はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

赤壁に龍は踊る・改 四章 その1 霧のなか

2025年01月30日 10時12分16秒 | 赤壁に龍は踊る・改 四章
周瑜の手配してくれた船は、どれも立派で、水上でも軽快な動きをすることのできる『蒙衝《もうしょう》』という型の船であった。
調練に使っていたものの一部をまわしてきたものである。
船にはそれぞれ、周瑜の派遣してきた水兵もついていた。


「見るがいい、周都督の力のすべてが、この船でわかるな」
感心したように言う孔明のあとを、趙雲が、数歩離れてついてくる。
趙雲もまた、孔明の得体のしれない作戦を知らされても、動じることなく、てきぱきと動く水兵たちと、よく整備された蒙衝に、感心しているようである。
孔明は満足して、何度もうなずいた。
「わたしなどは船に関してはまったくの素人だけれど、これはわかる。
どの船を見ても、どれも見事に整備されていて、文句のつけようがないではないか。
そして兵卒たちの、見事なまでの働きぶりを見よ。雑兵であろうと、手を抜こうとしておらぬ。
人も船も、これほどに調練してしまうとは、たいしたものだな。
だからこそ、みなは江東の勝利を確信できるのだ」
「こうなると、鳥林《うりん》のほうが気になるな」
「まったくだ。熟練兵を多くかかえる江東と、数だけは多いが、未熟な技術しか持たない兵の多い曹操の水軍。
こういってはなんだが、面白くなってきた」


河面に霧が出たなら出航である。
まずまちがいなかろうと思いつつ、日暮れとともに立ちのぼる霧を待つ。
しばらくすると、水の上に、ゆるやかに白い霧が立ち上りはじめた。
その様子は天女が羽衣をなびかせているかのような幽玄さに満ちていて、迷信深い水兵たちのなかには、このなかを出航することに、あきらかに渋面を見せる者さえいた。
孔明は、そんなかれらを励ますように言う。
「この霧を恐れることはない。霧が濃ければ濃いほどに、これから為す作戦が成功する可能性が高まるのだ。
この霧は天恵なのである。さあ、鳥林へ向けて出航するのだ!」


水兵たちは、まだ納得しかねる、というふうであったが、孔明の自信に満ちた命令に押されるかたちで出港準備をはじめる。
すると、霧の中を大きくかきわけるようにして、ぬうっと大男がやってくるのが見えた。
魯粛である。


孔明は相好を崩して魯粛に礼を取る。
「子敬どの、要望通りの藁人形と筵《むしろ》の数々、どうもありがとうございました」
「礼を言われると困るな。船の武装のほとんどをはずさせ、その代わりに、よくわからん藁人形を詰め込む。
これじゃあ、水兵どもも怯えるのは無理はない。
作戦の概要は聞いているが、やはり無茶が過ぎるのではないか」


藁人形は、陸上の調練場で、敵兵の代わりに槍を受ける役目のものを拝借してきたのだ。
それらを丁寧に武装させたうえに、船室を取り囲むようにずらりとならべさせている。
筵と稲わらの束も隙間を埋めるように置かれていて、船のうえは、まるで収穫を終えた稲田のように香ばしいにおいさえしていた。


「無茶ですかねえ」
孔明が冗談めかして問うと、魯粛は大きくうなずいた。
「ああ、無茶だ。おれはあんたたちが、このまま曹操の元へ逃げ込むのではとすら疑っているよ」
真剣な顔をして、こちらの顔色を探ろうとする魯粛に、孔明は明るく笑い飛ばした。
「わたしたちが、あの曹操の元へ逃げ込むなど、悪い冗談ですな」
「ほんとうか。では、ほんとうに作戦を実行すると?」
「烏林に行けばわかります」
「子龍どの、あんたもわかっているのか」
水を向けられた趙雲は、無言のまま肩をすくめた。


孔明は周瑜に手紙を送ったあと、すぐに趙雲に作戦の内容をつぶさに教えたのだが、慎重な趙雲もまた、
「そんなにうまくいくかな」
と半信半疑の様子であった。
だが孔明には確信がある。
上手くいくときには、脳髄から鼻にかけて、すうっと空気がとおるような感覚で、勘が冴えているのがわかるのだ。
大丈夫だ、この道でまちがいないとささやく声もまた、頭の中でしていて、それが孔明の自信満々の態度にあらわれている。


つづく


「毎日連載」→「不定期連載」に変更のおしらせ

2025年01月25日 10時24分44秒 | Weblog
さんざん悩みましたが、「毎日連載」から「不定期連載」に変更することとなりました。
毎日の楽しみにして下さっていた方、申し訳ありません……

理由は、筆者の体調が安定しないためです。
このところ、体調の上下がはげしく、なかなか創作も思うようにいかなくなっているのです。
すこしペースダウンしたほうがいいだろうと判断し、今回の結論となりました。

次回から「赤壁に龍は踊る・改」は四章目に突入です。
つぎの更新日は未定ですが、水曜日ごろに出来ればいいなと思っています。

「なろう」も同様に「不定期連載」とします。
「ノベルデイズ」はいまのところ「毎日連載」ですが、体調次第では、隔日あるいは不定期での更新に変更するかもしれません。
(悩み中)

ほんとうに、安定しなくて申し訳ないです。
連載をやめはしませんので、引き続き、ブログに遊びに来ていただけたらと思います。

それと、ご心配をおかけしております親族の容態なのですが、いまのところ小康状態がつづいています(!)
一時期、ほんとうに危なく、駆け付けなきゃ! と言うところだったのですが、従姉によると「鉄人」のごとく回復。
いつどうなってもおかしくないとはいえ、落ち着いている、という微妙な状況だそうです。
そんなわけで、げんざいも遠くから見守っている状態です。

今回、連載を不定期にいたしますが、創作活動をやめるわけではありません。
定期的に近況報告等もさせていただきます。
今後も、あらためてよろしくお願いいたします。

ではでは、またお会いしましょう('ω')ノ

牧知花

赤壁に龍は踊る・改 三章 その12 龐統と鶉火

2025年01月25日 10時11分21秒 | 赤壁に龍は踊る・改 三章
周瑜は、しばらく龐統がもうそこにいないかのように、物思いにふけっていたが、やがて顔を上げた。
「士元、あらめて確認したいのだが」
「なんなりと」
「孔明が何をするにせよ、わたしのやることは変わらぬな?」
「そうですとも、曹操を討つ。それだけです」
龐統が力を籠めると、そうだな、と周瑜はうなずいた。
「どうもわたしは孔明に気を取られすぎているな。
わたしの第一の敵は曹操だ。それを誤ってはならぬ」
周瑜は、自分に言い聞かせるようにして言った。


ときどき周瑜は、龐統を壁のように使って、おのれの考えをたしかめようとするときがある。
いまがまさにそれだった。
壁にされても、龐統はいやな気はしない。
なんだかんだと、周瑜が自分を信頼しているということが、わかっているからである。
ただ、本音を言えば、信頼しているなら、もっと引き上げてほしいとは思っているのだが。


龐統と話をしたことで、周瑜も落ち着いたのか、愁眉《しゅうび》をひらいた。
「おかげで気が晴れた、礼を言う」
「なんの、わたしは何もしておりませぬ」
「いや、貴殿がいるおかげで、わたしも頭がまとまる。助かるぞ」
そのあとは、曹操軍の今後の出方や、曹操が負けた場合の戦後処理について、逆に、曹操が荊州から出て行かなかった場合の戦略など、さまざまに語り合った。
周瑜は、龐統のことばに、じっくりと耳を傾けてくれる。
こういう、ふところの深いところが、周瑜の魅力であり、龐統の好きなところであった。





周瑜のもとを辞去すると、少年兵の鶉火《じゅんか》が、待ってましたとばかりに駆け寄って来た。
どうやら、龐統が執務室から出てくるのをずっと待っていたらしい。
走るたびに、その頭頂で一本に結んだ黒髪が揺れる。


仔馬のような鶉火の姿を見るたび、わしが早くに結婚していたら、これくらいの子がいたかな、と龐統は思う。
鶉火自身は、冷静沈着な従者たらんとつとめていが、じつのところまだまだ子供で、感情が表情にでるのをうまく調整できないでいる。
このときもそうで、これから自分が語る言葉を龐統はどう受け止めてくれるかという期待でいっぱいの、笑みがこぼれだしそうな顔をしていた。
なにか良い知らせがあるのだろう。


陸口城内《りくこうじょうない》はいつでも人の動きが激しい。
少年兵の鶉火と、ずんぐりむっくりの中年男の龐統の組み合わせを不思議に思って振り返る者はいない。
鶉火は、いったんかしこまると、誰にも聞こえぬよう、素早く報告してきた。
「都督の命令で、波止場に蒙衝《もうしょう》が何艘も用意されているそうです」
「うむ、都督から、用意しているとは聞いている。ほかには?」
「一部隊が借り出されて、藁《わら》でなにやら作っているようです」
「ふむ、なんであろう」
「孔明のことですから、筵《むしろ》かなにかではないでしょうか」


孔明が仕える劉備が若いころ、筵を織って生計を立てていたというのは有名な話である。
それを連想して、鶉火はそんなことを言ったのだろう。
龐統は思わず笑った。


「筵をどうするというのだ。まさか、そこに降伏と書いて、曹操の元へ飛び込むつもりなのか」
それを聞いて、鶉火は真剣な顔をしてたずねてくる。
「ありうるでしょうか」
「さて……孔明は徐州でかなり悲惨なものを見聞きしてきたと言っていたな。
その孔明が、当の虐殺者である曹操に降るとは思えぬが」


周瑜もまた、孔明が徐州の出身だから曹操へ降ったりはしなかろうと、否定していたが。
『だが、万が一ということは、あるのではないか?』
そのとき、龐統の脳裏には、荊州の田舎で曹操を避けている妻や、かわいい弟たちの顔が浮かんでいた。
さぞかし不便な暮らしをしているだろう。
かれらを早く揚州に呼び寄せられるように、一日も早く、ここでしっかりとした地位を固めておきたい。
『矢が用意できない孔明が、曹操に降らんとするその直前に、都督のため、捕えることが出来たら』
周瑜はおおいに喜ぶだろう。
いままで、荊州の情報を教えることくらいでしか役に立てていない。
逃亡しようとする孔明を捕えられたら、周瑜はますます自分を重宝するようになるはずだ。


ちらっと、となりにいる鶉火を見る。
鶉火は、龐統の顔つきを見て、なにか命令があるのだとわかったのだろう、さらに目を輝かせた。
「士元さま、なんなりとお申し付けください。きっとお役に立って見せます」
ほんとうに、この子には隠し事はできぬな、と思いつつ、龐統は言った。
「今宵、陸口を出航する船に、おまえも乗り込め。
もし孔明が曹操のもとへ降るようなら、子敬(魯粛)どのを人質に取らんとするであろう。
おまえはそれを阻止するのだ」
「それだけでよろしいのですか?」


言外に、斬らなくてよいのか、と尋ねてくる。
そのとき、龐統は鶉火の中にある孔明への過剰な攻撃性に気づいた。
気づいたものの、ほかに的確に命令を聞いてくれる者がいないので、鶉火に託すことにした。


「それだけでよい。くれぐれも無理はするなよ」
とだけ言い添えた。
それをどう受け止めたか、鶉火は、元気に、はい、と応じて、龐統の前から去っていく。


その小さな背中を見送る龐統の目には、鶉火の姿より、妻や、幼い子どもたち、そして自分を頼ってくれている兄弟や一族のことばかりが映っていた。
そのため、鶉火が思いがけない行動をとるということを、龐統は想像もしなかった。


三章終わり
四章につづく


赤壁に龍は踊る・改 三章 その11 周瑜のいらだち

2025年01月24日 10時11分00秒 | 赤壁に龍は踊る・改 三章



翌日、周瑜はめずらしく苛立ちを隠さない様子で、|陸口城《りくこうじょう》のおのれの執務室にいた。
呼び出された龐統は直感で、これは孔明がらみだなと気づく。
このところ、周瑜を苛立たせるものは、曹操ではなく孔明である。
それが良いのか悪いのか、といえば、悪いといえるだろう。
緒戦に勝ちすぎたせいで、周瑜は曹操よりも目先の孔明が気になってしまっているのだ。
『気持ちはわかるが』
孔明(はなはだ明るい)とはよく言ったもので、孔明はなにかと目立つのだ。
誰に対しても圧倒的な存在感を見せる周瑜からしても、孔明は目障りなのだろう。
あるいは、なにか第六感のようなもので、将来的に孔明が邪魔になるかもしれないと考えているのか。
『それはわしの考えすぎかな』
とはいえ、仮に周瑜率いる水軍がほぼ単独で曹操に勝った場合、荊州をめぐる戦いが劉備軍とのあいだに起こるのは目に見えている。
孔明の手腕は、孫権との同盟を勝ち得たことや、荊州人士のこころをいち早く掴んでいることなどから、すでに明らか。
孔明を放置しておいて、自分に得はないと思っているのかもしれない。
それが証拠に、周瑜の手前にある文机のうえには、孔明の手紙が乗っている。
龐統もよく見覚えのある、孔明の柔和な風貌に似合わぬ、勇壮な、跳ねる龍のような文字だ。


「孔明どのが、十日どころか、三日で矢を用意すると言ってきた」
と、周瑜は言う。
周瑜はおのれの感情を隠そうとしているが、みごとに失敗して、眉間にしわが寄っていた。
龐統もまた、孔明の大胆さにおどろいていた。
「十日を三日に短縮するとは、命知らずですな」
龐統が感想をそのまま述べると、周瑜は龐統が孔明であるかのように、とげのある目線を寄越してくる。
「もし三日以内に矢を用意できなかったら、命を取られても文句はないとまで言ってきている」


ああ、それが苛立ちのタネか、と龐統は合点した。
孔明は周瑜の思惑を正確につかんでいる。
そのうえで、あえて余裕をみせて、周瑜をからかいさえしているのだ。
仮に孔明が三万本の矢を用意できなくても、周瑜は孔明を殺したりはしなかったろうと、龐統は推理している。
孔明は劉備の大事な軍師なのだ。
劉備を怒らせ、下手に刺激すれば、曹操どころか、劉備すら陸口を襲ってきかねない。
そんな失策をする周瑜ではないが、しかし、人質にするために孔明らを捕えるくらいはしたはずだ。
そして、そんな周瑜の心の内を、孔明は知っているのか、知らないのか……


「士元、貴殿は孔明の親戚だろう。なにゆえ孔明が三日で矢を用意できると言い出したか、予想がつくか?」
「逃げようとしているのでは?」
「劉備の元へか」
「いえ、曹操のもとへ」
「それはなかろう、かれは徐州の人間だぞ」
「徐州の人間でも、窮鳥《きゅうちょう》のたとえではありませぬが、追い詰められれば、猟師の胸に飛び込むでしょう」
周瑜は、龐統のことばを吟味して、それから首を振った。
「あり得ぬとは思うが、しかし、注意したほうがよかろうな」
推論を否定されてしまった。
周瑜は独り言をつぶやくように、つづける。
「孔明を子敬(魯粛)に見張らせるか……かれが逆に人質にされぬよう、兵士もつけたほうがいいだろうな」


それを聞いて、龐統はだんだん不安になって来た。
周瑜が、孔明を呼び捨てにしはじめたのもそうだし、孔明の存在に捕らわれ過ぎつつあるのも、気にかかった。
『孔明はたしかに目立つやつだし、いまのところ上手く立ち回ってはいるが、けっきょく敗軍の家来にすぎぬ。
ともかく対岸の大敵を気にしていればよいものを、都督は、なにゆえこうも孔明を気にしておられるのだろうか』
孔明が気に入らないという感情自体は、龐統にも理解できる。
だが、過度に気にする理由が、いまひとつわからない。


つづく


赤壁に龍は踊る・改 三章 その10 毬栗

2025年01月23日 10時10分33秒 | 赤壁に龍は踊る・改 三章
あたりはすっかり日が落ちて、韓福《かんぷく》とおかみさんがつけてくれた蝋燭《ろうそく》だけが頼りだ。
そのせいか、趙雲は落ちていた毬栗《いがぐり》を思い切り踏んづけた。
「痛いっ! まだこんなものが落ちていたのかっ」
悪態をついて、趙雲が毬栗を蹴飛ばす。
だが、毬栗は意地悪なことに、趙雲の草履《ぞうり》に深く刺さり、なかなか飛ばなかった。


普段ではめったに見られない、滑稽な趙雲の様子に、孔明は声を立てて笑う。
「笑っていないで、この毬栗をとる手伝いをしてくれ」
趙雲が軽く睨んできたので、孔明は部屋から出て、草履についた毬栗を抜いてやった。
「あなたがこんなに遅くに帰ってくるとわかっていたら、毬栗は片づけておいたのだけれどねえ」
そう言いつつ、笑いながら、毬栗を手に取る。


その刺々《とげとげ》しい毬栗を韓福にたのんで、捨ててもらおうとしたとき、おかみさんがやってきて、ちょうど晩御飯の支度ができましたとやってきた。
「いいところに帰っていらっしゃいましたね。今晩は魚を煮ましたよ」
「魚か。それはありがたい。軍師、おれは長江の魚を食べるのは初めてだ」
「いままで肉がほとんどだったからね。美味しい肉だったけれど」
孔明が応じると、おかみさんが申し訳なさそうに言った。
「このところ、市場でも魚があまり出ないんですよ。
日中は戦がありますでしょう? 代わりに夜に出かけるにしても、川霧が出ますから危ないそうですし」
「ああ、この季節は、川の霧がすごいからね。
わたしも叔父上と夜釣りに出かけようとして、家来から止められたことがあるよ」
そう答えつつ、孔明はなつかしい叔父の諸葛玄との思い出を晩御飯のときに趙雲に教えようと考えた。


『川霧か』
長江に立ち込める川霧。
そのとき、孔明の脳裏に、まだ見ぬ対岸の烏林《うりん》の要塞が浮かんだ。
急ごしらえで作っているというその要塞の姿が、霧の向こうで呼びかけているような感覚がある。
こっちへ来てみろ、覚悟をみせてみろ、と。


『矢が用意できないくらいで、曹操ではなく周都督の手にかかるのか?』


あらためて、冗談ではないと思った。
この危機をなんとかしのぐ手立てを……そう思った時、手にした毬栗のとげが、孔明の手のひらの皮膚をいじめる。
これは確かに、刺さったら痛いな、と思った時である。


霧の向こうの曹操の巨大な要塞。
手にしている毬栗。
それらを見て、突如として電光のようにひらめいたことがあった。
『そうか……!』
「どうした?」
目を見開いたまま、動かなくなった孔明を心配した趙雲がうながしてくるが、孔明は動かず、空を見つめる。
誰にも見えないところで、凄まじい早さで新たな作戦が組みあがりつつあった。
『出来るか? いや、仮に出来る可能性が低くても、やらねばならない。
どちらにしろ、なにもしなければ死ぬのを待つだけになるのだ』


孔明は、はっ、と息を吐くと、心配そうに自分の反応をじっと待っている趙雲と、おかみさんに微笑みかけた。
「すまない、大丈夫だ」
「ほんとうか?」
「ほんとうだとも。さて、晩御飯だな。せっかくの煮魚が冷めないうちにいただこう。
それとおかみさん、申し訳ないのですが、だれかに使いを頼めませぬか。
朝一番に、周都督のところへ行ってほしいのです」
「わかりましたわ。言伝《ことづて》をすればよろしいのですか?」
「いや、あとで手紙を書くから、それを渡してほしいのです」
おかみさんは、なにかしら、という浮かない顔をしつつも、分かりましたと答えた。


「軍師、手紙の内容はなんだ? まさか、矢は調達できませんと泣きつくのでは?」
趙雲の問いに、孔明はからから笑って、それから答えた。
「そう気弱になるものじゃない、わたしは天才軍師なのだ。こんな苦境、軽々と超えて見せる」
「さっきとだいぶ違うが」
「意地悪を言うな。あなたの喉に、魚の骨がひっかかっては気の毒だから、後で教えてあげるよ」
「それこそ、いま聞かないと、食事が喉に通らん」
「では言うが、都督には、三日で矢を用意すると伝えるのだ」
趙雲は、これでもか、というくらいに目をまん丸にした。
「何を言い出した? 正気か?」
「すこぶる正気だ」
「わざわざ期限を短くする意味は?」
「まだ秘密だ。明日の夜までに都督に頼んで、ありったけの船を用意してもらおう。
そうさな、なるべく船室がしっかり作ってある、蒙衝《もうしょう》がいいだろう」
「船をどうする? 逃げるのか?」
「逃げるものか。まあ、すべてはあとで教えてあげるよ。それまで楽しみにしていてくれ。
ほら、そんな顔をするものじゃない、煮魚をいただきに行こうよ」
ほがらかに言う孔明に、趙雲はキツネにつままれたような顔をして首をひねっていた。


つづく


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