どこに行っちゃうのかおれにもわかんねーよ!

とにかくいい加減なブログです。

旅の終わり:羽田~女満別

2018-11-12 16:34:00 | 旅行
11:15発女満別行ANA共同運行便に搭乗します。
4777便の搭乗案内待ち。
座席は右窓側ちょうどエンジンのあたり。
雨も上がってコンディションはOK。
東京よさらば。
出発後、20分ほどで水平飛行へ。
雲海の上は快晴。
陸地が見えてきた。
えりも岬かな?
おー、空と海のブルー。
白糠・釧路から内陸へ。
高度が下がり、
陸地が見えました。
湖が見えてきた。
何湖なんだろ?雲がすっぽりかぶっててわかんない。
といっているうちに、雲の下に入ってきたぞ。
わかった、これは屈斜路湖だな。
和琴半島が見えているから間違いない。
中島がぽっかり浮かび、藻琴山が見えます。
降下モードです。木々が紅葉してますね。
オホーツクに帰ってきたぞー。
着陸ー。
前回は網走湖側からアプローチしていたのですが、今日は屈斜路湖側からでしたね。飛行機は向かい風で離着陸するので、北風だったんだな。季節で風向きが変わるので、それによってアプローチを変えているのでありましょう。
これで3泊4日の旅終了。疲れたし、帰って一杯飲もーっと。

(記事:2018年11月 Update:2020年9
月)
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つきじ亭

2018-11-12 10:45:41 | グルメ
早朝から動き回って、朝飯も食べてないもんだから腹減っちゃって。
空港内立ち食いそば屋さんへ。
月見そば500円。ごっそさん!

(記事:2018年11月 Update:2020年9
月)
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御徒町~浜松町~羽田空港第2ターミナル

2018-11-12 10:41:48 | 旅行
御徒町から浜松町経由、モノレールで、
羽田空港第2ターミナル到着。
駅ホームのサインボード。え、にしおこっぺ?
オホーツク、西興部村のコマーシャルでした。
羽田からだと紋別空港までのフライト1時間45分、バスで1時間20分で、待ち時間を考えなければ3時間ちょいです。
紋別空港利用促進事業があり、村民の指定区間利用と、道外の方も村内のホテル森夢に宿泊前提で、助成額が出るそうですよ。
空港内到着。この4日間歩き回って、ついに帰る日がきちゃったな。あとはもうフライト時間を待つのみです。

(記事:2018年11月 Update:2020年9
月)
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湯島天神

2018-11-12 10:34:49 | 旅行
鶯谷駅に戻り、
山手線で、
御徒町駅へ。
文京区側へ春日通りの坂を登り、
湯島天神到着です。
菊まつり開催中です。
構内は作品が目白押し。
ズラリと並ぶ菊の回廊。
こちらは厚物。花弁がふっくらと幾重にも重なる品種です。
一輪挿しは切り花。
背の低い三本仕立てはだるま。
湯島天神は、天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)、菅原道真公が祀られていますが、徳川家康公が江戸城入城から尊び、徳川綱吉公も焼失の折りに復旧資金を寄進した、由緒ある天満宮です。
他にもいろいろな記念碑がありまして、こちらは文具至宝碑。
中国より渡来した紙筆墨硯は、読み書き算盤の寺子屋時代より、明治にかけ高い文化を育てる文具として、大きく貢献をしてきました。
文化の日を文具の日として定めるに当たり、学問の神さま湯島天神の境内に建立されました。
いまや瓦斯灯はほぼ無くなりましたが、都内で屋外の瓦斯灯はここだけになります。ではなぜここなのか?
こちらは泉鏡花の小説「婦系図」で男女の別れの舞台となった場所であり、映画化時の主題歌「湯島の白梅」には、歌詞に青い瓦斯灯が歌われており、それが縁で残されています。境内には泉鏡花の筆塚もあります。
「婦系図」は、明治に起こった舞台演劇、新派の演目となり上演されました。名セリフ、
男「月は晴れても心は暗闇だ。」
女「切れるの別れるのって、そんな事は芸者の時に云うものよ。私にゃ死ねと云って下さい。」
切ないっすね。。
そして、水谷八重子さんにより、新橋演舞場にあった新派の碑は、演舞場改築時にこちらに移されたそうです。
いろんなつながりがあるんですね。
新派は明治期に起こった芝居演劇で、対して歌舞伎は旧派と言われています。
この他、王貞治さんの努力碑もあるそうで、いろいろみて回れますね。
こちらは宝物殿。
江戸神輿をはじめ、広重の『江戸名所百景』や能面など多数展示されています。早朝なのでまだ開いてませんでした。
菊まつりに戻って、趣向を凝らしたいろんなブース。盆庭という総合庭園なのだそうです。
これも力作。
おっと、本殿へのお参りを忘れちゃいけない。こちらへは、これからの子供の受験成就を願い、来たのが本当の目的。湯島天神は学問の神様、菅原道真公を祀る神社だからね。
では、また鑑賞開始。
小菊を断崖から垂れ落ちるように見せる懸崖作り。
近隣の企業や団体が花を献じているんですね。
大作りは千輪咲きともいいます。
これだけ一斉に咲かせるのは、手間がかかるだろうなー。
菊人形のコーナー。
今年のテーマは西郷どん。桜島をバックに右から西郷どん、妻の糸さん、大久保どん。
菊の盆栽。
参集殿。パーティーや会合を行えます。菊まつりといい、地域生活に溶け込んでいるんですね。
福助という低い活けかた。見た目が福助人形に似ているのでそう呼ばれます。
本殿から社務所間にかかる橋には、中懸崖作りのアーチが。

反対側から。
撫で牛。
道真公の遺言は、「自分の遺骸を牛にのせて人にひかせずに、その牛の行くところにとどめよ」とあり、その牛は、黙々と東に歩いて安楽寺四堂のほとりで動かなくなり、そこを御墓所と定めたといわれています。道真公と牛は切っても切れないものということなのです
こちらの像は、撫でられた部分が白くなっています。自分の悪い部分を撫でればよいみたいですね。
ちゃんと狛犬もありましたよ。
この大作りも見事です。

文京菊会のブース。中央の大懸崖作りが赤いハートになっています。
菊の種類は管物、大掴、江戸菊、一文字菊、巴錦などいろいろあり、細かく見ていくともっと奥が深いみたいですよ
さて、そろそろおいとまして、御徒町に向かいますか。
男坂と呼ばれる急坂を降ります。ちなみに写真の左には緩やかな女坂があります。
坂の下からは、学問のみちと呼ばれる小路を歩きます。受験生や親御さんが思いを胸に、天神さまへお参りに向かう道は、参道といった趣はなく、江戸下町情緒を残す小ざっぱりした閑静さが、心を落ち着かせてくれます。
中央通りに出ると左は上野松坂屋、
右には、ほー、パルコができてる。松坂屋と連絡通路でつながってます。
御徒町駅到着。
台東区掲示板の酉の市。これも見てみたいんだが、ちょいと遠い。秋から冬の季節は、花川戸のはきだおれ市等、催しが続くので、スケジュールが合えば行きたいなぁ。
あ、神田明神に寄りたかったけど、時間に余裕がなくなったんで、羽田に向かいます。

(記事:2018年11月 Update:2020年9
月)
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寛永寺霊園

2018-11-12 10:30:18 | 旅行
鶯谷駅手前の陸橋を、
桜木側に渡ります。鶯谷は小さな駅とお思いでしょうが、線路の数はほれ、この通り。さすがは山手線と京浜東北線の幹線駅だわ。
寛永寺第一霊園前にきました。山手線の内側に面している界隈で、白壁で囲われている上野桜木1丁目は、まるごと寛永寺の境内です。朝早いので閉まってます。
寛永寺厳有院御霊廟
ここは、四代将軍徳川家綱公が眠る墓所。この勅額門および水盤舎が、戦災による焼失を免れました
寛永寺第二霊園。一般の檀家さんの墓所もあり、将軍霊廟と同じ霊園内のご近所さんとはすごい。仏さんになりゃみな同じってことかな?
徳川将軍家霊園。
五代綱吉公、八代吉宗公、十代家治公、十一代家斉公、十三代家定公が埋葬されています。天璋院篤姫の宝塔もあるそうです。
奥に見えるのは常憲院殿霊廟勅額門。生類憐れみの令を発布した、五代将軍徳川綱吉公の霊廟です。
寛永寺は第一~第三霊園が徳川浄苑、飛び地の谷中霊園も合わせて墓所となっています。谷中霊園は十五代将軍徳川慶喜公の墓所があります。
朝早すぎて霊廟は開いてないので、鶯谷駅に戻ります。白壁の向こう、どんよりとした空にスカイツリーが見えてます。今日は雨が降ったり降らなかったりと、スッキリしない天気ですね。

(記事:2018年11月 Update:2020年9
月)
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入谷鬼子母神

2018-11-12 10:26:56 | 旅行
朝5:00起床し、6:00にホテルをチェックアウトしました。今日はあいにくの空模様です。本日が旅行最終日で、午前中に見たいところを回ります。
入谷鬼子母神到着。1659年に創建された眞源寺に祀られています。「恐れ入りやの鬼子母神」と江戸っ子の洒落で有名です。
鬼子母神はインド仏教上の女神で、最初、人の子を食べてしまう悪神でした。釈迦により末子を隠されたことで、子供を失う母の悲しみを知り、改心しました。それからは小児の神として子供を守り、安産子育ての守護神として、信仰される善神となりました。鬼子母神の鬼の字は、上の点がなく表記されており、角が取れたことを意味すると言われます。
下谷七福神のうち、福禄寿も祀られています。
入谷朝顔発祥之地碑。江戸時代から朝顔造りが行われていたと、記録が残されています。明治期には一時廃れた朝顔市も、昭和には朝顔まつりとなって復活し、夏の風物詩として、多くの人でにぎわいます。
入谷乾山窯元之碑もあります。優れた陶工であった尾形乾山が、京都から江戸に出て窯を開いた場所です。乾山は、琳派の創始者で画家の尾形光琳の弟でもありました。二人の合作も多くあり、互いに影響されながら、自由な発想で作品が造られています。


(記事:2018年11月 Update:2020年8
月)
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