陳到は、ちらりと息子たちを振り返り、そうして訪ねた。
「おまえたちも、いまからそんなカチコチでどうする。
たまには家に帰って、家族に囲まれてゆっくりしたいとか思わんのか」
するとふたりのうち、少年のほうはあきらかにしょんぼりし、兄に当たる青年のほうが、怒りもあらわに返答した。
「わたしたちの家は麋家です。しかし父上のおられぬあの家に戻っても意味がございません」
「なんだ、継子いじめにでも遭っているのか」
「叔父上がいらっしゃいますので」
と、弟がぼそりとつぶやくのを、兄がきびしくたしなめる。
「これ、余計なことを言うな!」
「それじゃあ、麋家じゃなくて、昔の家に戻ればよいではないか。
『壷中』にあるのだろう、おまえたちの家は」
陳到はさりげなく、しかし目の奥ではするどく、息子たちの反応をうかがった。
しかし、かれらは幼さの抜けきらぬ顔をきょとんとさせて、鸚鵡返しにしてくる。
「コチュウ?」
「それはどちらの土地なのでしょう。わたしどもは河内《かだい》の出自です」
「おう、そうであったか、だれかと間違えてしまったようだ、ゆるせ」
応じつつ、陳到は、内心で
『これはちがうであろうな』
と、見当をつけた。
このとぼけっぷりが、実は演技だとしたら、兄弟揃って、とんでもない曲者ということになる。
孔明の三つ目の書状には、こうあった。
麋竺に、わが君への裏切りの疑惑あり。
麋家に気付かれないように、その真意を探れ。
また、麋家の者の中に、『壷中』という村の出身者がいないか、あるいはその村のことを知らないかどうかを、これも気付かれないように探れ。
もし関係がないにしても、かれらから見張りを絶やさぬこと。
あの麋竺にかぎって、まさかと、書状を読んだ陳到は思った。
この書状が、麋竺ではなく、その弟の麋芳のことを探れ、という内容であったなら、どこかで納得したであろう。
だが、麋竺については、まさか、であった。
新野じゅうの人間に、
「だれからも好かれる人間はだれか?」
と問えば、最初に出てくるのは、劉備ではなく麋竺の名前であろう。
それほどに、人々から慕われている。
どちらかといえば、血の気の多い新野の面々が、七年間、流血沙汰を一度もおこさずに、民衆ともよい関係をつくってこられたのは、麋竺の細やかな気遣いがあったからだ。
孔明があらわれるまで新野を保たせてきたのは、麋竺だ、と言い切ってもよいくらいである。
曹操に寝返った、というのならばわかる。
しかし孔明の書状はそれを否定し、麋竺がついたのは、『壷中』という、襄陽を根城にする、危険な組織の一派かもしれない、ということが書かれてあった。
斐仁のことといい、麋竺のことといい、今回のことは、なにやら暗く重たい秘密の気配がする。
さて、今日は、この寄る辺ない身の上になりつつある二人の兄弟を兵舎に戻すか、あるいは我が家に泊めてやるか…二人用の布団はあったっけ、などといろいろ考えつつ、陳到は歩いていた。
だが、ふと、市場のなかでも、衣服を売っている店に、目が止まった。
店主が、客とにぎやかに値引きの相談をしている。
店は、天幕の下に、商品をひろげただけの簡素なもの。
ご婦人方の領巾のかけてある衝立《ついたて》に、一緒に、北方のめずらしい毛皮がかけてあるのだが、店主が客に熱中しているあいだに、それが、ちょうど店主の反対側のほうへ、するすると引きずられていった。
「おい!」
陳到が店主に注意をうながすべく声をかけると、途端に声にはじかれるようにして、衝立の向こうの影が往来へ飛び出した。
そのうしろ姿は、十歳くらいの子供であった。
「その子供を捕まえてくれ!」
陳到は叫びつつ、まるで弾かれた玉のように素早く飛び出して、子供を追いかけた。
麋竺の養子兄弟が、あとからそれにつづいていく。
追われる子供は、逃げることに慣れているらしい。
往来を、じぐざぐとすばしこく動き、相手をまこうと必死である。
しかし、相手が悪かった。
新野でも一、二を争う武術の達人、陳到の動体視力は、黄昏時の往来でさえ、ちいさな影を見失うことはない。
たとえそれが蠅のようにすばしこくちいさなものでも、陳到は見つけることができただろう。
『うちの娘と同じくらいだな』
幼い盗人を追いかけながら、暗澹たる思いで陳到は走った。
子供は、奪った得物を手に、往来を行く人々をすりぬけていく。
陳到につづく二人のほうは、人にぶつかって怒鳴られたり、市場の商品を蹴り倒してしまったりと、なかなかにぎやかである。
子供の背中が、路地を曲がるのが見えた。
陳到もそれを追う。
しかし、路地は行き止まりにもかかわらず、子供の姿はなかった。
つづく
「おまえたちも、いまからそんなカチコチでどうする。
たまには家に帰って、家族に囲まれてゆっくりしたいとか思わんのか」
するとふたりのうち、少年のほうはあきらかにしょんぼりし、兄に当たる青年のほうが、怒りもあらわに返答した。
「わたしたちの家は麋家です。しかし父上のおられぬあの家に戻っても意味がございません」
「なんだ、継子いじめにでも遭っているのか」
「叔父上がいらっしゃいますので」
と、弟がぼそりとつぶやくのを、兄がきびしくたしなめる。
「これ、余計なことを言うな!」
「それじゃあ、麋家じゃなくて、昔の家に戻ればよいではないか。
『壷中』にあるのだろう、おまえたちの家は」
陳到はさりげなく、しかし目の奥ではするどく、息子たちの反応をうかがった。
しかし、かれらは幼さの抜けきらぬ顔をきょとんとさせて、鸚鵡返しにしてくる。
「コチュウ?」
「それはどちらの土地なのでしょう。わたしどもは河内《かだい》の出自です」
「おう、そうであったか、だれかと間違えてしまったようだ、ゆるせ」
応じつつ、陳到は、内心で
『これはちがうであろうな』
と、見当をつけた。
このとぼけっぷりが、実は演技だとしたら、兄弟揃って、とんでもない曲者ということになる。
孔明の三つ目の書状には、こうあった。
麋竺に、わが君への裏切りの疑惑あり。
麋家に気付かれないように、その真意を探れ。
また、麋家の者の中に、『壷中』という村の出身者がいないか、あるいはその村のことを知らないかどうかを、これも気付かれないように探れ。
もし関係がないにしても、かれらから見張りを絶やさぬこと。
あの麋竺にかぎって、まさかと、書状を読んだ陳到は思った。
この書状が、麋竺ではなく、その弟の麋芳のことを探れ、という内容であったなら、どこかで納得したであろう。
だが、麋竺については、まさか、であった。
新野じゅうの人間に、
「だれからも好かれる人間はだれか?」
と問えば、最初に出てくるのは、劉備ではなく麋竺の名前であろう。
それほどに、人々から慕われている。
どちらかといえば、血の気の多い新野の面々が、七年間、流血沙汰を一度もおこさずに、民衆ともよい関係をつくってこられたのは、麋竺の細やかな気遣いがあったからだ。
孔明があらわれるまで新野を保たせてきたのは、麋竺だ、と言い切ってもよいくらいである。
曹操に寝返った、というのならばわかる。
しかし孔明の書状はそれを否定し、麋竺がついたのは、『壷中』という、襄陽を根城にする、危険な組織の一派かもしれない、ということが書かれてあった。
斐仁のことといい、麋竺のことといい、今回のことは、なにやら暗く重たい秘密の気配がする。
さて、今日は、この寄る辺ない身の上になりつつある二人の兄弟を兵舎に戻すか、あるいは我が家に泊めてやるか…二人用の布団はあったっけ、などといろいろ考えつつ、陳到は歩いていた。
だが、ふと、市場のなかでも、衣服を売っている店に、目が止まった。
店主が、客とにぎやかに値引きの相談をしている。
店は、天幕の下に、商品をひろげただけの簡素なもの。
ご婦人方の領巾のかけてある衝立《ついたて》に、一緒に、北方のめずらしい毛皮がかけてあるのだが、店主が客に熱中しているあいだに、それが、ちょうど店主の反対側のほうへ、するすると引きずられていった。
「おい!」
陳到が店主に注意をうながすべく声をかけると、途端に声にはじかれるようにして、衝立の向こうの影が往来へ飛び出した。
そのうしろ姿は、十歳くらいの子供であった。
「その子供を捕まえてくれ!」
陳到は叫びつつ、まるで弾かれた玉のように素早く飛び出して、子供を追いかけた。
麋竺の養子兄弟が、あとからそれにつづいていく。
追われる子供は、逃げることに慣れているらしい。
往来を、じぐざぐとすばしこく動き、相手をまこうと必死である。
しかし、相手が悪かった。
新野でも一、二を争う武術の達人、陳到の動体視力は、黄昏時の往来でさえ、ちいさな影を見失うことはない。
たとえそれが蠅のようにすばしこくちいさなものでも、陳到は見つけることができただろう。
『うちの娘と同じくらいだな』
幼い盗人を追いかけながら、暗澹たる思いで陳到は走った。
子供は、奪った得物を手に、往来を行く人々をすりぬけていく。
陳到につづく二人のほうは、人にぶつかって怒鳴られたり、市場の商品を蹴り倒してしまったりと、なかなかにぎやかである。
子供の背中が、路地を曲がるのが見えた。
陳到もそれを追う。
しかし、路地は行き止まりにもかかわらず、子供の姿はなかった。
つづく