帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」巻第一春歌上(4)鶯の凍れる涙いまやとくらむ

2016-08-28 20:06:19 | 古典

               


                             帯とけの「古今和歌集」

                    ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで解き直している。早春の清げな情景を詠んだ歌は、人の青春の心を詠んだ歌である。

 

 「古今和歌集」巻第一 春歌上(4)

 

二条の后の春の初めの御歌

雪の内に春はきにけり鶯の こほれるなみだいまやとくらむ

(雪降る内に、暦の・立春はやってきたことよ、鶯の・春告げ鳥の、凍っていた涙、今、融けているのでしょうか……白ゆきのうちに、情の・春は来たことよ、うくひすの・女の、こほれる汝身唾、井間、とけるのでしょうか)


 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る。

「雪…冬の風物…逝き…白ゆき…おとこの情念」「春…暦の春…季節の春…心の春…春情」「鶯…春告げ鳥…鳥の言の心は女…古事記・万葉集・土佐日記などを、その気になって読めば、和歌の文脈では、鶏(かけ)、郭公(ほととぎす)、鶴(たづ)、千鳥などなど、鳥は、女という言の心があって通用していたことがわかるはずである。なぜ、女なのかは、人の理性や論理で把握できることではないので、知らないとしか言えない。言葉の意味などは、皆そういうものである」「こほれる…凍っている…こ掘っている…まぐあっている」「なみだ…目の涙…身の汝身唾」「とく…融ける…解ける」「らむ…推量する意を表す…事実を婉曲に表わす」。

 

季節の春はまだなのに、立春が来た、春告げ鳥の凍っている涙、今とけているでしょうか。早春の風情は、歌の清げな姿である。

白ゆきの内に訪れた、女の初めての春情のありさま。――これが、公任のいう「心におかしきところ」である。

 

「うくひすの、こほれるなみだ、いまや、とくらむ」、女のエロス(性愛・生の本能)の表現に、天才的ひらめきが感じられる。初めて訪れた春情をこのように表現できる人はただ者ではない。「鶯の凍れる涙」というおんなのエロスを孕んだ言葉は、もはや誰も、これを用いて歌を詠むことは出来ない。暗黙のうちに、汚さぬように、このまま永久保存されて来たようである。


 二条の后が、まだお若くて、ただの人であられたころの、藤原高子(たかいこ)の青春の歌である。「伊勢物語」の女主人公(ヒロイン)として、業平との愛は引き裂かれたが、自ら愛を絶ち切ったようでもある。見目麗しく才たけて自立した、心豊かな女性であったのだろうと想像される。伊勢物語によれば、業平が死ぬまで愛し憎んだ人である。


 (古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)