昨日に続き、今日もドライブしちゃってます。
端野町緋牛内から道道104号線、通称、嘉多山峠に入り、途中の史跡、鎖塚にきました。
北方ロシア警戒対策が急務であった当時、上川からの縦貫道路建設が、突貫工事で行われ、多くの囚人がかり出されました。工事は過酷を極め、多数の方が命を落としました。端野町ではその魂を忍び、開拓の礎として、慰霊碑を建て供養しています。
お地蔵さんが6体奉られています。
すぐそばに、亡くなった囚人を土葬したとされる、土饅頭が今でも残っております。塚からは、鎖につながれたままの遺骨が発見されたというから、なんともいたましい限りです。今日、この道路を当たり前に通れるのも、多くの犠牲の上に成り立っていることを悼み、感謝し、これからも安全に通行できるよう祈りましょう。
104号線を網走側に進み、第壱号越歳(こしとし)駅逓跡碑前にきました。
この駅逓は、網走~旭川間を縦貫して建設された、中央道路の休憩・宿泊施設として、12ヶ所設置された駅逓の内、第1番目として作られたとあります。
蹄鉄の形の碑も作られています。駅逓は、旅人が休める処としてはもちろん、人夫や馬を貸したり、郵便業務や、開拓者への未開地情報提供を提供、助言したりと、当時なくてはならないものでした。
進んで嘉多山駐車場。トイレは冬場でも使え、私はいつも利用しています。
物産館のグリーンヒル905があり、地元食材が安いのです。
地元産フルーツトマトとカボチャを買いました。ね、安いっしょ。
道道104号線は、網走湖の西岸を見下ろしながら走る、北見から網走までの最短ルート。国道39号線を通るより信号も少なく、地元の方々はよく利用します。端野、女満別、網走の山谷が入り組んだ地形の峠ですが、多少のアップダウンはあっても、きついカーブもなく、路面もクリアでとても走りやすいです。ただし、冬場は地吹雪がすごいので、要注意とのこと。
駐車場裏手は、展望スポットでもあります。木が多くてちょっと景色が見づらいのはご勘弁。
次に網走湖岸の大曲湖畔園地到着。
おお、広大な敷地にコスモス畑が。
畑の中を散策でき、休憩用ベンチもあります。
見渡す限りのコスモスの絨毯。
いろんな色が混ざりあってますね。
撮影スポットもあるよ。
やわらかな日差しを浴びて、そよ風に揺れるコスモスの中にいると、夢とみまごうような心地よさです。
奥の方にたくさん咲いているところがあるけど、通行できなくなっています。栽培スペースなのかな。
コスモスの種が売ってました。
200円で購入。自宅の庭に植えようかな。
まだ咲き始めたばかりのようですので、これから満開を迎え、さらに色を増していくことでしょう。
入り口の群生。きれいですがやはり、先ほどの広大な畑の景観には圧倒されます。満開時期にもう一度来たいところですね。
園地入り口には自転車道路が通っています。網走常呂自転車道線(通称オホーツクサイクリングロード)で、網走からサロマ湖までの40.2km区間です。こちらは常呂方面。
こちら側は網走市街へと続く方。
一部一般道を併用していますが、旧国鉄湧網線を利用した自転車専用道区間は37.3km。コースの70%は水辺を走るとのことです。
そして、網走駅到着。
オホーツクの中枢都市網走。道内に14ヶ所ある振興局の1ヶ所が所在しています。
レンガの上に建つ駅。看板も網走監獄をイメージさせます。
オホーツク海といえば、言わずと知れたクリオネ。深海にしかいないと思われていたのですが、網走海岸縁の昆布に付着していたのを発見され、水族館で初めて展示されたのが1993年。それからブームになり、流氷の天使と言われるようになりました。
駅前の電話ボックスは流氷のオブジェです。
アジア・ロシアの北方民族文化の影響を受けているオホーツク沿岸は、独自の文化=オホーツク文化を形成していたものと、遺跡等から研究されています。先人は、酷寒の海に生きる術を見いだし、ここに生活していたのです。
駅弁ショップでは、かにめし弁当が売っていました。お昼はこれで決まり。どこか外で食べよう。
きっぷ運賃表。特急始発・終点駅なので、旭川、札幌までの料金も掲載。釧網線、釧路までも載ってるよ。
特急は、札幌まではオホーツク号、旭川までは大雪号で、それぞれ上下2便ずつです。
やっぱ有人駅は賑やかでいいなー。
大正元年開駅。歴史も長い。
モヨロ貝塚出土の土器レプリカを展示。この精巧さと美しさは、相当高く豊かな文化であったことを象徴しています。
駅構内には監獄の撮影パネルが。投獄気分を味わってみたい方はどうぞ。
(記事:2018年9月 Update:2020年4月)