どこに行っちゃうのかおれにもわかんねーよ!

とにかくいい加減なブログです。

加賀屋

2018-11-11 23:55:00 | 
そのまま上野に戻ろうと思ったんだけど、人の多いとこで食べる店探すのもなー、と電車内で考えてて、今夜の締めはやはり居酒屋かなと。しっとりとホッピーが飲めて、つまみがうまいとこは、、と、充電メーターが上がり始めたスマホを手にとり、検索して出てきたキーワードは、加賀屋。そうだ、鶯谷だ!乗降客も少ない駅だからきっと空いてるぞ。
途中下車し加賀屋さん到着。緑の看板はウグイスの色を意識してなのかな?
案の定、サラリーマンや現場を上がったおにーさん達が数組いるのみ。カウンターにつき、シンプルなメニューをチェック。酒好きの肴がそろってるぞ。
まずはホッピー。このずんぐりボトルがお江戸にいることを実感する。北海道で売っているホッピーは、これよりスリムだからね。
肴は絶対外せない名物モツ煮込み。
うるめいわし。この歯応えと苦味がたまんない。
スタミナ焼き。このタレがいいのよ。
中(焼酎)、追加です。もう、ホッピー最高!
さつま揚げは三枚。おっちゃんにはツマミはこれで充分だわ。
それにしても喉が乾くのう。締めのビールじゃ!満足☆満足。
お店を出ました。それにしても鶯谷はファッションホテルの多いこと。
途中の台東区掲示板で、目に止まった一葉祭のポスター。樋口一葉が下谷竜泉寺町で暮らしていたことが、その後の作品に影響を与えたといわれ、一葉の足跡を辿るイベントが毎年開催されています。
わいわい交流入谷っ子 浅草花やしきに全員集合!のポスター。大人1000円払って同伴する子供も含めて、園内のアトラクション乗り放題だって。地元に愛されている遊園地なんだねー。
この辺りの旧町名は上根岸町。江戸時代から明治、昭和30~40年代にかけて、町名が変わっており、現在の根岸も上・中・下根岸、金杉、坂本町、箪笥町などに細かく別れていました。御徒町、仲御徒町、上野広小路、田原町、稲荷町等の各駅名も町名であり、変更前の名残が見られます
おっ、こちらは私が自転車で通りかかった時、いつも香ばしい匂いと煙を出していた、鰻屋さんではないか。鬼子母神門前のだやさんは、古いお店構えだったんですが新しくしたんですね。匂いだけいただいてるのもなんなので、一度食べに来たいなー。
言問通りから、
昭和通りを南へ。写真は逆向きだけど。
ホテル到着。安着祝いに近所のコンビニで買い出した柿の種、
ポテチ、
そして角ハイボールと、
ぽん酒で今日は終了。お疲れさまー!

(記事:2018年11月 Update:2020年8
月)
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秋葉原~新大久保

2018-11-11 23:49:00 | 旅行
晩ごはんどうしようかな?
秋葉原から移動して新大久保へ到着しました。
コリアンタウンとして、韓国料理店がひしめくエリアです。東新宿方面がとてもにぎやか。

ほんと町並みが韓国の明洞を思い起こさせます。ぶらつきながら、おっちゃん一人でも入れそうなお店を探しましたが、なかなかするっと入れるお店がない。どの店も混んでるし、若い人が多いし、おしゃれだし、、なんか気が進まないのだ。。
イメージでは、ちょっと年期の入った店構えに入り、カウンターに座り、陽気なアジュマ(おばさん)が注文取りに来て、ハイトゥメクチュ(ビール)、チゲやキムチ、サムギョプサルなど注文、熱々の辛さと旨さで汗だくギトギトになり、満腹後は、ジンロやマッコリでデロデロになるはずだったのだが。
スマホも電池切れとなって検索不可となり、これから充電するのも面倒なので、飯はあきらめて散策に切り替え。リサーチしてくればよかったな。
メインストリートを折り返し戻ってくると、民営の両替商がありました。格安チケット屋はたくさん見てきたけど、国内で両替商は初めて見たな。さすがは国際都市東京、これなら銀行が閉まっても、旅行者は便利だね。
といっているうちに、新大久保駅に戻ってきました。

山手線に乗り、大久保通り中野方面を
見ながら、街を後にします。
上野方面へ戻り、落ち着くとこを探すとしますか。

(記事:2018年11月 Update:2020年8
月)
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上野~秋葉原

2018-11-11 23:48:00 | 旅行
上野駅から中央通りを秋葉原に向かいます。
秋葉界隈に入ってきました。
電気街として日本の汎用性技術と、オタク街独自文化を形成してきた秋葉原。夜もビルのネオンと人波がすごい。
ソフマップ。私が上野に勤務していた、1999年にはありましたが、こんなにデカかったかな?しょっちゅうこの裏手のジャンク通りに行って、CD-Rの安物とか買いあさってたっけ。
ラオックスもあったね。辺り一帯に分散して店舗があり、5号館くらいまであったかなー。縮小し、今は中国資本に買収されたそうです。エディオンはなく、石丸電気だったと思う。
秋葉原駅。駅前にはサトー無線とかが入ってて、戦後の部品市場のようだったけど、都市開発でなくなっちゃったのかな?とにかくごちゃごちゃと、いろんな店がひしめき合っていたのが、なんかスッキリしすぎちゃって、掘り出し物探し感が薄れてしまったような気がするなー。
ビックカメラ・ヨドバシカメラも出店したんだね。スマホの電池が消耗しやすくなってきたので、ビックカメラでモバイルバッテリー買っちゃった。


(記事:2018年11月 Update:2020年8月)
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ジャイアントパンダ:2018

2018-11-11 23:46:00 | 旅行
パンダ橋を渡って上野駅へ。
上野駅2階入り口のジャイアントパンダのぬいぐるみ。
お~、子パンダが増えている~!2014年に来たときからシャンシャンが生まれ、家族が増えたのだ。
上野動物園とパンダは切っても切れない関係。1972年の来園以来、日本じゅうを笑顔にさせてくれました。今日も愛らしいキャラクターで、観客をキュンキュンさせていただろうなー。

(記事:2018年11月 Update:2020年8月)
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上野動物園

2018-11-11 23:46:00 | 旅行
次は上野動物園へ。上野公園には何度も足を運んでますが、動物園は初めてなのだ。
上野動物園といえばパンダだが、待ち時間110分以上だと…。「そうだ、パンダでも見よう」と思いつきで見れるわけがない。考えがあまっちょろいんですわ。
しかし、この端っこから、パンダのおしりと食べてる笹だけ、チラリと見えた!残念だが、写真には写らんかった。
晴れ渡った日曜日、人出でにぎわう園内。
茅葺きの建物。
閑々亭です。客をもてなすために藤堂高虎が建てた家。東照宮を参拝した将軍家光公が、武士もたしなみを持つようになり、閑となった世にちなみ、閑々亭と名付けたとのことです。
水琴窟もありました。音色を聞くのは高輪の泉岳寺以来だな。
サルの後ろ姿。ちょっといじけてる?
シロテテナガザルです。アクティブじゃないのね。
ゴリラの後ろ姿。
後ろ姿ばっかりじゃん。
ついにお顔を拝見できず。親父みたいな背中は、なんだか哀愁を感じさせる。。
正面からの上野五重塔。東照宮側から見たのは裏側だったんだ。
トラが放し飼い?リアルな作り物でした。
これなんていう鳥?初めて見るわ。ハシビロコウという、とにかく「動かない」ので有名。顔はいかついが、見ているとだんだんユーモラスに思えてくる。
不忍池も園内の一つ。水鳥の姿を多く見ることができます。
食通を虜にする上野精養軒も、動物園を見下ろす位置にあります。
昼間見逃した清水観音堂の月の松。お堂がライトアップされているため、丸いかたちがくっきりと浮かび上がります。
弁天門から退園しました。さすがは上野動物園、動物の展示は多く、見応えありますね。写真はあまり撮りませんでした。だって撮り始めるとキリがないからね。

(記事:2018年11月 Update:2020年8月)
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上野公園社寺めぐり

2018-11-11 23:45:00 | 旅行
今回は上野公園を、いままでよりも、もう少しじっくり見て回ります。
東叡山、山内散策マップ。東叡山とは徳川将軍家の祈祷所・菩提寺のひとつ、寛永寺の山号で、上野のお山まるごとが境内だったんですね。ここは歴史的に重要な場所であることを再認識します。
清水観音堂。上野の山で、大火、戦火、震災を免れてきた建物の一つです。
構内に入ると、朱色の佇まいがまた雅かな。ご本尊は千手観世音菩薩。平安時代の作とのことで、毎年2月にご開帳されます。
京都清水寺の舞台を見立てて建てられたお堂であり、東叡山と不忍池は、比叡山と琵琶湖をモチーフとしています。ここからの不忍池と弁天堂の眺めは風光明媚です。
願い玉の運試し。
あそこの円に見事入ると、願い事が叶うと言われています。500円で5回チャレンジできます。清水の舞台から飛び降りるまでもなく、ひょいと投げてご利益頂戴しよう。
ここから見る月の松が有名だそうですが、人が多いのでパスします。(別記事に、夜に撮影した写真があります。)
秋色桜。
江戸時代、13歳の娘が花見で詠んだ句を、桜の枝に吊るして帰りましたが、寛永寺住職に称賛され、その後娘は俳人となり、菊后亭秋色と号しました。
博士王仁碑。
王仁博士は、古墳時代の応神天皇期に、百済国から日本に渡り、千字文、論語を広めた人とされています。その功績は図り知れないものがあり、日本での偉業を伝えるため、ここに記念碑が建立されています。
花園稲荷神社。
朱色の鳥居が鮮やかです。
鳥居は幾重にも連なります。フォトジェニックなポイントですが、ピンボケしてしまった。なにせ写真が下手なもんで。。
神社のお堂。こちらは縁結びの神様としてご利益があるといいます。
付近に穴蔵のようなお堂があります。こちらが当初の元宮で、お穴様と呼ばれています。中は暗くヒンヤリとしています。
パワースポットとして有名なこの神社ですが、参拝者が多く訪れる理由は、お隣の神社もお目当てとなっているためです。
五条天神社。医薬祖神として病気平癒を祈願する神社で、その歴史は1900年以上もさかのぼります。
上野大佛。
階段を登るとパゴダ(仏塔)があります。
大仏さまは、当初は粘土と漆喰で固められた如来像だったのですが、倒壊し、その後青銅化された大仏となりました。震災・火災により頭部が落ちたりして、幾度かの災難にも修復されてきました。
ところが現在は、大仏さまのお顔だけ残って社殿が建てられています。関東大震災で面部が落下し、その後胴体は、第二次世界大戦中、国に供出されたためです。合格祈願で訪れる人が多いのは、「もうこれ以上落ちない」ということからなんだとか。

次に上野東照宮を拝観します。
ぼたん苑もぜひ見てみたいのだ。
水舎門をくぐって境内へ。
目指すは社殿ですが、かなり奥まっており、時間をかけて参道を進みます。
右手には旧東叡山寛永寺五重塔。2代将軍秀忠の意による建造物。総和風造りの国指定重要文化財です。震災や戦火、明治時代の神仏分離令による破壊の危機も乗り越え、今ここに平和を見守ってます。
上野東照宮は、危篤であった徳川家康が、魂鎮まる場所をつくってほしいと要望し、建造されました。祀られているのは、家康、吉宗、慶喜の3人です。
銅灯籠群。
諸大名が奉納した48基が現存します。中でも唐門両側の6基は、紀伊、水戸、尾張御三家ものです。
参道を抜け金色の建物が見えてきました。
唐門。きらびやかな装飾とデザインが、徳川家の栄華を物語ります。
唐門で素晴らしいのは、柱内外の四額面の彫刻です。左甚五郎作の昇り龍・降り龍は、毎夜、不忍池に水を飲みにいくという、伝説があります。
見事な細工です。
極彩色で美しい。
柱の獅子もカラフル。
屋根の庇もなんと豪華な造りだこと。
日を受けて、ますます輝きます。
社殿を囲む透塀(すきべい)。
この造りは日光東照宮の造りに準じていますね。
赤い筐体に緑の格子が鮮やかです。
透塀は、上段に動植物、下段に海川の動物の彫刻が内外両面に施されており、その数は200枚以上にもなります。
ズラリと並ぶ石灯籠は、参道に200基以上も並びます。家光公が東照宮を造営替えした折り、全国の大名がこぞって奉納したものです。
巨大な御神木の大楠。
高さ25m、幹の太さ8m、樹齢約600年です。東照宮創建前から立っており、上野の山の祖木といわれています。
奥の社殿にやって来ました
金色殿ともいわれ、出世、勝利、健康長寿のご利益があり賑わってます。
家光公が建造した社殿は、武家風かつしなやかなラインが美しい。
こちらも、戦争・地震・火災を免れていることから、人々の信仰を集めています
壁のレリーフもチェック要です。
鳥の彫刻。
ネズミなど、十二支はもとより、様々な動物が彫りこまれています。
日光まで行かなくてもお参りができるようにと、江戸の人々に開放されました。心を安らかにさせることも、天下泰平の秘訣なのかも知れませんね。
唐門同様、屋根の軒下の造りも凝っています。緻密な造形と大胆な色使いですね。
裏側から見た唐門もまた見事。武家、仏教、神話、それぞれのエッセンスを融合させ、職人技術の粋を集めた建築美に感嘆するのでした。
栄誉権現社。通称お狸様と呼ばれます。「他を抜く」という意味から、強運開祖、受験合格、就職、必勝祈願のご利益があります。お狐様ではない理由があるのですね。
参道に戻り、ぼたん苑まで歩く間に、艶やかなあんどんが並びます。
こちらは桜。
色とりどりのデザインが楽しめます。夜は点灯するみたいなので、ぼんやりと灯るあんどんの列は、きれいなんだろうなー。
でかっ!ひときわデカイ石燈籠。
お化け燈籠と呼ばれ、高さ6.8mもあります。大名の佐久間勝之が奉納したものです。
さて、見たかったぼたん苑は、、あ~開いてないっす。。
ぼたんは12月から春までの間咲くので、今は閉館中なのでした。貼ってあるポスターのダリア展も、10月で終わっちゃってるし。
塀越しに見えたのは一輪の花のみ。11月はちょうど切り替わりの時期で、見頃シーズンを誤ったか。ああー、見たかったのになー。。

(記事:2018年11月 Update:2020年8
月)
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神田~上野

2018-11-11 23:41:00 | 旅行
さて、神田から山手線で、
上野に到着。
そして上野公園へ。久しぶりの西郷さんと愛犬ツンだー。
敬天愛人。西郷さんが好んだ言葉です。
王政復古や、江戸城無血開城の立役者としての偉業はもとより、西南戦争の総大将として、西郷さんはカリスマ的存在感を発揮しました。人望を集め、慕われ、それが人および歴史を動かすことにつながったのは、敬天愛人の心得からなのだと思います。
上野の森美術館ではフェルメール展開催中。
行列できてるなー。
美術館もいいが、こんなに天気がいいことだし、公園内を散策しましょう。

(記事:2018年11月 Update:2020年7
月)
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神田でお蕎麦

2018-11-11 23:38:00 | グルメ
東京駅から山手線で、
隣の神田駅到着。
お昼を取ろうと思いますが、どちら側にしようかな?
西口商店街にしました。
とりあえず、神田河町一丁目目界隈をさらっと見てみます。
実はカレー屋さんが多いのだ。神田はカレー店(メニューにある店)約400店舗以上がひしめく激戦区。神田カレーグランプリで味を競い会うイベントもあり、熱く盛り上がっています。
カレーだとさらに汗かいちゃうし、とにかく涼みたいので、手打ちそばバル 蕎麦人(そばっと)さんに決めました。
ビルの地下にあるお店です。プロパガンダ、そばレヴォリューションを掲げた、ちょっと変わったポスター。チェ・ゲバラ並みの革命思想を持った蕎麦屋ってことか?
暑かったかんねー、まず瓶生で潤そう。
そばのセットがきました。細い麺に腰があってうまい。
はー、やっとクールダウンできました。日曜だし、お客は私の他に一組で空いてて、あずましかったです。
界隈は飲み屋さんも多いので、アフターを蕎麦で締めるメニューも。さながら、お江戸夜鳴きそばレボリューション、といったところですかね。

(記事:2018年11月 Update:2020年7
月)
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皇居外苑~東京駅

2018-11-11 23:22:00 | 旅行
皇居エリアを後にして、

行幸通りを東京駅方面へ向かいます。
突き当たり正面に東京駅がドーンと出現。
右側の南ドーム。
北ドームをチェック。木や街路灯がちょっと邪魔だな。
大正3年開業の建築は、優雅で落ち着いた雰囲気です。復原された天井のデザインを見たかったですが、もう、のどかわいて。。次いってみようかー!

(記事:2018年11月 Update:2020年7月)
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皇居

2018-11-11 22:47:00 | 旅行
さて、皇居外苑へやって来ました。東御苑を廻ってみます。
大手門前。正門として諸大名が登城していました。
では参るぞ、たのもう~。おお、入り口のボタンがきれいでござるよ。
大手門を含む多くの建物が、明暦の大火で焼失しました。
当時の写真とほぼ同じ姿で復元されています。
入り口詰所で入園票をもらいます。入園は無料です。
三の丸尚蔵館へ行ってみます。
絵画、書、工芸品などの美術品はもとより、皇族のご遺贈品、ご寄贈品が多数所蔵されています。
蒙古襲来絵詞や唐獅子図屏風など、歴史の教科書に出てくる絵画も所蔵しています。企画展示も随時開催しています。
三の丸尚蔵館を出てすぐ向かい側から、凄まじい気合いとともに、竹刀の打突音が響き渡っています。皇宮警察の武道場、済寧館での稽古が行われていました。それにしてハンパない気迫です。(一応、剣道経験者なもんですからね。)
外人さんが写真を撮っているのは、同心番所。警備の詰所で、三の丸から本丸に入る途中、大名のお供の監視にあたっていました。鬼瓦に葵の紋が刻まれているので、見つけてみよう。
巨石を高く組み上げた中之御門石垣。登城前、御三家を除く大名は駕篭から降りて、ここから徒歩で本丸へ登って行かねばならなかったそうです。
石垣の修復作業の解説図。築石は35t前後のものが使用されているとのことです。
そして本丸への道を厳重に守る百人番所。


鉄砲隊百人組が昼夜交替で勤務していました。
大番所。本丸までの最後の番所で、先述の番所より、位の高い与力や同心が、目を光らせていたようです。
植物もいっぱい。これはさざんかかな?
こっちはカンツバキ?
江戸城本丸図。さて、いよいよ本丸へ。
おっ、これか?
富士見櫓でした。天守が焼失したあと、代用天守となったそうです。
敵を攻撃する重要な防御施設です。
ここから品川沖や富士山、両国の花火も見えたそうです。
松之大廊下跡。
赤穂浪士討ち入りのきっかけとなった、刃傷事件があった現場です。広大なお屋敷があったようですが、今は跡形もありません。
ツワブキの畑。
白壁の長屋風建物は、
富士見多聞です。
中には屋敷跡図面がありました。今ではだだっ広い公園となっていますが、相当な規模の建造物があったようです。
窓格子は、物見と銃口を向けるのに適しています。
多聞は、櫓とともに築かれた設備です。緊急時以外は武器弾薬の貯蔵庫、女中の住居として利用され、襖があった形跡もあることから、様々な用途があったと考えられます。
江戸の太平の世にあって、実際には戦闘はなかったと思いますが、相当な用心深さがうかがえます。
石室。
抜け穴、金蔵とか諸説ありますが、大奥の非常用保管室であったと考えられています。
見事な竹林があります。
平成天皇のお考えで、吹上御所から移設整備されました。日本・中国のもので、笹を含め13種類が植林されています。
本丸御殿跡。現在は芝生公園で都民の憩いの場です。
おっ、石垣が台座のように組まれている。いよいよ天守台の登場じゃ。
ここまで大儀であった。では登るとしんぜよう。
まずは中段の石垣からの眺望。

お、なんだあの洒落た建物は、後で行ってみよう。


本丸より下方にある二の丸。城内一周コース上外せない。

巨石の方位盤。ベンチになりそうなほどでかい。
本丸は、表、中奥、大奥と御殿が建ち並ぶエリアであり、そのなかでも大広間は500畳もあったといいます。奥方やお女中方が暮らしていた大奥は、銅堀で遮られ、表および中奥からは1本(後に2本)の廊下しかなかったそうです。
太田道灌の設計した江戸城は、徳川家康が征夷大将軍になってから、天下普請により、何年にも渡って各大名に修復・建設させ、権力を誇示するべく巨大化し完成しました。しかし、こんな広大な敷地が江戸城の一部とは。。

60m近く高さがあったとされる天守閣。今は大火で焼けた跡の台座が残るのみです。
大火で焼失した天守は、当時の幕閣、保科正之らにより再建は中止になりました。それは、もう天守閣にお金をつぎ込む時代ではなく、城下の復興に充てよ、という理由からなのでした。
台座に立つこの松は、「そんな歴史があったから、こんなにお江戸は発展したんだよ。」と言うかのように見下ろしています。

桃華楽堂。
香淳皇后のご還暦を記念して建てられた音楽ホールです。外壁には華やかなタイルや、信楽焼、有田焼の陶片が用いられています。入口の屋根には、鬼瓦ではなく、金色の雛人形が飾られています。
北桔橋門。
「きたはねばしもん」といいます。橋の片側を跳ね上げて、敵の侵入を防ぐ北側の門です。通常は跳ね上げた状態で、いざという時脱出するためにおろしたそうです。
梅林坂。
太田道灌が多数の梅を植えたとされます。今は70本の紅白の梅が、冬場に楽しめます。
平川門。
当初は徳川御三家の登城口だったそうです。お局御門や不浄門との異名もあるそうですが、門を出ると太鼓橋の平川橋がかかっており、江戸時代にタイムスリップしたような、景観が楽しめるとのこと。見ないで通過。。
二の丸に入ります。
緑の庭園が広がります。各都道府県の木260本が植えられています。
東京都はいちょうの木。
あれれ、神奈川県もだわ。
北海道はえぞまつです。
諏訪の茶屋。ご休所として吹上御所で使われていたものを、こちらに移築しました。
小堀遠州が造ったこの庭園は、家光公が修復させたとあり、世継ぎの家綱公のために建てた御殿もありましたが、大火で焼失しています。池の位置は造ったときのままだそうです。
家光公と秀忠公が茶会を開いたという記録も残っています。池の中に能舞台も造られていました。
明暦の大火後は、将軍の隠居場所、生母の居場所となりましたが、幾度も焼失と再建を繰り返しました。しかし、これも復活せずです。
菖蒲田もあり、春から夏にかけては、花いっぱいの庭園ですね。それと松の木が素晴らしいです。
桜も280本植えられ、春はお花見の名所です。スポーツおよび飲酒は禁止なので、そんなに混雑しないそうですよ。
お池には錦鯉。日本のニシキゴイと、インドネシアのヒレナガゴイを交配させた、ヒレナガニシキゴイもいるそうです。
二の丸池には可憐なお花も見られ、準絶滅危惧種のアサザも生育しています。
明治には一時荒廃していたこの庭園も、家重公時代の絵図面をもとに造成され、復活しました。
青竹の竹林。これは北海道にはなかなかない風景です。涼やかな緑が目に心地よい。
園内でちょっと気になった、直角に曲がっている木の枝。なんでこんな形になったんだろうか、、しかも先になるほど太くなってる。。
そろそろ出発点の、三の丸に近づいてきました。
大手門から東御苑を出ました。けっこう疲れたわ。ほんとは、和気清麻呂公像、震災いちょうなども見たかった。外苑に至っては、二重橋や桜田門も有名だしね。
江戸城は、室町時代後期、扇谷上杉氏に仕える太田道灌が築城し、守護として治めました。道灌濠は、当時のまま皇居内に残されているそうです。(築城前は江戸氏の居館があったのが、城としての始まりでした。)
外堀を歩くと、手前の巽櫓、奥には富士見櫓が見えます。その間には桔梗門がチラッと見えています。外堀はジョガーがものすごく多くて、ロードレーサーも、車道を猛烈なスピードで駆け抜けます。皇居周辺は、もはやジョガー&サイクラーグッズの品評会会場ですね。
楠公駐車場前。観光バスの駐車場なんですが、相当広いです。
楠木正成像はこの広場内にあるらしいんだけど、
なんせ皇居は広いので、今日はちょっと無理だな。東御苑だけでも面積は21万㎡、東京ドームの4.5倍はあるのだ。くたびれるのも無理はない。
ビル群を背景とした、石垣と和田倉橋のアーチを見ながら、次のスポットへ。暑いしけっこう汗かいたから、しゃっこいビールでも飲みたいなあー。

(記事:2018年11月 Update:2020年7
月)
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入谷~茅場町~日本橋

2018-11-11 10:46:00 | 旅行
翌朝ホテルを出て、入谷から日比谷線で茅場町、
東西線に乗り換えて日本橋まできました。
地上に出ると、
向かいには複合テナントビル、COREDO日本橋がありました。

COREDO日本橋は、正式名称、日本橋一丁目三井ビルディング。早稲田大学の日本橋キャンパスとしても利用されています。
左に進み、お目当ては、
お江戸日本橋到着。なんと、首都高が真上を通っているのだ。
石造り二重アーチ橋の建設様式は、重要文化財指定。
橋を通るのは、日本の道100選の中央通り。道の起点としての日本橋でもあります。
日本橋由来記の碑があります。
徳川家康が幕府を開いた時から掛けられていたとされ、安藤広重の錦絵でも知られています。東海道をはじめとした五街道の起点であり、重要水路だった日本橋川と交差する点として、江戸経済の中心となっていました。隣には観光案内所もあるんですね。
西日本方面の里程標。鹿児島市まで1,469粁。米と千を合わせてキロメートルという漢字なんだ、知らなかった。
札幌市までは1,156粁。札幌ー稚内間は327kmなので、鉄道で行ける最北端までの距離は1,483粁か。
東京市道路元標。元々は橋中央にあったものを、レプリカとしてこちらに移設したものです。
日本国道路元標。
これも柱として橋中央にあったそうですが、都電の廃止の際の道路整備で、このプレートに移されました。文字は当時の総理大臣佐藤栄作さんのものです。
橋上の青銅の照明灯装飾品。東京市の守護を願って獅子が彫られています。上に乗っかっているガス灯がレトロですね。日本橋の文字は十五代将軍、徳川慶喜公の揮毫です。
こっちは翼を持った麒麟が彫られています。東京市の繁栄を願ってのものです。
こちらはひらがなで、同じく徳川慶喜公の揮毫です。
カタカナ文字ちょうちんの、和風レストラン・バーのお店。
ここぞ日本橋1丁目1-1。お店の名前も「ニホンバシ イチノイチノイチ」なんですよ。
橋を渡って、
橋の対岸は日本橋室町1丁目8。
そこに魚市場発祥の地碑がありました。
江戸時代に始まった魚市場のさきがけで、この一帯に多くの鮮魚運搬船が集まり、売場を開いていました。関東大震災後には築地に移り、中央卸売市場へと変わっていったのであります。
曲線が美しい建物は、日本橋三越新館。裏は重厚な造りの本店があります。日本銀行本店もそばにあり、日本経済発展のの歴史を感じさせる場所ですね。

(記事:2018年11月 Update:2020年6
月)
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ルーフ・トップ

2018-11-11 09:48:00 | 旅行
翌朝、ホテルの屋上に休憩スペースがあるというので、行ってみます。
確かに屋上だが、これはなんか工事現場みたいだけど、、
外に踏み出すと、おお、見晴らしがよいぞ。
眼下には国道4号線が見える。
いちおう屋根のある東屋チックなスペース。テーブルとイス、プラスチック人工芝でサロンを形成。
ちなみに屋根はこんな感じ。雨が当たんなきゃいいのよ。
酒類の自動販売機があるよ。
ひょー、眺めはバッチリ、こいつはいいぜ。
夜は夜景を見ながら涼めるな。

(記事:2018年11月 Update:2020年6
月)
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