帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの平中物語(二十四)また、この男、親近江なる人に

2013-11-16 00:36:32 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、その生きざまが語られてある。古今集編者の貫之や躬恒とほぼ同世代の人である。


 
言の戯れを知らず、歌のさまも知らず、言の心を心得ずに、人々が読まされ読んでいたのは、歌の「清げな姿」である。「心におかしきところ」を紐解きましょう。歌物語の帯は自ずから解ける。


 

平中物語(二十四)また、この男、親あふみなる人に


  また、この男、おやあふみなる人(親が近江の人……お、や、合う身成る女)に、たいそう忍んで通い住んでいた。この女の親、気色でも見たのだろうか、くぜち(文句を言い)、まもりいさかひて(娘の女房たちを口やかましく叱って)、日が少しでも暮れれば、門を閉ざして、窺がっていたので、女は思いを妨げられ、男は逢う手立てもなくて、かろうじて、ついひぢ(築地・土塀)を越えて、この男、入ったのだった。いつも、もの言い伝える女に、たまたま出遭ったのだった。そうして、それを介して、「築地を越えてだよ、やって来てしまった」と、言わせたのを、親、気色見て、ひどく騒ぎ大声あげたので、「とても対面できそうにない。早く帰って」とだ、言いだしたので、(さらに)「ゆくさき(二人の将来……君のこれからの行く先)は、ともかくとして、少しでも哀れと思われるのでしたら、今宵は帰ってね」と、切実に言いだしたのだった。帰ると言って、男、
 みるめなみたちやかへらむ近江路は 名のみ海なる浦とうらみて

(海草ないので、たち帰ろう、近江路は、名ばかりが海の浦と恨んで……見るめないので、立ったまま帰ろう、合う身のをんなは名だけ、あなたは・憂みなる心だと恨んで)。

 

言の戯れと言の心

「みるめ…海草…見るめ…見る見込み…見る女」「見…覯…覯」「め…遭遇する事態…女」「あふみ…近江…逢う身…合う身」「路…通い路…女」「うみ…海…憂み…つれない…気が進まない」「うら…浦…裏…心」。

 

と言って帰った。また(次の日)、女、返し、
 関山のあらしの風はさむければ 君にあふみは波のみぞたつ

(関所の山、嵐の風は寒かったので、君に逢う身は心波ばかりが立つ……合う坂の山ばの関門の、荒らしの風は寒かったので、君に合うわたし身は波立つだけ、汝身のみぞ立つ・並みの身分は断つ)。


 言の戯れと言の心

「関山…逢坂山の関所…親の守り…関門の山ば」「あらし…荒し…嵐…山ばで吹く激しい心風」「風…心に吹く風」「さむ…寒…ひややか…もえない」「なみ…波…並み…汝身…君のその身」「たつ…立つ…絶つ……断つ…お断り」。

 

さりけれど(このようにあったけれど)、この男、応えもしなくなったのだった。何様というような身分高くもなく、親が、あのように憎げに言う、めざまし(しゃくにさわる……めにあまる)。女も親には慎みて遠慮があるので、それでやめた。


 

原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。


 

以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。

 

古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。

 
歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、
「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。