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帯とけの枕草子〔百三十八〕きよげなるをのこ
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子〔百三十八〕きよげなるをのこ
文の清げな姿
身なりなど整った男が、双六(遊び…博打)を一日中して、なおも飽きないのか、短くなった燈台に火を灯してたいそう明るくして、敵(対戦相手)が、賽を責めて出目を乞い、すぐには壷に入れないので、壷を盤の上に立てて待っているときに、狩衣の襟が顔にかかれば片手で押し入れて、堅くない烏帽子を振りやりながら、「賽の目に呪文となえても、出目をうちはずしてしまうだろうよ」と、じれったそうに(敵方を)じっと見ているのは、誇らしく得意げにみえる。
原文
きよげなるをのこの、すぐろくを日ひと日うちて、猶あかぬにや、みじかきとうだいに火をともして、いとあかうかゝげて、かたきのさいをせめこひて、とみにもいれねば、どうをばんのうへにたてゝまつに、かりぎぬのくびのかほにかゝれば、かたてしてをしいれて、こはからぬゑぼうしふりやりつゝ、さいゝみじくのろうとも、うちはずしてんやと、心もとなげにうちまもりたるこそ、ほこりかにみゆれ。、
心におかしきところ
心清げに見える男が、争い遊びを一日中うって、なおも飽きないのか、短いのが(をのこが)、うてなに情火をともして、たいそう赤くして、相手が、さい(幼い歳)を責め、乞いてすぐにはうけ入れないので、どう(童…をのこ)を、ばん(うてな…女)の上に立てて待っているようなときに、狩衣の襟が顔にかかれば片手で押し入れて・余裕で、こわくないえぼうし(怖くも無い笑奉仕の女)を、振り遣りつつ(相手にせずに)、「さいゝみじくのろふとも、うちはづしてん(歳を幼いとひどく責めようとも、内裏から外してやる)」と、不安そうにちよっと守りになっているのは、ほこりか(塵埃か)と見える。
言の戯れと言の心
「すぐろく…双六…博打…お遊び」「どう…胴…壷…童…おとこ」「ばん…盤…台…うてな…女」「火…情熱の火」「あかく…明るく…赤く…元気に」「さい…賽…歳…才」「こはからぬ…堅からぬ…強からぬ…怖からぬ」「ぬ…ず…打消しの意を表わす」「ゑぼうし…えぼうし…烏帽子…笑奉仕…お笑いでお仕えする…我がこと」「ふりやる…振り右に左に変える…振り遣る…相手にしない」「ほこり…誇り…塵埃…塵芥」。
殿(道隆)が亡くなられて後、数年後に、左大臣道長は、むすめの彰子十二歳を入内させ、女御とした。その後、余裕をもって遊ぶが如く、定子中宮と後宮を、揺さぶり続けたのである。
このような事実も歴史書には書かれることはない。上のような形で、うそぶきや寓話による揶揄としてのみ、辛うじて書き遺される。それも、今や文の清げな姿しか見えなくなったようだ。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。