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帯とけの平中物語
「平中物語」は、平中と呼ばれた男の詠んだ古今和歌集には載せられない和歌を中心にして、その生きざまが語られてある。平中は、平貞文のあだ名で、在中将(在原業平)に次ぐ「色好みける人」という意味も孕んでいる。古今集の編者の貫之や躬恒とほぼ同世代の人である。
色好みな歌と物語を紐解いている。言の戯れを知り、字義とは別に孕んでいる言の心を心得て読むことができれば、歌の「清げな姿」の裏に「心におかしきところ」が見える。物語の帯はおのずから解ける。
平中物語(十七)また、この男、をかしきやうにて得たる女ありけり
また、この男(平中)、をかしきやうにて(興味ある情況で……犯した様にて)得た女があったのだった。得て三、四日ばかり経ったときに、差し障ることがあったので行けなくて、ひどく愛おしくなって、月のおもしろかりける夜(望月で明るい夜……つき人をとこの照る夜)、彼女の家に行って、待ちどおしく急いで馬より降り、走って、庭を見ると、前栽の許に、みな女、立ち話などして一緒になっていた。かかりければ(こうした状況だったので……あの時も・この様であったので)、この男、をかしきやうに思ひて(興味あるように思えて……犯したときの様に思えて)、歩み寄ってゆくと、この女ども、急に騒いで、板敷きに上った。男は、われのために隠れている人(女)こそは居ると思って、前栽の中に、立ちやすらひけり(立ち止まったのだった……立ち止まりためらったのだった)、こうしていると、くそたちきけり(下女たちが来た……うさん臭い女たちが来た)。我が許にくるのだろうと、この男は、見て立っていると、男の許には来ないで、すすきがたいそう群生し風情ある所の許に行って、しばらく帰らないので、怪しいので、密かに草に隠れて、うかがい寄ると、法師をば隠していたのだった。その許にもの言い遣っていたのだった。先程・ひそかに立っていた所にぞ、「などかさてはものしたまふ、早う来や(どうしていらっしゃるの、早く来てよ)」と言ったので、「いま、参ります、この前栽が、いとおもしろくくまぐましき(とっても風情があってすみずみまで……たいそう興味ある暗い所を)見ているのです」と言って、立っていたときに、その法師の許に、間もなく次々と人を使いに遣る。この男の思うには、侵入した法師を・捕えさせようかと思ったけれど、わが通って来ること、まだいくらも経っていない、元から通っている人かもしれない。また、後からだとしても、このように情けない女により、けしからずさとやいはれむ(異様ですと、我の方が・一斉に言われるだろうか)など、思いが揺れ動くうちに、「早く、こちらに、こちらに」と、この男が立ってるので、呼び付けて、すかさむとおぼしき(その気にさせようと思われる……はぐらかそうと思われる)様子で、たばかりて(欺いて……計略通りに)、女は下女に・言わせたけれど、この呼びに来た人が、「筆に墨塗って持って来い」と言ったら、そうして持って来た。懐紙にこのようなことを書いて、「これを、先に女主人に奉りなさい。あゝ、忘れ給うなよ」と言って、与えたのだった。
穂にでても風にさわぐか花すすきいづれの方になびき果てむと
(穂に出ては、風に騒ぐか花すすき、どちらの方向に靡いて、花実・散らし果てようかと……ほ先に出てからも、心に吹く風に騒ぐかな、おとこ花薄、どちらの女の方に靡いて果てようかなと)。
言の戯れと言の心
「ほ…穂…薄の穂…お…おとこ」「風…心に吹く風…これは、ひややかな風か」「花すすき…すすきは草花ながら、古来歌での言の心は男。そのへんのおかしさは、清少納言枕草子第六十四章『草の花は』に描かれてある…端薄…おとこは薄情な物」「方…方向…女の方」。
と言って、返事も聞かず、さっさと出て来たのだった。男は、限りなく、憂じてそのままものもいはず(にくらしく思い、そのまま便りもしなくなった……その気にならず、そのまま情けを交さなくなった)。
この男が、以前「をかしきやうにて」得た女は、仕掛けた罠に誘い込まれたことが、ようやくわかったのである。本ものかどうか法師も罠に掛っていたのである。
歌は、他にも靡き寄る女は迷うほど居る、わがすばらしい花実、受け取れず残念だったな、という心であろう。
平中物語の原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。歌の漢字かな表記は必ずしも同じではない。
以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。
古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。
歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。
「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。
歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。
国文学が歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。