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帯とけの平中物語
「平中物語」は、平中と呼ばれた男の詠んだ古今和歌集には載せられない和歌を中心にして、その生きざまが語られてある。平中は、平貞文のあだ名で、在中将(在原業平)に次ぐ「色好みける人」という意味も孕んでいる。古今集の編者の貫之や躬恒とほぼ同世代の人である。
色好みな歌と物語を紐解いてゆく。言の戯れを知り、字義とは別に孕んでいる言の心を心得て読むことができれば、歌の「清げな姿」の裏に「心におかしきところ」が見える。物語の帯はおのずから解ける。
平中物語(十三)この男、いひすさびにけるに、七月になりにけり
この男(平中)、いひすさびにけるに(言い寄りを進めていたときに……言い寄りを遊び半分にしていたときに)、七月になったのだった。それで、七日に河原に行って遊んでいて、この男、夢のように逢って、見もえあはせで(顔も見合わせずに……身も合わせられずに)、言葉の便りは、時々、言い通わす人(女)の車が(偶然に)来て、河原に停めたのだった。供の人たちが見て言うのを聞いて、男、「このように近しきこと、嬉しいことよ、ここを天の川とですね、思ってしまいます」と、供のものに・言わせて、男、
彦星にけふは我が身をなしてしが 暮れなば天の川わたるべく
(彦星に、今日は、我が身を成したいことよ、暮れれば、天の川渡るだろう・七夕姫と逢うでしょうね……おとこ欲しに、京は、我が身を為したいなあ、暮れれば、あまの川、わたることができるでしょう)。
言の戯れと言の心
「彦星…男星…おとこ欲し」「けふ…今日…きょう…京…山ばの頂上」「てしが…したいものだ…自己の願望を表す」「あま…天…女…吾間」「川…女」「わたる…渡る…の許へ行く」「ベく…べくあり…するだろう…することができよう」。
と言わせたら、女、見には見て(歌を・注目することはして)、慎むべき人でも居たのだろうか、ただ「くれなば、かしこにを(日が暮れれば、彼処でね……呉れるならば、樫こでね)」と言って、帰ったのだった。それで、(早く)日よ暮れよと、いつになったらと、彼処に・出かけて行って、あひにけり(逢ったのだった……合ったことよ)。またつとめて(次の早朝……復努めて)、男、
天の川こよひもわたる瀬もやあると 雲の空にぞ身はまどふべき
(天の川、八日の今宵も、渡る瀬があるだろうかと、雲の空で、身は迷うでしょう……あまの川、八日の今宵も、渡る背があるだろうかと、心雲が空しくなってだ、背おの・身は途惑うだろう)。
言の戯れと言の心
「暮れ…呉れ…もらう」「かしこ…彼処…あの所…樫木…樫子…堅いおとこ」「あひ…逢い…合い」。
歌「雲…心雲…煩わしくも心に湧き立つ情欲など」「空…むなしい」「まどふ…迷う…途惑う…途方に暮れる」「ベき…しそうだ(推量)…するはずだ(当然)」。
返し、女、
七夕のあふ日にあひて天の川 たれによりてか瀬を求むらむ
(七夕の逢う日に逢って、八日の・天の川、君は・誰に頼って、浅瀬を求めるのでしょうか……七夕の合う日に合って、八日の・あまの川は、垂れに頼って、背お、求めるのでしょうか)。
「あふ…逢う…合う」「あま…天…あ間…女」「川…女」「たれ…誰…垂れ…垂れ下がる…よれよれ…樫こではない」「瀬を…浅瀬を…背お…おとこ」。
と言った。いたく人につつむ人なりければ(ひどく他の人に慎み深い人なので……ひどく男に、包む女であったので)、煩わしいといって、男、この女との関係を・やめてしまった。
女は「つつむ…包む…覆い隠す…(ひどく貪欲な心を)包み隠す」人だったのである。
平中物語の原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。歌の漢字かな表記は必ずしも同じではない。
古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。
歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。
「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。