SHISEIDO GALLERY「石内都展 Frida is」
2016.6.28~8.21
(展覧会サイトから抜粋)2012年、石内はメキシコシティにあるフリーダ・カーロ博物館からの依頼により、メキシコを代表する画家、フリーダ・カーロの遺品を3週間にわたり撮影しました。
フリーダの生家でもある≪青い家≫と呼ばれる博物館で、彼女の死後50年となる2004年に封印を解かれた遺品には、フリーダが身に着けていたコルセットや衣服、靴、指輪などの装飾品に加え、櫛や化粧品、薬品などが含まれていました。石内はこれらの持ち物を丹念に配置し、35ミリのフィルムカメラを手に、自然光の中で撮影しました。フリーダと対話をするように撮った写真は、波瀾に満ちた人生を送ったヒロインとしてのフリーダではなく、痛みと戦いながらも希望を失わずに生き抜いたひとりの女性の日常をとらえています。石内は「同じ女性として、表現者として、しっかり生きた一人の女性に出会ったということが一番大きかった」と言います。(略)
先日行ってきました。ギャラリーが、まるでバラガン建築のような壁に変身していました。(写真可)
メキシコの空を、石内さんの写真が舞うような展示。これまでみたフリーダの絵のイメージと違う。驚きというよりも、救われたような気持ちに。
フリーダの描く絵は、見たことは少ないけれど見たら忘れられない。血の涙を流すような痛みに満ちている。2004年に行った展覧会の図録(「フリーダカーロとその時代」)を再び開いてみた。12年(!)経っても、やはり直視しがたい。6歳の時の小児まひの後遺症、18歳の時のバス事故。体を手すりが貫通するほどの大けがによる体へのダメージ。ディエゴ・リベラとの夫婦関係。流産。リベラの重なる浮気。対抗するように数々の男性、女性との恋と性。離婚と再婚。生涯を通しての手術、体の痛み。
しかも、フリーダの眼は、いつも前を見つめ、苦しみ、痛みや飢餓感を率直に生々しく表す。私は時に困惑し、眼をそらす。
なのに、石内さんは、全く動じていない。臆することなく。
フリーダは、自由になり、解放され。微笑んでいるように。
それで、私もほっとしたような気持に。
石内さんのヒロシマの写真集も少し見ました。そこにも同じ目線が。ヒロシマの写真が「きれいすぎる」と批判を浴びたとき、石内さんは、「冗談じゃない、もともときれいなんだ」と思ったそうです。
「遺品」も、撮り方によっては、フリーダの痛みと孤独を再現した写真になるかもしれない。同じドレスでも、ただ寂しい女の追憶になり、大きさとかかとの高さの違う靴も、いくつものコルセットも、生きにくさの表現にとどまるのかもしれない。
でも石内さんはそんな写真ではなく、持ち主を痛みや苦しみから解放し、透けるような空に運ぶ。成仏といったらへんな表現だけれど、天を舞う。石内さんの仕事。
石内さんのこの強さは、どこからくるのだろう?。
石内さんは、おしゃれだったフリーダや、ヒロシマで亡くなった女の子たちがもし帰ってきたら、この服をまた着たいって思えるように、「かっこよく撮っている」と。
本物を愛したフリーダが身に着けたものは、手刺繍やレースがあしらわれて、魅力的。そして堂々と、ポージングしたモデルさんのようにチャーミングでした。
遺品は、もし耳を澄ましてくれる人がいたら、声を発してくれるのかもしれません。石内さんは、亡くなった方だから、モノだからとドアを閉じず。また外からの先入観や伝記での一方的なとらえ方も、意に介してはいないのでしょう。白紙で遺品に触れ、その存在をすくい上げている。まだちゃんとこの世界で聞くことのできる、その人の気配に耳を傾けているようで。
石内さんの「強さ」と感じたのは、石内さんが遺品に対して、自分を開いていることからくるのかも。だから見て安堵に似た気持ちになったのかも。
二階のスペースは、フリーダの日々の生活の、よりプライベートなものの写真でした。
肌に触れたパフ。喉を降りて行ったモルヒネ。櫛。体温計。石けん。体内的な遺品の数々。ドレスのように華やかなものだけではなかった。
これらのものは、バックも青い空ではなく、ドレスのように空を舞ってはいないように見えました。今はもう役目を終え、主なき部屋で静かに眠りについている。石内さんのような方が訪ねて来たら、主の記憶を伝えるために、いっとき目を覚ます。
身体の痛みをとり、なんとか動けるようにし、お化粧をし、髪を結い上げ。
そして、一階にふたたび降りる階段の先には、かかとの高さを工夫したフリーダの赤いブーツの写真。
さあ、とフリーダは「フリーダ」としてみんなの前に出て行ったように思いました。
絵を描く人である前に、日々を暮らし、痛みと戦い、すきなものを愛し、47年間を生きたひとりの女性。
上述の古い画集にあった、フリーダの長い友人でもあるローラ・ブラーボがフリーダの家で撮ったもの。
Lola Alvarez Bravo(1907~1993)
寂しいけれど、日常のなかの自然な表情。絵の自画像よりも自然な。写真のコメントに「仮面を外した孤独なフリーダの表情」と。
石内さんの写真。ローラ・ブラーボの写真。ひとりの女性としてのフリーダ。
私も今までのでイメージを捨てて、フリーダの絵をもう一度見てみようと思いました。
上村松園の絵に脱線しますが、ずっと松園の美人画は清らかすぎて現実離れしているようであまり共感できなかった。でもある時、あの女性たちの美しい眼差しが、実は数々の感情や困難を知り、それを受け入れ、超えたものこそが得られるものではと気づいてから、あの美しさにひかれるようになりました。
それに比べて、ずっとフリーダの絵は、まだその困難の渦中にいる人ような印象だったのです。
でも、今ふと気づくと、自分の悩みに終始し痛みを顕示しただけではなく、いつの頃からか、とても大きなものに行きついていたのでは。松園と違うのは、フリーダの抱えるものは重篤で、超えるとかいった類のものではなく、死ぬまで消えることのないとものであること。その痛みや困難に身をさらしながら、松園とはまた違ったところに行き着いているのでは。痛みや苦しみのその先に、根源的なものを表現したのかもしれない。宇宙的なもの、性や生命の根源的なこと、メキシコの大地のエネルギーとか。うまく言えませんが。
画集の絵を年を追ってみると、晩年の絵にはそんなふうに感じました。
フリーダの背中を追っていたのは、リベラのほうだったかもしれない。血を流しながらも、リベラを包括している。フリーダの身体を通して、体の内的なものと、大地や宇宙は繋がっている。壊れかかり限界に達しそうなところで、ひたすら生きたフリーダ。どこまで彼女が自覚していたのかわからないけれど。
画集の中の数枚の絵では、よくわからない。石内さんが遺品のひとつひとつの声に耳を傾けたように、フリーダの本物の絵を、年を追って見ていきたいもの。フリーダの筆致を感じながら見ていったら、気づくこともがあるかもしれない。その機会を待つことにします。