帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

新・帯とけの「伊勢物語」(百七)身をしる雨は降りぞまされる

2016-08-02 18:58:31 | 古典

               



                             帯とけの「伊勢物語」



 在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を、原点に帰って、平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で読み直しています。江戸時代の国学と近代以来の国文学は、貫之・公任らの歌論など無視して、新たに構築した独自の方法で解釈してきたので、聞こえる意味は大きく違います。国文学的解釈に顕れるのは、歌や物語の「清げな姿」のみで「心におかしきところ」の無い味気ないものにしてしまった。


 伊勢物語
(百七)身をしる雨は降りぞまされる

 
 むかし、あてなるおとこありけり(昔、高貴な男がいた…武樫、当てなるおとこがあった)。そのおとこのもとなりける人(その男の許にいた女…そのおとこの許で女になった人)を、内記であった藤原敏行という人が、よばひけり(言い寄ったのだった…夜這いしたことよ)。敏行は・まだ若かったので、文にも長じていない、言葉も使い方を知らない、言わんや歌は詠まなかったので、あの主人(業平)、案を書いて、敏行に・書かせて、女のもとへ遣った。敏行は我が意を得て・歌を愛で惑うたのだった。さて、例の・男が詠んだのは、

つれづれのながめにまさる涙川  袖のみひちてあふよしもなし

(しとしと降りつづく長雨に水かさ増す、涙川、渡って行こうにも袖ばかり濡れて、逢う手だてもない……どうすることもできずただ長めていると、増さるは涙かは、身のそでのみ濡れ、和らぎ合う、手立て無し)

返し、例の男、女に代わって、

あさみこそそではひつらめ涙河 身さえながるときかばたのまむ

(浅いからこそ袖のみ濡れるのでしょう、涙川、思いが深ければ、わたくしの・身さえ流れると聞きますれば、頼みにしています……浅いからこそ身の端のみ濡れるらしいの、深みこそ、喜びの・涙川、身さえ流れるとききますればお頼みします)と言ったので、男(敏行)、この文を・たいそう愛でて、今まで、巻物にして文箱に入れてあるなんて言っているそうだ。

 男(敏行)、文をよこした。この歌を得た後のことである。

あめのふりぬべきになん見わづらひ侍、みさいはひあらば、このあめふらじ

(雨が降りそうで、天気を・見迷っています、身に幸いあるならば、この雨降らないでしょうし……おとこ雨が降ってしまいそうで、見わずらっています、身の見に幸いあるならば、この、お雨ふらないでしょう)と言ったので、例の男、女に代わって詠んで遣らせる。

かずかずに思ひおもはずとひがたみ 身をしる雨はふりぞまされる

(数々に、わたしを・思わないから、訪れ難いのよ、身を濡らす雨は降っても来てこそ、お互い思い・増すのよ……数々に思いを思わない、さいわい訪れ難いのはそのためよ、身を汁るおとこ雨は、数・降ってこそ、さいわい増すのよ)と詠んで遣ったので、敏行は・みのもかさもとりあへで(蓑も傘も用意ないままで…身のも嵩も間に合わずに)、しとゞにぬれてまどひきにけり(びっしょり濡れて惑いながら、女の許へ・来たのだった…しっとり濡れて纏いつつ、和合の極みが・来たのだった)。

 

 

紀貫之のいう「言の心」を心得て、枕草子に「聞き耳異なるもの」というほどの言葉の戯れを知りましょう。

 「あてなるおとこ…高貴な男…当てなるおとこ」「あて…当て…当て馬・当て牛…馬や牛の種付けの時に牝の発情を促すためにだけ牝にあてがう牡、本番は種馬や種牛に譲る…前章に書いた通り、この男はその当て馬に近いことを、宮の内でしていた。それを、あてなる男とか、なま宮仕えと自嘲的に称すのである」。

「そで…衣の袖…端…身の端…おとこ」「身さへながる…身さえ喜びの涙の川の波に漂う…絶頂で浮き天の波に漂う、などとも言う」。

「あめ…雨…おとこ雨」「見わづらひ…見患い…見煩い」「見…覯…まぐあい」「みさいわい…身幸い…見幸い…和合」「このあめ…子の君の雨…おとこ雨」。

「かずかず…数々…多数「とひがたみ…訪い難いので…訪れ難いために」「しる…知る…わきまえている…汁…ぬれる」。

「みのもかさも…蓑も笠も…身のも嵩も…ものの大きさ容積も」「とりあへで…用意する間がなくて…若かったので大きさも未だ不足したままで」「まどひ…惑い…途惑い…まとひ…まとわりつき…からみつき」「きにけり…女のもとへ来た…幸いやってきた…和合の極みがやってきた」。

 

 若いので「言葉も言い知らす」「いはむや、歌よまざりければ」とある。歌は容易ならぬ様式があり、歌言葉の戯れと言の心を心得えなければ詠めない。「深い心」や「心におかしきところ」は、姿清げでなければならない、歌は人の生の心を「清げな姿」に包んで表現するのである。

 

藤原敏行は藤原氏の主流ではない。母は紀氏。若かったころ、業平から和合の指南を受けたのだろう。また、いわゆる当て馬ならぬ「あて人」になってもらって、好き女となった人を妻としたのだろう。前章の親王達のためにも同じ役をしたとも読める。そのように二つの章は並べられてある。

 

2016・8月、旧稿を全面改定しました)