はなな

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●実践女子大学香雪記念資料館「新収蔵展」

2016-07-08 | Art

実践女子大学 香雪記念資料館「新収蔵展」2016.7.4~8.7

 

香雪記念資料館は、久隅守景の娘、清原雪信の画を所蔵していることもあって常々、マーク。今回は残念ながら雪信は展示していませんでしたが、ラグーザ玉の薔薇の絵も見られた貴重な機会になりました。また知らなかった画家との出会いもありました。

図録はないですが、充実したカラーパンフと解説をいただけました。(その写真から)


一番引き込まれたのが、織田瑟々(おだしつしつ)安政8年1779~天保3年1832 「須磨桜真図」1831

独特な桜の世界。

この女性、織田信長の9男の子孫とか。三熊思孝(桜画の祖と言われている)の妹に絵を習います。10代で夫と死別、再婚した夫とも35歳で死別。故郷の滋賀で独自の桜画を描き続けますが、50歳には仏門に入り、54歳で亡くなりました。詳細はこちらの方が

S字を書く太い桜の幹は、一度絵の外に消え、再び姿を現し。

花と葉は一つ一つとても細やかに。

葉っぱの先は、桜の精の気があふれて触手を伸ばしているように、放射状に散る。花びらは白とピンクが融合し、花びらのはしの濃い目のピンクに気持ちが極まってしまった。

しなやかに大胆、細部は繊細。これが女性なら、こんな女性に憧れます。

瑟々はどれだけ桜を見続けてきたのでしょう。一朝一夕に描ける桜ではないと思います。もう桜が自分の世界と同化しているような。亡くなる前年、53歳の作。

 

野口小蘋(のぐちしょうひん)1847~1917「海棠小禽図」1910 もあでやかでした。

 

嬉しかったのは、平田玉蘊 (ひらたぎょくうん)1787~1855 が見られたこと。

高砂図」

日曜美術館のアートシーンで、地元広島での展覧会が紹介されており、とても美しい絵だったので見てみたいと思っていました。

その生涯が、どことなく上村松園と重なるのも、気になるところ。若くして父を亡くし、筆一本で家族を養う。頼山陽と恋をし、別れ(このあたりは本人しかわからないことですね・・)、生涯独身で通します。尾道、広島では知られた女性絵師だとか。繊細で鮮やかな花鳥図の印象がありましたが、今回は翁と媼の夫婦長寿を願う絵。松の幹も、円満な感じの葉も、どこかふくふくと。画像では見えないけれど、おじいさんの顔はとっても優しい表情。

 

ラグーザ玉(1861~1939)といえば、「薔薇」でしょうか。

東博にあるこの彫刻は、ラグーザが妻の玉をモデルに制作。

工部美術学校の教師だったラグーザに絵を習い、ともにイタリアへ。現地でも教育者、画家として活躍、ラグーザと結婚します。ラグーザの死後もパレルモにとどまります。

1931に玉の半生を描いた新聞小説をきっかけに、日本で有名になり、親族の説得で1933に日本に帰ります。説得のために派遣された親族の16歳の少女の写真が展示されていました。帰国してすぐ伊東屋で開催された展覧会で売り出された絵ハガキセットも、展示されていました。

 

玉では、もう一点「シチリア風景」も。

玉の家があったパレルモの名所モンテ・ペリグリーノの海だそうです。

薔薇の絵、シチリア風景、絵ハガキの絵など見ていると、どれもクリアで華やか。聡明で思い切りのいい面がある女性かなと想像しました。

 

河鍋暁斎の娘、暁翠の「髪すき十郎図」も。宮川長春の写しです。

 

木谷千草「1895~1947)「心中宵庚申」のお千代1923

恨みの世界・・。透けていきそうな手ぬぐいが、はかなげで哀しげで。

木谷千草は、大阪生まれ。池田蕉園北野恒富菊池契月、野田九浦に学び、主に女性を描き続けた画家。師匠が個性的な面々揃いで驚きますが。

 

女性の画家だけの部屋。女性男性ってことでもないでしょうけれど、花の美しさに心で触れる寄り添い方は、自然と和み、元気が出たりします。

 

*****

隣の部屋では「中国美術史入門展」。

この授業を選択している学生さんたちのために、毎年この時期に展示してあるそうです。レプリカですが、精巧です。

見ていくほどに、圧倒される。すごい。宋、元の水墨の本領をここに見た気が。

私が知らなかっただけで(恥)、ほとんどが台北の国立故宮博物院の、名画中の名画。素人の私でも打たれるわけです。(国立故宮博物院のサイトから)

「谿山行旅図(けいざんこうりょず)」 范寛(はんかん) 北宋11世紀後半

 

「双喜図」崔白 北宋 1061

花鳥図だそうですが、シビアな世界。木にとまる鳥と兎の緊張。自然の再現は北宋らしい主題だそうです。

 

「墨竹図」文同 北宋 11世紀中ごろ

筆一本、墨一色の世界。尽きない魅力。色いらないと思うほど。竹は下に向きますが、根性見せて再び上昇。葉の一枚一枚も、目で追うと、筆の勢いと迷いのなさがこちらに移ってくる感じで、心地よいです。

 

女史箴図巻 (じょししんずかん)顧 愷之 (こがいし) 東晋 大英博物館 があったのも、うれしいことでした。

西晋の張華撰の「女史箴」を,宮廷に仕える女性への戒めのために絵にしたもの。小林古径が大英博物館で模写し感銘を受けたと、たまに名前を目にするので、見たいと思っていました。

鏡に向かって化粧に熱中する女官たち。解説では、戒めでありながら、実はそれを覗き見ている男性の視線に触れていました。ひとくせありそうで、巻物の他の部分も見てみたいものです。

このあとに数枚、前漢から唐までの銅鏡が展示されていました。先日のの根津美術館の鏡展のおさらいができました。鏡の用いられ方は、「女史箴図巻」の女性の画にも描き表されています。棒にたてたり、ひもを通して手に持ったりして、お化粧しています。

 

広くはないですが、楽しい時間でした。

帰りに去年の「華麗なる江戸の女性画家たち」のパンフもいただいたら、見たかった清原雪信の絵も載っていました。サントリー美術館では、ファッショナブルで美しい観音様に見とれ、先日の東京国立博物館の常設で見たのは、密やかで魅惑的な牡丹。

狩野探幽の姪を母に、久隅守景を父に。探幽の弟子と駆け落ち。その後も売れっ子絵師として活躍。堂々と絵の道を歩いているところに憧れてしまう。千葉市美術館で昨年、ドラッカーコレクションの水墨画展がありましたが、ドラッカーが初めて購入した日本の絵が清原雪信。このパンフには、その娘の春信の絵も出ていましたが、とても腕が立つように見えます。

次の展示が楽しみです。


●出光美術館「美の祝典 第三部 江戸絵画の華やぎ」2

2016-07-08 | Art

出光美術館「美の祝典  第三部 江戸絵画の華やぎ」1の続き。

 

酒井泡一「紅白梅図屏風」

銀が黒くなっている琳派はよく見ますが、これは輝きを保っていました。夜の暗さと、月の明るさが同時に。銀色が秘めた不思議な力。解説では、「暗香(夜の闇から漂ってくる香りにこそ、その真の趣がある)」を描き切ったもの、と。

花も美しいですが、幹と枝に引き込まれました。右隻の紅梅の幹は、太く鋭角を描いて向きを変え、強い男性的。

左隻の白梅は、しなやかな女性のような。

どちらの幹も、中心に向かっていくようでありながら、突如向きを変え、反り返るように外へ。それでも、幹から出る細い枝のその先端は、微妙に中心へ気持ちが向いています。反発しあいながらも離れることのできない二人のような。男女の微妙なかけあいかも。

うっとりするほど美しい夜の世界。畳敷きに座して、観てみたいもの。

 

酒井泡一「十二か月花鳥図貼付図屏風」

葉と枝や幹は、12か月すべて、同系色の抑えた色。花も華美が過ぎず、しみじみ美しいです。

特に、白い椿の幹は、椿の精が息づいているのではと思うほど。

幹から直接花開いた椿が、不思議な命を発していて。でもスミレ、タンポポ、小鳥に気付いてみれば、それら皆でほのかに戯れているのでした。

簡略化されたあじさいも、ツタの白い花の丸と遊び、楽しく。

だんご三兄弟みたいなウグイスがキュート。スタンプみたいな柿がリズミカル。

美しいだけでなく、季節の自然の中の遊びに誘い込まれる12か月でした。。(アメリカのファインバーグコレクションにも抱一の十二か月花鳥図があり、だいたい同じモチーフですが、画像で見る限りでは、細部は違っているよう。そのうち観てみたいもの。)

 

鈴木其一の「四季花鳥図」

師の泡一とは違った異空間。

煽情的というのか。抒情ではなく。

抑えきれない思いを発するような白牡丹。

燕子花は複雑な形で、落ち着かない葉とともに、なにか言い立てるような。

水仙や桔梗も、口々に。梅も楓も肢体をしならせるように踊るように。

解説にマニエリスティックとありましたが、確かに。ブロンズィーノのこの辺りの絵を思い出したくらいな、さわがしさ。。

鈴木其一は、抱一に高く才能をかわれた後継者でありながら、琳派でも全然違います。目指してるものが違う気が。小さい作品はそんな感じではないけれど、大きな作品になると琳派の皮をかぶったマニエリズム。面白いです。

 

風神雷神図は抱一バージョンでした。

 

風神の黒雲は風のようで、雷神の雲は撥音のようにどんどんと。

そういえば、宗達、光琳、其一の風神雷神を一度に見た記憶があると思い出して本棚を探したら、国立博物館の図録が。雲の所だけをみてみると、皆それぞれ表現が違っています。顔以上に個性が出て面白かったので、いつかまたに。