はなナ

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●杉山寧の旅 市川東山魁夷記念館「日本画三山―杉山寧・高山辰雄・東山魁夷―表紙絵の世界とデザインの魅力」

2018-01-25 | Art

市川東山魁夷記念館「日本画三山―杉山寧・高山辰雄・東山魁夷―表紙絵の世界とデザインの魅力」

平成29年12月9日(土)~平成30年1月28日(日)

 

初めて行ってみました。東山魁夷は1945年から亡くなるまで、市川に住んだそうです。

メルヘンの世界みたいなかわいい建物・・・。

洋風の建物であるのが不思議でしたが、HPに理由が記されています。:東山魁夷の人間形成、東山芸術の方向性の両面に影響を与えた留学の地、 ドイツに 想をえた八角形の塔のある西洋風の外観、と。

2005年築、設計は日本設計。

一階に、1章:杉山寧・高山辰雄「文芸春秋」表紙絵の世界

    6章:資料(魁夷の表紙絵の複製を展示。「保険同人」「日本」「週刊朝日」)

二階に、2章:杉山寧・高山辰雄の作品世界

    3章:吉田五十八の劇場設計と日本画

    4章:東山魁夷緞帳の世界

    5章:東山魁夷と歌舞伎

杉山寧(1909~1993)・高山辰雄(1912~2007)・東山魁夷(1908~99)の三人は、なにかとセットで展示され、山が着くからって別に「三山」とまとめなくても・・といつも思っていました。

今回は雑誌の表紙絵に焦点を絞った展覧会。すると、三人のそれぞれの世界が際立って感じられました。

以下、備忘録です。

「文芸春秋」の表紙原画は、杉山寧の24点、高山辰雄の24点。

私は高山辰雄が好きで、実は杉山寧の際どい彩色や、明確な狙いのもとに整理されたような絵が、実はこれまで苦手だった。

でも、わずかしか見たことがないのに断じてはいけませんね(反省)

この日は杉山寧に開眼。表紙絵の17センチ角ほどの小さな画面では、杉山寧の明確な色の対比のせいか、とても魅力的。旅の絵だったのも好ましいところ。

また絵とともに毎回掲載された寧の文章も付されていて、見応えが増幅。寧が思っていること、目指していること、旅先での感心のツボなどがストレートにわかる。共感することがいくつもある。

 

杉山寧の表紙 (1965年、66年)蘭島閣美術館蔵

杉山寧は、1955年に安井曾太郎のあとを継ぐという重責とともに、文芸春秋の表紙を担当する。それから1986年まで、30年!。全369回分!。鏑木清隆、安井、梅原龍三郎、藤田嗣治、橋本関雪、竹内栖鳳、川合玉堂、川端龍子、平松礼二の歴代でも、最長記録。

 

なかでも心に残ったのは、寧が縄文に大きな感動を感じていたこと。

「土偶」1966

埴輪は旧い日本の彫刻としてすぐれたものであるのはいうまでもない。だがそれよりも前の縄文時代の土偶に、私は一層興味を惹かれる。それは埴輪ほど、当時の人間や風俗を具体的に感じさせはしない。また埴輪の持つ優美さももたないかもしれない。しかし、その素朴な逞しさと、強靭さは、原始の人の心がそのまま込められているように思われる。それは単に手すさびに作られたものではない。よほどの必然性によって作られたものにちがいない。何かの祈りを込めて。だからこそこれらの異様な表現も、強く我々の心をとらえるのであろう。

ラスコーの壁画展や火焔土器などを見つつ昨年来なにかと考えてしまう、「どうして描くのか」「どうして作るのか」。その疑問への、寧からのひとつのヒントの様におもえた。「よほどの必然性」「手すさびにつくられたものではない」ということは、これらを作った当時の人たちに思いをはせるうえで、不可欠。

 

他にも心に残った絵と文(文は抜粋)をメモ。

「サッカーラーにて」1966 

外壁の直戴な面や重量は、単純な砂漠や、碧一色の大空と一体のものの様に思われた。

 

「ロバに乗る男」1965

(エジプト)あの背の低いロバ大の男がまたがって歩く恰好は、いかにもとぼけた、おかしなものである(同感!)。然し、不思議と辺りの風物と調和して和やかな雰囲気を作り出している。(略)日干し煉瓦で造られた家を、余裕があれば白くあるいは桃色なぞに塗り、または外壁に何かの思い出があるらしい素朴な絵を描き、(略)その場のいろどりを工夫していとなみに潤いをそえてる。ゆきずりの旅行者にもその温かい感じが気持ちよく伝わってくる

 

「マカオの海」1965

(カルカッタの空港をたち、マカオの上空あたりで高度を下げた)ジャンクと呼ばれる貨物船であろうか。大きな自然の中の小さな人間の生活が思われて印象深く心に残った。わずかの間でも西洋を見てきた眼には、この景観からも東洋というものがはっきり感じられる

 

「乙女の柱」1965

(アクロポリス)頭上に軒を支え、毀損と風化のなかに25世紀を立ち尽くしたこの数体の乙女の像に感じたものは、哀れさであった。

 

「供物を運ぶ女」1966

女性が頭に荷物をのせて運ぶ習慣は、一概には言えないが、熱い国に多いようである。(略)なにか理由があるのだろうが、おもしろいことだと思う。

(略)なかでもルーブル美術館にあるその中の中の一体はとりわけ美しく、ほっそりとした姿態ものびやかに、4千年の歳月に色彩も薄れつつあるが、軽々として、その素朴で優雅な感じは、数あるエジプト彫刻のなかで最も好ましいもののひとつである

「姿態ののびやかさ」、「軽々とした感じ」ならば、山種美術館で見た寧の作品に思い当たるものがある。

 

「城」1966

(姫路城)市街から見たそれは(略)、それ以上の感銘はなかった。然し一歩場内に入り、土塀にはさまれた迷路のような道をさまよい、又建物のうちの薄暗がりに佇むとき、思わずも、時代を超えた不思議な感慨が心を占めていた。

この感覚、土牛の城の絵にも感じたなあ。建築は内部に入ってこそ。内部をさまよった先に出会うときめくは、安藤建築にも通じるかも。とか勝手に感じている。

 

「向日葵」1966

 

「冬がまえ」1966

現代の生活は、すべて自然のあり方を、我々に都合のよいように訂正しようと願っている(略)。だが誰かは、昔の人の自然をあるがままに受け入れ、その中に美しさを見出し、楽しさを作り出した素直な生活も、心の中ではうらやましく思っているに違いない。

 

全体を通して、寧の自然の中から感じる心に触れたような気がした。おおらかで、あたたかみがあって、悠久、原始、そういったものに動く寧の心というか。

その意味では、高山辰雄の表紙絵からも、自然観を感じ取ることができる。

以前も書いたけれども、高山辰雄の絵に宇宙と体内の細胞との交感のようなものを感じつつも、ずっとうまく言葉にできなかったのだけれど、ここでは高山が自分の言葉で述べている。

高山辰雄は、寧の跡を継いで、1987~99年まで、156号分の表紙を担当した。高山の文章は詩のようで、題材も身近なものが多い。そして静かに深淵に、愛情深さを感じるような絵だった。

 

「日輪」1987は、その初回にふさわしい、富士と日の出。その両者と同じくらい、いえもっとか、画面を満たす赤い背景も、存在感がある。ひとつの物質としてあるような。お正月号。高山の祈りが伝わるような。

 

「緑萌ゆる」1987

銀色の、金色の、又夢の様に柔らかな色。それは優しい、が激しい。体中新緑といっしょになって、ゆれる。

こんなふうに高山辰雄は自然に身を任せているのかと思う。

 

「夜の気」1987

夜の気 帳 包み込む暗さは 太陽が地球の裏側にあるからではなく どこからかやってくるようにも見える

美しさ 静かさ そして怖さや不安 何もかもあらゆるものを持って ゆらめきながら 現れる

高山は、目にみえない空気自体を存在として感じ取っている。以前に見た絵でも、空気自体をとりたてて前面に押し出しているわけでもないけれども、空気が日月と地上のものとの間で響きあっているように感じる。どうしてそう感じることができてしまうのか、どのように描いているのか、高山の絵は不思議で神秘的。

 

「明るい日」1999

その時々に、ひとはそのなかに行事を作り、朝を夕べを 山や森を 楽しむことを発明した 野に遊び 水を眺める

かしこいなあ人間はと感じることがある それほど人間は辛かったのだとも感じられる

泣きそうに見えてくる花。それでも咲いている。

 

「野に遊ぶ」1999

「古代人を古代人と考えるのは 現代人の思い過ごしとかんがえたりすることがある」

この子供たちを見ると、古代人でもあり現代人でもあり、違いなどないように感じる。

 

「澄明の空」1999

以前からこの季節の気を どのように 何とか表現できないかと むつかしくも楽しく 見続けている 

何か万物の動き 存在を思うのである

風に吹かれるこの女の子は、高山辰雄自身のようでもある。俗人の私には難解と思っていた高山辰雄の、子供のような後ろ姿を見たようで、ちょっと嬉しかったりする。

 

気を描くのに、高山自身も試行錯誤していたのだ。

でも、87歳の高山辰雄は「楽しく 見続けている」と。一生をかけてもまだまだ答えが出尽くさない問いを、自分のペースで追い、描き続けている。

おそらく私もこれから生きていくにつれ、「万物の動き、存在」を少しずつでももっと実感できるようになれば、高山辰雄の絵の発するものにもっともっと触れられるんだろう。

二章以降

杉山寧の言葉:その時写生がよみがえるが、描き上げられる画面の構成は、その絵のために新しい秩序を作り出しているつもりである。

それで、上述の”整理されたような絵”という印象になっちゃっていたのか。

 

・高山辰雄では、「花のある静物」1964は、クロッカス、たまごや玉ねぎなど。一つ一つのモチーフが、宇宙の中でつながる存在であり、内の内で響きあっているよう。

「森の気」1973は、くすんだ緑の色彩なのに、どうしてこんなに樹木の一本一本が気を放っているのだろう。この中に一歩足を踏み入れたら、いったいどんなだろう。

 

・東山魁夷では、緞帳の下絵に惹かれる。これが大ホールの大画面に広がったら、と想像する。こんな青や緑の海や森が広がったら、ずっと見ていたくなりそう。魁夷の緞帳、いいなあ。機会があったら見に行きたいもの。下絵は6点あった。今も現役のものはあるだろうか。

「爽明」帝国劇場緞帳下絵 1972

 

「波響く」愛媛県民文化会館緞帳原画 1985

 

魁夷と歌舞伎界のつながりの章では、魁夷の手描きの着物に圧倒された。

六世中村歌右衛門所用「助六」揚巻の着物 1956 

珍しい魁夷の水墨。荒く太い筆致。墨と金で岩と松を。波は金の線。迫力だった。

魁夷の知らなかった一面にふれることができました。

こちらは、気軽に、落ち着けそうなカフェも併設。「白馬亭」といい、上野精養軒の直営だそう。ケーキメニューに後ろ髪をひかれながらも、近くの法華経寺(前回の日記)へ急ぎました。