帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの平中物語(二十九)また、この男、聞きわたる人 ・(その三)

2013-11-27 00:06:07 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、平中の生きざまと人となりが語られてある。


 歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてあるので、それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。



  平中物語(二十九)また、この男、聞きわたる人なりけれど・(その三)


 さて(それで……琴弾く親戚の女を気に入ったので)、このもとよりの人(この男のもとよりの妻)が聞いているので、えけしきばみてはいはず(意中を言葉や素振りに表せず)、「わが身には、口惜しいことに、妹がいないので、その琴を弾いておられる方、妹背山にやたのみたまはぬ(妹と兄のように、頼りにしてくださらぬか)」と男(平中)が言えば、琴弾く女「わたくしも、兄のいないさみしさを感じています、よせむかし(寄せてくださるのね)」と言えば、集まって、いひすさびて(話しに思い思い興じて)、夜が明けたので、帰ったのだった。朝に文を遣るということで、

  くづれすな妹背の山の山菅の 根絶えばかるる草ともぞなる

(山崩れすなよ、妹背の山の山菅が、根を絶えれば、枯れる草ともなるぞ……くづれ寄るな・仮にも兄妹だから、でも・妹背の山の山菅のように、ねを絶えれば、離れる女となるぞ)。


 言の戯れと言の心

「くづれ…山崩れ…離散…みだれ…しなだれ」「ね…根…音…音信…寝…共寝…おとこ」「かるる…枯れる…刈れる…娶れる…離れる…離別する」「草…女」。


 このように言いながら、「さて、何とか、この前のようなことになるのが好い」と言っても、「ここにては、他の人たち・どう思うだろうか、今度は、他所にて」とだ、言い交わしたのだった。男、言い遣る。

 いはほにも身をなしてしが年へても をとめが撫でむ袖をだに見む

(巌にでも、わが身を為したいよ、何年経ても・永劫に、天の乙女が撫でるという、その袖だけでも見たいものだ……巌のおとこに、わが身を為したいよ、疾し時を経ても、乙女の撫でる身の端お、みるつもりだ)。


 言の戯れと言の心

 「いはほ…巌…大岩石…堅いほ」「ほ…お…おとこ」「年…とし…疾し…早過ぎ…おとこのさが」「そで…袖…端…身の端」「見…覯…媾…まぐあい」「む…意志を表す」。


 返し、(女)、

 天つ袖撫づる千年の巌をも 久しきものとはわが思はなくに

(天女の袖で、撫でるという千年の巌をも、久しい愛撫とは、わたくし思わないことよ……吾間の端、撫でる千年の巌おさえ、久しいとは、わたくし思わないのに)。

 
 言の戯れと言の心

「そで…上の歌と同じ」「いはほ…上の歌と同じ」「なくに…ないことよ…ないのに(不足不満の意を孕む)…未来永劫に続いて欲しいということ」。


と言うけれど、「(使いの)この人について、お忍びで、いらっしゃい」と言えば来た。呼び入れて、人に知られずに、あひかたらひける(相語らったのだった……合い情を交したのだった)。



(第二十九章終わり)。平中の共寝の結果は語られない。


 『伊勢物語』の業平は、女に「秋の夜長の千夜を、一夜と置き換えて、その大なる一夜を八千夜、共寝すれば、飽き満ち足りることがあるのだろうか」と尋ねた。女の答え「その八千夜の愛を一夜に為されましても、不満は残って、朝鶏鳴くかしら」。


原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。



 以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。


 古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。

 
歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。