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はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

臥龍的陣 涙の章 その70 動揺

2022年11月28日 10時04分10秒 | 英華伝 臥龍的陣 涙の章
嫌悪と恐怖がぞくりと背筋を凍らせる。
足音をしのばせて部屋を見渡すと、部屋には、ほかにも少年たちの遺体が転がっていた。
なにがあったのか。
死体のひとつひとつは見事なまでの切り口で、少年たちも手だれであっただろうに、ほとんど一撃で急所を狙われているのがわかる。
少年のひとりは、武器を取り出そうとしている姿勢のまま死んでおり、もうひとりは、逃げ惑うところを背中から襲われていた。
戦闘らしい戦闘もなく、ほとんど一方的な殺戮がおこなわれたのだ。

虚空を見つめたまま絶命している少年の目を、ひとつひとつ孔明は閉じてやり、そうして、肩で息を整えた。
今夜ほど、涙があふれる夜はない。
孔明はまたも泣いていた。
少年たちの数は全部で六人。
さきほど劉表の部屋にいた『壷中』のなかで仲間割れがおこり、一方が一方の不意を襲ったのか。

不意に風が動き、孔明は反射的に手にしていた長剣でもって振り向きざま、襲ってきた敵に切りつけた。
同時に、ぎん、とするどい金属の音がして、場違いなほど明るい声が、暗い部屋に響く。
「やっぱりあなたは頭がいい。もう状況に慣れたようですね。それでいいのですよ」
大人びた口調で、|血塗《ちまみ》れの|花安英《かあんえい》は言った。
刃と刃を交えた先の、美しいけものに向けて、孔明はうなる。
「悪ふざけが過ぎるぞ。もし当たっていたら、大変なことになる!」
「当たりゃしません。あなたの腕はたかがしれているし、わたしは本気じゃなかった。
だから怪我をしようがない」
「くりかえすぞ。悪ふざけが過ぎる。周りを見ろ!」

花安英は、孔明に言われて、はじめて部屋の状況がわかったようである。
まず、最初にひとりの死体をみつけて、はっとして剣を引いた。
それから部屋に横たわる六人分の遺体をすべて見て回った。

花安英は言葉を発さなかった。
孔明が廊下のほうを見ると、わずかに開いた隙間から、廊下に打ち倒された兵士たちの死体が見えた。
篝火が夜空を赤く照らしている。
悪夢のような光景だ。

「あいつ」
ようやく、花安英はそれだけ絞りだした。
「あいつ? 『|狗屠《くと》』か?」

孔明の問いに、花安英は答えず、『弟たち』の無残な死体を見下ろしたまま、震えている。
血まみれの刀を持たない手は、蒼白になったおのれの顔を撫でている。
「あいつは、もう駄目だ。『弟たち』にまで手を出すなんて」
「狗屠はだれだ? なにが目的なのだ? かれらはなぜ、殺されねばならなかったのだ?」

花安英は、孔明に背中を向ける形で、沈黙をつづけている。
「花安英、この者たちを始末せよと命じたのは|潘季鵬《はんきほう》か?」
「ちがう。こいつらは、弟たちの中でも、『壷中』の仕事を嫌がっていた連中なんだ。
きっとあんたの言葉を聞いて、襄陽城を出ようとしたのだと思う。だから、殺された。
でも潘季鵬はいま、趙雲のことで頭がいっぱいのはずだ。
こいつらのことまで頭が回るとは思えない」
「では単純に仲間割れか? 『狗屠』というのは、ずいぶんと潘季鵬に忠誠を誓っているのだな」

だが、花安英は首を大きく横に振った。
「忠誠なんて誓っているものか。
あいつは単に、潘季鵬がいいようにやらせてくれるから、一緒に組んでいるだけだ。
でもなぜだ。自分だって、自由になりたいと言っていたのに!」
ふと、花安英は思い当たったことがあったらしく、顔をあげる。
「あいつ、まさか、全部ひとりで始末をつけるつもりでは?」
そのとき、ひときわ大きな怒号が、城門のほうから聞こえてきた。

つづく


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そして、ブログ村およびブログランキングに投票してくださっているみなさまも、感謝です、うれしいです(^^♪
おかげさまで70話まで漕ぎつけました。
涙の章はそろそろおしまい、つぎの太陽の章へつづきます。どうぞお楽しみにー!
このところ忙しくて、なかなか近況報告を書けません、すみません;
余裕ができたら、今日か明日に近況報告書きますね。
更新したら、どうぞ読んでやってくださいませ(#^.^#)

臥龍的陣 涙の章 その69 龍の惑い

2022年11月27日 09時56分08秒 | 英華伝 臥龍的陣 涙の章


刃は風を切って孔明の頬をかすめ、真後ろで、鈍い音を立てて止まった。
くぐもった声がして、振り返ると、白目を剥いた兵士が、咽喉に深々と突き刺さった刃もそのままに、膝から崩れ落ちていた。

「追っ手か」
花安英《かあんえい》は低くつぶやくと、孔明の手を乱暴につかんで、最寄りのあいている部屋に押し込めた。
「しばらくそこに隠れていてください。
わたしが危なくなっても、勘違いして飛び出してこないように。
さきほど貸してさしあげた剣は持っていますね?」
孔明はうなずくと、闇に沈む部屋の一室の壁際に身をよせた。
花安英は不敵に笑って見せると、扉を閉め、廊下に戻っていく。

真っ暗闇の部屋から外をのぞむと、煌々と盛大に燃やされている篝火のおかげで、まるで夕刻に時間が遡《さかのぼ》ったような明るさであった。
雲をかたどった凝った彫像の施された扉に、赤い明かりが映り、そこに、花安英の影が投じられている。

孔明は、花安英の助太刀に出たいと思ったが、冷静に自分をなだめて、大人しくしていることにした。
もし出て行ったとしても、実戦経験のまるでない自分は、花安英の足手まといにしかならないだろう。

わたしは、みなのお荷物になっている。
そう思うだけで、むしゃくしゃするほど腹が立った。
なにもよい策を練れない自分に腹が立つ。

音もなく、扉の表に影が増えた。
兵士たちがやってきたのだろう。

花安英と、『壷中』の子供たちが連合し、襄陽の兵士たちと殺し合いをして、相打ちになるならば、話が早くなると、酷薄で浅慮な声が頭にひびく。
花安英が死ねば、蔡夫人は殺されることはない。
襄陽城の『壷中』のあるじ、つまり劉表は、ほぼ棺桶に足を突っ込んでいる状態だ。
ほどなく自滅するのは時間の問題。
のこるは潘季鵬と隠れ里にいるという『壷中』を始末するだけでよくなる。

だが、すぐさま孔明は、はげしくそれを拒んだ。
始末、だと? 
いまさら、人の生き死にの尊さをかれらに問うつもりはない。
多くの人々に死を贈ってきたかれらこそ、孔明よりもはるかに生命の儚さ、もろさを知っているだろう。
殺さねば殺される。
ひたすらその恐怖で、目の前の『敵』を殺し続けてきた。
そんなかれらを、扱いづらいから、簡単に『悪』だと切り捨てて、見捨てるのか?

だめだ。
それでは、荊州を守るという美名のもとに、子供たちを狩りだして刺客に育てた劉表や、ほかの豪族たちと、どう違うというのだ。
叔父上ならばどうなさったであろう。

孔明は、扉をいちまい隔てただけで、まるで別世界のことのように展開する、影だけの殺戮劇に目を転じた。
趙雲や張飛の戦う姿を見たことがある。
ただ力がつよいとか、身体能力がすぐれている、というだけではない。
もともとの素養に加えて、基礎の訓練がしっかりされている。
だから、臨機応変な戦術を生み出せるのであり、彼らの自信になっているのだ。

花安英もおなじであった。
趙雲の戦う姿は、見ていると息をするのを忘れるほどに、壮絶なまでに美しかったが、花安英もまた、影だけだからこそわかるのだが、舞踊をしているような優雅さをもっている。
これほどの才能を持ちながら、影の仕事しか強制されてこなかったというのが、|不憫《ふびん》でならない。

潘季鵬は、かれらの真の素晴らしさを知らないのだろう。
自分の育てた戦士たちが、どれほどに優秀であるのか、わからないのだ。
だから、かんたんに捨て駒にできるし、殺し合いをさせることも平気なのだ。

叔父上がもし生きていたなら。
そう考えて、手にしていた長剣を見下ろす。
武芸の心得は多少はあるけれど、一度も実戦で剣を振るったことがない。
それは叔父を殺した男の姿がいまでも脳裏に焼きついているからだ。
刃を身体に深く埋め、うずくまり、苦悶する叔父の姿を、忘れることができない。

刺されるのは痛いだろう。
当然だ。
死は恐ろしい。
それも当然だろう。

だが、叔父はそれを黙って受け容れたのだ。
逃げずに真正面から受け止めて、自分たちの未来を守ってくれた。
叔父が果たせなかったことをするために、ここに戻ってきたのではないのか。

孔明は立ち上がるべく、床に手をついた。

とたん、ぬるりとした液体が指を汚す。
無人と思った部屋に、だれかがいるのだ。
ぎょっとして闇に目を凝らすと、自分の座っていた位置からほど近いところで、少年が、口を大きく開いた絶望の表情のまま、息絶えていた。
蜀錦の豪奢な衣裳をまとい、顔にはうっすらと化粧のあとがのこっている。
さきほど、劉表の部屋に並んでいた、少年のひとりであった。

つづく


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ここまでこられたのも、当ブログにて励ましてくださったみなさまの存在があればこそ。
今後も精進してまいりますので、どうぞ当ブログをごひいきに(^^♪
それと、近況報告ですが、今日はバタバタしておりまして…明日か明後日にさせていただきますね。
どうぞご了承くださいまし。

臥龍的陣 涙の章 その68 行動開始

2022年11月26日 10時14分09秒 | 英華伝 臥龍的陣 涙の章


城門からほど近い茂みから、襄陽城内の様子をさぐる。
夜の帳《とばり》に沈む町のひとびとは、まさか城でひと騒動起こっている、などとは夢にも思っていないにちがいない。
まるで昼間のように煌々と灯された篝火が、橙色に夜空を染め上げ、その間を、黒い輪郭を描いて、兵士たちが往来する。
黄忠が判断したとおり、潘季鵬《はんきほう》は趙雲たちが真正面から来るであろうと想定し、兵士を配置したようだ。
かれらのすべてが『壷中』ではないだろう。
だが、趙雲は、いままで対峙してきた敵とは、質の違うなにかを感じ取っていた。

いままでの戦場では、敵とは有象無象の兵士たちのことを指した。
しかし、襄陽城に待ち受けている敵には、ひとつひとつに顔があるような気がしてならない。
それは、自分とおなじ男に訓練を受けた者と見なすからか、それともある種の同情が、趙雲に錯覚を起こさせているのか、それはわからない。
ただ、ふつうに訓練された敵ではないから、てこずるだろう、ということだけは覚悟していた。

「む」
ふと、となりにいる黄忠が声をあげる。
そのきびしい視線の先を見て、趙雲は、はっとなった。
城壁に、四肢をそれぞれ木の柱で繋がれ、そのままボロ布のように晒されている男の遺体があらわれたのだ。
その遺体はちょうど身の丈が八尺くらいであろう。
さらには、孔明が好む長袍を身にまとっている。
いや、まとっていた、というべきか。
いったいどんな目に遭ったのか、それは引き裂かれてかろうじて身体にまとわりついている、というふうである。

まさか。
趙雲が思わず腰を浮かせかけたのを、素早く黄忠が肩をつかんでおさめた。
「待て。いま出てはならぬ」
「しかし、あれは、まさか」

軍師ではないのか。
その最悪の可能性を口にすることはためらわれた。
声がふるえている。

「遠目でわからぬが、孔明さまではなかろう」
黄忠のことばに、趙雲は眉をひそめる。
「なぜわかるのだ」
「可能性の問題じゃ。潘季鵬がおまえを狙っているとしても、いくばくかの理性が残っているのであれば、孔明さまはやはり殺せぬはずじゃ。
くどいくらいにくりかえすが、孔明さまを殺せば、おまえのところの劉玄徳は兵を動かし、襄陽を襲うだろう。
そうなってはかえって曹操の南下を早め、潘季鵬も滅びる。
そうとわかっていて、孔明さまを殺すほどに、やつは愚かではなかろう。
冷静になれ。相手はおまえの気性を知り尽くしている男。
おそらくああすることによって、おまえの頭に血が上って、ばか正直に真正面からやってくるだろうと期待しているのだ」

ぽんぽんと直言が飛び出すが、腹は立たない。
むしろ、だんだん冷静になってきた。

「それにしては稚拙にすぎぬか」
「まったくじゃ。やつの誤算は、この儂がおまえとともにいる、ということかな。
伊達に年は取っておらぬ。ああいう男の考え方なぞ、すぐに読めるわ」
黄忠は得意そうに、真っ白なあごひげをしごいてみせる。

そのあいだ、兵士たちは、遺体を見晴らしの良いように篝火に照らすと、城壁の際に立ち、闇にむかって、罵詈雑言を叫びはじめた。
その内容は、きわめて下劣、かつ卑猥なものであった。
孔明の死に様がどうであったか、死ぬ前にどのような目に遭わせられたか、吐き気がするほど耳障りな言葉を並べ立て、下卑な冗談をからめて闇にわめいているのである。
遺体が孔明ではないだろうとわかっても、趙雲は思わず立ち上がって連中を射すくめてやりたい衝動にかられた。

そうして身体を浮き上がらせると、またも黄忠が肩をつかむ。
「これ、まんまと向こうの思惑に乗るやつがあるか! 
まったく、潘季鵬というのは気味が悪いくらいに、おまえの弱点を知り尽くしているようじゃな」
「名誉の問題だぞ、あいつら、軍師がまるで断袖《だんしゅう》であるかのような」
みなまで言わせず、黄忠はさえぎった。
「ちがうのであろう? ならば放っておけ」
「しかし!」
「殴るぞ、小僧。いま我らがこうしている間にも、もしかしたら孔明さまは殺されていないまでも、拷問にかけられているやもしれぬ」
「あいつらの喚き声のなかに真実が含まれている、とでもいうのか」
「最悪の場合はそうかもしれぬ。だからこそ早くお助けせねばならぬのだ。
わかっておるな? 孔明さまは、おまえのために襄陽城に戻ったのじゃ。
そのことをゆめゆめ忘れるでないぞ」
「忘れるものか」

そうして、いまも悪言を吐き続ける兵士たちを見上げ、睨みつける。
すると、兵士たちの背後に、けして忘れえぬ姿が立っているのが見えた。

潘季鵬だ。
遠目で、細かい風貌などはわからない。
だが、篝火に浮かび上がるその姿は、まぎれもなく、潘季鵬その人であった。

闇に叫ぶ兵士たちに、なにか指示を送っている様子であるのがわかる。
怒りはもちろんこみ上げてくるが、それ以上に、潘季鵬の中に眠る狂気にも似た憎悪に、趙雲は、氷をいきなり肌に押し当てられたような痛みをおぼえた。
いったい、自分がなにをしたというのだ。
もし恨みに思うのであれば、なぜ、直接、前に現われないで、こんな回りくどいことをする?

「これは思わぬ好機かもしれぬ」
黄忠は不敵ににやりと笑って見せた。
それまで賢《さか》しい老爺であったのが、不意に獰猛な戦士の表情に変わる。
その変化に、となりにいた趙雲さえ、ぞくりと背筋が寒くなった。

「ヤツはおまえが単独か、あるいは斐仁と同行していると思っているにちがいない。
儂が何者かまでは知らないはずじゃ。
ヤツはすっかりおまえが、真正面から来るものと思い込んでいる。
そのおごりを叩き潰してやろうではないか」
「では、はじめのとおりに?」
「うむ。儂は真正面から切り込むゆえ、おまえは長弓で城壁の兵士どもを狙い、やつらの気をそらし、儂を弓から守れ。
しばらくのあいだは、連中は混乱し、儂ひとりに集中するはずじゃ。
おまえは隙を見て、襄陽城の東側の入り口から中へと入れ。
東側には、儂がむかし世話をした男が門衛の隊長をしておる。
その長弓を見せ、黄漢升の名を出せば、きっと中へ通してくれよう」
「通してくれなかった場合は?」
「いたし方あるまい。それはおまえに任せる」
それだけの言葉を交わすと、黄忠と趙雲は、互いの行動をはじめた。

つづく


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キリがいいからですが、文字多いなあ、だったらスミマセン…
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臥龍的陣 涙の章 その67 純然たる怒り その2

2022年11月25日 09時55分04秒 | 英華伝 臥龍的陣 涙の章
「おまえの仲間が殺されたのだぞ! なのに、なぜ笑う!」
「怒れというのですか。無駄なことなのに」
「無駄?」
孔明に殴られた頬をさすりつつ、|花安英《かあんえい》は身を起こす。
「そう。怒りや悲しみを見せた時点で、わたしもかれと同じ身の上になるでしょう。だからせめて笑ってやるのです」
「それがおまえたちの弔いだというのか」
花安英は、それには答えず、無言のまま、そしてまったく表情を消して、じっと孔明を見据えた。
鋭い、しかし真摯な眼差しであった。

なにを考えている? 
こちらのなにを探っている?
少年のこころをつかみかね、孔明が戸惑っていると、不意に花安英に表情が戻ってきた。
肩の力を抜いて、自嘲気味に笑う。

「軍師、たぶんあんたの怒りは正しいのでしょうね。
だから、頬を打ったことは気にしないで差し上げます。
ただし、次はこちらも怒りますよ」
「そうしたら、わたしはいまの倍は怒る」
「意外に子供っぽいのですね」

いいざま、花安英はつまらなさそうに背をむけて、言った。
「涙をお拭きなさい。鬱陶しい。大の男の涙なんて、ちっともきれいじゃない。
あんたに泣いてもらっても、あの男は喜びやしませんよ」
花安英に言われて、孔明は自分が泣いていたことに初めて気がついた。
袖で涙をぬぐうと、乾いた涙で頬がつっぱって痛かった。

泣いたあとというのは、むしろ涙を流した以前よりも、大胆になれるというのは不思議である。
もはや孔明は足音を気にせず、ひたひたと先を進む花安英の後にずんずんとついていった。
あまりに傍若無人なその歩みに、今度は花安英が迷惑そうに振り返る。

「軍師、状況がわかってらっしゃいますか?」
「わかっているとも。君は母親を殺しに向かい、わたしはそれを止めようとしている」
「そもそも襄陽城に戻ってきたのは、それが主旨ではないでしょうに。
やれやれ、こちらも口を滑らせる相手をまちがえたかな」
花安英がぼやく。
さきほどからちらちらと後ろを振り返る花安英の横顔には、笑みらしきものが浮かんでいる。

「間違いでよいではないか。
数年後には、その間違いに感謝するようになるかもしれぬぞ」
「いま手を下さねば、後悔します」
「そうだろうか。よく考えてみたまえ。母上とて気の毒な女性ではないか。
正妻ではなく日陰の身として日々をすごしているうちに攫われて、おまえという子と引き離された上に、さらに親子ほど年の離れた男と結婚させられた。女人として、不幸きわまりない人生を歩んできた。
君たちにしたことは、たしかに許されるべきではないが、君とてその年で、世間もさまざまに見て来ただろう。
すこしは、母上に同情する気は起きないのかね?」

「うるさいですよ、軍師。
やはり、あなたの舌を引っこ抜いてやるのだった」
「脅してもだめだ。ひとつ宣言しておこう。
わたしは『壷中』の君たちを解放してやるために戻ってきた。
だが、最初にする仕事は、君を更生させることだ」
「ご自分がなにを口走っているのか、わかってらっしゃらないようですね」
「しっかり把握しているとも。思いつきで言っているのではないぞ。
いまここで君を見捨てたら、君はたとえ本懐を遂げたとしても、しまいには泥屑のように死ぬだろう。
おなじ死ぬのなら、せめて最後に自分が『生きた』と満足できるように死ぬのだ。
どうだ、いま死んだとして、満足して死ねると思うか」
「莫迦なことを」

足早になった花安英のあとを、孔明も早足になって追いかける。
もはや意地になっていた。

「莫迦なことか。とても重要なことだぞ。
人の手駒となるべく育てられ、言いなりになりつづけて、自分の同朋すら救えず、そうして最後に自分の意思としてやることといえば、自分とおなじ境涯の母親を殺すことだけ。
これのいったいどこに満足ができる?」
「うるさい! 咽喉を切り裂かれたいか!」
とたん、のけぞるほどのすさまじい鬼の形相で、花安英が振り返った。

直言を吐いたことに、孔明は後悔しなかった。
いままで虚偽のなかで生きてきた少年には、孔明の言葉は、効きすぎる薬のようであったにちがいない。
怒り、動揺しているのは、言葉が届いたからだ。
だから孔明は後悔しなかった。
短刀を持っていた手に力が入るのが見てとれる。
孔明は身を強ばらせ、思わずぎゅっとまぶたを閉じた。

つづく


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臥龍的陣 涙の章 その66 純然たる怒り

2022年11月24日 10時05分58秒 | 英華伝 臥龍的陣 涙の章


律儀についてくる孔明を振り返り、花安英《かあんえい》は鼻を鳴らして笑った。
「あんた、本当に目立つね。はっきりいって、隠密行動なんて無理だな」
花安英の言うとおりだ。
動きやすい黒地の装束に着替えた花安英とは対照的に、孔明の衣裳は昼と変わらぬ淡い色の長袍。
闇夜には目立つことこの上ない。
そもそもが、品よく目立つのが目的で、着ていたものだ。

孔明はいまほど、おのれの着道楽を後悔したことはなかった。
だがあえて、強がりを言う。
「そう言ってわたしをおびえさせて引き返させ、ひとりで母親を殺しに行く魂胆ならばムダだ」
「どうぞご勝手に。あんたがついてこようとこなかろうと、こちらのやることはひとつだ」

周囲の気配に機敏に目をくばりつつ、孔明は悠々と前をあるく花安英の背中を追いかけていく。
城内は、あきれるほどに人の気配が薄い。
自分が逃げたことは、潘季鵬《はんきほう》に伝わっているはずである。
花安英の地下の隠し部屋から、一歩、足を踏み出した時点で、孔明は、はげしく後悔したが、花安英が振り返りもせず、どんどん行ってしまうので、迷っていられなかった。

なんと気に食わない状況なのだろう。
この自分が、つねに後手にまわっている。
音も立てずに前をゆく花安英のうしろで、わずかな一歩を踏み出すのも細心の注意を払わねばならない孔明は、自分の|沓《くつ》のつま先が床を踏むたびに生じる足音に、いちいちひやひやする。
そうして周囲に目を配るのであるが、いまのところだれにも気づかれてはいない。

しかし妙だ。衛兵が少なすぎる。
ふと気づくと、小癪《こしゃく》なことに、花安英が柱にもたれて、孔明の様子を笑って見ていた。
「いまのあんたの姿を新野の連中が見たら、手を打って大喜びするだろうね」
「なんと情けないと、泣くだろうよ」
「衛兵がすくないと、あやしんでいるね」
「君の罠だとは思っていない」
孔明が答えると、花安英は、わずかに意外そうな顔をしたが、すぐに嘲《あざ》けりの顔にもどって、言った。
「潘季鵬という男は、ひとつのことに集中して当たる癖があるのさ。
いま、その集中は、あんたじゃなく、趙子龍に向かっている。
だから、かれが来るであろう門の前に兵士をあつめて、かれがやってくるのをじっと待っているのです」

「子龍は新野へ戻った」
「おそらく、あんたより潘季鵬のほうが、趙雲という男をよく知っていますよ。
なにせ十年以上もひたすら見つめてきたのだからね。
潘季鵬が真正面から来ると読んでいるのだ。かならず来るだろう。それに」

ひらりと飛び上がって欄干《らんかん》に立った花安英が、たくさんの篝火のおかげで昼のように明るくなった城門の上にある、奇妙なものを指差した。

最初それは、細い支柱にぼろぼろの天蓋がかろうじてぶら下がっているように見えた。
だが、じっと目を凝らした孔明は、思わずちいさくうめき声をもらした。
長袍をまとった、細身の男が、その四肢を串刺しにされて、天幕のように磔《はりつけ》にされているのだ。
絶命していることは、遠目からもあきらかだ。
そして、それがだれに似せているのか、ということも。

「死んだか。気の毒に。悪い男じゃなかったけれど、あれもちょっと勘違いしていたからね」
「勘違い?」
声が震える。
「潘季鵬は、自己主張のつよい人間や、頭のよすぎる人間、要領のよすぎる人間が大嫌いなのですよ。
つまり、張り切りたがる男は疎《うと》ましがられるってわけ。
だけど、あいつはちょっと鈍感でね。
でもそれにしたって、趙子龍をおびき寄せる餌になって死ぬなんて、わたしは嫌だなぁ」

花安英は欄干から廊下に降りてきながら、声を立てて笑う。
まるで、子供がトンボを捕まえて、ばらばらにしてよろこんでいるときのような、残酷な邪気のない笑みであった。

孔明は、己の身代わりとなって死んだ男から目を離すと、振り向きざま、思い切り花安英の頬を張り倒した。
頬を打つ、ぱん、という音があたりに響く。
不意のことであったためか、花安英は避けることもせず、まともに横っ面を殴られて、廊下に倒れた。

「人の死が、それほどに楽しいか!」
廊下に倒れた花安英が、孔明を唖然とした表情で見上げている。
そのことも腹立たしい。
この少年は、命の重さがわからない。
潘季鵬の価値観をそのまま押し付けられて育てられた。
仲間の無残な死を目の当たりにして、どうして笑うことができるのだろう。


つづく


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でもって、対独戦、勝利しましたねー、朝起きてびっくりしたクチです。
スポーツの力ってすごいですね、興味があまりなかったわたしでも良かったなあと思っています。
わたしも創作を負けないようにがんばりたいところ。
しっかりやってまいります!

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