■■■■■
帯とけの「伊勢物語」
「伊勢物語」は在原業平(825~880)原作の歌物語である。平安時代の歌論と言語観に従って歌の奥義を明らかにしながら読み、「清げな姿」だけではなく、歌の深い主旨や妖艶な趣旨が歌言葉の戯れに顕れるさまを示してきた。歌に顕れる色好みで妖艶なエロス(性愛・生の本能)が、一千数百年経っても残っているので、今の人々の心に直に伝わったはずである。「清げな姿」しか見えていなかった国文学的解釈による「伊勢物語」は氷山の一角であった。
もとより和歌はエロチシズムが有り、全ての和歌の底辺にはエロスが満ちている。ただ、業平の歌のエロス(性愛・生の本能)は怨念が加わって、最も淫らな和歌である。伊勢の海の底へ沈めてしまいたくなる代物である。とはいえ、この世から消してしまえるような軽薄なものではない。これらのことは、紫式部の「伊勢物語」読後感と一致する。今の人々にも、この読後感をわかってほしい。
伊勢物語(百二十一)うぐひすの花を縫ふてふ笠もがな
むかし、おとこ(昔、男…昔、武樫おとこ)、梅壷(凝華舎のこと、中庭に梅の木が有る、女御、女房、女官の居る所)より、雨(春雨…おとこ雨)に濡れて人が・女が、まかりいづる(里へ退出する…間かり出ずる)のを、見て(見かけて…まぐあって)・男、
うぐひすの花を縫ふてふ笠もがな 濡るめる人にきせてかへさむ
(鴬が花を縫って作るという、笠があればなあ、濡れているらしい女の人に着せて、里に・帰してあげたい……鶯が・女が、お花を次々と縫い・合わせるという、嵩が・容量が、我がおとこに・あればなあ、濡れ緩んでる女に、着せて繰り返してあげたい)
女・返し、
うぐひすの花を縫ふてふ笠はいな 思ひをつけよほしてかへさん
(鴬が花を縫い作ると言う笠はいりません、思ひを着火してくださいな、濡れ衣・干して返して・里帰りしますわ……女が、おとこ花を、次々と合わすという、嵩は・重ねは、いらないの、それに・思火をつけてよ、燃やし尽くし・呑み干して、お返ししますわ)
藤原俊成の言う、歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕われる」ことを知りましょう。
「梅(桜など木の花はみな)…男花…おとこ花」「雨…おとこ雨」「うぐひす…鴬…鳥の言の心は女」「ぬふ…縫う…縫製する…縫合する…離れないように合わせる」「かさ…笠…嵩…重ね、大きさ、容量」「いな…否…いらない…「ぬるめる…濡める…おとこ雨に濡れている…温める…緩める…緩んでいる」「ほしてかえさん…濡れ衣(事実ではない噂)を干してお返しとする…し尽くして返してあげる」「ほして…干して…濡衣を晴らして…呑みほして・遣り尽くして」「かへす…返す…繰り返す…帰す…解放する」。
男の歌の清げな姿は、里帰りする婀娜な女に言い寄って、里にも訪れようとする男の思いである。女の返し歌は夜慣れている、「心におかしきところ」は、嵩も重ねもいらない、それに思い火を着けよ、のみ干して返してあげるという、妖艶なる余情である。業平作の女歌かもしれない。
「梅の花がさ」という言葉のこの文脈での意味を心得る為に、催馬楽「青柳」を聞きましょう。
催馬楽は、宴席で酒飲んで謡われ、普通に口ずさんだりもした。「東屋」のように女が男を「その殿戸、われささめ、押し開いて来ませ、われや人妻」と誘う歌詞もあり、「陰名(くぼのな)」のように、をんなの名を連呼するものまである。「青柳」は比較的閑雅、聞きましょう。
青柳を片糸に、縒りてや、おけや、うぐひすの、おけや、うぐひすの、縫ふといふ笠は、おけや、梅の花笠や
「青柳…若い男…吾をや木…わが男」「木…言の心は男」「を…対象を示す…お…おとこ」「片…不完全…まだ若い」「縒りて…縒りをかけて…強くして」「おけ…囃し言葉」「や…疑問、感嘆、呼びかけなど色々な意を表す」「うぐひす…鶯…鳥の言の心は女」「縫ふ…次から次へと、とび、あるく…離れないように合わせる…和合する」「かさ…笠…嵩…大きさ・容量」「梅…木の花…男花…おとこ花」。
清げに謡われるが、このような言の戯れ利して、うぐいす(女)を主語にして、色好みな「心におかしきところ」がある。それが、もともと民謡だったこの歌の命である。
(2016・8月、旧稿を全面改定しました)