政治学級二十日クラブ、10月の専門部会は、柳川古文書館において開催されている企画展、「立花家と家臣団 第1期 立花家を支えた家臣たち」に学びました。
・以下、案内チラシなどから、ご紹介します。
元亀2年(1571)の戸次道雪の立花城入城により、うぶ声をあげた立花家臣団。当時の立花家は、大友家の家臣という立場でした。
道雪の跡を継いだ宗茂は、豊臣秀吉によって独立した大名として柳川領主に取り立てられますが、慶長5年(1600)関ヶ原合戦で西軍についたことにより、大名としての地位を失います。
家臣の多くを肥後加藤家に預け、長い浪人生活を経て、慶長11年、宗茂は、奥州南郷(棚倉)の領主となり、元和6年(1620)、奇跡的に再び柳川の領主に返り咲きます。この時、肥後加藤家に預けていた家臣たちを呼び戻して、再び国造りを進めていくのです。
2代藩主忠茂、3代藩主鑑虎の時代には、藩政機構に整備が進められ、近世大名としての礎が築かれます。
・ 第1期企画展 立花家を支えた家臣たち
内容 戦国~近世初期の立花家に仕えた家臣たちに、それぞれの家の古文書を中心に、その活動を紹介されています。(8月28日~10月25日)
・ 第2期の企画展 立花家、近世大名への道のり
内容 立花家臣団の誕生から、苦難の時期を経て、近世大名へと成長をとげる姿を紹介されます。(11月28日~2月6日)
■ 詳しくは千寿の楽しい歴史をどうぞ。次ぎここをクリク ① ②
■ 企画展の解説に聞き入る学級性たち 柳川古文書館(10月10日)
元亀2年(1571)の戸次道雪の立花城入城により、うぶ声をあげた立花家臣団。当時の立花家は、大友家の家臣という立場でした。
道雪の跡を継いだ宗茂は、豊臣秀吉によって独立した大名として柳川領主に取り立てられますが、慶長5年(1600)関ヶ原合戦で西軍についたことにより、大名としての地位を失います。
家臣の多くを肥後加藤家に預け、長い浪人生活を経て、慶長11年、宗茂は、奥州南郷(棚倉)の領主となり、元和6年(1620)、奇跡的に再び柳川の領主に返り咲きます。この時、肥後加藤家に預けていた家臣たちを呼び戻して、再び国造りを進めていくのです。
2代藩主忠茂、3代藩主鑑虎の時代には、藩政機構に整備が進められ、近世大名としての礎が築かれます。
・ 第1期企画展 立花家を支えた家臣たち
内容 戦国~近世初期の立花家に仕えた家臣たちに、それぞれの家の古文書を中心に、その活動を紹介されています。(8月28日~10月25日)
・ 第2期の企画展 立花家、近世大名への道のり
内容 立花家臣団の誕生から、苦難の時期を経て、近世大名へと成長をとげる姿を紹介されます。(11月28日~2月6日)
■ 詳しくは千寿の楽しい歴史をどうぞ。次ぎここをクリク ① ②
■ 企画展の解説に聞き入る学級性たち 柳川古文書館(10月10日)