帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの平中物語(十二)また、この男、なほざりにものいふ

2013-11-01 00:07:58 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた男の詠んだ古今和歌集には載せられない和歌を中心にして、その生きざまが語られてある。平中は、平貞文のあだ名で、在中将(在原業平)に次ぐ「色好みける人」という意味も孕んでいる。古今集の編者の貫之や躬恒とほぼ同世代の人である。


 色好みな歌と物語を紐解いてゆく。
言の戯れを知り、字義とは別に孕んでいる言の心を心得て読むことができれば、歌の「清げな姿」の裏に「心におかしきところ」が見える。物語の帯はおのずから解ける。

 

 
平中物語(十二)また、この男、なほざりにものいふところありけり


 また、この男(平中)、なほざりにものいふ(いいかげんに言う……らんぼうに口説く)ところがあったのだった。夏(ほととぎすの鳴く季節)の夜の、月いとおもしろきに(月がとっても美しいときに……つき人おとこがとっても満ちていたので)、「こむ(そちらへ行くつもりだ……来そうだ)」と言ったので、女、言い遣る。

ほととぎすいづれの里を見ざりけむ あまたふるすと聞けば頼まず

(ほととぎす・なおざりな鳥・どこの里をたずねなかったでしょうか、どこへでも行く、多数の里は古巣となると聞けば、君を・信頼しません……ほと伽す、どこの女を見なかったでしょうか、どこへでも見に行く、多数のさ門、古すとなると聞けば、君を・頼りにしないわ)。

 

言の戯れと言の心

「ほととぎす…他の鳥の巣に産卵して育てさせる習性のなおざりな鳥…ほと伽す…お、門、伽す…ほとのまぐあいす」「ほ…お…をとこ」「と…門…をんな」「とぎ…伽…夜伽」「さと…里…女…さ門」「さ…接頭語」「見…覯…媾…まぐあい」「ふるす…古巣…古くする…古すとする…見捨てる」「す…洲…巣…をんな」。

 

男、返し、

鳴きふるす里やありけむほととぎす わが身ならぬをいかがこたへむ

(鳴き盛り過ぎる里でもあったのだろうか、ほととぎす、我が身ではないので、如何答えたものやら……泣き盛り過ぎる女もいただろうか、ほと伽す、我が身ではないので、どのように感応したのだろうか)。


 言の戯れと言の心

「鳴き…泣き…(何かに感応して)泣き」「ふるす…古す…盛り過ぎる」「里…女」「ほととぎす…鳥…女…ほと伽す」「こたへ…答え…応え…感応…こらえ…がまん」「む…だろう…推量の意を表す…だろうかなあ…婉曲に言い表す」。

 

とだけ言って遣って、(口説くのを)やめたのだった。


 

平中は「色好み」とか「おほかた」という評判と共に、「あだ人」とか「なおざりにもの言ふ人」というよくない評判もたっていた。口説きが続けて失敗することもあったのである。


 

平中物語の原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。歌の漢字かな表記は必ずしも同じではない。



 以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。

 

古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。