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帯とけの「伊勢物語」
在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を、原点に帰って、平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で読み直しています。江戸時代の国学と近代以来の国文学は、貫之・公任らの歌論など無視して、新たに構築した独自の方法で解釈してきたので、聞こえる意味は大きく違います。国文学的解釈に顕れるのは、歌や物語の「清げな姿」のみである。
伊勢物語(百十二)風をいたみ思はぬ方にたなびきにけり
むかし、おとこ(昔、男…武樫おとこ)、ねむごろにいひちぎれる(熱心に言い寄り約束を交わした…心のこもった情を交わし契った)女が、ことざまなりにければ(違った様子になってしまったので…普通の身分では無くなってしまったので)、
須摩のあまのしほ焼くけぶり風をいたみ おもはぬ方にたなびきにけり
(須磨の海人の塩焼く煙、風を嫌って思いがけない方向に棚引いてしまったなあ……す間の、吾女が、肢お、やくけはい、わが人風を嫌って、思わぬお方に、なびいてしまったなあ)
紀貫之のいう「言の心」を心得て、枕草子に「聞き耳異なるもの」というほどの言葉の戯れを知りましょう。
「ねむごろに…ねんごろに…念を入れて…懇切に」「いひちぎり…言葉を交わし約束して…情を交わし契って」「ことざま…異様…豹変した様子…今までと異なるありさま…格別な様」。
「すまのあま…須磨の海人…す間の吾女」「須摩…地名…名は戯れる」「す…洲…浜…言の心は女…おんな」「ま…間…おんな」「あ…吾…我」「ま…間…おんな」「しほやく…塩焼く…子ほやく」「し・ほ…おとこ」「やく…焼く…情熱を燃やす…(世話を)やく」「煙…けぶり…気ぶり…気配」「風…風評…人風…権中将風情…当て馬風情」「いたみ…苦痛で…嫌って」「たなびく…棚引く…横に揺らめく…他になびく」「けり…だったなあ…過去を回想していう意を表す…気付き、詠嘆を表す」。
この歌は、伊勢物語の発端の「東の五条の屋敷での出来事」を見事に表している。伊勢物語(四)に示されてあるように、思わぬお方に靡いた人は藤氏一門の或る女人(後の二条の后)で、業平にとっての事件を、ここに回顧し述懐したのである。
「思はぬ方」は、成人したばかりの皇太子(後の清和天皇)で、その御許に女御として入内したのである。「異ざま…異様」「思わぬ方…想定外のお方」というのは、業平から見れば、その皇太子は二〇歳余りも年下のお方であり、高子とも五歳ばかり年下のお方であられた為である。明らかに、藤原氏の或る一門による摂関政治を継承しようとする強引な政略的陰謀である。それで恋をひき裂かれた男は、執念深くその人と一門を「あまの逆手を打って」呪ってきた、伊勢物語には、その恨み心が底流している。
この歌は、古今和歌集 恋歌四に、題しらず「よみ人しらず」として、業平の歌の隣に置かれてある。業平の歌と確定できないので「よみ人知らず」として、業平の歌の隣に並べたのだろう。限りなく業平の歌に近いということである。
(2016・8月、旧稿を全面改定しました)