どこに行っちゃうのかおれにもわかんねーよ!

とにかくいい加減なブログです。

神谷バー

2018-11-10 22:28:00 | 
台東区浅草一丁目一番一号、神谷バー到着。今日は閉まっていなかったー。
混んでるけど、1人ぶんの席を確保。相席でも気楽に入れて、全然気取らない雰囲気がいいのです。食券を買い、ビール大ジョッキがきました。
そして名物電気ブラン。ブランデーをベースにリキュール、ジン、薬草等を配合したカクテル。甘さと独特の香り、ピリリとくるテイストが、疲れた体をほぐしてくれます。生ビールをチェイサーにして飲むのが地元流なのだ。
煮こごりは酒の肴に最高。
名物のナポリタン。昔っぽくて旨いのよこれが。

店を出て国際通りを歩いていると、お店の前に等身大のパネルが。よくみるとTake2の東MAXじゃねーか。浅草MJというもんじゃ焼き店を経営しているそう。
八ッ目鰻本舗なんて店も。なんでも、漢方と健康食品のお店だとか。昔から滋養強壮によいと言われる八ッ目鰻。北海道でも捕れますが、今ではめっきり姿を消し、なかなかお目にかかれません。子供の頃よく食べましたが、その脂の多さといったら、ハンパなかったです。こちらでは八ッ目鰻チーズ春巻スティックなんてのも食べれるようです。下町っていろんなお店があるもんですね。

(記事:2018年11月 Update:2020年6
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市場~新橋~浅草

2018-11-10 22:28:00 | 旅行
青果棟を見るのは、疲れてきたので断念し、豊洲市場を後にして、
初めてゆりかもめに乗ってみようと思います。
市場前駅から新橋へ向かいます。
新橋行きが来ました。
新橋駅到着。
都営浅草線に乗り換えて、
浅草到着です。
まっすぐ雷門へ。あー、やっぱり浅草は気持ちが華やぐなー。
夜も仲見世には人が途切れません。
宝蔵門のライトアップもきれいだな。
本堂でお参り。家族の健康と、どうか楽しい道中でありますように。
境内にある御神木、槐(えんじゅ)の木。
フラッシュが焚けなくて、暗くわかりづらいですが、漁の網にかかったご本尊を、槐の切り株に安置したことが、浅草寺の起源とされます。この木は何度枯れてもまた生えてくるので、その不思議な縁から神木として祀られています。
もう一本の御神木、いちょう。
源頼朝公が差した枝から発芽し、ここまで巨木となったと言われています。度重なる戦禍をくぐり抜け、今日に至っています。
旧五重塔跡。最初の建立は942年と古く、幾度か炎上するも再建され、徳川家光によって再建されたのを最後に、戦災で焼失しました。現在の塔は反対側の敷地に建っています。歴史と言い伝えが数多くあるのも、地元の人の信仰を得ている所以であります。
境内に近い土産物屋さんで、江戸文字で書いてある、浅草名前札が気に入り買いました。たくさんの中から、家族全員の名前をそろえることができたので、これは買うしかないと思ってね。もしかして大ラッキーなのかも?

(記事:2018年11月 Update:2020年6
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豊洲市場

2018-11-10 22:27:00 | 旅行
これから豊洲市場に行ってみるのですが、青果と水産棟に分かれてて、さて、どこから入ろうかな?こっちは水産卸売市場棟だから、
向かいの水産仲卸売場棟に行ってみよう。
おー、ターレットトラックだ。札幌中央卸売市場でもちょろちょろ走ってるやつだ。
3階の豊洲市場ぐるめ街。39店舗入っており、寿司等海鮮が多いですが、他にも色々食べれます。市場では他に青果棟に少しと、管理棟に13店舗あります。
4階の魚がし横丁。専門的がたち並び、一般客もお買い物が楽しめます。ここには約70店集まってます。
既に16:00を過ぎており、閉まっているお店がほとんど。
半分開いているお店、海産珍味の山茂さん発見。三輪スクーターってのもあるんだねー。市場って広いし、荷物運ぶの大変だからね。
フロア図がありました。1階は仲卸売場で、さまざまな業者が買い付けに来ます。
この隙間から1階のフロアが見えるんだけど、細くて全然わからんので意味不明。
水産仲卸売場棟を出て、水産卸売市場棟へ行ってみます。右側はパッケージ棟。
豊洲大橋が見えます。物流トラヒック考慮のため、5つの橋と1本の陸道、首都高速料金所もあり、交通網が整備されています。築地と同じく、船による搬入・出も可能です。
手前は現在駐車場になっていますが、千客万来施設を建設予定だそうです。観光客向けショッピングモールや温浴施設もできるようです。
桟橋を渡って、まずは管理施設棟に入ります。
そして水産卸売市場に入ると、マグロの原寸大オブジェがお出迎え。
取り引きされたうち、最大級の国産クロマグロです。496kgあったそうです。
水産物取り扱い量と回遊ルート。豊洲市場に集まる水産物でナンバーワンは、冷凍めばちまぐろ21,692t。これは日本人のマグロ大好き度が、データでわかるというものです。次に、まあじ13,681t、ぎんざけ12,914tと続きます。
いろんなマグロが世界の国から届く豊洲。
マグロの種類と生息エリア図で、上から4つ目まではよく聞くマグロの名前ですが、5つ目をみるとビンナガマグロ?ビンチョウマグロなんでないの?で、調べてみると同じマグロでした。ツナ缶に使われるポピュラーなマグロですが、脂がのってとろけるようなビントロとして、人気がありますね。
ここからが水産卸売市場の見学者通路です。
ここからマグロの競りを見学できますが、人影がない。。
それもそのはず、午前6時過ぎには、競りは終わっちゃうんですから。
卸売場は1階から3階まであり、フロアごとに取り扱い品目を決めているそうです。
今後、1階に見学デッキを作り、名物のマグロの競りが、間近で見れるよう検討しているそうです。

卸売業者、関連業者、売買参加者、仲卸業者、買出人らが関わり、午前2時に荷おろし、4時に品物の下見、4時30分にセリ、7時に買出人への販売、午後1時からは翌朝まで順次入荷待ち。市場は眠らないのだ。

手やりの解説。一瞬で数量と金額を伝えることができるスゴ技なのだ。
日曜日はオール休市日で、水曜日も休市が多いですが、他の曜日に振り替えられている場合もあります。休市スケジュールを確認しておいた方がいいですね。
温度管理等の衛生面、機能性を整え、先月スタートした豊洲市場。これまでより、取り扱い量が増えるのを期待されています。

(記事:2018年11月 Update:2020年6
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豊洲へ

2018-11-10 22:26:00 | 旅行
築地を見たからには、移転先の豊洲も見なけりゃなるまいて。
築地川沿いの環状第2号線暫定道路が、遊歩道&サイクリング道路になっています。
振り返ると、離宮を見下ろすカレッタ汐留・電通本社ビルや、コンラッド東京ホテル等が林立し、東京湾岸沿いの近代的な景観を見せています。
築地市場横を通過。
環二通り沿いに橋を渡り、勝どきに入ります。
先ほどまでいた浜離宮。水上バスの出入口が見えます。
隅田川上流側は、橋のアーチの隙間から勝鬨橋が見えます。
勝どきから朝潮運河にかかる、れいめいおおはしを渡って、晴海に抜けます。
月島警察署前交差点を左折し、晴海通りに入り、有明通りに右折して行きます。
この先の晴海大橋を渡れば豊洲です。
晴海運河の東側は、ららぽーと豊洲。
全長580mの晴海大橋を、えっちらおっちら。
西側に夕日が差してきました。レインボーブリッジが見えます。
臨海埋め立て地帯の豊洲。運河沿いのマンション開発スピードがすごい。
橋を渡ると、コンサート会場の豊洲ピットがありました。待ち人は若者ばっかで、全体的に黒っぽいコスチュームなんで、誰のライブかなと思ったら、ビジュアルロックバンドのBUCK-TICKでした。東日本大震災復興のためチャリティーイベントの活動拠点として、2014年から設立されております。
有明通りから豊洲有明線へ右折、ゆりかもめの高架伝いに進みます。
豊洲市場エリアに入ってきました。
ゆりかもめの市場前駅到着。
現在位置はここ。豊洲といっても、市場えりあ、商業エリア、住居エリアと分かれててかなり広いです。

(記事:2018年11月 Update:2020年6
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浜離宮恩賜庭園

2018-11-10 22:25:00 | 旅行
築地から、相変わらずのノープラン・行き当たりばったりで、浜離宮恩賜庭園入り口にきました。築地川をわたり大手門へ向かいます。
浜離宮恩賜庭園は、徳川将軍家の別邸・庭園として造成され、浜御殿と呼ばれていましたが、明治維新後、皇室の離宮となり、東京都に下賜され今日に至ります。
元々は将軍家鷹狩りの場所だったんですね。
早速、園内を散策しましょう。歴史の生き証人である離宮を、高層ビル群は見下ろします。
内堀。船で物資を運び、江戸城へ入れるための中継ポイントでした。
これは見事な松だなー。
三百年の松。六代将軍徳川家宣が庭園を大改修したときに植えられたと伝えられます。これほど見事な松は見たことがないです。
水上バス乗り場がありました。
東京クルーズと東京水辺ラインの2社が運航しています。
そういや、この庭園って入場料かかるんだけど、ここで乗り降りするのって、水上バスの他に料金かかるのかな?
出航しました。この時間だと浅草行きだな。
なんでもない芝生も、松の木があると和の景観になってしまう。木の配置や曲がり具合も、計算されているのだろうか。
灯台跡。一時、木造の灯台が設置されていたそうです。礎石だけが残っています。
ここに菰巻された木があります。
寒さを防ぐためかと思ったら、害虫を駆除するためのものなんですね。
新樋の口山。展望台として見晴らしのいいところですが、江戸時代には、水軍施設もあったらしいので、見張り台の役割もあったのではと思います。
登ってみました。ここは隅田川と東京湾の海水が、ちょうど入り交じるところです。レインボーブリッジが見えますね。
将軍お上り場。ここで徳川の将軍は船に乗り降りしていました。江戸城までの船の行き来や、京都大阪方面からの帰還時に、ここを使ったそうです。
どんどん見ていこう。海出の茶屋跡。
横堀にかかる海手お伝い橋。かけ方が互い違いですが、遊び心なんだと思います。
水面にビルの影が映っている。昔と変わってないのは、同じく映ってる青空と雲。
富士見山。
築地方面。うーんいい景色。
潮入の池。海水が潮位により流入し、景観の変化を楽しめる、回遊式庭園なんです。周りのビルは庭園をいつでも見れていいなあ。
お伝い橋を渡ります。
鴨が羽を休めています。
中島の御茶屋。
カフェになっていて休憩できるようです。
小の字島に渡り、対岸に行きましょう。
今渡ってきたお伝い橋は、長さ118mの総檜作りです。
馬場跡。ここでは馬術の訓練が行われていたそうです。暴れん坊将軍吉宗も、ここで腕を磨いていたのでしょうか?
こちらは、復元された見事な茅葺きの鷹の御茶屋。
鷹狩りは将軍家の権威象徴。ここでも盛んに行われていました。
そして燕の御茶屋。
名称の由来は、燕形の釘隠金物が使われていたことや、燕子花(かきつばた)から来ていると言われています。
松の御茶屋。
関東大震災や戦災で焼失したものを復元する。発掘や文献調査の細かい作業があってこそです。
庚申堂鴨場。これは小覗という捕獲設備。
ここに鷹匠が潜んで鴨をおびき寄せるのだ。
鷹狩り時の配置や方法が書かれてます。鴨を呼び寄せるため、アヒルを囮として飼育していたそうです。
鴨を捕獲するための道具、叉手網です。これに掛からなかった鴨は、訓練された鷹によって捕まっちゃいます。
浦の池の鴨。昔はさっきの小覗から、狙われていたんだろうな。
ぐるりめぐって、
スタート地点の大手門到着。江戸時代の地図が掲示されており、江戸城のお堀から水路でつながっていたのがわかります。東京湾直結のロケーションだったため、出城としての機能も備えていたんですね。

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築地本願寺

2018-11-10 22:20:00 | 旅行
築地場外市場から、晴海通りをはさんで見えた建物が気になり、
来てみると築地本願寺でした。
海外の様式を取り入れた建築は、まさに
宮殿のようです。お食事処やカフェ、ブックセンター、オフィシャルショップもあり、法要以外でもゆっくりできます。ホールには巨大なパイプオルガンもあり、金曜日にはランチタイムコンサートも開かれています。
この銅像は、
浄土真宗の宗祖、親鸞聖人でした。築地本願寺の本山は京都西本願寺です。
こちらは、文化財となっているお墓が多数あります。画家として高名な酒井抱一のお墓。
間新六供養塔。赤穂義士に加わり、吉良上野介仇討ちを成し遂げたあと切腹。他の義士は高輪泉岳寺にお墓がありますが、なぜかこちらに葬られています。
森孫右衛門供養塔。江戸幕府に漁猟の許可を得て、拝領した土地(海)に佃島を築き、将軍に魚を献上していたことで知られています。
他にも多数あります。モダンなお寺ですが、歴史に触れられるのもいいですね。

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築地市場その後

2018-11-10 22:18:00 | 旅行
新大橋通りに出て、築地市場前まできました。
正門前には、人だかりがありました。移転に反対する業者さんが、俺んとこの店はまだここで営業してるんだと、メガホンもって露天販売しています。

そうはいっても、施設の老朽化はねぇ、どうしようもないっすよ。
解体後は、暫定的にオリン・パラリンピックの輸送拠点ととして、活用される予定とか。
今は解体されるのを待つ築地市場です。

しかし地図でみると、相当広い敷地です。築地の町の面積約半分ですからね。隣に東京国税局や朝日新聞本社、国立がん研究センターもあり、銀座も近く、ほんとに花の都、東京の真ん中なのだ。
おや、このマッチ箱大の出っぱりは何だ?
機械のネジ部分を隠すカバーでした。うまく細工してあるなー。


(記事:2018年11月 Update:2020年6
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きつねや

2018-11-10 22:16:00 | グルメ
休日のお昼時ともなると、築地界隈は人でごった返します。寿司でもつまもうかと思い、うろうろしていた矢先、味噌の重厚で香ばしい匂いがします。たどっていくと、

大鍋にもつを煮込んでました。ホルモン煮のきつねやさんです。店先のカウンターしかなく、行列ができています。
行列しているものの、看板メニューのホルモン煮はもう出来上がっており、お客の回転も早い。向かいの道路側に、露天テーブルがあり、立ち食いで食べれる場所があるので、ここに決めました。
テーブルに、トレイでホルモン煮とビールを運んできました。どっさりのっかったネギと、八丁味噌で煮込んだ赤茶いろしたもつ。なんといってもこの香りが食欲をそそるのだ。七味をガッツリかけていただくと、濃厚な風味がずんずん押し寄せる。たまらずビールで流し込むと、やべー、なまらうめー!これは冷酒でいただくのもいいな、これならとうふの入った肉どうふでもよかったな、などと思いつつ箸をすすめても、これがなかなか減らない。この一杯でお腹いっぱいになってしまった。
常連さんらしき人の食べ方を見ていると、ご飯や半熟玉子を一緒に注文して、もつをおかずに、またはぶっかけにして食べている。少ないメニューで色々食べ方があるものだと思いました。

(記事:2018年11月 Update:2020年6
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築地場外市場

2018-11-10 22:15:00 | 旅行
さあ、いよいよ築地場外市場探査です。
軒下アーケード街があります。韓国やタイのストリートを思い出します。
築地魚河岸にきました。
隅田川淵に構える魚市場。仲卸しを母体とした約60の小売り店舗が入っています。新築して明るいイメージになり、道の駅かショッピングモールみたいです。
もちろん、新鮮な魚を使った“市場飯”を味わうことができます。
魚河岸の屋上に上がりました。こちらは海幸橋棟の広場。
棟が分かれており、橋を渡って隣の棟へ。真下は賑わう波除通り。
小田原橋棟へきました。
小田原橋棟の屋上広場も、こんなに広いんですよー。
魚河岸でショッピングを楽しんだ後、場外市場内をめぐります。一角のあじだしのお店。ポットに入ったアゴだしをテイスティングし、だしの底力を再発見。だしパックを即お買い上げ。
海鮮丼のお店のド迫力ディスプレイ。マグロとカニの闘い?
解体ショーは終わったばかりでした。
これ、テリー伊藤さんの実家のお店、厚焼玉子の丸武さん。
市場は豊洲に移転したけど、場外市場はそのままなので、観光客も大勢やって来ます。
晴海通りと新大橋通りに挟まれた、わずか数百mの区画にお店がひしめきあっており、ここはまさに食のラビリンス。
そして熱気とパワーに圧倒されるのでした。


(記事:2018年11月 Update:2020年6
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史跡・名所めぐり~築地波除稲荷神社

2018-11-10 22:12:00 | 旅行
聖路加国際病院から隅田川沿いに、勝鬨橋方向へ進むと、
傍らにあった電信創業之地碑。明治2年に開業した東京電信局跡です。「紀元二千六百年逓信省」となっていますので、和暦で昭和15年に業務開始しています。
横浜までの約32km区間に電信線が架設され、日本で最初の公衆電気通信が始まりました。石碑は、昭和53年に40m離れたこの場所に移動したとあります。
月島の渡し跡。月島の埋め立てが完成した明治期に、築地~月島間を、手漕ぎの渡し船で民間運航が開始しました。その後、月島が臨海工業地として発展していく上で、重要な交通の役割を果たすことから、市営・汽船化と、無料となることでさらに乗客が増加しました。昭和15年の勝鬨橋完成により、その役目を終えました。
堤防上にある、はとば公園に行ってみよう。
ピカピカの玉が転がってます。ポケモンボールみたいで子供に人気がありそうですが、モニュメントで「水の情景」と名前があります。ここは夜景スポットで、ライトアップされた勝鬨橋を見ることができます
ここから見た勝鬨橋のアーチ。これがグリーンに灯るのだ。
対岸には林立する高層アパート群。夜のライトアップは、ビルの窓明かりも手伝い、水面に反射してすばらしい景観を演出します。
築地六丁目の名所・旧跡案内。まだまだたくさんあって見きれないよ。
地域案内図。築地市場まではもうすぐです。
築地市場前にやって来ました。巨大な駐車場ビルが、その規模を推し量ることができます。先日お役目を果たしたことから、解体作業準備中です。
勝鬨橋はすぐ近くにあります。月島、豊海、晴海、豊洲、有明、お台場と、埋め立て地帯へと続く入り口です。「はね橋」として作られましたが、開かなくなって50年近くになります
波除稲荷神社にきました。
江戸時代から続く神社。築地の埋め立て工事は、荒波のため難航していました。ある日の夜、光を放ちながら海面を漂う御神体が見つかり、社殿を建て祀ったところ、荒波がおさまり、工事が順調にすすんだことから、波除稲荷と呼ばれ信仰されているとのことです。
いろんな塚が脇にあります。すし塚。
海老塚。
活魚塚。
鮟鱇(あんこう)塚。
玉子塚など。
え、吉野家って?
吉野家の発祥は築地で、昭和34年に築地一号店創業から始まりました。感謝の意を込めて、ここに碑を奉納したのだそうです。
獅子殿の厄除天井大獅子。願い事が通じるといわれています。
対座するように弁財天社・お歯黒大獅子が納められています。
現在も、大獅子を担いで祭礼が行われています。他にも「青龍」「白虎」の頭も奉納されています。波を立てるのは、雲を従える龍と、風を従える虎の仕業とされ、それをひれ伏すのが獅子なんです。

(記事:2018年11月 Update:2020年6
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聖路加国際病院

2018-11-10 22:10:00 | 旅行
築地駅から聖ルカ通りに入ります。
向かうのは聖路加国際病院。歴史と文化の散歩道のパネルがあり、見てみると日比谷公園から佃島にかけての界隈は、東京、いや、日本の歴史を辿る史跡の宝庫。これ全部見て回るのは、相当根性要りますよ。
聖路加国際大学前通過。町の喧騒がなく、車の往来も少ないので、散歩道としてうってつけですね。
大学のシンボルマークです。めっちゃカラフルですなー。
大学敷地内に女子学院発祥の地碑があります。この地区は、幕末から明治にかけて、多くの学校が設立されました。明治以降、外国人居留地に指定されると、キリスト教系の学校が多く開校しましたが、現在で言うところの名門校が集結していました。今はほとんど移転し、聖路加国際大学のみとなり、いたるところに発祥の地碑が建てられています。
聖路加国際病院東口玄関到着。今日はいとこのお見舞いでやって来ました。
聖路加国際病院は、1995年の地下鉄サリン事件で、多くの重症者を受け入れ、治療を行ってきた病院であります。日野原院長の理念と行動力を支柱に、医療スタッフ一丸となった懸命の治療は、多くの命を救いました。(院長は昨年お亡くなりになられました。ご冥福をお祈りいたします。)


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入谷~築地

2018-11-10 22:00:00 | 旅行
翌朝、ホテル出発です。写真はホテルフロントの宿泊チケット自販機。まるでスーパー銭湯のようだわ。
昨日と違ってお天気は快晴、国道4号線を上野方面へ。
入谷の地下鉄駅に行く前に立ちよった金美不動産さん。こちらの社長に昔お世話になったんだよねー。懐かしー。
都営日比谷線入谷駅到着。
北千住方面の電車だけど、ラッシュアワー前なので空いていそう。
朝の運行間隔は間を置かずにくるからね。
間もなく中目黒行きがきました。18年前にはこれに乗って通勤してたんだよなー
築地駅到着。都心方面はめっちゃ混んでて、かなりプレスされちゃった。お土産の薄荷羊羮が潰れてないか心配だわ。ちょっと甘かったな。。

(記事:2018年11月 Update:2020年6
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