帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔百三十六〕殿などのをはしまさでのち (その二)

2011-08-05 06:09:06 | 古典

   



                 帯とけの枕草子〔百三十六〕殿などのをはしまさでのち(その二) 



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔百三十六〕殿などのをはしまさでのち(その二)

 例になく仰せ言などもなくて数日過ぎると、心細くてもの思いに沈んでいるとき、おさめ(下仕えの女官)が文を持って来た。「御前(宮)より、宰相の君を介して忍んで賜わせられました」と言って、ここでも人目を忍ぶさま、よけいなことである。人づての仰せ書きではなさそう(自らお書きになられたもの)と、胸がどきどきして、すぐに開けると、紙にはものもお書きになられず、山吹の花びらただ一重を、お包みになっていた。それに、「いはでおもふぞ(言わずに思うぞ)」とお書きになっている。ほんとうに日頃のご無沙汰が嘆かれた。すべて慰められて嬉しいうえに、おさ女も、それを見つめて、「御前には、どれほど、ものの折り毎に、あなたを思い出されておられることか。誰もがひどい御長居と思っているようです。どうして参上なさらないのですか」と言って、「ここへは、ちょっと立ち寄っただけです。参ります」と言って帰った後、お返事を書いて参らせようとするときに、この歌の本の句を忘れていた。

「まったくひどいもの忘れ。おなじ古歌といいながら、この歌を知らない人が居るかしら、ただここまで思い出しているのだが、言い出せないのはどうしたことか」など言っているのを聞いて、前に居る者が、「したゆく水とこそ申せ」と言う。どうして忘れていたのでしょう。これにをしへらるゝもをかし(使用人に教えられるのもおかしい)。

 
お返事を差し上げて、少しほど経て参る。どうしたものだろうと、いつもより慎ましくして、御几帳に半分隠れて控えていると、「あれは、いまゝゐりか(あれは、新参者か)」などわらはせたまひて(などとお笑いになられて)、「にくき歌なれど(気に入らない歌だけど)、この折りは、言い得ているなあと思ってね。おほかた見つけではしばしもえこそなぐさむまじけれ(ふつう見なれない歌で少しも慰めにはならなかったでしょう…ふだんそなたを見かけないので少しも慰められなかったのよ)」などとおっしゃって、変わったご様子もない。上句を・わらはにをしへられしことなど(童子に教えられたことなど)申し上げると、いみじうわらはせ給て(たいそうお笑いになられて)、「さることぞある。あまりあなづるふる事などは、さもありぬべし(そんなことがあるものよ、あまりに侮っている古歌などはそうでしょう…そんなことがあるのね、ひどい軽蔑すべき過去の悪口などはそうある・忘れるべきですよ)」と仰せられる。

 
ついで(宮は女房たちにお話しになられた)、「なぞなぞ(左右に別れてのなぞなぞ試合)をしたことがありました。かたうど(味方の人)ではなくて、そのようなことに経験があって巧みな者が、『左方の一番は私が言いたいのです、そう思ってください』と頼むので、そうしても悪いことは言い出さないだろうと、むしろ頼もしく嬉しくて、皆でなぞなぞを作り出し選り定めているときに、『その詞(なぞなぞ)を、ただ私に任せて、決めずに残しておいてください。こう申しますからには、左方の人々によもや悔しい思いをさせることはありません』と言う。確かにそうであろうと思って、その日が近くなりした。『やはり、その詞を前もっておっしゃい。万が一あとのものと同じこともあるから』と言うのを、『そうなの、どうなっても知りませんから、もう頼まれませんわ』などと拗ねるので、気がかりなまま、その日になって、皆、味方同士、男女別れて、審判の人など、たいそう多く居並び試合がはじまるときに、左の一番の、よく準備している態度は、如何なる詞を言い出すのかと見えるので、こちらの人、あちらの人、皆、心地落ち着かず見守っていて、『なぞ、なぞ』と言う頃合いに、巧妙でねたましい、『天にはりゆみ(あまに張り弓…女に弓なりのもの)』と言ったのです。右方の人は興あると思うが、味方の人は思いもよらず、みな、憎らしく可愛げなくてあちら方に寄って、ことさらにこちら方を負けさせようとしたのを、どうして(月とでも答えられれば負けではないか)と一瞬思うときに、右方の人『いとくちをしく、をこなり(まったくたわいなく、あほらしい)』と、うちわらひて(笑い出して)、『やゝ、さらにえしらず(いやや、ほんまによう知らんわ…いやですわ全く経験していません)』といって、口をゆがめて、『しらぬ事よ(知らないわよ…経験ないことよ)』といって、ふざけかかるときに、味方に点数を入れさせたのです。『ひどわ変よ。これを知らない人なんて誰がいるかしら、点数を入れてはいけませんよ』と言い争ったが、『知らぬと言ったからには、どうして負けにならないのよ』といっては、次々のも、この人、みな言い争って左方を勝たせたのです。いみじく人のしりたること(よく人の知っていること…よく女の経験していること)だけれども、おぼえぬ(経験ない…寵愛を受けない)時はこういったことはあります。『どうして知らずなんて言うのよ』と後に答えた人が恨まれたことよ」などと、お話をされると御前に居る者はみな、そのように思ったのでしょう、「くやしくも答えてしまったことですこと」「こちら方の人の心地、なぞなぞを聞き初めた時は、どんなにか出題した人が憎かったことことでしょう」なんどわらふ(などと笑う)。これ(あまに張り弓)は、忘れたことかしら、たゞみなしりたることゝかや(普通みな思い知ったことだとか)。

 
 女たちの前で、
宮と、「聞き耳により意味の異なる」会話を交した。どのような古歌かを知らされていない女たちには次のように聞こえるでしょう。


 「人を慰める歌にしても、憎らしい古歌だったから、少納言よ、慰めにはならなかったでしょう」「上の句を、愚かな私は忘れて、童子に教えられました・童でも知っいるものを」「そういうことがある。人を、ものごとを、あまり侮っていると、そういうことになるでしょう・よく反省しなさい」。

 

古歌の清げな姿と心におかしきところ
 心には下ゆく水のわきかへり いはで思ふぞ言ふにまされる

(心には底流する水が湧きかえり、言わないけれども、言うに増して思っている……女心には下逝く身すが湧きかえり、黙って思うよ、声に出すより増さっている)。

「したゆく…底流する…密かに逝く…忍びつつ感極まる」「水…みず…みす…身す…女の身」「す…洲…おんな」「まされる…(感情の高ぶりなどが)増している」。


 この歌を、童に教えられましたと聞けば、笑うでしょう。


 「(添えられた)やまぶき…山吹き…花の名…火山活動…感情の山ばの頂きで咲く白いおとこ花」。
 
 
なぞなぞ試合の話
 「なぞなぞ、天に張り弓……何ぞ何ぞや、女にとって弓なりのものとは」「あめ…あま…天…女」「に…場所を示す…動作の対象を示す」「張り弓…月の形…張り弓のようなもの」「月…ささらえをとこ(万葉集に月の別名とある)…弓なりとなったおとこ」。

答え難いなぞなぞで、「えしらず(ようしらんわ)」「をこなり(あほらしい)」「しらぬこと(知らないこと…けいけんないことよ)」と、相手方は言ってしまった。「月」などと答えては、答えになっていないと論じ立てることができる。「この人なん、みな論じ勝たせける」は、なぞなぞは相手に論じ勝つものではないので、たぶん審判の判定に際して論じ勝たせた。この類いのなぞなぞを次々と出した。片時は裏切りと見えた女の味方にとっての見事な活躍話。女たちを思い直りさせたはず。

伝授 清原のおうな

聞書 かき人知らず    (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新 日本古典文学大系 岩波書店」による


帯とけの枕草子〔百三十六〕殿などのをはしまさでのち (その一)

2011-08-05 06:01:04 | 古典

 



                  帯とけの枕草子〔百三十六〕殿などのをはしまさでのち(その一)



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 清少納言枕草子〔百三十六〕殿などのをはしまさでのち(その一)

 殿(道隆)らが亡くなられて後、世の中に事が起こり騒がしくなって、宮も内にいらっしゃらず、小二条殿という所(伯父の高階明順邸)におられるときに、なにともなくうたてありしかば(何となく不快だったので)、久しく里に居た。宮のご身辺が気に掛かるので、やはり絶えたままではいられそうもなかった。

右中将(源経房)が、里に・いらっしゃって、お話しされる。「今日、宮のもとに参りましたところ、いみじうものこそあはれなりつれ(とっても様子がしみじみとした感じでした…ひどく何だか哀れでした)。女房の装束、裳、唐衣など季節に合い怠りなくお仕えしていましてねえ、御簾の開いているところから見ますと、八、九人ばかり、朽葉の唐衣、薄色の裳は紫苑や萩などで、かわいらしく居並んでいました。御前の庭草のたいそう茂っているのを、『どうして、取り払わせないで…』と言いましたら、『ことさら、露をおりさせてご覧になられる、ということで…』と、宰相の君の声で応えられたのが、をかしうもおぼえつるかな(趣があるなあと思いましてねえ)。『少納言の御里居をほんとうに心ぐるしく思っています。このような所に宮がお住みにられる間は、大変なことがあっても、必ずお側にお仕えするべきものと宮は思し召しになっておられるものを、そのかいなくて』と、何度も言っていました。あなたに話して聞かせてくださいとのことなんでしょうね。参上して見てごらんなさい、しんみりした所のそのありさまよ、物見の板敷の前に植えられた牡丹など風情のあること」などと、おっしゃる。

「いさ、人のにくしとおもひたりしが、又にくゝおぼえ侍しかば(いえ、或る人たちが、わたしを憎いと思っているのが、また憎く思いましてねえ)」とお応えする。

「おいらかにも(穏やかなことではないですなあ…暢気ですなあ)」と、わらひたまふ(お笑いになる)。ほんとうに、どんなご様子なのかと思いは参上する。宮のお気持ちではなく、お仕えする人たちなどが、少納言は左の大殿(道長)方の人、あちら方を認める筋です、ということで、集ってものなど言っているところに下よりわたしが参るのを見ると、ふと言い止んで、そのままでいるありさまが普通ではないのが憎くて、「参れ」など度々ある仰せ言をも聞き過ごして、ほんとうに久しくなってしまったので、また、宮の周囲ではわたしをあちら方と言うことにして、空言なども出ていることでしょう。


 言の戯れと言の心

 「世の中にこといでき……左の大殿(道長)によって、宮の兄伊周は太宰権師に、弟の隆家は出雲の守にと、都より遠ざけられ、宮の里二条の宮は焼亡という出来事など」「右中将…源経房…妹の明子は道長室(高松の上)…この微妙な立場の人との交友も女たちの誤解の一因でしょう…後々に経房は太宰権帥として任地で亡くなった。むしろ道長と相容れないところがもとより有ったのでしょう…あちら方への接近は、虎穴に入らずんば虎児をえずということもある」「八、九ばかり…女房の人数、五節の舞姫を出されたころには三十人は居た」「ことさら、くさの上につゆ置かせられて、ご覧になられる……庭草が生い茂っているという、現実のみじめさを表面には表さない物言い。艶なる情が添えられてある」「草…女」「つゆ…露…ほんの少し…はかないもの…白つゆ…おとこの色」「おいらかにも…おいらかにも(あらず)…おいらかにも(ありける)」「おいらか…穏やか…おっとりしている」。


 
 宮は女たちと清少納言のこの悪しき事態を、どのように治められたか、次に記す。