■■■■■
帯とけの平中物語
「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、その生きざまが語られてある。古今集編者の貫之や躬恒とほぼ同世代の人である。
言の戯れを知らず言の心を心得ずに、君が読まされ読んでいたのは、歌の「清げな姿」である。「心におかしきところ」を紐解きましょう。物語の帯は自ずから解ける。
平中物語(二十二)また、このおなじ男、聞きならして
また、この同じ男、噂に・聞き慣れていて、まだものは言っていない女が居たのだった。なんとか言い寄ろうと思う心があったので、常にこの家の門よりは、(馬を降りて)歩いたのだった。こうしていたけれど、言い寄る手掛かりもなかったが、月の趣きのある夜に、彼の門の前を通ったときに、女たち多く立っていたので、馬より降りて、この男、話しかけたのだった。女たちは・応えたりしたのだった。男うれしいと思って立ちどまったのだった。この女ども、男の供の人に、「誰ぞ」と問うたので、「その人なり(名はお聞きでしょう・その人です)」と答えたので、この女たち、「噂にばかり聞いていたけれど、さあ、招き入れて、話をしましょう」「どういうことか聞きましょう」と、「同じ事なら、この庭の月の趣あるのを見せましょう」と言ったので、この男、「なにのよきこと(いいですとも……何と都合のよいことよ)」とて、もろ共に、(門内に)入ったのだった。女たち集まって簾の内にて、(男は外に居て)「あやしう(不思議に……理解できないまま)、噂に聞いていたけれど、現に、(その方と)話のできることよ」と、男も女も言い交わして、をかしき物語して(興味ある話をして……可笑しい話しをして)、女も、心つけてものいふありけり(心ひかれ熱心にもの言うのもいたのだった)。集まって話をしている中で、男も、奇妙に嬉しくて、よくぞ言い寄ったことなどと思っている間に、この男の乗って来た馬、ものに驚いて、(綱を)引き放って、走ったので、童ほか供の者皆、馬を追って行ったので、童ひとりだけ留まっていて、みえしらがひて(わざと見えるように)うろうろしていた。それで、この男、かたはらいたがりて(じれったくいたたまれないので)、(童を)招いて「どうしたのだ」と言ったところ、童が「早く隠れて」と言って、(奥へ)追い込めたのだった。それを、この女たち、「何ごとよ」と問うたので、「何ごとでもない。馬がだね、ものに驚いて、放馬したことよ」と、男が答えたので、女「いな(いいえ)、これは、夜が更けるのに来ないので、妻が、つくりごとしたるなむめり(わざと事件を起こさせたのでしょうよ)」「あなむくつけ(あれまあ、おそろしい)、とるにたりない戯れ言さえ言う妻を持った者は、何としょう(まして事件を作らせるとは)」と、気味悪がり、ひそひそ話して、皆、(奥に)隠れてしまった。この女たちに、この男、「あな(あゝ)、わびしいよ、さらさら、そういうことではないのです」と言ったけれど、まったく聞かない。果ては、もの言いかける人も居なかったので、よろずのことを独り言に言ったけれど、さらさら応える人もいなかったので、言いようもなくて、出て来たのだった。そして、翌朝、しぐれていたので、男、このように言い遣る。
さ夜中にうき名取川わたるとて 濡れにし袖に時雨さへ降る
(さ夜中に憂き評判とって、帰りに・名取川わたるとて、濡れた袖に時雨さへ降る・泣き面に蜂よ……さ夜中に浮き汝とって、おんな川わたるとて濡れた身の端に、果て時のおとこ雨降る)。
言の戯れと言の心
「うきな…憂き名…嫌な評判…浮き名…浮いたうわさ…浮いた汝…浮気なおとこ」「川…女」「そで…袖…端…身の端」「しぐれ…冷たい雨…その時のおとこ雨…果てのおとこ雨」。
とある、返し、
時雨のみふるやなればぞ濡れにけむ たち隠れむことぞくやしき
(時雨ばかり降る野外だからね、濡れたのでしょう、わたしが・隠れたのが悔しくて・涙に濡れたのかしら……その時のおとこ雨の身降るや、熟ればぞ、濡れたのでしょう、君のわらは・絶ち隠れることぞ、悔しい)。
言の戯れと言の心
「のみ…だけ…限定…の身」「なれ…なり…熟れ…とれよれとなる」「たち…立ち…絶ち」「隠れむ…亡くなるだろう…起たなくなるだろう」。
とあったことよ、喜んで、またものなど言い遣ったけれど、応えもしなかったので、言いかけるのをやめたのだった。
放馬したのは、(一)偶然の出来事。(二)宵の約束なのに来ないので、妻が嫉妬して従者にさせた作り事。(三)平中が供の者に予め命じて置いた事、夜中に歩いて帰れないと宿る作戦。さて、どれでしょう。
(一)ならば、平中の主張通りとなる。ただ、一人残った童の態度が説明できない。(二)ならば、女たちの推理通りで、係わりたくない怖い妻の居る男ということになる。(三)ならば、策士、策に溺れる類。言い寄りの失敗は平中の自業自得となる。
原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。
以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。
古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。
歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。
「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。
歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。
歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。