夏侯蘭はだまって礼を受けた。
脳裏には、裸のまま許都の片隅に打ち捨てられていた女のからだが浮かんでいた。
同時に、
『春をひさぐような女だから、こんな目に遭うのさ』
と吐き捨てるように言った、許都の夜警のことばが頭に響いた。
いまだに、そのことばを思い出すだけで、体がカッと熱くなる。
「許都からきたのでしょう。曹操の部下なのね」
いくぶん、くだけた口調になって藍玉《らんぎょく》が問いかけてきた。
我に返った夏侯蘭は、そうだ、と素直に答えた。
おそらく、看病してくれているあいだに、持ち物も見られているだろう。
いまさらしらばっくれても遅いと判断したのだ。
「なぜ曹操の部下が、姐さんを埋葬してくれたの」
どう説明したものか。
とっさに夏侯蘭には答えることができなかった。
目の前の女が聡明なのはすぐにわかったが、だからといって、自分の口から説明することを受け入れてもらえるものなのかどうか。
藍玉をまっすぐと見据える。
藍玉もまた、夏侯蘭をまっすぐ見据えていた。
真実を知りたいのだろう。
その目線に恐れや揶揄はない。
覚悟を決めて、夏侯蘭は語りはじめた。
「俺の妻のことを思い出したからだ。いくらなんでも、あんなにむごく切り裂かれた上に衣を剥がれた遺体を放っておくわけにはいかん。
そんなことをしたら、妻のように、あの女も役人どもへのさらし者になってしまうだろうと思ったからだ」
「では、あなたの奥方も?」
夏侯蘭はしずかにうなずいた。
「『狗屠《くと》』に殺された。嫌な名だ、『狗屠』とはな。こいつを名付けたやつは、娼妓を人だと思っていない。犬畜生と同様だと言いたいのだろう。
だが、ほかに通じる呼び名もないので、仕方なくそう呼んでいる」
吐き捨てるように言うのを、藍玉は黙って受け止めている。
「だが、誤解しないでほしい、俺の妻は娼妓ではなかった。許都で娼妓ごろしがとつぜん流行りだしたころに、夜道を歩いていたところで拉致されて、殺されたのだ。
物騒なこの世の中なのに、閉門前の夕暮れにひとりで歩いていたから、娼妓とまちがわれて狙われたのだろう」
※
趙雲と易京《えききょう》で再会した。
潘季鵬《はんきほう》を助けるために行動をともにしたものの、じきにはぐれてしまった。
そのあと、夏侯蘭はしばらく趙雲と潘季鵬の姿を探していた。
だが、かれらの行方はわからず、けっきょく、また各地を放浪することになった。
腕に覚えはあったので、どこも用心棒としてくらいなら雇ってくれた。
しばらく華北で真面目にはたらいていたら、伝手《つて》ができて、袁紹に対峙する曹操の軍に参加できることとなった。
河北の戦いにおいては、はじまるまでは、袁紹側が圧倒的に有利だとされていた。
だが、夏侯蘭は、じっさいに袁紹軍に身を置いたことがある。
袁紹軍は巨大であるがゆえに、そして、袁紹その人に統率力が欠けており奢っているがために、組織が肥大しすぎて動きが悪いということも知っていた。
おなじ夏侯姓というのが気に入られ、夏侯淵の軍に入ることができた。
おおいに活躍し、仲間もできた。
だんだん乏しくなってくる食糧にも文句を言わず働いていたら、上役に頼りにされるようになり、やがて、袁紹軍へ向けて地下に穴を掘る隊の頭まで任されるようになった。
曹操の操兵はあざやかであった。
なにより、わかりやすい。
どの部隊の誰に聞いても、命令が一貫していて、ブレがない。
あとで聞いたことであるが、曹操は自らしたためた兵法書と命令書を各将にくばって読み込ませ、命令系統をつくっているのだそうだ。
ブレのない軍隊ほど動きやすいものはない。
夏侯蘭は公孫瓚のもとでは発揮できなかった力をおおいに発揮し、さらに、袁紹の死後も、袁紹の息子たちとの血みどろの戦に参加し、これまた勲功を立てた。
そして、それが認められ、戦がひと段落したあと、許都の役人として取り立ててもらえることとなった。
つづく
脳裏には、裸のまま許都の片隅に打ち捨てられていた女のからだが浮かんでいた。
同時に、
『春をひさぐような女だから、こんな目に遭うのさ』
と吐き捨てるように言った、許都の夜警のことばが頭に響いた。
いまだに、そのことばを思い出すだけで、体がカッと熱くなる。
「許都からきたのでしょう。曹操の部下なのね」
いくぶん、くだけた口調になって藍玉《らんぎょく》が問いかけてきた。
我に返った夏侯蘭は、そうだ、と素直に答えた。
おそらく、看病してくれているあいだに、持ち物も見られているだろう。
いまさらしらばっくれても遅いと判断したのだ。
「なぜ曹操の部下が、姐さんを埋葬してくれたの」
どう説明したものか。
とっさに夏侯蘭には答えることができなかった。
目の前の女が聡明なのはすぐにわかったが、だからといって、自分の口から説明することを受け入れてもらえるものなのかどうか。
藍玉をまっすぐと見据える。
藍玉もまた、夏侯蘭をまっすぐ見据えていた。
真実を知りたいのだろう。
その目線に恐れや揶揄はない。
覚悟を決めて、夏侯蘭は語りはじめた。
「俺の妻のことを思い出したからだ。いくらなんでも、あんなにむごく切り裂かれた上に衣を剥がれた遺体を放っておくわけにはいかん。
そんなことをしたら、妻のように、あの女も役人どもへのさらし者になってしまうだろうと思ったからだ」
「では、あなたの奥方も?」
夏侯蘭はしずかにうなずいた。
「『狗屠《くと》』に殺された。嫌な名だ、『狗屠』とはな。こいつを名付けたやつは、娼妓を人だと思っていない。犬畜生と同様だと言いたいのだろう。
だが、ほかに通じる呼び名もないので、仕方なくそう呼んでいる」
吐き捨てるように言うのを、藍玉は黙って受け止めている。
「だが、誤解しないでほしい、俺の妻は娼妓ではなかった。許都で娼妓ごろしがとつぜん流行りだしたころに、夜道を歩いていたところで拉致されて、殺されたのだ。
物騒なこの世の中なのに、閉門前の夕暮れにひとりで歩いていたから、娼妓とまちがわれて狙われたのだろう」
※
趙雲と易京《えききょう》で再会した。
潘季鵬《はんきほう》を助けるために行動をともにしたものの、じきにはぐれてしまった。
そのあと、夏侯蘭はしばらく趙雲と潘季鵬の姿を探していた。
だが、かれらの行方はわからず、けっきょく、また各地を放浪することになった。
腕に覚えはあったので、どこも用心棒としてくらいなら雇ってくれた。
しばらく華北で真面目にはたらいていたら、伝手《つて》ができて、袁紹に対峙する曹操の軍に参加できることとなった。
河北の戦いにおいては、はじまるまでは、袁紹側が圧倒的に有利だとされていた。
だが、夏侯蘭は、じっさいに袁紹軍に身を置いたことがある。
袁紹軍は巨大であるがゆえに、そして、袁紹その人に統率力が欠けており奢っているがために、組織が肥大しすぎて動きが悪いということも知っていた。
おなじ夏侯姓というのが気に入られ、夏侯淵の軍に入ることができた。
おおいに活躍し、仲間もできた。
だんだん乏しくなってくる食糧にも文句を言わず働いていたら、上役に頼りにされるようになり、やがて、袁紹軍へ向けて地下に穴を掘る隊の頭まで任されるようになった。
曹操の操兵はあざやかであった。
なにより、わかりやすい。
どの部隊の誰に聞いても、命令が一貫していて、ブレがない。
あとで聞いたことであるが、曹操は自らしたためた兵法書と命令書を各将にくばって読み込ませ、命令系統をつくっているのだそうだ。
ブレのない軍隊ほど動きやすいものはない。
夏侯蘭は公孫瓚のもとでは発揮できなかった力をおおいに発揮し、さらに、袁紹の死後も、袁紹の息子たちとの血みどろの戦に参加し、これまた勲功を立てた。
そして、それが認められ、戦がひと段落したあと、許都の役人として取り立ててもらえることとなった。
つづく