はなナ

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●表参道「本の場所」で、裕人礫翔さん「月光礼賛」

2018-01-28 | Art

表参道の「本の場所 美術のおまけつき」で、 裕人礫翔+吉田拓也「月光礼賛」を拝見してきました。

2018.1.23~ 2.2 https://www.honnobasyo.com/vol-45

裕人礫翔さんは、西陣に生まれ、「金銀模様箔」の伝統技法の継承者であり、箔アーティストとして現代アートも手掛ける。昨年は銀座シックスでも展示があったのですね。

建仁寺の『風神雷神図屏風』や、南禅寺・妙心寺などの障壁画の複製の金箔復元も携わっておられるそう。

最近はキャノンの高性能の復元画の展示を見る機会が増え、その精緻さに驚きつつ、金色ってコピーできるのかな?と疑問を抱いていたのですが、その疑問が解けました。金の輝きは複製できないので、上から金箔をはるのだそう。このような方の仕事のおかげだったのですね。

以下、備忘録です。

地下の室内には、箔の作品。大きな月が地上に降りているのでびっくり。

おや、後ろに掛け軸があると思ってみたら、さらっと若冲で、またびっくり!。さらには蕭白(!)、応挙(!)。それがプレートもなく…。

しかも人物もトラも鶴も、目ヂカラのある個性的なヤツ揃い。現代の作品も江戸時代の作品も、どちらの存在感もくすむことがありません。画と現代アートとを合わせて、いろんな想像を与えていただきました。

(写真は許可をいただきましたが、載せるのが申し訳ないくらいうまく撮れてない…。神秘的な雰囲気が伝わるように撮れていればよかったのですが…。)

 

ごつごつとした鉄の肌に銀箔が。

この赤や青、紫などの多彩な色が、全て銀箔というのに驚き。彩色したのでなくて、銀箔は、熱と硫黄のコントロールによって、銀、薄金、濃金、赤、青、緑、紫、黒、墨と変化するのだそう。

光の具合で輝きが変わり、見るたび違う世界。
横に回って見ると、光の反射が消え、色も輝きも失われて、作品が眠りにつく。

最初から寝ている作品は東洋にはあるけど、作品がいま目の前で眠りにつくという、突然で初めての体験に、あっと小さく声がもれたくらい。心を揺さぶられるというのはこういうことか。

 

 

このあと、私は国学院博物館の「いのちの交歓-残酷なロマンティスム-」展に立ち寄ったのですが、岡本太郎や縄文土器のかけらや(食されたあとの)動物の骨などをみながら、この作品がよぎりました。

鉄という素材の暴力的で原始的なゆえかもしれないし、光を当てた時の爆発するような輝きゆえかもしれない。輝いているのに暗さがあるからかもしれない。

 

月の作品は、三日月、半月、新月と。移り変わり、繰りかえし。

金属のようですが、和紙と箔だそうです。

表面を見つめていると、上手く言えませんが、見る時間自体がすばらしい体験だったのです。

 

闇が美しい。だから金も美しい。この両者は、光と闇のごとく相反しながら、同時に切り離せない関係であり。

そういえば、すぐ近くの根津美術館でも、「墨と金」という企画展が開催中でしたっけ。

 

こちらは箔に漆。ロスコを思い出しました。長くみていると、見えてくるものが見えてくるのも、ロスコのよう。

 

さりげに応挙がこの作品を見続けていました。その応挙を若冲の鷹が見ている。



この会場には和ろうそくがおかれていました。この時は昼間だったので炎は灯っていませんでしたが、スタッフさんが、和ろうそくは独特なゆらぎがあるので、銀箔や銀箔が刻々と変化し、見飽きることがないとおっしゃっていました。
昔は、夜は屏風や掛け軸をそんな風に見ていたのですね。

ふと、ラスコーの壁画が、真っ暗な洞窟のなかで、焚火の灯りで描かれたことを思い出しました。あの人たちも、火の揺らぎで、岩壁に描きつけた牛や馬の群れが動くのを、おおーと感動してたかも 。そこに神を見ていたのかも。

ああっ、陽が落ちてから来るべきだったか。

 

外に出ると、入るときには気づかなかった青い世界。

 

小さめの円が、絵巻とともに。これは自然光のもとで拝見。

絵巻好きとしては嬉しく、これらの作品にも愛らしさすら覚えてしまう。何百年もまえのものを、今のもとの混在させて見せて下さる主催者の方に感謝感謝です。

 

とてもきれいでした。金属的なものなのに澄んでいる。現代のものなのに、長い時間を抱合するような。金や銀の持つ不思議さ。

スタッフさんのお話もお聞きできて、楽しい時間を過ごしました。

こちらは朗読会も開催されているそうです。

↑「本」の字のなかにいろいろな作家さんの名前。私の好きな中島京子さんも発見



和ろうそくの灯る夜にもう一度行こうかな。