三井記念美術館の帰りに、日本橋三越で小杉放菴の小さな墨の絵に和んできました。
「横山大観と小杉放菴展」日本橋三越 6階 美術特選画廊 1月10日~16日(火)
大観と放菴を合わせて60点ほど。
大観は、大観の好きな富士山を中心に、金の屏風、書なども掛けられていました。つけられた札では1000万円は軽く超え、数千万円も普通。大観の愛国心の強さが伝わる作品が多かったように思いました。
ちょうど山種美術館では大観展が開催中であり、3月からは東京近代美術館でも大回顧展が開催されます。大観が亡くなるのは1958年。戦前、戦後という視点でも通して見てみたい気がしました。
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さて今回は、放菴の文人画風の小品に見入ってしまいました。ちなみにお値段は、大観とは一桁違う。おとくなので買っちゃいました。うそです。言ってみたかっただけです。
特に、昔話を描いた絵がとても好ましい。(会場は写真、模写不可。以下の画像は、2015年に出光美術館で見た小杉放菴展の図録から。展示作ではありませんが、同様の作品があったので参考に載せました。)
以下、備忘録です。
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花さかじいさんが、灰を巻いて枯れ木に花を咲かせていました。その顔がとてもよくて。かわいがっていた亡きポチが花となってまた帰ってきたことに、おじいさんはほんとうにうれしそうだし、愛があふれている。なんだかやさしいものが私の気持ちの中にもふりそそいできました。
「かるいつづら」は、舌切りスズメのお話。つづら箱を背負い、振り向くおじいさんの優し気な顔。おじいさんの周りを親し気に飛び回る雀たちも、ぽちゃっとしてて本当にかわいい。雀たちはおじいさんが本当に好きなんだ。
「 こぶとりじいさん」は鬼たちと輪になって踊っていましたよ。とっても楽しそうに、センターでいい感じで。ツノのはえた鬼たちは、「おおっ、このじいさん、めっちゃ上手いやん」みたいに目をぱちくり。喜々としておじいさんを見ながら、これまたいい感じで踊っている。ああいいなあ。
中国の故事も。
「寒山拾得」も、妙な風貌で描かれることが多いけれども、放菴が描くと、かわいい顔をした子どもだった。仲良しのふたりは、大きな岩の隙間からのぞきこむ。寒山はそういえば洞窟に住んでいたのだった。
「良寛和尚」は、桜の木の下で、子供たちを相手に毬つき。無垢で無邪気な顔。
「芭蕉翁騎馬像」は、東北の農耕馬のようなぼってりとした馬。おそらくこれは放庵の愛。彩色の大きい絵などでも、いくつかこういう日本的な馬の絵を描いている。作品には「のをよこに うまひきむけよ ほととぎず」の句が書き入れられている。放菴の字がまたとてもいい風貌だった。
どれも放菴の擦筆がとてもいい味わいだった。
紙は繊維が見えて、これもなんともいい風合い。
上手く言えないのだけれど、この紙と筆でいい具合に合わさって、濃い墨でも、墨のかどが取れるというか。やさしく枯淡になるというか。・・うまく言えない。
帰ってから上述の図録を読み返すと、麻紙との出会いが、洋画家としての「小杉未醒」から「放菴」への改号の転機になったとある。麻紙は、隋唐代に日本に伝来し、平安時代には消滅していたのを、1925年に、福井の紙すき職人・岩野平三郎が復元した。放菴は、平三郎親子に100通もの手紙を送りながら、自分の求める麻紙を注文した。放菴の難しいこだわりにも、職人気質の平三郎は応えたそう。
放菴は西洋画家として留学していたパリで、池大雅の複製の「十便帖」(川端康成蔵)を見たことが大きなきっかけとなって、東洋の美に目覚める。「大雅堂の絵は、さながらの音楽、最も自然を得て、最も装飾的、暖かく賑やかに、しかしながら静かなる世界、その基調は一に彼の太くゆるく引かれたる線篠にある」1925 と言葉を残している。
私は池大雅が好きなので、嬉しかったりする。4月からは京博で池大雅展が始まる。
放菴は、池大雅の心のままにあそぶ世界に自らも入り込み、でも池大雅とはまたちがった、独自の線の風合いを作り上げたのだなあと思う。
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短い時間でしたが、安らぐ放庵の展示でした。
会場前には、もうお雛様がせいぞろい。手のひらサイズのやかわいいのもたくさん。春先取りでした。