帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの平中物語(十八)また、この男、もののたよりに

2013-11-09 00:04:07 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた男の詠んだ古今和歌集には載せられない和歌を中心にして、その生きざまが語られてある。平中は、平貞文のあだ名で、在中将(在原業平)に次ぐ「色好みける人」という意味も孕んでいる。古今集の編者の貫之や躬恒とほぼ同世代の人である。


 色好みな歌と物語を紐解いている。
言の戯れを知り、字義とは別に孕んでいる言の心を心得て読むことができれば、歌の「清げな姿」の裏に「心におかしきところ」が見える。物語の帯はおのずから解ける。

 

平中物語(十八)また、この男、もののたよりに、いとさだかにはあらず


 また、この男(平中)、もののたよりにいとさだかにはあらず(ものの使者として、たいして信頼できず……恋の仲介として、それほど確りせず)、なまほきたるものから(うすぼんやりした者ながら)、それでも、文は伝えられる人を頼りにして、かんだちめめきたる(上達部・大臣、大納言級らしい)人の娘に、よばひけるを(言い寄ったが……夜這いしたが)、もしいかならむと見けるを(もしやどうなるだろうかと見ていたところ……もしや、如何に成るだろうかと覯していたところ)、男、嬉しいと思って、いひかわしけることふたたびみたび(文で・言い交わしたこと二度三度……情けを交したこと二、三度)ほどして、後々はしなかったので、

身を燃やすことぞわりなきすく藻火の 煙も雲となるをたのみて

(身を燃やしているのが、どしょうもなく耐え難い、過ぎたものの火の煙も雲となるのを、我も殿上人となるのを・あてにしていて……身を燃やしていたのが、どうしょうもなくつらい、すくもの火のわずかな気ぶりよ、あなたが・雲の上に成るのをあてにしていて)。


 言の戯れと言の心

「よばふ…呼ぶばう…夜這う」「見…覯…覯…まぐあい」。

歌「すく…食く…食する…過ぐ…好く」「もひ…藻火…昆布・わかめなど炙る火」「けむり…煙…気振り…気色の表れ振り」「雲…雲居…雲の上…殿上…山ばの頂上の上…心に煩わしくも湧き立つもの…情欲など」。

 

とあったが、まったく返事なし。それで、かの男、文をことづけていた人に逢って、「いかなる事を、姫は・お聞きになられたのだろうか」などと言ったけど、「何ということもありません。守り、大切にしてさしあげていらっしゃいますので」と言ったので、そうであろうと思って、「それでは、良き折り折りに、さしあげてください」(と言って)、そして、文に思っていたことの限り、多く書いてとらせたら、「そうしましょう」と、持って行ったけれど、また、その返事もなかったので、男、また、言って遣る。

 はきすつる庭のくづとやつもるらむ 見る人もなき我が言の葉は

(掃き捨てる庭の屑とでもなって積るのだろう、見る人もない我が言の葉は……――)。

と言って遣ったが、返事もしなかったので、また、

 秋風のうち吹き返す葛の葉の うらみてもなをうらめしきかな

(秋風が吹き返す葛の葉の、裏見ても・恨んでも、それでもやはり、貴女がうらめしいことよ……――)。

 かくのみいへど(このように、色好みなところなしに詠んでも)、返事は全くせず。あやしくて、どうなっているのか、さだかなるたより(確か情報)は無いのかと求めたのだった。この、文を伝える人は、もとより、少しぼんやりしているように思ったので、あれこれ言わず、ねんごろに心にいれて(懇切丁寧に)尋ねたところ、「とっても頼りない文伝え(わたくしめ)に伴って起きた事なのです。その人(相手の女のこと)はよく知らないのです。私どもも見ましたから最初の頃の返事はしていたでしょう。その人(代理で返事した女房)が、もの詣でに行ってしまったようなので、心には思いながら、(女は返事が)出来ないのです。自らは、字もひどい悪筆で、歌もまた知らず。せっかくのお言葉の数々を・屑とつみ――」と、言ったのだった。卑しからぬ人でも、その程度のものだったのだ。そして、言う甲斐のない事にして止めたのだった。

後に聞いたところによれば、(その女は)いたつきもなく(苦労もなく或る人の)家刀自(一家の主婦)になったのだった。


 

「いたつきもなく」とある。字が下手でも、歌が詠めなくても、労せずして、一家の主婦となって幸せに暮らしたという。作者は、平中に弄ばれなくて、めでたしめでたしと言うことで、この話を終えたようである。


 

原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。歌の文字の、ひらがなか漢字表記かは、必ずしも同じではない。

 


 以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。

 

古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。

 
歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。