帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの平中物語(三十二)また、この男、いひみいはずみ・(その一)

2013-11-30 00:10:09 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、平中の生きざまと人となりが語られてある。


 歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてあるので、それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。


 
平中物語(三十二)また、この男、いひみいはずみ ・(その一)

 また、この男(平中)、言ったり言わなかったり、気ままにもの言い遊ぶ人(女)がいたのだった。そのように、ものはかなく(とりとめもなく……おざなりに)過ごして、しぜんに年月が経ったのだった。男、おとせねば(訪れないので……音沙汰なしなので)、女のもとより、しもつきのついたち(霜月の朔日……冬の新月)の日に言って来た。「としはいくとせにかなりぬる(年は幾年になってしまったか……初の疾しつきは幾年前になってしまったかしら)」と言ったので、(男)いぶかしがって、数えてみると、三年前の朔月の日であったのだった。

(男の歌)、

 いにしへのことのたとひのあらたまの 年のみとせにけふこそはなれ

(昔の事の例えにある、新玉の年の三年に、確かに今日はなる・公けにも別れると言うのかな……昔話のように・別に言い寄る男できて、新玉の疾しの見とせに、京は・今日こそは成る・というのかな)。


 言の戯れと言の心

 「しもつきのついたち…旧暦十一月一日…霜月の朔日…寒い冬の新月の日」「朔…望月にほど遠い青二才のころ」「月…月人壮士…男…おとこ」。

歌「いにしへのこと…伊勢物語にあること(帯とけの伊勢物語二十四参照)」「けふ…今日…きょう…京…山ばの頂上」「とし…年…歳・年齢…疾し…早い…おとこのさが…敏し」。


 返し、(女)、

 ふりにける年の三年をあらためて わが世のこととみちとせを待て

 (古びた歳の三年を、あらためて、わたくしの宿世の事とともに、三千年を待て……古くなった疾しの後の三年を、あらためて、わたくしの夜の異とともに、満ちる年を待って)。


 言の戯れと言の心

 「世…男女の仲…宿世…夜」「こと…事…事故事件…異…異常…成らぬこと…潤わぬこと(帯とけの伊勢物語二十四参照)」「みちとせ…三千年…満ちとせ…満ちる年」。


 (また)、男(平中)、

 心よりほかに命のあらざらば 三千年をのみ待ちはすぐさじ

 (心より他に命は無いので・心こそ人の命ならば、三千年、人を・待って過ごさないでしょう……心こそ人の命だから、三千年、おの身、待っては、過ごさないだろう)。


 言の戯れと言の心

   「ざら…ず…打消しの意を表す」「ば…なので…ならば」「じ…打消しの推
  量を表す」。

と言って、「いと久しきことのたとひにすぎぬべし。なほよそにてだに、いかでものいはむ(とっても久しきことの例えに・三千年は・言い過ぎでしょう。また他所ででも、なんとか逢って話ししましょう……とっても久しきことの例えに・三千年は・過ぎるでしょう。我が・汝お、もの隔ててでも、なんとかしてものいうつもりだ)」とぞ、言い遣ったのだった。


 言の戯れと言の心

 「よそ…他所…よそよそし…ものを隔てて」「なほ…猶…また…直…汝お…わがおとこ」「ものいう…言葉を話す…気の利いたことを言う…性能の良さを発揮する…情けを交す(この度はと、平中、例によって自信を示したのである)」。

 (つづく)。



 『伊勢物語』では、男「かたゐなか」に住みけりとあった。「かたゐなか…片田舎…片井中」「片…不完全…不十分」「ゐ…井…女」。

この女も何らかの原因で初夜うまくいかなかったのである。それから三年間、言葉遊びだけで、無為に過ごしていた時の物語である。



  原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。

 


 以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。


 古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。

 

歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。