帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの平中物語(二十九)また、この男、聞きわたる人・(その一)

2013-11-25 00:05:41 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、その生きざまが語られてある。


 歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてある。それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。

 

 平中物語(二十九)また、この男、聞きわたる人なりけれど・(その一)


 また、この男聞きわたる人なりけれど(この男、様子を聞き過ごす女だったけれど……この男の、様子を聞きつづける女だったけれど)、とくに、言い寄ろうとも思わない女だったのだが、(その家に)知る人が居たので、文を時々取り継ぎなどしていたのを、「頼もし人」と名付けていたのだった。その女に「はや、たばかれ(早急に画策せよ……さっさと何とかしろ)」などと言って、責めたてたのだった。「今宵、もし、月おもしろくば(大空の月が美しければ……つき人をとこ照るならば)、こかし、たばかりみつべくは(来て、謀りを見せられるでしょう……来て、多ばかり見られるでしょうよ)」と言ったので、「なにのよきこと(何たる好都合……いいとも)」と言って来たのだった。


 
言の戯れと言の心

「月…月人壮士…おとこ」「たばかり…謀り…画策…田ば借る、多ば狩る…まぐあう」「見…覯…媾…まぐあい」。

 

さて、この「頼もし人」に、来た処を知らせると、呼び入れて「月みよ(月見してよ)」など言って、(女を)呼び出した。そうして、(三人)もろ共に、もの一言二言、言って、「頼もし人」は、さっと奥に這い入った。この心遣いを受けた女も、入ろうとする気配なので、「あゝ、残念、誰のための『頼もし人』ぞ(我らのために気を遣ったのに)」と言って、残念がったので、「よし、それでは入らない(その代わり)、明日の朝になってからすぐに出て行ったようにして、わたしには過ちのなかったように、言って寄こしてよ」と、女は言ったのだった。さりければ(そういうことがあったので)(男、朝、頼もし人に)、

 長き夜をたのめ頼めてありあけの 心づきなく隠れしやなぞ

 (秋の夜長、期待し楽しみにして・月見して、有明の朝に・なってから、不愉快そうに、隠れたのはどうしてなのか……長き夜を楽しみ楽しみて、有明が、心尽きなくて、つき人をとこは・お隠れになった、どうしてかな)。


 言の戯れと言の心

「たのめ…頼め…期待し楽しみにすること…依頼…お願い」「ありあけ…夜が明けてぼんやりと月が空に残っているとき…その残月」「心づきなく…気にくわなくて…不愉快そうに…心つきなく…心尽きなく…不満を残し」。

この歌は、朝まで三人で月見をした証拠となる。且つ、裏では、「頼もし人」へ女との夜の情況を知らせたようである。

 

 と言ったので、頼もし人、

 いかでかは光の二つ身にそはむ 月には君を見かへてぞ寝し

(どうして、光が二つ月人壮士の身に伴ってあるでしょうか、有明となった・月には、君と見るのやめて、寝たのよ……どうして、光が二つ君の身に伴っているでしょうか、照り尽きには、君を、見るのやめて、隠れて・寝たのよ)。


 言の戯れと言の心

「光…男の威光・栄光…おとこの照り輝き…光源氏の光るには、この意味が孕んでいるだろう。この物語と源氏物語は、ほゞ同じ文脈にある」「月…月人壮士…男…おとこ(これらは万葉集の歌をその気で聞けばわかる)…突き…尽き」「そふ…添う…加わる…伴う」「を…対象を示す…と…相手を示す」「見かへる…別のことに心を移す…(手のひらを返すように)心がわりする」。
 
一首では言い足りず次も「頼もし人」の歌である。

 
 光にし光そはずは月も日も ならぶたとひにいはずぞあらまし

(光に光を、添えられないならば、月も日も並べて・男の例えに言わないでしょうにね……男の光に男の光、加えられないならば、月日、並ぶ喩に言わないでしょう・並び立つものかしら)


 言の戯れと言の心

「光…上の歌に同じ」「そふ…添う…加える…伴う」「ならぶ…並ぶ…並立する…両立する」「月も日も…月日…男の喩え…万葉集巻十三の歌、天なるや月日の如く吾が思へる公(きみ)が日にけに老ゆらく惜しも、などがその例」「まし…だろうに(推量の意を表す)…すればいい(適当の意を表す)…するものだろうか(ためらいを表す)」。

 

 などと言う間に、「親、聞きつけて、ひどく言うものだから、たばかるまじ(もう画策できそうもないわ)」というのは、親ではなくて、先に思いを懸けて通っていた男がいたのを、親にかこつけて言ったのだった。

 

男(平中)、又、(頼もし人に)言い遣る。

 あづま屋の織る倭文機のをさを粗み 間遠にあふぞわびしかりける

 (東屋の織る倭文の織機の道具粗雑なため・画策粗いため、間遠に逢うことになるのだ、つらいなあ……吾妻やの折る卑しいをさを荒くて、間遠に合うぞ、もの足りずさびしいことだなあ)。


 言の戯れと言の心

「あづま…東…吾妻」「織る…折る…逝く…逝かす」「倭文…しづ…粗雑なあや…卑しい…身分の卑しい」「をさ…機織り道具…長…頭…男」「あふ…逢う…合う…和合する」。

 

 (つづく)。




  原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。



帯とけの平中物語(二十八)また、この男、音聞きに聞きならしたる

2013-11-23 00:07:05 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、その生きざまが語られてある。古今集編者の貫之や躬恒とほぼ同世代の人である。


 歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてある。それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。



 平中物語(二十八)また、この男、音聞きに聞きならしたる女を、


 また、この男、音聞きに聞きならしたる女を(噂に聞きなれていた女を……平中の色々な噂を聞いていた女が)、(家は)この男のもとに来通う女房も(掛け持ちで)お仕えする所だった。その女を、この男(平中)の名を借りてだ、よばひする(言い寄る……夜這いする)男がいたのだった。その女、「このように通う人」がいるとは言わないでいるうちに、あひにけり(逢ったのだった……合ったのだった)。通い住む男、夜深く来ては、まだ暁に帰って行く。

こうして時が経ったので、その女と同じ女房たち、気色を見てとって、この女に「誰よ、なさけない、これを言わなかったなんて」と言ったので(話したのだった)。かの通いで来る女房、かの男(本物の平中)の許に来て、「こうしたことがあったのに、同じことなら(わたくしに頼めばいいのに)、頼みもしないで、心も知らぬ頼み人を求めたのね、あゝ」と言ったので、この男、不思議なことで知らないことなので、あらがひけるを(いいわけし反論したのに)、女房たち、ゑじければ(うらみごとを言ったので)、男「なほ、うかがひても見よ(やはり、その男を・窺がって見ろ……その男の・汝お、ぬすみ見てみろよ)と言ったのだった。

それで、帰って来て、夜が更けるまで窺っていて、(男が)もの言うのを聞いて、(偽物と確信し知らせたので、女はその後)絶えて逢わなくなった。それ以前に、この女、この家の使用人の居る所で、灯りを燈して見ると、未だ知らない、あやしいのが集まっていたのだった。そうであれば、この女、(女房の詰所)に来て、大声で言いたてたので、このなを(この名を……この汝お)借りていた男は、気配を見て走り去ったのだった。文伝えた者、女ども、夜の闇の中に隠れた。

そのことを、かの名かれる男(あの名を借りられた男……あの汝借りられた平中)は聞いて、「そのこと知って密か告げて(我にその偽者の偽物)捕えさせないで・どうするのだ」と恨みごと言って、あの謀られて、わびらるる(辛がっておられる……もの足りず寂しがっておられる)人にと、
 あづま野のあづま屋にすむもののふや わが名をかやにかりわたるらむ

(東野の吾妻屋に住む武士かな、わが名を萱のように、かり続けるでしょう・おそらく……吾妻野の吾妻家に住む・ならば、ものの夫よ、わが汝お、萱刈るように、かりしつづけるだろう・きっと)


 言の戯れと言の心

「を…対象を表す…が」「なを…名を…名声を…評判を…汝お…親しきものをこう呼ぶ…おとこ」「わび…気がめいる…さみしい…もの足りない」。

歌「あづま…東国…田舎…吾妻…我が妻」「もののふ…武士…ものの夫…おとこ」「や…疑問の意を表す…呼びかけの意を表す」「に…のように…比況・状況を表す」「かり…刈…借…狩…猟…娶り…まぐあい」「らむ…想像・推量する意を表す」。


 女は恥ずかしく思って、返事もしない。


 

色好みける人、平中の、自身についての自信満々たるところ。女たちを、おかしがらせたに違いないもの言い。名をかたられても、ただでは済まさないで、被害者の女に言い寄るさまが描かれてある。


 

原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。


 

以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。


 古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。

 
 
歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、
「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。


帯とけの平中物語(二十七)この男、また、はかなきもののたよりにて

2013-11-22 00:10:11 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、その生きざまが語られてある。古今集編者の貫之や躬恒とほぼ同世代の人である。

 
 歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてある。それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。



  平中物語(二十七)この男、また、はかなきもののたよりにて


 この男、また、はかなきもののたよりにて(頼りない者が頼り人で)、雲ゐよりもはるかに見ゆる(雲居よりもはるかに高い身分かと思える……高嶺の花よりはるかに高いと見える)女がいたのだった。もの言いかけるきっかけが無かったので、どのようにして気色を見せようかと思って、かろうじて縁故を頼って、もの言いはじめたのだった。「なんとか、一度でも、御文ではなく、お話したい」と伝えると、(女は)どうすべきかしら、そうね、よそにても(もの隔ててよそよそしい状況でも)、言うこと聞こうかしらと思っていたときなのに、この女の親の、わびしくさがなきくちおな(閉口するたちが悪い年寄り)が、さすがに、とってもよくものの気配をみていて、口やかましい者だったので、このように文通すると見て、文も通わさせず、きびしく使用人に言って、女を守っていたのに、この男、「ぜひ対面で」と言ったので、この女房達、「このような人(年寄り)が、制されるので、雲居にても(できない)とですね、縁者にお聞かせいただきたくて、(あなたを)お迎えしたの」と言ったので、「今まで、どうして、あたしに言わなかったのよ、人の(年寄りが)気配の気付かない先に、月見るということで、母の方(お年寄りの方)に来て、わたしが琴を弾きましょう。それに紛れて、簾のもとに(男を)呼び寄せて、ものは言える」とだ、この男の親族が画策したのだった。

さて、この男来て、女は簾の内にてもの言ったのだった。この女と友だちの女「わが徳ぞ(わたしの人徳よ)」と言ったので、嬉しきことなど、男も女も言って、語らうときに、この母の女の性悪が、宵のうちに眠くなって寝ていたのだったが、夜が更けたので目を覚まして、起きあがって、「あらまあ、性が悪いね(おまえたち)どうして寝られないの、もしや、わけ有りなのか」と言ったので、この男、すのこの内に這い入って隠れたので、(簾の外を)のぞき見ても、人もいなかったので。「おいや(おや?)」などと言って、奥へ入ったのだった。その間に、男出て来たので、(女が)「いきさつ、このありさまを、見給え、これではですね、(年寄りの)命あれば(常に守られる)」などと言っている間に、(女の友だちが)「ふしぎなことに、よくいらっしゃったものねえ(わたしのおかげよ)」と言えば、男は、帰った。
 たまさかに聞けとしらぶる琴の音の あひてもあはぬ声のするかな

(たまには聞けと弾く琴の音のように、あっても合わない、簾越しの・声がするだけだったなあ……たまには聞けと調子に乗る琴の音のようだ、合っても和合できない声がする・へたくそ、頼りにならないなあ)。


言の戯れと言の心

 「しらぶる…調べを奏でる…調子に乗る」「あひ…遭い…逢い…合い…和合」「かな…感嘆・驚嘆の意を表す」。

 

と言ったので、この琴を弾いた女の友だちが、(女に)「早く、返しし給え」と言っている間に、親が聞きつけて、「どこの盗人の鬼が、わが子をば、絡み盗るか」と言って、走り出て追えば、沓さえ履けず逃げる。女たちは息もしないで、うつ伏していたのだった。

 このようなことがあったけれど、(親が)ひどく制したので、言葉を交すことはできず、ものの便りの使いを尋ねだして、寄せ付けなくなった間に、他の男に娘を合わせたのだった。そうだったので、男、親が合わせるからといっても、そうしていいものかどうかとだ、思い悩んで、やめたのだった。


 

平中の立場から描かれてあるため、娶り失敗の原因は、女の親の性の悪さであり、女友達を紹介した親族の女の頼りない甘い画策であり、女自身の親のいいなりになる生きざまであるということになる。


 

原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。


 

以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。


 古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」と『古来風躰抄』にいう。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。

 
歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。


帯とけの平中物語(二十六)また、男、しのびて知れる人ありけり

2013-11-21 00:03:16 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、その生きざまが語られてある。古今集編者の貫之や躬恒とほぼ同世代の人である。


 歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてある。それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。



 平中物語(二十六)また、男、しのびて知れる人ありけり


 また、男(平中)、しのびて知れる人(偲んで交わり親しむ女……忍んで占有する女)があったのだった。人しげしところなれば(人が大勢詰めて居る所なので……人しけしところなれば・その人醜いところあれば)、夜も明けない先に、人(人々…その女)が寝静まっている折りに、
帰り出たときに、まだ暗い時なので、どうして帰ろうかと思うけれど、とても難儀だったので、門の前に渡した橋の上に立って言い入れる。
 よはにいでて渡りぞかぬる涙川 淵と流れて深く見ゆれば

(夜半に出て来て、渡りかねたよ別れの涙川、淵となって流れて、深く見えれば……夜の半ばに出でて、わたりきれなかったよ、汝身だかは、傷跡・淵となって流れていて、情・深く見るので)。


 言の戯れと言の心

「しれる…知れる…知っている…関係している…領有している」「しげし…繁し…群れている…しけし…しこし…醜し…みにくし(たぶん女の身の傷跡)」「なれ…なり…である…断定…所在・状態なども表す」。

歌「夜半…暗いうち(女の傷と深い心の淵を気遣って)…普通は暁」「いでて…(門を)出て…(ものを)放出して…(ものを)出して」「なみだ…(朝の別れの)涙…(絶頂へ渡り切れなかった残念の)涙…(ものの)涙…汝身だ…あなたの身」「かは…川…女…疑問を表す」「淵…深い」「見ゆ…思う…覯する…媾する…まぐあふ」。


と言い入れたので、女も寝てなくて、起きて居たのだった。返し、

  さよなかに遅れてわぶる涙こそ君が渡りの淵となるらめ                                             

(さ夜中に取り残されて、心細くて、わたくしの流す涙こそ、君の渡る川の淵となっているのでしょう……さ夜中に、山ばの頂上へ・遅れていって、お詫びのわたくしの涙こそ、君の辺りの淵となっているのでしょう)。


 「おくれて…とり残されて…遅れて…後発で」「わぶる…心ぼそい…思いみだれる…わびる…あやまる」「わたり…渡り…辺り」。


 男、いとあはれ(とっても哀れ……とってもいいなあ)と思って、またもの言い入れようと思ったけれど、大路に人など居たので、立ちどまれなくて、帰ったのだった。

 


 「ひとしげしところなれば」は、「人繁し所なれば」とも「女醜しところあれば」とも聞こえるように書いてある。これが、清少納言の言う、聞き耳異なるもの、女の言葉である。

地の文も歌も、このように読めば、藤原公任の言う、歌の「心におかしきところ」が聞こえて、物語の形相は一変する。


 

原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。


 

以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。


 古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。


  歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、
「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。


帯とけの平中物語(二十五)また、この男、志賀へとて ・(その三)

2013-11-20 00:07:42 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 平中物語(二十五)また、この男、志賀へとてまうづるに・(その三)


 この男(平中)、文を受け取らないので使いが帰って来たことを、ひどく言い、恨んだので、深く恨めしいように言ったので、をさをさ(女は・しっかりきちんと)応えなくなったので、この男、かたくなで一途であっていいものかなあ、万の憂きことを他人が言っても、こうも(黙り込む)ものかと思って、車のもとを退いたのだった。そうすると、車を(牛に)掛けようとしたので、この男は、なほしばし(やはり、もうしばらく)と言い留めて、誰がこの怪しいことを(させたのか)と、問おうと思って、ともなりける(供であった……あの友だちめいた)男をして、「(わが主人は)身もいと憂く(身もひどく辛く)、御心も、恨めしく、身投げしようとしてやって来ましたが、ただ一言、(この世で)聞き置くべきことがですね、ございまして。それで、この(三途の……涙の)川を渡れずに、帰って参ったのです」と言って、
 身の憂きをいとひ捨てにと来つれども 涙の川は渡る瀬もなし

(身の辛さを嫌って、捨てようと来たけれども、涙の川は・悔し涙の嵩増して、渡る浅瀬もない・ありさま……身の浮きを嫌って捨てようと来たけれども、波多の女の川は、わたる瀬もない・取りつくしまもない)。


 言の戯れと言の心

「うき…憂き…辛い…浮き…浮気な」「なみだ…涙…波多」「川…女」

 

返し、
 まことにて渡る瀬なくは涙川 流れて深きみをと頼まむ

(ほんとうに渡る浅瀬がないならば、涙川、流れて深い水脈であってと頼む・君、命惜しみ給え……ほんとうに、わたって来る背の君なければ、波多かは、泣かれて、深き身おと、頼みましょう)。


 「瀬…浅瀬…背…男」「川…女…かは…疑問を表す」「ながれて…流れて…泣かれて…泣けて来て」「みを…水脈…水や潮の流れ…身お…おとこ」「たのまむ…頼みましょう…身をまかせましょう」。

 

(女)「なほ、立ち寄れ、もの一言はいはむ(もとのように、たち寄って、もの一言はいいましょう)」と言えば、男(平中)、車のもとに立ち寄ったのだった。(貶めたのは誰の仕業か一言いって)、そうして、夜、しだいに暁方になったので、この女、「いまはいなむ(すぐに行きます……今はもう否よ)」と、「ゆめゆめ・言わないでね、今宵のこと、また、人にこうだったとはね、現実だとはさらに」と(女)、
 秋の夜の夢ははかなくあふといふを

(秋の夜長の夢は儚く逢うということよ……飽き満ち足りの夜の夢は、はかなく、あっけなく合うという、を)。


「あき…秋…飽き満ち足り…厭き」「あふ…逢う…合う…和合する」「を…感嘆を表す…お…おとこ」。

 

と言えば、男、
 春にかヘリて正しかるらむ

 (季節は春に返って、まさに正夢となるだろう……涸れたもの・張るに返って正しく、間差し狩ったのだろう・と思う)。


「春…季節の春…春情…張る」「まさし…正し…間差し」「間…女」「かる…ある…狩る…刈る…めとる」。


と言っている間に、ずんずん明るくなったので、「いまは、早く、行かれるところへ、お行きなさいませ・たしか身投げにでしたかね」と言えば、この女の入る所を見ようとして、男、行かなかったので、女、家(いへ…井辺)を見せたくないと思って、しきりに辛がるのだった。それで、このように、(男)、

 ことならば明かし果ててよ衣でに 降れる涙の色も見すべく

(できることなら、夜も家も・明かし果ててほしいよ、衣の袖に降った我が涙の色も見せられるように……こと成れば、身も心も・開かし果ててほしいよ、身の端に降ったおとこ涙の色も見せられるように)。

 
 「ころもて…衣の袖…心身の端」「あかし…(夜を)明かし…(身や心を)開かし…開き」「なみだ…(目の)涙…ものの涙」「色…色彩…色情」。

 

返し、
 衣でに降れる涙の色見むと あかさばわれもあらわれねとや

(衣の袖に降った涙の色彩見ようと、明かさば、わたくしも、あらわにならないとでも・言うの……身の端に降った君の汝身だの色情見ようと開かさば、わたくしもあらわにしてしまえと言うのか)。


 「ね…ず…打消しの意を表す…てしまえ…『ぬ』の命令形」「とや…というのか…疑いの意を表す…問い返すいを表す」。


と言う時に、たいそう明るくなったので、童一人留めて、「この車の入る所を見届けて来い」と言って、男は帰ったのだった。童、見て来た。いながなりにけむ(後はどうなっただろう・この女と男)。


 

あえて描写しないが歌から察して、女車に合い乗りで、秋の夜長ゆるゆる行きつつ、女の家近くまで来たのである。


 伊勢物語には、男、女車に合い乗りで、なんと、葬儀見物に出かける場面があるので、平中物語にもあって当然である。



  原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。