帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔百四十一〕きよしとみゆる物

2011-08-11 06:13:42 | 古典

  



                                  帯とけの枕草子〔百四十一〕きよしとみゆる物



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔百四十一〕きよしとみゆる物


 文の清げな姿

 清いと見えるもの、素焼きの土器。新しい金椀。畳にする薦。水を器に入れて透けている光。


 原文

きよしとみゆる物、かはらけ。あたらしきかなまり。たゝみにさすこも。水を物にいるゝすきかげ。


 心におかしきところ

清いと思っているもの、処腹毛のうつわもの。新しき兼用のうつわもの。多多身にさす子も。満つおものに入れる好き陰。


 言の戯れと言の心

「きよし…清し…清潔…汚れていない」「みゆる…見える…思っている…見ている」「見…覯…媾…まぐあい」「かわらけ…うつわもの…女…処腹毛のうつわもの」「かな…金…兼な…兼用の」「まり…椀…うつわもの…女…おんな」「たたみ…畳み…多々見…多々身…多情」「こ…子…おとこ」「水…みづ…満つ…充つ…身す…おんな」「を…お…おとこ」「物…うつわもの…女」「かげ…影…光…陰…ほと…陰部」。



 心におかしい色好みな意味を聞けば、紫式部の清少納言枕草子批判が、よく理解できるでしょう。紫式部日記に、ほぼ次のように書かれてある。

「艶になってしまった人のをかしきことは、おのずから、このように、あだなるさまになってしまうでしょう。そのあだになってしまった人の(文芸の)果て、どうして良いでありましょうか」。正に的確な批評。


 このような「あだ」な文芸は、風刺、諧謔、嘯き、揶揄いずれにしろ、極めて艶なるものとなる。それは、追い詰められた後宮の人々の廃退的心情の反映でしょうか。


 

 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず   (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による