帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの平中物語(二十)また、この男、院の帝召して

2013-11-12 00:02:46 | 古典

    



               帯とけの平中物語
 

 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、その生きざまが語られてある。古今集の編者の貫之や躬恒とほぼ同世代の人である。


 言が戯れることを知り、貫之のいう「言の心」を心得えれば、歌には「清げな姿」の他、藤原公任のいう「心におかしきところ」があることがわかる。物語の帯はおのずから解ける。


 平中物語(二十)また、この男、院の帝召して


 また、この男(平中)、院の帝(宇多上皇)のお召しがあって、「御前に菊をお植えになられる。おもしろき菊を奉れ」との仰せ言(取継がれたお言葉)をうけたまわって、退出するときに、再び召し返して、「それ奉るときには、言葉を添えて奉らなければ、お納めにならないだろう」ということであったので、畏まって、退出して、このように、
 秋をおきて時こそありけれ菊の花 うつろふからに色のまされば

(秋を措きて、他に盛りの・時があることよ、移ろうとすぐさま、花の色が・増さるので……飽き満ち足りを措いて、他に盛りの・時があることよ、はててもすぐさま、女花の色は・増さりますれば)。

とて(という歌添えて)、奉ったのだった。


 言の戯れと言の心

「秋…この花の盛り…飽き…飽き満ち足りの時…ものの盛り」「おきて…措きて…除いて」「菊の花…草花…長寿の花(長寿を願って菊の露を綿に付けて身を拭った・早く咲き散る桜花など男花と比べて格別に長寿)…女花」「うつろふ…時が経過する…地位など変化する…色など変化する…衰える…萎える」「色…色彩…色香…色情」。

 

歌の「清げな姿」と「心におかしきところ」は上の通りである。「深き心」は、譲位され上皇となられ、落飾されて法皇となられた院の、新たな情況を言祝ぎ奉る心。「心におかしきところ」が伝われば、和まれただろう。


  古今和歌集 秋歌下では、仁和寺で院が剃髪された時に、仰せにより平貞文の奉った歌とする。なお、平中の歌の多くは、古今和歌集(勅撰集・編集方針は仮名序にある)には、いささか色好み過ぎるが、それでもこの歌を含め九首載せられてある。

 


 原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。


 

以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。

 

古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。

 
歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。