※
翌朝には、もう屋敷に次兄の姿はなかった。
湿っぽいのを嫌って出て行ったのだと誰かが言ったが、それに反論を加える者はいなかった。
おそらく、そのとおりなのだろう。
それから日数が経ち。
袁家の婿取りの話しは、やはり雲に白羽の矢が立った。
長兄の後押しもあり、話は戸惑うくらいに、とんとん拍子に進んだ。
一度もまともに言葉を交わしたことのない花嫁のための贈り物がそろえられ、袁家からは、身を飾る、腕輪や指輪、婚約を祝う衣などが送られた。
長兄以外の兄弟たちは、雲の幸運をねたんで、あれこれと嫌がらせをしてきた。
だが、縁談がどんどん具体的になるにつれ、未来の袁家の若旦那を怒らせたらまずいとわかってきたようだ。
次第にみな、大人しくなっていった。
力を得るということの意味を、雲は、このことによりあらためて実感した。
次兄のことで心を痛めたためか、第一夫人は寝込むことが多くなり、それからすっかり毒気が抜けたようになった。
惚けたようになってしまった夫人のよき話し相手になったのが、雲の母であった。
義理堅く、情に厚い母は、第一夫人に、生涯、友として、妹として、連れそうつもりなのだ。
息子の縁談も決まったから、あとは自分の思うようにささやかに生きようと決めたのだろう。
雪が融けて、春をむかえようとしつつあるなかで、屋敷にはりつめていた空気はだいぶ和らぎ、家族のなかに諍いが減った。
雲は、あいかわらず、日々を鍛錬と修練で過ごした。
それを見守るのは、拾ってきたしゃれこうべだけ。
次兄のことは、だれも、なにも口にしなくなった。
まるで最初から、存在しなかったかのように。
※
春になり、祝言の正式な日取りが決まった。
雲の将来は決まったも同然である。
次兄の占いがほんとうならば、ささやかな幸福に支えられる日々が、待っているのだ。
袁家の娘とは、あいかわらず顔をあわせることがなかったが、細やかな心遣いのみえる手紙のやりとりはしていた。
不器量だ、という噂は聞いたが、手紙の内容から察するに、人柄の良い娘らしい。
妻にするには好ましい、慎ましい性質の娘であった。
「さあ、その気味の悪いものを置いていけ」
人夫たちが掘った穴を指して、長兄が言った。
だが、雲は意固地に、その命令を聞かなかった。
雲と一緒にいつも外気にさらされて、すっかり茶色に変色しているしゃれこうべは、ぽっかり開いた眼窩を周囲に向け、沈黙をつづけている。
「いいかげんにせよ、阿雲。みながおまえを待っているのだぞ。おまえはまだ、おのれの立場を自覚できていないようだな。
おまえはこの常山真定を代表する名家に婿として入るのだ。
いつまでも子供のように、そんなもので遊んでいてはならぬ」
長兄がせかすのもそのはず、雲も兄も、従者たちも礼装を身にまとい、豪奢な車に乗って、袁家に向かう途中なのだ。
長兄は、雲がいつまでもしゃれこうべを手放さないのに業を煮やし、人夫たちに、穴を掘らせて、そのなかにしゃれこうべを葬らせようとしている。
行き倒れの者の遺体を辻に葬るのは、古来からの風習である。
葬られた者は、集落を外界から守る霊になる、と信じられてきた。
聞けば、雲がひろってきた、この行き倒れのしゃれこうべの主は、この辻に埋められたらしいという。
しゃれこうべの主が何者だったのかは、いまもってわかっていない。
帯飾りが立派だったので、ただの旅人ではなかっただろう、と集落の者たちは言っていた。
とはいえ、遺体についていた帯飾りも、だれかが取ってしまったらしく、いつのまにかなくなっていたそうだ。
その気の毒な旅人の頭部こそ、もともとの主にかえしてやるのが妥当だろうというのが、長兄の言い分である。
がみがみと急かす長兄の言葉を、右から左にやりすごし、雲は、ここ半年、片時もそばから離さなかったしゃれこうべを見つめた。
しゃれこうべも自分を見ているような気がした。
そうして、もう別れのときが来たのだと、逆に雲を説得しているように思えた。
想像したその声は、不思議と次兄の敬の声になった。
雲はしゃれこうべを手放すと、掘られた穴に置いた。
そうして、すかさず人夫たちが土をかけていくのを、その頭骨がすっかり見えなくなるまで、だまって見つめていた。
つづく
翌朝には、もう屋敷に次兄の姿はなかった。
湿っぽいのを嫌って出て行ったのだと誰かが言ったが、それに反論を加える者はいなかった。
おそらく、そのとおりなのだろう。
それから日数が経ち。
袁家の婿取りの話しは、やはり雲に白羽の矢が立った。
長兄の後押しもあり、話は戸惑うくらいに、とんとん拍子に進んだ。
一度もまともに言葉を交わしたことのない花嫁のための贈り物がそろえられ、袁家からは、身を飾る、腕輪や指輪、婚約を祝う衣などが送られた。
長兄以外の兄弟たちは、雲の幸運をねたんで、あれこれと嫌がらせをしてきた。
だが、縁談がどんどん具体的になるにつれ、未来の袁家の若旦那を怒らせたらまずいとわかってきたようだ。
次第にみな、大人しくなっていった。
力を得るということの意味を、雲は、このことによりあらためて実感した。
次兄のことで心を痛めたためか、第一夫人は寝込むことが多くなり、それからすっかり毒気が抜けたようになった。
惚けたようになってしまった夫人のよき話し相手になったのが、雲の母であった。
義理堅く、情に厚い母は、第一夫人に、生涯、友として、妹として、連れそうつもりなのだ。
息子の縁談も決まったから、あとは自分の思うようにささやかに生きようと決めたのだろう。
雪が融けて、春をむかえようとしつつあるなかで、屋敷にはりつめていた空気はだいぶ和らぎ、家族のなかに諍いが減った。
雲は、あいかわらず、日々を鍛錬と修練で過ごした。
それを見守るのは、拾ってきたしゃれこうべだけ。
次兄のことは、だれも、なにも口にしなくなった。
まるで最初から、存在しなかったかのように。
※
春になり、祝言の正式な日取りが決まった。
雲の将来は決まったも同然である。
次兄の占いがほんとうならば、ささやかな幸福に支えられる日々が、待っているのだ。
袁家の娘とは、あいかわらず顔をあわせることがなかったが、細やかな心遣いのみえる手紙のやりとりはしていた。
不器量だ、という噂は聞いたが、手紙の内容から察するに、人柄の良い娘らしい。
妻にするには好ましい、慎ましい性質の娘であった。
「さあ、その気味の悪いものを置いていけ」
人夫たちが掘った穴を指して、長兄が言った。
だが、雲は意固地に、その命令を聞かなかった。
雲と一緒にいつも外気にさらされて、すっかり茶色に変色しているしゃれこうべは、ぽっかり開いた眼窩を周囲に向け、沈黙をつづけている。
「いいかげんにせよ、阿雲。みながおまえを待っているのだぞ。おまえはまだ、おのれの立場を自覚できていないようだな。
おまえはこの常山真定を代表する名家に婿として入るのだ。
いつまでも子供のように、そんなもので遊んでいてはならぬ」
長兄がせかすのもそのはず、雲も兄も、従者たちも礼装を身にまとい、豪奢な車に乗って、袁家に向かう途中なのだ。
長兄は、雲がいつまでもしゃれこうべを手放さないのに業を煮やし、人夫たちに、穴を掘らせて、そのなかにしゃれこうべを葬らせようとしている。
行き倒れの者の遺体を辻に葬るのは、古来からの風習である。
葬られた者は、集落を外界から守る霊になる、と信じられてきた。
聞けば、雲がひろってきた、この行き倒れのしゃれこうべの主は、この辻に埋められたらしいという。
しゃれこうべの主が何者だったのかは、いまもってわかっていない。
帯飾りが立派だったので、ただの旅人ではなかっただろう、と集落の者たちは言っていた。
とはいえ、遺体についていた帯飾りも、だれかが取ってしまったらしく、いつのまにかなくなっていたそうだ。
その気の毒な旅人の頭部こそ、もともとの主にかえしてやるのが妥当だろうというのが、長兄の言い分である。
がみがみと急かす長兄の言葉を、右から左にやりすごし、雲は、ここ半年、片時もそばから離さなかったしゃれこうべを見つめた。
しゃれこうべも自分を見ているような気がした。
そうして、もう別れのときが来たのだと、逆に雲を説得しているように思えた。
想像したその声は、不思議と次兄の敬の声になった。
雲はしゃれこうべを手放すと、掘られた穴に置いた。
そうして、すかさず人夫たちが土をかけていくのを、その頭骨がすっかり見えなくなるまで、だまって見つめていた。
つづく
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そして、ブログ村およびブログランキングに投票してくださっているみなさまも、大感謝です♪
さて、そろそろこの番外編「しゃれこうべの辻」も終わろうとしています。
つづきの話は、同じく番外編「空が高すぎる」です。
が、ちょっとGW中は、更新ができないかもしれないです。
明後日からお休みになるかもしれませんが、ご了承くださいませー。
そんなわけで(?)、今日もみなさま良い一日をお過ごしください('ω')ノ