帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔百三十五〕猶めでたきこと

2011-08-04 06:04:26 | 古典

 



                       帯とけの枕草子〔百三十五〕猶めでたきこと



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔百三十五〕猶めでたきこと


 やはり愛でたいことは、臨時の祭りの頃のことでしょうか。試楽(予行演奏)も、いとをかし(とってもおもしろい)。

春は(岩清水八幡宮の祭の時は)、空の気色ものどかでうららかなので、清涼殿の御前に、掃部司(設備清掃を司る官人)が畳みを敷いて、使(勅使)は北向きに、舞人は御前の方に向いて居る、これらはあやふやな記憶かもしれない、所の衆(蔵人所の官人)たちが衝立をもって前などに据えてまわる。陪従(楽人)も、この庭だけは御前といえど出入りする。公卿、殿上人が、かわるがわる盃とって飲んで、果てには屋久貝というもので飲んで立ちあがる。すぐに、取り食みというもの(残り物を撒き与えられる者)、男ども(酔って)全く普通ではないので、御前では、女が出て取ったのだった。思いがけず、人がいるとも思えない火焚き屋より出て来て、多く取ろうと騒ぐ者は、なまじっか取りこぼし扱いかねている間に軽やかにひょいと取ってかえる者には劣っている。けっこうな納殿には火焚き屋を利用して、取り入れるのは、いとをかしけれ(とってもおかしいことよ)。掃部司の者どもが畳みを取るや遅しと、主殿寮の官人が手に手に箒を取って砂をならす。

 承香殿の前あたりで、笛吹き立て、拍子を打って演奏するので、「はやく出て来てよ」と待つときに、「うど浜」を歌って、竹垣のもとに歩みでて、御琴を弾きだすとき、すぐ次には、どうするのだろうと思える。一の舞が、たいそう麗しく袖を合わせて二人ばかり出てきて、西に寄って向かい合って立った。舞人がつぎつぎに出てくると、足踏みを拍子に合わせて、半臂の緒(腰に垂らしている衣の紐)を整え、冠、衣のくびなど、手も休まず整えて、「あやもなき小松」など歌って舞っているのは、すべてまことにいみじうめでたし(すべてまことにたいそう愛でたい)。    
 「おほわ」などを舞うのは、一日中見ていても飽きないでしょうに果ててしまった。とっても残念だけれど、またあるだろうと思えば頼もしいが、御琴弾き返して、この度はすぐに竹の後ろより舞い出て来る様子は、いみじうこそあれ(とても並のものではない)。柔らかい絹衣の艶、下襲など乱れてあって、あちらこちらに、ながくひきずっている。いでさらに(さあ更に…さあもっとよ)は、言わば、よ(世…男女の仲)の常である。このたびは(岩清水の臨時の祭りの場合は)、また再びはないだろうと思うからか、いみじうこそはてなんことはくちをしけれ(とっても果ててしまうのが残念なことよ)。

 
 
上達部たちも続いて退出されたので、さみしく残念なのに、賀茂の臨時の祭りのときは、かへりだち(還立、神社から帰って内裏での再演奏)の御神楽などに慰められる。それは庭火の煙が細くのぼっているときに、神楽の笛がおもしろく震えるように吹き澄まされてあがると、歌の声もたいそう哀れで、いみじうおもしろし(とってもおもしろい)。十一月の夜・寒く冴え凍り、光沢ある衣も冷たく、扇持つ手も感覚なく冷えも感じない。ざえのをのこ(芸能人)召して声長く引く、人長(舞や楽を指揮する者)の心地よさそうな様子こそ、いみじけれ(並々ではないことよ)。里にいるときは、ただ渡って行くのを見るだけでは飽き足りなくて、御社(賀茂の社)まで行って見るおりもある。多い木々のもとに車を停めると、松明の煙がたなびいて、火のひかりに半臂の緒、衣の艶も、昼よりはこよなく優って見えるよ。橋の板踏み鳴らして、声合わせて舞う間もたいそうおもしろいのに、水の流れる音と笛の音と響き合っているのは、まことに神も愛でたくお思いになられるでしょう。
 頭の中将と呼ばれた人が、年毎に舞人で、愛でたいことよと思って見ていたところ亡くなって、上の社(上賀茂社)の橋の下に(亡霊が)在ると聞けば、忌み慎まれてたち入ってそのことを思いださないと思っても、やはり頭の中将の舞の愛でたいことだけは、さらにえおもひすつまじけれ(けっして忘れ去れそうもないことよ)。

 

「八幡(岩清水八幡宮)の臨時の祭りの日は、名残を惜しもうにも全くどうしょうもない。どうして、返て又まふわざ(帰還して再び舞う業…繰り返してまたまうわざ)をしないのでしょう、さらばをかしからまし(そうしたらすばらしいでしょうに)。舞人は・禄を得ておきながら、後ろを見せて退出してしまうなんてにくらしいわよ」などと女たちと言っていると、上の御前(主上)、お聞きになられて、「舞はせん(舞わそう)」と仰せられる。「まことでございましょうか、そうなりますと、どれほど愛でたいことでしょう」など申しあげる。嬉しがって、宮の御前でも、「なほ、それまはせさせ給へと申させたまへ(やはりそれ舞わせていただきたいと申してくださいませ)」と集まって申しあげ、惑うていると、この度は帰って舞ったのは、たいそう嬉しいことだったよ。そのようなことは無いだろうと心たるみだした舞人、御前に召すと伝え聞いて、物にあたりちらすほどに騒ぐのは、いといと物ぐるほし(まったく正気のさたではない)。舞うと知って局にいる女房たちが惑い上るさまこそ、人の従者、殿上人の見るのも知らず、裳(後ろ腰につける裾ひく衣)を頭にうちかけてのぼるのを、わらふもをかし(笑うのもおかしい)。

 


 「うど浜」

や、有度浜に、するがなる有度浜に、うち寄せる浪は、七草の妹、ことこそよし、ことこそよし、七草の妹は、ことこそよし、あへるとき、いざさは寝なむ、や、七草の妹、ことこそよし。

「浜…女…端間」「浪…(心に寄せくる)波…(うち寄せる)男波」「七草…七種…いろいろの女」「草…女」「妹…いも…愛しい女」「こと…言…事…こ門…女」「よし…好し」「あへる…和える…会える…合える…和合する」「ね…寝…共寝…音…声」。

 

「あやもなき小松」

千鳥ゆゑに、浜にでてあそぶ、千鳥ゆゑに、あやもなき、小松がうれに網な張りそや、網な張りそ。

「千鳥…しば鳴く小鳥…しきりに泣くかわいい女」「鳥…言の心は女」「あやもなき…理屈抜き…たゞたゞ可愛い」「小松…少女…かわいい女」「松…待つ…言の心は女」「網な張りそ…網を張るな…めしとるな…めとるな」。


 上は駿河舞の一節、若い女たちの魅力を手放しで愛でる歌詞のようである。女たちが夢中になるのは、上のような歌詞に象徴される魅力ある雰囲気がこの祭りの舞や音楽にあるのだろう。

 

舞人だった故「頭中将」は、道兼。殿(関白道隆)の弟。寛和二年(986)六月の「小白河の八講」のころ、蔵人頭右中将であった。同年七月に兼参議となった。道兼は、その後急速に上りつめ、長徳元年(995)に、道隆の辞任に伴い関白にまでなるが、入道道隆、関白道兼は同年相次いで病のために亡くなった。思えば、これが道長と伊周の争いの発端だった。