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帯とけの平中物語
「平中物語」は、平中と呼ばれた男の詠んだ古今和歌集には載せられない和歌を中心にして、その生きざまが語られてある。平中は、平貞文のあだ名で、在中将(在原業平)に次ぐ「色好みける人」という意味も孕んでいる。古今集の編者の貫之や躬恒とほぼ同世代の人である。
色好みな歌と物語を紐解いてゆく。言の戯れを知り、字義とは別に孕んでいる言の心を心得て読むことができれば、歌の「清げな姿」の裏に「心におかしきところ」が見える。物語の帯はおのずから解ける。
平中物語(十五)また、この男、久しうものいひわたる人ありけり
また、この男(平中)、久しく言い寄りつづけている人が居たのだった。時が経ってしまったので、自ら行って、お逢いしようと言えば、返事に、女、
あふことのとほたふみなるわれなれば 勿来の関もみちのまぞなき
(逢うことの遠い女の身の、わたくしですから、勿来の関も道中も来る隙間などありませんよ……合うことの遠い女の身の、わたくしですから、来るなかれの関門も路の隙間もありませんわ)。
言の戯れと言の心
「あふ…逢う…合う…身を合わせる」「とほた…遠い…深窓の」「(あ)ふみ…淡海…江…女」「せき…関…関所…関門…堅い守りの門」「関門…女」「みち…路…女」。
男、返し、
勿来てふ関をばすゑであふことを ちかたふみにもきみはなさなむ
(勿来という関所をば設けないで、逢うことを、近く逢う身にも、貴女は、なって欲しい……来る勿れという関門を据えないで、合うことを、近き合う身にも、あなたは、なって欲しい)。
「ちかたふみ…近淡海…近江…近く逢う身」「なむ…相手に希望する意を表す…たのむ…おねがい」。
こう言ったけれど、この女、さらさら逢わない、上衆めいて(貴人ぶって…お高くとまって)いたので、男、言い寄りづらくなって、ものも言わなかったので、どう思ったのだろうか、女が言った、
思ひあつみ袖木枯らしの森なれや 頼む言の葉もろく散るらむ
(君は・思い厚くて、袖には木枯らし吹く森なのかしら、君の・頼む言の葉もろく散るようですね……君は・思火熱くて、わたしの身の端は木枯らし吹くもりなのかしら、君の・頼みにする言葉がもろくも散る、どうしてでしょう)。
言の戯れと言の心
「あつみ…厚くて…熱くて」「そで…袖…衣の袖…風に揺れるもの…端…身の端」「もり…森…盛り」「らむ…のような…婉曲表現…どうしてでしょう…原因理由に疑問をもって推量する」。
返し、(平中)
きみ恋ふと我こそ胸は木枯らしの 森ともわぶれかげとなりつつ
(貴女を恋していると、我が胸は、木枯らしの吹く森とも、侘しくもなる、寒々しい・日陰となりながら……あなたを乞い求めていると、我が胸は、木枯らし吹く盛りとも、苦しくもなる、我がこは・影となり筒)。
「こふ…恋う…乞う…求める」「木枯らし…寒々しい風…心に吹く冷たい風…身も縮む冷たい風」「木…男…こ…おとこ」「かげ…陰…影…実体の無い」「つつ…継続の意を表す…筒…中空…空しい」。
これは古今集真名序にいう「花鳥之使」の歌である。「心におかしきところ」が聞こえると、それぞれの心情の機微がわかる。
平中物語の原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。歌の漢字かな表記は必ずしも同じではない。
以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。
古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。
歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。
「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。
歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。