はなな

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●SHISEIDO GALLERY「石内都展 Frida is」

2016-07-11 | Art

SHISEIDO GALLERY「石内都展 Frida is」

2016.6.28~8.21

(展覧会サイトから抜粋)2012年、石内はメキシコシティにあるフリーダ・カーロ博物館からの依頼により、メキシコを代表する画家、フリーダ・カーロの遺品を3週間にわたり撮影しました。

フリーダの生家でもある≪青い家≫と呼ばれる博物館で、彼女の死後50年となる2004年に封印を解かれた遺品には、フリーダが身に着けていたコルセットや衣服、靴、指輪などの装飾品に加え、櫛や化粧品、薬品などが含まれていました。石内はこれらの持ち物を丹念に配置し、35ミリのフィルムカメラを手に、自然光の中で撮影しました。フリーダと対話をするように撮った写真は、波瀾に満ちた人生を送ったヒロインとしてのフリーダではなく、痛みと戦いながらも希望を失わずに生き抜いたひとりの女性の日常をとらえています。石内は「同じ女性として、表現者として、しっかり生きた一人の女性に出会ったということが一番大きかった」と言います。(略)

先日行ってきました。ギャラリーが、まるでバラガン建築のような壁に変身していました。(写真可)

  

メキシコの空を、石内さんの写真が舞うような展示。これまでみたフリーダの絵のイメージと違う。驚きというよりも、救われたような気持ちに。

フリーダの描く絵は、見たことは少ないけれど見たら忘れられない。血の涙を流すような痛みに満ちている。2004年に行った展覧会の図録(「フリーダカーロとその時代」)を再び開いてみた。12年(!)経っても、やはり直視しがたい。6歳の時の小児まひの後遺症、18歳の時のバス事故。体を手すりが貫通するほどの大けがによる体へのダメージ。ディエゴ・リベラとの夫婦関係。流産。リベラの重なる浮気。対抗するように数々の男性、女性との恋と性。離婚と再婚。生涯を通しての手術、体の痛み。

    

 しかも、フリーダの眼は、いつも前を見つめ、苦しみ、痛みや飢餓感を率直に生々しく表す。私は時に困惑し、眼をそらす。

なのに、石内さんは、全く動じていない。臆することなく。

フリーダは、自由になり、解放され。微笑んでいるように。

 

 

それで、私もほっとしたような気持に。

石内さんのヒロシマの写真集も少し見ました。そこにも同じ目線が。ヒロシマの写真が「きれいすぎる」と批判を浴びたとき、石内さんは、「冗談じゃない、もともときれいなんだ」と思ったそうです。

「遺品」も、撮り方によっては、フリーダの痛みと孤独を再現した写真になるかもしれない。同じドレスでも、ただ寂しい女の追憶になり、大きさとかかとの高さの違う靴も、いくつものコルセットも、生きにくさの表現にとどまるのかもしれない。

でも石内さんはそんな写真ではなく、持ち主を痛みや苦しみから解放し、透けるような空に運ぶ。成仏といったらへんな表現だけれど、天を舞う。石内さんの仕事。

石内さんのこの強さは、どこからくるのだろう?。

石内さんは、おしゃれだったフリーダや、ヒロシマで亡くなった女の子たちがもし帰ってきたら、この服をまた着たいって思えるように、「かっこよく撮っている」と。

本物を愛したフリーダが身に着けたものは、手刺繍やレースがあしらわれて、魅力的。そして堂々と、ポージングしたモデルさんのようにチャーミングでした。

 

 遺品は、もし耳を澄ましてくれる人がいたら、声を発してくれるのかもしれません。石内さんは、亡くなった方だから、モノだからとドアを閉じず。また外からの先入観や伝記での一方的なとらえ方も、意に介してはいないのでしょう。白紙で遺品に触れ、その存在をすくい上げている。まだちゃんとこの世界で聞くことのできる、その人の気配に耳を傾けているようで。

石内さんの「強さ」と感じたのは、石内さんが遺品に対して、自分を開いていることからくるのかも。だから見て安堵に似た気持ちになったのかも。


二階のスペースは、フリーダの日々の生活の、よりプライベートなものの写真でした。

  

肌に触れたパフ。喉を降りて行ったモルヒネ。櫛。体温計。石けん。体内的な遺品の数々。ドレスのように華やかなものだけではなかった。

これらのものは、バックも青い空ではなく、ドレスのように空を舞ってはいないように見えました。今はもう役目を終え、主なき部屋で静かに眠りについている。石内さんのような方が訪ねて来たら、主の記憶を伝えるために、いっとき目を覚ます。

身体の痛みをとり、なんとか動けるようにし、お化粧をし、髪を結い上げ。

そして、一階にふたたび降りる階段の先には、かかとの高さを工夫したフリーダの赤いブーツの写真。

さあ、とフリーダは「フリーダ」としてみんなの前に出て行ったように思いました。

絵を描く人である前に、日々を暮らし、痛みと戦い、すきなものを愛し、47年間を生きたひとりの女性。

上述の古い画集にあった、フリーダの長い友人でもあるローラ・ブラーボがフリーダの家で撮ったもの。

Lola Alvarez Bravo(1907~1993) 

 

 

寂しいけれど、日常のなかの自然な表情。絵の自画像よりも自然な。写真のコメントに「仮面を外した孤独なフリーダの表情」と。

石内さんの写真。ローラ・ブラーボの写真。ひとりの女性としてのフリーダ。

私も今までのでイメージを捨てて、フリーダの絵をもう一度見てみようと思いました。

上村松園の絵に脱線しますが、ずっと松園の美人画は清らかすぎて現実離れしているようであまり共感できなかった。でもある時、あの女性たちの美しい眼差しが、実は数々の感情や困難を知り、それを受け入れ、超えたものこそが得られるものではと気づいてから、あの美しさにひかれるようになりました。

それに比べて、ずっとフリーダの絵は、まだその困難の渦中にいる人ような印象だったのです。

でも、今ふと気づくと、自分の悩みに終始し痛みを顕示しただけではなく、いつの頃からか、とても大きなものに行きついていたのでは。松園と違うのは、フリーダの抱えるものは重篤で、超えるとかいった類のものではなく、死ぬまで消えることのないとものであること。その痛みや困難に身をさらしながら、松園とはまた違ったところに行き着いているのでは。痛みや苦しみのその先に、根源的なものを表現したのかもしれない。宇宙的なもの、性や生命の根源的なこと、メキシコの大地のエネルギーとか。うまく言えませんが。

画集の絵を年を追ってみると、晩年の絵にはそんなふうに感じました。

 

フリーダの背中を追っていたのは、リベラのほうだったかもしれない。血を流しながらも、リベラを包括している。フリーダの身体を通して、体の内的なものと、大地や宇宙は繋がっている。壊れかかり限界に達しそうなところで、ひたすら生きたフリーダ。どこまで彼女が自覚していたのかわからないけれど。

 

 

 

画集の中の数枚の絵では、よくわからない。石内さんが遺品のひとつひとつの声に耳を傾けたように、フリーダの本物の絵を、年を追って見ていきたいもの。フリーダの筆致を感じながら見ていったら、気づくこともがあるかもしれない。その機会を待つことにします。

 


●山種美術館 江戸絵画への視線ー岩佐又兵衛から江戸琳派へー

2016-07-11 | Art

山種美術館 江戸絵画への視線ー岩佐又兵衛から江戸琳派へー

2016.7.2~8.21

 

所蔵品の中から、最近人気の江戸時代の絵画を展示していました。

◆この日の目的のひとつは、まず山本梅逸。三点。

「花虫図」は、太湖石が異彩を放っている。ドクロのように見えたり。体的なS字ライン。虻もいます。とげまで描かれたバラ、百合、花はとても繊細に描かれていました。反対に、バックの枝は、さらさらと線だけ。一気呵成に描いたような集中ぶり。

私がこの人を好きになったツボのひとつは、木の足元の雑草。今回もやはり見過ごさないで、魅力的に描かれていました。

同じく太湖石の描かれた似た絵が、静岡県立美術館にありました。

《花卉竹石図》(51歳の時の作です)

 

「桃花源図」は、文人画の様相ですが、むしろ「絵画」。どことなく現代風。遠近を感じる奥への広がりは、西洋風な感じ。梅逸は、題は伝統的なものを描いても、どこか独特なまなざしが前面に出ているように感じます。

「白衣観音」には驚きました。堂々たる、71歳の作。墨だけで描かれています。岸壁に腰掛ける観音様の後光が透けている。波が荒々しく、岩までも激しく描かれている。反対に、波に目を落とす観音様のお顔は静かで、百衣がまぶしいくらい。ひだを薄墨で描いたり、周りから薄墨を入れたり、墨絵の魅力満載。

たまに美術展で2~3点だけ姿を現す、幻の希少動物みたいな山本梅逸。観るたびに、新たな魅力を発見してしまいます。回顧展があるといいなあ~~。

 

◆目的の二つ目は、椿椿山(1801~1854)。

「久能山真景図」1837


穏やかな情景。僧の丸っこい背中と、おつきの者の背中がどことなくほほえましく。でも少し寂し気でもあり。

椿山は、渡辺崋山が最も親しくした弟子。崋山のことはこのブログでも時々書きましたが、椿山は崋山の肖像を残しています(今回の展示ではありません)

「渡辺崋山像」1853

崋山の死後12年経ってから描かれたもの。椿山は、もとは崋山とは谷文晁のもとで学ぶ同門の弟子どおし。でも崋山を慕い、崋山の弟子となります。崋山も椿山を信頼し、ドナルドキーンさんの「渡辺崋山」では、蟄居中に崋山が自害するまで、椿山に送った手紙がいくつも載っています。

この本には崋山の描いた肖像画が多く乗っていますが、時にぞくっとしそうな影のある人物画。対して、椿山の肖像画はとても穏やかで、ほっとします。久能山真景図もそうですが、椿山の誠実で穏やかな人柄を想像します。

今は亡き先生への思慕が描きだされている。架けた指先は、いつも崋山がこんなふうにしていたのでしょうか。ふと、この手に華山の無念が込められているような気がしました。

 

 三つめの目的は、岩佐又兵衛「官女観菊図」。源氏物語の六条の御息所とその娘の斎宮。

 

 車の四角い骨格は黒く大きいのに、重くない。不思議と人物に視線が凝集される。丸と四角が額のように、中の女性たちを特別なものにしているよう。細密に墨で描き分けるのは、チャレンジでもあり、自信でもあり、ということなのかな。

 又兵衛は源氏物語では、横浜そごうの福井美術館展で見た「浮舟」も描いています。

 やはり又兵衛らしい豊頬長頭と黒髪。

 又兵衛の絵を見ていると、いつも小学校でノートの端に漫画ばっかり描いていた男の子を想像します。描くのが大好きで自然で。

 それにしても又兵衛の絵の幅の広さには驚きます。こんな雅びな絵を描く一方で、残虐でセンセーショナルな絵も。荒木村重の子として生まれ、父の謀反により、二歳で、母や兄弟一族郎党は処刑。当の父だけ逃げ延びる。そんな生い立ちは関係あるでしょうか。

 「官女観菊図」はもともと12図からなる屏風絵の一図。

 又兵衛が20年を暮らした福井で、ちょうどこの夏、散逸していたこの屏風絵が集まります。

 「岩佐又兵衛展 7月22日-8月28日福井移住400年記念 岩佐又兵衛展ーこの夏、謎の天才絵師、福井に帰るー」。危険な闇と多面性を見せる又兵衛に迫れそう。見に行きたい・・。

 ...............

他に心に残った作品

◆この日の会場に入ってすぐの一枚は、伊藤若冲の「伏見人形」でした。

こちらに向かって歩いてくる感じ。

前から思っていたのだけど、こちらに進んで来る感が、このたらこCMを思い出す・・。

https://www.youtube.com/watch?v=w62tMuadfUo

 伏見人形って、この布袋さんの人形だけかと思ったら、干支から福を呼ぶモチーフまで、様々。京都の方は当たり前のようにご存知なのかな?。江戸後期ぐらいまでは京都で多くの窯元があったそうですが、今は1750年頃創業の「丹嘉」さんのみということ。若冲の布袋さんの絵とは少し違う感じですが、丹嘉さんのサイトの商品はどれもかわいいです。

  

素焼きのあと、胡粉で下塗りし、その上に絵付けして完了。釉薬なしなので、適度にざらっとした感触のままかと。その質感、若冲も表現したかったところでしょう。

若冲は伏見人形を40年にわたり描いていますが、今回のは83歳、亡くなる一年前の作。すっかりお友達みたいだけれど、最初の一枚はどんなふうだったかのかな。(長くなるのでいずれ別ページで)

 

◆俵屋宗達絵 本阿弥光悦書「鹿下絵新古今和歌巻断簡」

宗達の下絵の上に、本阿弥光悦の書。ちょっと寂しげな鹿の周りに、字が遊んでくれているよう。言葉に言霊があるように、字にも「字霊」が?。文字がリズムになり、立体空間になり。

 

平成20年の琳派展で見た五島美術館蔵の「鹿下絵新古今和歌巻断簡」では、つがいの鹿でした。

二頭のまわりの文字は、上の独りの鹿の文字に比べ、線が細く。その分、二頭の鹿のおりなす会話のよう。

光悦と宗達、お互いの仕事に対するリスペクトがあったのでしょう。

光悦は若い宗達を見出だし、大きな仕事のチャンスを与えた。宗達は、光悦がいなければ今の自分は・・と語っていたそうです。二人の絵と書のコラボは、改めて画集を見ると、蓮、鶴などいろいろ。詩情あふれています。(二人の仕事については、また別のページに。)

 

◆酒井抱一が6点、展示されていましたが、何度見ても「秋草鶉図」は、心がはずむ

 

月はぷっくりした形で、同体形のうずらは月からこぼれ落ちたみたい。つゆ草がかわいい。

月は、銀が黒く変色したのではなく、もともとの色とのこと。このぴんぴんはねたススキの穂と葉のリズムに乗っていると、黒くしたのもわかる気がします。

抱一は「銀や漆黒を用いて月光の表現を試みた」と解説に。出光美術館の「紅白梅図」は、神秘的で空気の冷たさまで感じる銀の月光でしたが、この絵は、戯れるように踊るように、月のほのあたたかさ。抱一の月光は、気持ちがあるようです。

抱一では「宇津の山図」もおもしろい。

山と岩のモクモクで表現する山深さが独特。松の葉の定型ぶりも、都の延長のようだけれど。

よく題材になる東下りの一場面。女への手紙を、たまたま出会った知り合いの僧に託します。畠山美術館の「禊図」でも思いましたが、抱一の在原業平の目線がなんとも微妙で、くすぐられる。そして僧は後ろ姿で、これがまた表情が気になってしまうのです。

「月梅図」も、白と交じった紅梅が美しい。枝が書のようだと思いました。

 

◆鈴木 其一も三点。「伊勢物語図 高安の女」は、以前も見ましたが、つまり「ごはん大盛り図」。

「牡丹図」も以前にも見ましたが、やはり足が次に行かなくなってしまう。再び、白、紅、ピンクの配置に感嘆。どこまでも狂いのない筆致にも見とれました。そしてこの日は特に違和感が。花は、生き生きというよりも、異次元を形成しているように感じました。千葉市美術館で見たときに近い感覚です。

牡丹図とうって変わって太く大胆な輪郭なのが「四季花鳥図」のひまわり。(この展覧会では屏風4点は撮影可でした。)

大きな黄色と、分散された赤色。

 

随所に青やピンクが入っているのも、発見が楽しい。

 

撫子が楚々と。

生け花のように人工的な構図。自然の情景というよりは、どこにもない異空間的な。でも蔦の葉は外へと延び、他の葉先からも外への広がりも感じる。

不思議な鈴木其一の世界。

 

伝土佐光吉 「松秋草図」は切箔が美しかった。

 

りんどうかな

 

◆池大雅の「指頭山水図」

「若冲」を読んでから、人柄に急に親しみがわいて。22歳にして、すでにこの域に。新鮮さがありながら、老成したかのように無駄な力が入抜けている気が。

 

◆中林竹渓「松嶺図」:竹渓は、中林竹洞の息子で、山本梅逸の弟子。点描は西洋画のよう。西洋画も取り入れた丸山応挙の影響も受けたそうです。

◆岡本秋き「孔雀図」:いつも見とれてしまう。しゅうきも崋山や椿山とも親しく交流していたと解説に。これも激しい波。孔雀は迫力あります。雄はいままさに岸に降り立ったよう。「動」の世界。

 

第二会場で近代の日本画が数点。

 ◆小林古径の「猫」1946

目線も微笑みも、女性でいえばドレスを来た女優です。エジプトの影響もあるかな?

 

◆奥村土牛「三彩鑑賞」1966:77歳の作。土牛が東京国立博物館で鑑賞した三彩を、ケースの中の展示のままに。形を楽しみ、色を楽しんだ気持ちが伝わった気が。

 

いつも時間がなくてすぐとんぼ返りですが、この日は少しだけ椿カフェで一休み。

楽しい時間でした。