとつ言うが」
「なんであろう」
「シバチューとかいう男、商人か、あるいは岩壁を管理している者と取引をしただけで、本物の竜の骨を見ていないのだろう。
可能性としては二つ。そもそも、本物ではない。もうひとつ、本物か、それに近い物であるため、よそ者にはなかなか見せたくない。どちらにしろ、見ようとすることが危険を呼ぶかもしれぬ。あまりわがままを言ってくれるな」
「なんだか子龍、もとの子龍に戻りつつあるな」

つづく……

実験小説 塔 その33

2019年02月20日 09時58分17秒 | 実験小説 塔


「呼吸器がだいぶやられているな。声も出せぬほどに弱っているようだ。顔も短時間であんなに浮腫んでしまっている。熱もあるようだな」
「孔明、こう言ってはなんだが、太守の顔に死相が出ている。どのような薬を持ってきたところで、もつまい」
「肉を切らせて骨を断つ」
「は? なんだ、それは」
「この場合、言葉がうまく当てはまるかどうかわからぬが、ニキは、それくらいの覚悟でいるのだろう。このままわれらが捕らわれの身のままであれば、いずれは身元が割れて、曹操の元に送られる可能性もある。いや、それを回避するために、わたしが石をつかうかもしれない。
ニキは、一族の因縁を断つためにも、わたしをなんとしても塔に行かせようと考えているのだ。自分が人質になると申し出て、わたしたちを塔に向かわせる。わたしたちが戻ってこないことも覚悟して、だ」
「石は、反動をもたらすだけではなく、存在するだけで不幸なのだな」
「それはそれで、石もあわれな。この世のほかに、存在しているだけで不幸しかもたらさない物など、そうそうあるまい。やはり、これはこの世に存在してはならぬものなのだよ」
「おまえたちが、薬を取りに行く者たちか。目がかすんで、姿がよく見えぬ。名乗れ」
「名は、知らぬほうがよろしかろう」
「おい、このあいだ決めた偽名を名乗ればいいだろう。衛兵が殺気立ってきた」
「こそこそするのは、もともと性分ではないのだ。とはいえ、ここで本名を名乗って、事態をややこしくしたくもない。
そういうわけで、わたしは匿名希望ということにしてはくれぬか母丘太守」
「何者だ」
「われらは、貴殿の命を助けるために塔へ向かう者。それでよかろう。それに、貴殿は、ここにいるわたしの連れに恩義があるはずだぞ。屋敷にいた叛徒のほとんどを制したのは、わたしの連れだ」
「たしかに、それはちがいない」
「見るに、貴殿は義心のある男のようだ。そこを見込んで話がしたい。われらはこれより、ここにいる僧侶の指示通り、貴殿のために薬をとってくる。
ただし、われらが戻ってくるまでのあいだ、この僧侶たちを決して粗略に扱わないことを約束してくれぬか」
「それは、おまえたちが戻るか戻らぬかによる」
「かならず戻る。誓書をしたためよう」
「紙切れひとつで信じろというのか」
「そうだ。この誓書は、わたしのこの錦の袋にいれておく。わたしの名もここに綴っておく。しかし、この袋を開くのは、わたしたちが、そうさな」
「十日。十日ヨ」
「うむ、われらが十日で戻ってこない場合にのみ開くこと。貴殿はこの紙によってわたしの名と、この僧侶のふたつを人質にとることができる。どうだ」
「姿が見えぬのが惜しいが、名だけでも質にできると豪語するおまえは、相当に名の知れた男のようだな」
「地域限定かもしれぬが、魏公は喜ぶであろうよ。悪い取引ではあるまい」
「承知した。十日だ。十日のあいだに、薬を持ってくるのだ。しかし、十日を過ぎたなら、僧侶の命も、おまえの命もないものと知るがよい」



「危険な賭けに出たものだな。太守のあの顔色は尋常ではなかった。あれは死相だ。死に掛かっているものを救い出せる薬など、いったいこの世のどこにある。いっそ、石を使えばよかろう。そうすれば、あるいは」
「あるいは、あの太守は救われるであろうが、しかし、石はわたしの手から離れ、そしてまた不幸を呼ぶであろう。それでは意味がないのだ」
「あんたは律儀にすぎる………どうした、顔色がわるい」
「すこし思い出したのだよ。ずっとわたしたちを、無言のまま睨みつけるように見送っていたのは、あの男の息子だろうね。怒りをどこにぶつけたらよいのかわからないという顔をしていた。泣くこともできず、怒りをぶつけることもできない。すでに父を害したものは死んでいるのだし、薬を取りにいくこともできない。つらいだろうな」
「太守の息子と同じ経験をしたことがあるのか」
「あまり思い出したくない」
「そうか、すまない」
「あなたが謝ることではないよ。いけないな、感傷的になってしまって。さあて、それでは、塔を目指そう。ここに、ニキが描いてくれた地図がある。ほら、これが、かれらの先祖の隠し村のあった場所だ」
「遠いではないか。片道で十日はかかろう………待て」
「つまり、そういうことだ」
「なにを平然と! いかん、引き返そう」
「引き返してどうする!」
「俺は、自分がせっかく助けた命が、また危機にさらされているというのに、見棄てることはできん性分でな。なにが十日だ。石がなんだという! あんたもあんただ。片道だけの日数を言われて、そこでどうして反対しない!」
「ニキにも、太守の命がもうもたないということは、わかっていたのだ。いいか、死にかけた太守、戻さねばならぬ呪われた石、この二つの問題を同時に解決するのは不可能だ。ニキは、太守と石のどちらかを取らねばならぬというのなら、石を塔に戻すことのほうを選んだのだ」
「なぜだ。十日のうちに戻らねば、自分の命もなくなるし、そうだ、あんたの名前だって、明らかになるわけだろう?」
「それも、もとより覚悟のうえだ」
「待て。あんたの持っている石の、残り三つを俺に貸せ」
「だめだ。まだ願いをかけていない石を使うつもりだろう。ゆるさぬぞ。太守の死は、なんでも願いをかなえるなどという不自然なものによる悲劇ではない。定めなのだ。天の授けた定めならば、これは仕方ないとニキは判断したのだ。無情かもしれぬが、どちらかを選ばなければならないとしたら、あなたはどうする」
「どうもこうも、まだ手段が残されているではないか。論議は無用、石を出せ!」

「お取り込み中、失礼いたします」

「だめだ。どうしても石をというのなら、わたしを斬って手に入れよ!」
「馬鹿なことをいうな。そんなことができるか!

「おーい、お取り込み中、失礼いたしますー」

「ならば、黙ってわれらに従え!」
「それはできぬ!」

「うおい、聞けというに! お取り込み中、失礼いたしますと丁寧に言ってて、無視とはよい度胸ぞ、ええ?」
「む、なんだ、貴様は」
「おや、貴殿はたしか、首がぐるぐる回るへんなやつ」

「首がぐるぐる回る? 人間か?」
「初対面の者に対してなんと無礼な物言いか。これではその卑しい育ちもおのずと明らかになるというもの。
ああ、いやだいやだ、世の中、なぜにかような卑しきやからばかりがはびこるのであろうか。かつてこの世にあったという、堯舜の時代に生まれることができたなら、どんなによかったことであろう」
「む、孔明、この妙に芝居がかった物言いの、なんとも無礼な顔の濃い男、ぼこぼこにしてよいだろうか」
「ふ。そこな武辺者よ。その力に恃み、わたしとやりあうつもりか。身の程しらずな田舎者めが。あえて匿名希望だが、世に聞こえたる名を持つこのわたしを敵にまわしたこと、骨の髄まで後悔するがよい。いくぞ! S拳奥義!」
「えす拳ってなんだ」
「いにしゃるで失礼します、なのだ! そのまえに主題歌! ♪YOUはショーオック! 愛で空が落ちてくーるぅー♪」
「なんだかよくわからぬが、売られた喧嘩は買う。孔明、下がっていろ」
「下がるけれどね、なんというか、すぐに決着がつきそうな」

がごん。

「ほらね」
「何をしに出てきたのだ、こやつは。笑いをとるためか? ううむ、このまま伸びたままにしておくと、あとで追いかけてきそうな気配がある。どうだろう、いっそこのまま埋めてしまうというのは」
「おそろしい提案を真顔でしないように。なぜに追いかけてきたのかはわからぬが、この男は、気の毒な男なのだよ。奥方が恐ろしい女だそうで、家庭内暴力にくわえて、家事を押し付けられるわ、育児は押し付けられるわ、もう大変。そうした家庭での息苦しさを避けるために、視察と称して、たまにこうして、辺境に旅行に来ているのだそうだ」
「さきほどの物言いだと、よほどおのれの出自に自信があるのだな。たしかに、垢抜けた男だ。だが、俺のような武辺者にはなじめぬ」
「まあまあ。そういわずに、埋めるのはやめて、ちょっと話を聞いてみようではないかね。起きられよ、匿名希望殿。なぜにわれらを追ってきた」
「すみませーん、もうしませーん」
「謝罪を受け入れようぞ。理由を」
「心から反省していまーす。だから、玄関を開けてくださーい。さむいですー」
「なにやら悪夢を見ているようだな」
「ああっ、本当にもう、反省しているって言っているのにー、お願いです、子供だけは、子供だけは取らないでぇ! 育てたのはわたしなんです! それはもう、あなただって、よーくわかっているじゃありませんかー! 
師やー! 昭やー! どうして、どうして父上と一緒に暮らすって言ってくれないのだ! 炊事洗濯なんでもしますし、仕事もばりばりこなして高給取りになりますからぁ! ひとりぼっちはいやだよー!」
「切ない悪夢だな………」

「はっ!」

「あ、目を覚ました。だいぶひどくうなされていたようだが、だいじょうぶか、匿名希望どの」
「ええい、触るな。貴殿らは蜀の人間であろう!」
「いまさら隠し立てもおかしいな。いかにも、われらは蜀からやってきた」
「そこだ!」
「どこ? 蜀の場所ならば、ここからはるか南の」
「蜀の位置なんぞ、地図に聞くわ! そうではない。貴殿らが蜀、というところが問題だ。そなたら、このまま蜀に逃げ戻るつもりではあるまいな?」
「いいや、約定は果たすつもりだ」
「ふん、人間の誠意なんぞ、あてにならぬわ。たとえ、最初は太守のために薬を探しても、それが見つからなければあきらめて、自分たちに監視がついていないことを幸い、さっさと蜀に帰るつもりに決まっておる」
「決め付けたものでもなかろう。われらは、人質になっている僧侶のためにも、西へ向かわねばならぬ」
「西か」
「なにを笑う」
「いいや。よろしい、ずばり用件に入ろう。わたしが貴殿らを追いかけてきたのは、宴における、わが不様な姿を、口外しないと約束してほしかったからだ」
「おかしなことを。われらは貴殿の名を知らぬ。われらがもし、『家庭不和から逃れて、視察にかこつけて涼州に遊びにきた男が、緊張がほぐれたためなのかなぜだか女装しながら、首をぐるぐる回しつつ、唄って踊っていた』と言いふらしてもだ、名前がわからねば、広まりようもない」
「ふん、それは凡人の場合であろう。たしかに、わたしはいま貴殿らに名乗っておらぬが、わたしはいまこそ一臥の市隠に等しき身なれど、いずれはこの名を知らぬものは、天下に一人としておらぬというほどの者になるであろう。
そういえば、劉玄徳の軍師将軍は、臥龍などというたいそうな号を持つことで知られているようであるが、あちらはただの看板。わたしこそ、真の臥龍なり」
「ふ、ふ~ん?」
「信じておらぬな。まあ、貴殿ら、見たところ見栄えはともかくとして、いかにも山国育ちの成り上がり者であるような。貴殿らでは、真の富貴に満ち満ちた、このわたしの器は見抜けまい」
「それはすまぬな。で、貴殿が真の臥龍だというのなら、なんだという」
「つまりだ。天下は広しといえど、わたしのように首がぐるぐる回るなどという異相の持ち主はそうそうおらぬ。
貴殿らが『女装して唄って踊る首がぐるぐる回る男』のことを言いふらし、それが世に広まったなら、いつかは世間は気づくであろう。『もしや、巷で噂の女装大好きろくろっ首は、しば……ゴフン、S家の八達のひとりではないかと」
「なに? S家の八達?」
「いやいや! もとい、S家のH達!」
「変な略し方をする。あ、なんであろう、妙にムカムカしてきた。子龍、埋めてしまおう」
「急にどうした」

「埋めるの、待った。しまいまで話を聞くがいい」
「貴殿の話は横道にそれまくる。まっすぐ結論を言え」
「ふん、ならば言おう。つまりだ、貴殿らに妙な噂を立てられると、わたしの将来 に傷が付く。それでは、わたしがあんまり可哀相! わたしは自分が大好きなのだ !」
「そのようだな」
「というわけで、取引と行こうではないか。どうやら、貴殿らは太守の解毒の薬を 採りに行くと安請け合いをしたようであるが、しかし、先ほどの言い争いの様子か らして、向かう先は解毒の薬のある場所ではあるまい。というよりも、解毒の薬が どこにあるのかすら、知らぬのではないか」
「聞こえていたか」
「あれほど大声でぎゃあぎゃあ騒いでいたら、耳を塞いでいても聞こえるわい。ど うやら貴殿らは、あの僧侶と西に行く約束をしているが、それは、なにかを届ける というもので、解毒の薬云々は、まったく関係がない。
僧侶も、自分の命を質にして、その約束をなんとしても果たさせようとしている。
約束を果たすためには、十日で城に帰ってくるというのは不可能。ちがうか」
「あっておる」
「だが、解毒の薬が、案外近くにある、と聞いたらどうだ」
「なんだと?」
「わたしは解毒の薬の在り処を知っている。貴殿らに、それを教えてやってもよい 。ただし、そのかわり、貴殿らの見たわたしの姿のことは、だれにも口外せぬと約束するのだ」
「もとより、われらは人の噂話など好まぬ。第一、ひっそりと暗所にて女装をし て遊んでいたというのならともかく、あのような派手な場において、堂々と騒いで いたのだから、我らに口止めをする必要もないのではないか」
「そこがそれ、田舎者というのだ。わたしの同行者も、太守や城の者も、わが家の権勢をおそれて、噂などしないとわかっておる。いざとなれば公子に 頼んでもみ消しを」
「公子?」
「もとい、子牛!」
「牛に頭を下げるとは面妖なやつよ。首がぐるぐる回ることといい、やはり人間で はないのではないかな、どう思う、孔明」
「ほう、貴殿の名は孔明と申すか。劉玄徳の軍師将軍と同じ字だな」
「え、いや、まあ、そうだな」
「しかし、軍師将軍がわざわざ敵地に自ら足を運ぶような真似はすまい。あの男は 深謀遠慮の士である。迂闊な真似はせぬであろう。聞けば諸葛孔明は、わたしほど ではないにしても、双眸はまさに宝玉のごとく煌き、顔色はつややかにして気品に 満ち溢れ、唇は夕陽のごとく赤く、まさに龍の号にふさわしい容色の持ち主。くわえて立ち居振る舞いたるや慎み深く、言動にも思いやりあふれ、不正を嫌い、公平を尊び、大手柄ばかり追うような浅ましい真似はせず、小なりといえどもおろそか にせず、普段は勤勉で大人しいけれども、ひとたび有事の際には、だれよりも早く 戦場の状況を把握し、諸将を鼓舞し、一介の兵卒にいたるまで思いやるために、だれもがこの者のために戦わんと意気を奮い立たせるという。まさに千年に一度の器と形容するにふさわしい男で、わたしが聞いたところによれば、劉玄徳がわが主公 に追われて新野から逃げ出したときにも、いずれは東呉もこの戦火の脅威にさらされると読みこして、電光石火の速さで呉への使者へと赴き、あれやこれやと知力をつくして呉と劉玄徳の同盟に成功したとか。それにより、残念ながらというべきで あるが、主公の天下一統の野望は、はかなくも費えたのである。まさに絶体絶命の 危機から、みごとに主君を生還させたその手腕たるや見事といわざるを得まい。そのほかにも蜀を攻めるというときに…………ぺらぺらぺらぺら、ぺぺーらぺらぺら ぺらぺーら(一時間つづく)」
「……………………………」
「……………………………」

つづく……

新ブログ村


にほんブログ村